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第三章 天使とディーバの取引明細
39.画面のむこうのあのひとに
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カナタさんを九遠堂に送り届けてから数時間後。
僕は朱山駅までトンボ返りをし、駅前をてくてく歩いていた。地図を便りに英城大学の裏手を目指し、目的地に馳せ参じる。
喫茶ボン・ボヤージュ。
洋館を思わせる、古風な外観をした小さな純喫茶だ。喫茶店のとなりにはショーケースにずらりと甘味を並べた洋菓子売り場を併設しており、テイクアウトでの提供も行っているようだ。
入店すると、内装は野暮ったいながらも独特の気品がある。
客席と厨房とを隔てる木目調のカウンターの上部には、著名人からの贈り物とおぼしきサイン色紙がいくつも飾り立てられていた。
同様に壁際に貼られた地方紙のスクラップ記事からは、この店が地元客に愛されてきた老舗であるとうかがえた。
「おーい、こっちこっち」
店内後方のボックス席で、梁間さんが手を上げた。
ホールスタッフにぺこりと礼をして、彼のもとまで急ぐ。
四人がけのソファ席のうち、半分はすでに埋まっていた。
梁間さんと、もうひとり。背の低い少年が行儀良く膝をそろえて座っていたのだ。
年のころは、小学生ほどに見える。
チェックのポロシャツに半ズボン。運動靴に丈の長い靴下をあわせた彼は、夏休みに公園を元気に駆けまわるのがふさわしい年代に見えた。
しかし教育のたまものだろうか、知性を感じさせる表情と、物静かな物腰からは外見にそぐわない落ち着きを感じさせていた。
僕の顔を見るなり、少年は顔を上げた。
「先生から聞きました。カナタさんが伊奈羽市にいらっしゃってるんですよね」
どういうことだろう。この少年もカナタさんの知り合いなのだろうか。
胸に抱いた疑問をそのままに、梁間さんに尋ねる。
「どうやら込み入った事情がありそうですね?」
「だから君を呼んだんだよ。イチイ、君からこの人に話してもらってもいいかい?」
イチイと呼ばれた彼が頷く。
やはり聡明な子だ。イチイ少年は正面にいる僕を見据えて、まずは自己紹介から語りはじめる。
「……ぼくが梁間先生の名前をお借りして、カナタさんとやりとりをしていた者です。本名は荒木壱伊といいます」
「君が? それに、梁間先生っていうのは……」
「インターネット上における梁間ヨウという存在は、いわば連名なんだよ。僕とイチイの共作。SNSの更新やメッセージのやりとりを担当しているのが僕、イチイは作曲に関わる仕事全般、動画共有サービスやストリーミングサイトへの音源投稿は分担性」
梁間さんの説明に、壱伊くんは合いの手を入れる。
「ぼくはSNSの利用は親に禁止されているので」
なるほど。しかしなおも疑問は残る。
「それで、おふたりはどういう関係なんですか?」
「梁間先生はぼくの家庭教師です。週に四日、家に来てもらってます。えっと……ふつうの子は平日は小学校に行くんですよね」
「……イチイ」
「いいんだ。ぼくだって自分で話せるよ。……持病があって、学校にはかよえてません。梁間先生に個人授業をしてもらって、家で勉強しながら、みんなに追いつけるようにしています。これでも身体がとくべつに弱いわけでは、ないんだけど」
「ホームスクーリングの一種だと思ってくれ。日本では義務教育中の子どもが学校に通わず過ごすのは、一般的ではないようだが、異国では自宅にチューターを招くのが合法化されている例もある。僕は彼の両親に個人的に雇われている家庭教師だし、おおむねそういうものだ」
壱伊くんを責めるな、と言いたいのだろう。
小中高と不自由なく学校教育を受けてきた僕からすると、同情を誘われる背景ではある。
しかし視点を変えてみれば、足並みをそろえて受講する集団教育とは異なり、個別の発達段階に合わせたカリキュラムで学ぶことができるメリットもあるのではないだろうか。
教室の喧騒も、運動場の歓声も、友達と過ごす放課後も。彼には遠いものだとしても。
僕たちはわかりあえる。年長者に囲まれていても、堂々と自分の意見を話す壱伊くんは、むしろ小学生にしては、やや大人びているくらいだ。
「実際、イチイの学力に問題はないはずだよ。彼はとりわけ音楽への関心が強い子でね。親御さんとも相談しながら、通常の小学生レベルの学習過程だけではなく、若年者向けの音楽家養成プログラムも受けてもらっている」
「先生はなんでもできる、すごいひとなんですよ。ぼくの自慢の師匠です!」
音楽家としての梁間氏は、主にクラシックの分野で活躍をしてきた華々しい経歴の持ち主らしい。
コンクールの受賞歴も豊富で、数年前に日本に戻るまでは海外を拠点に活動をしていたという。現在は教育活動に力を入れており、音楽学校や市民講座で教鞭をとっているそうだ。
梁間氏と荒木家の人々は、地域のコミュニティセンターで開かれた講座で知り合った。
その後、家族ぐるみでの親交を深めたのち、壱伊くんの家庭教師として迎えられることになった。小学三年の冬から自宅学習をしている壱伊くんに音楽の才能を見いだしたのも梁間氏だ。
「ピアノや管楽器の奏法のほかに、作曲のいろはを教えたのは僕だ。これが思いもよらない方向に才能を示してくれてね。父君に買い与えてもらった電子ツールを駆使しながら、暇さえあれば、おもしろい曲をいくつも生成してみせるから肝を抜かれたよ!」
「だって楽しかったから……。先生が褒めてくれるし」
梁間さんと壱伊くん、音楽家師弟の関係は良好だった。
才能を認めてくれて、理解を示してくれる大人が身近にいることは、壱伊くんにとっては精神的に大きな支えにもなっていたのだろう。
「おふたりは……理解者なんですね。では、カナタさんとの経緯について尋ねてもいいですか? 昨夜の件も、なにか事情があるんですよね」
「はい。カナタさんは……あこがれで。もともとはただぼくが、画面のむこうにずっと見ていたひとだったんです」
僕は朱山駅までトンボ返りをし、駅前をてくてく歩いていた。地図を便りに英城大学の裏手を目指し、目的地に馳せ参じる。
喫茶ボン・ボヤージュ。
洋館を思わせる、古風な外観をした小さな純喫茶だ。喫茶店のとなりにはショーケースにずらりと甘味を並べた洋菓子売り場を併設しており、テイクアウトでの提供も行っているようだ。
入店すると、内装は野暮ったいながらも独特の気品がある。
客席と厨房とを隔てる木目調のカウンターの上部には、著名人からの贈り物とおぼしきサイン色紙がいくつも飾り立てられていた。
同様に壁際に貼られた地方紙のスクラップ記事からは、この店が地元客に愛されてきた老舗であるとうかがえた。
「おーい、こっちこっち」
店内後方のボックス席で、梁間さんが手を上げた。
ホールスタッフにぺこりと礼をして、彼のもとまで急ぐ。
四人がけのソファ席のうち、半分はすでに埋まっていた。
梁間さんと、もうひとり。背の低い少年が行儀良く膝をそろえて座っていたのだ。
年のころは、小学生ほどに見える。
チェックのポロシャツに半ズボン。運動靴に丈の長い靴下をあわせた彼は、夏休みに公園を元気に駆けまわるのがふさわしい年代に見えた。
しかし教育のたまものだろうか、知性を感じさせる表情と、物静かな物腰からは外見にそぐわない落ち着きを感じさせていた。
僕の顔を見るなり、少年は顔を上げた。
「先生から聞きました。カナタさんが伊奈羽市にいらっしゃってるんですよね」
どういうことだろう。この少年もカナタさんの知り合いなのだろうか。
胸に抱いた疑問をそのままに、梁間さんに尋ねる。
「どうやら込み入った事情がありそうですね?」
「だから君を呼んだんだよ。イチイ、君からこの人に話してもらってもいいかい?」
イチイと呼ばれた彼が頷く。
やはり聡明な子だ。イチイ少年は正面にいる僕を見据えて、まずは自己紹介から語りはじめる。
「……ぼくが梁間先生の名前をお借りして、カナタさんとやりとりをしていた者です。本名は荒木壱伊といいます」
「君が? それに、梁間先生っていうのは……」
「インターネット上における梁間ヨウという存在は、いわば連名なんだよ。僕とイチイの共作。SNSの更新やメッセージのやりとりを担当しているのが僕、イチイは作曲に関わる仕事全般、動画共有サービスやストリーミングサイトへの音源投稿は分担性」
梁間さんの説明に、壱伊くんは合いの手を入れる。
「ぼくはSNSの利用は親に禁止されているので」
なるほど。しかしなおも疑問は残る。
「それで、おふたりはどういう関係なんですか?」
「梁間先生はぼくの家庭教師です。週に四日、家に来てもらってます。えっと……ふつうの子は平日は小学校に行くんですよね」
「……イチイ」
「いいんだ。ぼくだって自分で話せるよ。……持病があって、学校にはかよえてません。梁間先生に個人授業をしてもらって、家で勉強しながら、みんなに追いつけるようにしています。これでも身体がとくべつに弱いわけでは、ないんだけど」
「ホームスクーリングの一種だと思ってくれ。日本では義務教育中の子どもが学校に通わず過ごすのは、一般的ではないようだが、異国では自宅にチューターを招くのが合法化されている例もある。僕は彼の両親に個人的に雇われている家庭教師だし、おおむねそういうものだ」
壱伊くんを責めるな、と言いたいのだろう。
小中高と不自由なく学校教育を受けてきた僕からすると、同情を誘われる背景ではある。
しかし視点を変えてみれば、足並みをそろえて受講する集団教育とは異なり、個別の発達段階に合わせたカリキュラムで学ぶことができるメリットもあるのではないだろうか。
教室の喧騒も、運動場の歓声も、友達と過ごす放課後も。彼には遠いものだとしても。
僕たちはわかりあえる。年長者に囲まれていても、堂々と自分の意見を話す壱伊くんは、むしろ小学生にしては、やや大人びているくらいだ。
「実際、イチイの学力に問題はないはずだよ。彼はとりわけ音楽への関心が強い子でね。親御さんとも相談しながら、通常の小学生レベルの学習過程だけではなく、若年者向けの音楽家養成プログラムも受けてもらっている」
「先生はなんでもできる、すごいひとなんですよ。ぼくの自慢の師匠です!」
音楽家としての梁間氏は、主にクラシックの分野で活躍をしてきた華々しい経歴の持ち主らしい。
コンクールの受賞歴も豊富で、数年前に日本に戻るまでは海外を拠点に活動をしていたという。現在は教育活動に力を入れており、音楽学校や市民講座で教鞭をとっているそうだ。
梁間氏と荒木家の人々は、地域のコミュニティセンターで開かれた講座で知り合った。
その後、家族ぐるみでの親交を深めたのち、壱伊くんの家庭教師として迎えられることになった。小学三年の冬から自宅学習をしている壱伊くんに音楽の才能を見いだしたのも梁間氏だ。
「ピアノや管楽器の奏法のほかに、作曲のいろはを教えたのは僕だ。これが思いもよらない方向に才能を示してくれてね。父君に買い与えてもらった電子ツールを駆使しながら、暇さえあれば、おもしろい曲をいくつも生成してみせるから肝を抜かれたよ!」
「だって楽しかったから……。先生が褒めてくれるし」
梁間さんと壱伊くん、音楽家師弟の関係は良好だった。
才能を認めてくれて、理解を示してくれる大人が身近にいることは、壱伊くんにとっては精神的に大きな支えにもなっていたのだろう。
「おふたりは……理解者なんですね。では、カナタさんとの経緯について尋ねてもいいですか? 昨夜の件も、なにか事情があるんですよね」
「はい。カナタさんは……あこがれで。もともとはただぼくが、画面のむこうにずっと見ていたひとだったんです」
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