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しまおか

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第二章~③

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 藤子は中学から親元を離れ寮に入っていた事情もあり、実家に帰り彼や兄と顔を会わせたのは、お盆や正月位しかない。よって彼の姿をよく覚えているのは小学生の頃までだ。後はせいぜい帰省した際、少しずつ成長していく彼とどうでもいい会話を交わしたり、兄から間接的にちょっとしたエピソードを聞いたりした位だろう。
 そこで彼が高校生の時、ヤンチャなグループと付き合いがあると耳にした。またその頃、先輩達に無理やり連れていかれた集まりで、童貞を失った話を聞いた事を思い出す。年上の女性と半強制的に肉体関係を持たされ、幻滅したと兄に愚痴をこぼしていた経緯をこっそり盗み聞きしていた記憶が蘇った。もしかするとそうしたトラウマがあったから、女性との距離を縮められないままだったのかもしれない。
 後は小学校から高校の途中まで、彼はサッカーに夢中だった。その為運動神経は比較的よく、体力には自信があったと思う。ただ高校に入った部活に素行の悪い先輩や同級生がいた。そこから道を踏み外しそうになったが暴力事件をきっかけに、取り巻きの不良達の多くは学校を去ったらしい。彼はその後ようやく本来の真面目な自分を取り戻し、それでも何故か勉強が苦手だった為、高校卒業後は社会人になる道を選んだ。
 しかも父親のコネとはいえ、当時まだメジャーでは無かったパソコン関係の仕事を始めた。それを知った兄や藤子達は、将来性が見込める業種だから安心できると胸を撫で下ろした覚えがある。
 末っ子というだけの理由ではないが、上二人と比べれば比較的甘やかされて育ったと思う。その為藤子達とは異なり良い大学に入れようといった教育方針を、受けさせていなかったのかもしれない。藤子もそうだったが、恐らく出来の良かった兄と比較され、能力が及ばない事で卑屈になりはしないか懸念していた形跡がある。特に父はそう思っていたのではないか。
 だからこそ幼い頃はかなり体が弱く病気がちで、成長してからも運動等を苦手にしていた兄と相反し、様々なスポーツに取り組ませていたとも考えられる。その中で本人が最ものめり込んだのはサッカーだ。けれど当然だがプロの選手になれるレベルまでは至らず、せいぜいチーム内で目立つ程度にとどまっていた。
 それでも母が高卒だった為か雄太をかばい、良い学歴を得たり有名な会社に入ったりする事だけが、幸せな人生とは限らないと言い続けていた記憶は残っている。当時の藤子や兄は、それを単なる負け惜しみだと感じていた。
 しかしいざ自分が社会人となり多くの挫折を味わい、思い出すだけでも気分が悪くなる経験を重ねてきた今では、母の言葉が正しかったと思えるようになった。これは兄に対しても言える。藤子が言うのもなんだが、彼のおかれた現在の状況を見る限り決して幸福だとは思えない。彼の家庭がどういう状況か、それなりに把握していたからだ。
 それでも単身赴任するに至った経緯は聞いているが、そこに至るまでの嘘偽りない兄の本音や、会社で具体的にどういう扱いを受けそれに対しどのような想いをしたのか、本当の所は全く知らない。
 身内が兄しかいなくなり、今更ながら雄太について聞き及んでいない事実に気付かされ驚いているのだ。当たり前といえばそうかもしれない。それは彼らに限った事ではなかった。ざっとした経歴は聞いていたものの、藤子達の両親がどのような人生を送ったかなど尋ねた思い出なんて皆無だ。第一興味すら持たなかった。
 親や兄弟と言ってもそれぞれ別々の人格を持つ人間だ。しかも別の世帯で家庭や仕事を持てば独自の世界を持つ為、余り踏み込めないのも事実である。しかしそれ以前に関心があったかと聞かれれば、首を振るしかない。
 世間では互いの付き合った歴代の彼女、または彼氏を知っている程仲の良い家族もいるだろう。家に多くの友人を招く度に紹介したりして、どんな付き合い方をしているのか理解している兄弟だっているはずだ。
 けれど保曽井家は違う。藤子が小学校卒業後という早い時期に家を離れた事情もあるだろう。残された兄と弟の年の差が、七歳と大きい点も影響していたかもしれない。いや、違う。単にそれぞれの間で大きな溝があったのだ。それを飛び越えてまで、互いを理解しようと思わなかっただけだろう。
 そういう関係自体、間違っていたと否定するつもりはない。ただ雄太が亡くなってから、心境に変化が産まれたのは確かだ。自分の事で精一杯だった藤子は、他人について考える余裕などこれまで全くなかった。それは今を生きる、多くの人がそうではないかと思う。
 だが一昨年から起こった新型感染症の拡大という人類にとって大きな災いが、それで良いのかと再考を促す大きな課題を突き付けてきた。何十万人もの人々が職を失い、多数の会社が倒産に追い込まれた。外国人労働者等も含め、社会に放り出されどうしようもない窮地きゅうちに立たされた人達による犯罪も発生。さらには自殺者数も高水準を保ったままだ。
 非常事態における国のリーダーまたは自治体の長が誰で、どのような政策を打ち出し行動するのか。それにより自分達を取り巻く環境がどれだけ悪化し改善するのかを、全世界の人々が身をもって体験させられたのである。さらに生活への影響だけでなく、命をも脅かされると痛感した。
 平和時では政治に関心が無くても、日々の暮らしに支障をきたすケースは無かっただろう。その為何事も無ければそれで良かったけれど、そうはいかないと多くの国民が感じたはずだ。自助を強制され、否応なく弱者が切り捨てられていく状況を目の当たりにしたからである。
 しかし全国民がそうだった訳ではない。想像力が欠如し、自己中心的な思考にはまっている人にとってはあくまで他人事だ。当然第三者をおもんばかることはなく、自らの頭で考えることもなく、表面的な情報を鵜呑みしてフェィクニュースに踊らされた。
 そうして偏った思想や主義主張を正しいと認識してしまう浅はかな人達が、可視化されるようになった。非常時だからこそ、平和時では見られなかった周辺にいる人の本質が一気に表面化したのである。そこで衝突や軋轢が生じ、分裂や争いも起こった。
 藤子は会社という社会集団から外れ他人と距離を置いていた時期だった為、そうした出来事をネットニュースやテレビで傍観していた。
 よってそもそも他人と距離を取り、必要最小限の外出しかしていなかった引き籠り生活は、時代が自分に追いついてきたと錯覚する程の異様な光景に映った事を覚えている。それでもあらゆる場面で落胆し、怒りを感じた。そのエネルギーを筆にぶつけ、綴った作品も多くある。
 特にあの当時、致死率や重症化率が低いと言われていた若者は、他人が感染すれば医療体制がひっ迫し、怪我をした人や別の病気に罹った人に迷惑が掛かるなんて考えもしていない輩が散見された。
 よって自分自身がそうなる確率や大切な恋人や家族が救急車の中でたらいまわしにされ、命の危険に関わる事態に陥ってしまうケースも起こり得るなんて想像できるはずなどない。
 これは三回目のワクチン接種が行われた後も変わらない。感染症の拡大が長く続き過ぎ、自粛疲れの反動が出たのだろう。また変異種がやや弱毒化傾向にあるとかって解釈し出した。
 すると感染の波が落ち着き始めたと思えばすぐに経済や日常生活を取り戻そうと人が動き出す。そうするとやがて新たな変異種による感染拡大が起これば、再び社会的弱者は弱者のままで居続ける。
 喉元過ぎれば熱さを忘れるとの言葉通り、折角目覚め始めた人々さえまた自分が生きることに忙しくなり始め、他人に目を向けなくなりつつあった。
 それでも幸か不幸か、藤子は社会的落伍者だと責めていた状況から突然世間から評価され、表面的な社会的地位が向上したのだ。その上容姿をもてはやされ、一時期はこれまでの劣等感を払しょくできたとほくそ笑んだのも事実である。
 けれど時が経つにつれ嬉しいと思う気持ちが起こった反面、ほんの一部分だけで評価される辛さや悲しみも感じ始めた。褒められる快感を味わいながらも、表面だけで人の良し悪しを判断する風潮に呆れた。馬鹿馬鹿しさから怒りを覚えるという複雑な感情に翻弄され、困惑するようになったのだ。
 そこから一瞬で逆風に晒され、頭を冷やす時間を否応なく与えられて今に至る。今回の事件は雄太を含む保曽井家についての過去を振り返る、良い機会なのかもしれない。
 前だけを見続けて来た生き方を見つめ直し、一度立ち止まって後ろを振り返ることは大事だ。会社を退職せざるを得なくなる程追い詰められた経験を経た藤子は、改めてそう思った。
 雄太の過去に何があり何を求めていたのかを探る行為は、自分の生き方について見直す大きなきっかけになるのではないか。一見成功し再出発できたかのように思えるが、これで本当に良かったのか。また雄太が藤子に残そうとした遺産をどう使えば彼の意志に沿えるのか。
これからの行動により、その答えが見つかるかもしれない。藤子はそう考えるようになっていた。
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