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第四章 海底の真相

50.ゲイジュツカ

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 ――顔ではなく作品で認識しますね。あえて言うなれば、造形美の型を超克し、ヒトがヒトたる生命の息吹を轟かせる広義の〈作家〉でしょうか。僕は現代美術界の異端児のようですし、高尚な画壇へのこだわりはありませんから。かっこたる意志と創造の担い手であれば、あらゆる垣根をこえて肩を並べるに足ります。

 インタビュアーから注目している画家について尋ねられたさいに、螺科未鳴にしなみめいがした解答だ。
 約一万字のインタビュー記事だった。
 巻頭特集が掲載された月刊誌の発売日には、学校帰りに書店へ急いだのを覚えている。


 海外の美術市場で高い評価を得ていた未鳴の絵画は、片田舎の学生に手が届くものではなかった。
 新作発表の場の画廊へ足を運ぶ機会はなく、ネット上の小さなサムネイルやプリント版や画集を何度もみつめた。相手が歌手やエンターテイナーであればこうももどかしい想いもしないのに、螺科未鳴にしなみめいは誰にとっても芸術家でしかなかった。


 思い出のなかの美しい過去を捨てられないだけかもしれない。
 そう、疑ったこともある。


 まるで銀河の果ての星のように遠く、神様のように実体がない。それでも、信じるに足るものは不変だった。朝がきて目が醒めても、螺科未鳴にしなみめいという輝きに見た夢は冷めない。


 ――それはいまも。


 美波あきらは追想をふり払いながら、扉の前に立つ。


 瑞凪町の住宅地にひっそりと立つ古びたアパートの四階。表札の名前は掠れ、ドアノブは錆びかけている。野外からうかがうかぎり、カーテンは閉ざされている。ベランダには生活の痕跡がなかった。
 チャイムを鳴らして数秒待つ。……返事がない。声を張る。

「私です。開けてください」

 反応がない。ドアノブを握る。
 と、ひとりでに外側へと開いた。チェーンロックの奥から、ぬるりと白い腕があらわれる。それからぼさぼさの髪。毛玉まみれの丈長ニット。目も当てられない零落ぶりだが、どうやら寝起きらしい。

「おい、三日連続だぞ。ストーカーかよ。帰りなよ」

 螺科未鳴にしなみめいがそこにいた。
 自画像は描かず、メディアにも素顔を晒さない芸術家だが、休日はノーメイクで過ごすらしい。つい二日前に知った。

「帰りません」
「話したとおり、君と語らうことはもうないからな」

 バタン。乾いた音が轟いて、扉が閉ざされる。
 十二月になり瑞凪町には本格的な冬がやってきた。今朝は雪にはならなかったが、午後からは降るらしい。廊下は凍えるように寒く、ため息すら白い。

「それで、籠城ですか。……いいですけど。ここでしばらく待ちます」

 それから三十分ほど――。
 空を眺めて、雲が流れるのを待っていると。

「ああ、クソがっ! 気が散る!」

 扉が開いて、ワンルームの部屋にあっけなく迎え入れられ、あきらがソファに座るより早く、温かな紅茶が運ばれてきた。未鳴は仏頂面で腕組みをしている。

「シュガーないからな。それ飲んだら帰ってくれ」
「紅茶はストレート派」
「学校は?」
「冬休み」
「ああ、そうか……。もうそんな時期だった」

 真木百合枝失踪事件からすでに一ヶ月が経っていた。

 あれから真木は美術室で漫画を描くようになり、家族の愚痴をよく喋っている。
 大学へ通いながらでも漫画は描けるというのが母親側の主張で、折りあいは悪いままらしい。

 それでも、彼女は学校には毎日登校してきて。下校時刻にはまっすぐ家に帰っていく。無断外泊は控えるようになり、その代わりにこのごろはあきらの家に遊びにくるようになった。

 彼女から教えられた螺科未鳴にしなみめいの逗留先は町の民宿だったが、訪れたときにはもぬけの空になっていた。仮宿だったのだ。
 ただし、ほかに隠れ家アトリエがある推測はついていた。絵画制作の痕跡がなかったからだ。

「てかね、きみ。再三言うけど、ストーキングはやめたまえよ。どうやってここをつき止めたんだい? うん?」

 額に青筋でも浮かびあがりそうな顔で、未鳴が尋ねてくる。
 有言実行の奇人は、事件後は〈テラリウム〉にも現れなくなり、LINEのアカウントも突如消した。怒りたいのはあきらのほうだ。

「地道な聞き込み調査。一年半以内に引っ越してきた奇人変人なら、ワールドワイドウェブよりご近所ネットワークのトキの人だろうって」
「そっかぁ……。ああ……やってられるか! ウェルカムホームクソ田舎! 浮世はまったく偏見にあふれてるなぁ!」
「あと、予防線として張っといた罠が役立った」
「罠だって……?」
「初めて会った日。始発の電車に間にあったよね」

 あの日の朝は、あきらもずいぶん早起きしたのだ。

「五時三十七分の始発電車に乗るために瑞凪駅にたどり着くためには、交通手段は限られる。電車は使えない。車か徒歩か自転車か。遠方からなら車移動だろうけど、待ち合わせ時刻までに駅前唯一の駐車場にやってくる車はなかった。これはずっと見張ってたから確か。……つぎに自転車。当日のあなたの荷物は厚手のコートと着替えの入ったトランクケース。荷台に積むにも大きすぎる。よって自転車の線もなし」

 となれば、選択肢はひとつだ。

「つまり、徒歩移動。瑞凪駅から徒歩三十分圏内に隠れ家があると見込んで、不動産屋で内見交渉――実地調査。……に行ってくれたのが、乙戸辺先輩と真木」

 卒業と同時に同棲を始めるカップルのふりなんて、よくやってくれる。
 ふたりの小芝居が功を奏したおかげて、不動産情報については興味深い話も聞けた。

「さてはヒトを使うことを覚えたな?」
「あの日の帰りは私を警戒してなのか、本当に予定があったのか……瑞凪町に戻らなかったよね。――はい、これで詰み。我慢くらべは終わりにしよう、未鳴。いい大人なんだから駄々こねてないで、私と連続事件の話でもしようよ」

 話せば話すほどに確信が増すから、不思議だった。

〈テラリウム〉からはネモが消えて。螺科未鳴にしなみめいの新着ニュースも已然として更新されない。それでも、このひとだという確信があった。光梨が見つけてきた〈祐城叶鳴ゆうきかなる〉の顔写真とは似ても似つかなかったのだ。
 そこで、あらためて図書室で調べてきた。

 結果、十年前の卒業アルバムに見覚えのある顔が見つかった。
 目前のそのひとに面影は重なるのに、写真に映っていたのは、幼くあどけない印象の少女だった。

 螺科未鳴にしなみめいは亡くなっていない。
 いやそうな顔をしながらも会話に興じてくれる。実態があり。幽霊ではない。

「やだやだ、高校生ってのは。理論武装と集団戦で論破しようなんてオトナゲなさすぎ」
「私たち、こわいものしらずで世間知らずな子供らしいから」

 カップの紅茶を飲み干して、正面を見据える。
 まだ判明していないことがある。これは触れてはならない秘密なのかもしれない。ただ、きっと、わかりあえると信じられるほどには〈テラリウム〉を介して、おなじ時間を過ごしたはずだ。

「あなたを告発しない代わりに、こっちの要求を飲んで欲しい」
「へー。そりゃあいいな。じゃあクソガキたち? 自由研究の成果を見せたまえよ。この未鳴さんが赤ペンで添削してあげようじゃないか」

 啖呵をきって挑発を突きつけると、螺科未鳴にしなみめいは乗ってきた。
 そういう性格だ。

「なら、順をおって話すよ――。この事件の絵解きを、はじめさせてもらうから」

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