55 / 67
第四章 海底の真相
50.ゲイジュツカ
しおりを挟む――顔ではなく作品で認識しますね。あえて言うなれば、造形美の型を超克し、ヒトがヒトたる生命の息吹を轟かせる広義の〈作家〉でしょうか。僕は現代美術界の異端児のようですし、高尚な画壇へのこだわりはありませんから。かっこたる意志と創造の担い手であれば、あらゆる垣根をこえて肩を並べるに足ります。
インタビュアーから注目している画家について尋ねられたさいに、螺科未鳴がした解答だ。
約一万字のインタビュー記事だった。
巻頭特集が掲載された月刊誌の発売日には、学校帰りに書店へ急いだのを覚えている。
海外の美術市場で高い評価を得ていた未鳴の絵画は、片田舎の学生に手が届くものではなかった。
新作発表の場の画廊へ足を運ぶ機会はなく、ネット上の小さなサムネイルやプリント版や画集を何度もみつめた。相手が歌手やエンターテイナーであればこうももどかしい想いもしないのに、螺科未鳴は誰にとっても芸術家でしかなかった。
思い出のなかの美しい過去を捨てられないだけかもしれない。
そう、疑ったこともある。
まるで銀河の果ての星のように遠く、神様のように実体がない。それでも、信じるに足るものは不変だった。朝がきて目が醒めても、螺科未鳴という輝きに見た夢は冷めない。
――それはいまも。
美波あきらは追想をふり払いながら、扉の前に立つ。
瑞凪町の住宅地にひっそりと立つ古びたアパートの四階。表札の名前は掠れ、ドアノブは錆びかけている。野外からうかがうかぎり、カーテンは閉ざされている。ベランダには生活の痕跡がなかった。
チャイムを鳴らして数秒待つ。……返事がない。声を張る。
「私です。開けてください」
反応がない。ドアノブを握る。
と、ひとりでに外側へと開いた。チェーンロックの奥から、ぬるりと白い腕があらわれる。それからぼさぼさの髪。毛玉まみれの丈長ニット。目も当てられない零落ぶりだが、どうやら寝起きらしい。
「おい、三日連続だぞ。ストーカーかよ。帰りなよ」
螺科未鳴がそこにいた。
自画像は描かず、メディアにも素顔を晒さない芸術家だが、休日はノーメイクで過ごすらしい。つい二日前に知った。
「帰りません」
「話したとおり、君と語らうことはもうないからな」
バタン。乾いた音が轟いて、扉が閉ざされる。
十二月になり瑞凪町には本格的な冬がやってきた。今朝は雪にはならなかったが、午後からは降るらしい。廊下は凍えるように寒く、ため息すら白い。
「それで、籠城ですか。……いいですけど。ここでしばらく待ちます」
それから三十分ほど――。
空を眺めて、雲が流れるのを待っていると。
「ああ、クソがっ! 気が散る!」
扉が開いて、ワンルームの部屋にあっけなく迎え入れられ、あきらがソファに座るより早く、温かな紅茶が運ばれてきた。未鳴は仏頂面で腕組みをしている。
「シュガーないからな。それ飲んだら帰ってくれ」
「紅茶はストレート派」
「学校は?」
「冬休み」
「ああ、そうか……。もうそんな時期だった」
真木百合枝失踪事件からすでに一ヶ月が経っていた。
あれから真木は美術室で漫画を描くようになり、家族の愚痴をよく喋っている。
大学へ通いながらでも漫画は描けるというのが母親側の主張で、折りあいは悪いままらしい。
それでも、彼女は学校には毎日登校してきて。下校時刻にはまっすぐ家に帰っていく。無断外泊は控えるようになり、その代わりにこのごろはあきらの家に遊びにくるようになった。
彼女から教えられた螺科未鳴の逗留先は町の民宿だったが、訪れたときにはもぬけの空になっていた。仮宿だったのだ。
ただし、ほかに隠れ家がある推測はついていた。絵画制作の痕跡がなかったからだ。
「てかね、きみ。再三言うけど、ストーキングはやめたまえよ。どうやってここをつき止めたんだい? うん?」
額に青筋でも浮かびあがりそうな顔で、未鳴が尋ねてくる。
有言実行の奇人は、事件後は〈テラリウム〉にも現れなくなり、LINEのアカウントも突如消した。怒りたいのはあきらのほうだ。
「地道な聞き込み調査。一年半以内に引っ越してきた奇人変人なら、ワールドワイドウェブよりご近所ネットワークのトキの人だろうって」
「そっかぁ……。ああ……やってられるか! ウェルカムホームクソ田舎! 浮世はまったく偏見にあふれてるなぁ!」
「あと、予防線として張っといた罠が役立った」
「罠だって……?」
「初めて会った日。始発の電車に間にあったよね」
あの日の朝は、あきらもずいぶん早起きしたのだ。
「五時三十七分の始発電車に乗るために瑞凪駅にたどり着くためには、交通手段は限られる。電車は使えない。車か徒歩か自転車か。遠方からなら車移動だろうけど、待ち合わせ時刻までに駅前唯一の駐車場にやってくる車はなかった。これはずっと見張ってたから確か。……つぎに自転車。当日のあなたの荷物は厚手のコートと着替えの入ったトランクケース。荷台に積むにも大きすぎる。よって自転車の線もなし」
となれば、選択肢はひとつだ。
「つまり、徒歩移動。瑞凪駅から徒歩三十分圏内に隠れ家があると見込んで、不動産屋で内見交渉――実地調査。……に行ってくれたのが、乙戸辺先輩と真木」
卒業と同時に同棲を始めるカップルのふりなんて、よくやってくれる。
ふたりの小芝居が功を奏したおかげて、不動産情報については興味深い話も聞けた。
「さてはヒトを使うことを覚えたな?」
「あの日の帰りは私を警戒してなのか、本当に予定があったのか……瑞凪町に戻らなかったよね。――はい、これで詰み。我慢くらべは終わりにしよう、未鳴。いい大人なんだから駄々こねてないで、私と連続事件の話でもしようよ」
話せば話すほどに確信が増すから、不思議だった。
〈テラリウム〉からはネモが消えて。螺科未鳴の新着ニュースも已然として更新されない。それでも、このひとだという確信があった。光梨が見つけてきた〈祐城叶鳴〉の顔写真とは似ても似つかなかったのだ。
そこで、あらためて図書室で調べてきた。
結果、十年前の卒業アルバムに見覚えのある顔が見つかった。
目前のそのひとに面影は重なるのに、写真に映っていたのは、幼くあどけない印象の少女だった。
螺科未鳴は亡くなっていない。
いやそうな顔をしながらも会話に興じてくれる。実態があり。幽霊ではない。
「やだやだ、高校生ってのは。理論武装と集団戦で論破しようなんてオトナゲなさすぎ」
「私たち、こわいものしらずで世間知らずな子供らしいから」
カップの紅茶を飲み干して、正面を見据える。
まだ判明していないことがある。これは触れてはならない秘密なのかもしれない。ただ、きっと、わかりあえると信じられるほどには〈テラリウム〉を介して、おなじ時間を過ごしたはずだ。
「あなたを告発しない代わりに、こっちの要求を飲んで欲しい」
「へー。そりゃあいいな。じゃあクソガキたち? 自由研究の成果を見せたまえよ。この未鳴さんが赤ペンで添削してあげようじゃないか」
啖呵をきって挑発を突きつけると、螺科未鳴は乗ってきた。
そういう性格だ。
「なら、順をおって話すよ――。この事件の絵解きを、はじめさせてもらうから」
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
時計の歪み
葉羽
ミステリー
高校2年生の神藤葉羽は、推理小説を愛する天才少年。裕福な家庭に育ち、一人暮らしをしている彼の生活は、静かで穏やかだった。しかし、ある日、彼の家の近くにある古びた屋敷で奇妙な事件が発生する。屋敷の中に存在する不思議な時計は、過去の出来事を再現する力を持っているが、それは真実を歪めるものであった。
事件を追いかける葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共にその真相を解明しようとするが、次第に彼らは恐怖の渦に巻き込まれていく。霊の囁きや過去の悲劇が、彼らの心を蝕む中、葉羽は自らの推理力を駆使して真実に迫る。しかし、彼が見つけた真実は、彼自身の記憶と心の奥深くに隠された恐怖だった。
果たして葉羽は、歪んだ時間の中で真実を見つけ出すことができるのか?そして、彼と彩由美の関係はどのように変わっていくのか?ホラーと推理が交錯する物語が、今始まる。
母からの電話
naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。
母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。
最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。
母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。
それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。
彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか?
真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。
最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。
クロノスエコー
変身文庫
ミステリー
●あらすじ
2034年、『三津木 航 (Mitsuki Ko)』は東京の中野ブロードウェイで小さなアンティークショップを営んでいた。彼女は古美術商であり歴史学者。危機管理コンサルティング会社から古代遺物の調査を依頼された三津木は、その依頼主が米DARPA(国防高等研究計画局)であることを知る。古代遺物はチベット仏教の僧侶たちが時の概念を理解するために使っていたものだと知る。プロジェクトに深く入り込むうちに、彼女はDARPAの暗い秘密を暴き、古美術商だった父の謎めいた失踪事とDARPAに深い関係があることを知る。深いトラウマと葛藤を抱いた三津木は、真実への渇望を抑えられなくなっていく。三津木と仲間たちの調査が進むにつれ、彼女は政府を通過する危険な法案、誘拐、チベット仏教に絡む陰謀の網を発見する。三津木は人類の未来に甚大な影響を及ぼす重大な決断を下しながら、自らの信念や価値観と格闘する。この物語は、野放図な科学進歩の危険性や、危機的状況における倫理的意思決定の重要性といった社会問題を探求、それが人類に与える影響について深い気づきをもたらす。
●キャラクター一覧
①三津木 航 (Mitsuki Ko)・主人公
・古物商、歴史学の博士または優秀な考古学者。中野ブロードウェイでの古物商としての活動を通じて、地元の情報屋や鍵屋と繋がりを持つ。
②荻 亮治郎 (Ogi Ryojiro)
・危機管理コンサルタント会社の代表(元・警視庁公安部外事課)
③倖田 結衣 (Kouda Yui)
・内閣情報調査室主任分析官であり官僚
④アレイスター・ノヴァック (Aleister Novak)
・DARPAの副センター長
⑤ロサン・ギャツォ (Losang Gyatso)
・チベット密教の高僧
⑥宇佐美 玄 (Usami Gen)
・私立探偵兼情報屋(元大手新聞社記者)
⑦三津木 美江 (Mitsuki Mie)
・古書店経営(主人公の母親)
⑧渡井 隼人 (Watarai Hayato)
・傭兵(元陸上自衛隊特殊作戦群・中隊長)
⑨菊池 真由香 (Kikuchi Mayuka)
・ハッカー(日常は主婦)
⑩大林 一朗 (Obayashi Ichiro)
・老舗の出張凄腕鍵屋。
⑪安藤 ハル (Ando Haru)
・コンセプトBARのバーテン兼店主
校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれた女子高生たちが小さな公園のトイレをみんなで使う話
赤髪命
大衆娯楽
少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)
旧校舎のフーディーニ
澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】
時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。
困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。
けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。
奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。
「タネも仕掛けもございます」
★毎週月水金の12時くらいに更新予定
※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。
※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる