上 下
13 / 45
第一章「袖振り合う世の縁結び」

13.鏡のむこうの真実。あるいは新人バイトの推理劇

しおりを挟む


「椎堂さん! これがあなたの思惑通りの結末だって言うんですか! だとしたらあんたは確かにどうしようもない、ろくでなしだ!」


 怒鳴りつける。と、九遠堂の店主は深く、ため息を落とした。

 まるで他人事だと割り切るような、冷淡な反応。

 男はようやく腰を上げて帳場の奥からぬらりと出てくる。猫背がちな姿勢を保ったままとはいえ、長身の椎堂さんが立ち上がると長い影が威圧的な怪物のようだ。

 ごくりと唾を飲んだのは僕だけではないだろう。

 その場に居た誰も彼もが、この異常に肌白く、異様に物々しい男に気圧されているようだった。

「……糸原蓉子は恋人に雲外鏡を贈った。そうだろう?」
「ええ、そうです……」
「雲外鏡は、時を経て魔性を帯び、怪奇となり果てた鏡。覗き込むものの、本性を写し出す鏡。……その男は何を見たのだろうな」

 迂遠な言いまわしはこの人の常套句のようだが、これでは説明になっていない。
 恵太さんをうかがうと、彼はうろたえ、背を震わせていた。

「そうだ、蓉子はいつでも身嗜みをととのえられるようにと鏡を贈ってくれて……。それで、自分の姿を見て……もうやめようって誓ったんだ……」
「やめようってなにを? やっぱり、浮気してたの?」
「ちがう。僕は……僕が好きなのは……蓉子だけだと言っただろう!」

 静かに悲しみをにじませる蓉子さんに、強く否定をぶつける恵太さん。
 椎堂さんはだまりこんだまま、事のなりゆきを見つめている。

 その視線がふいに僕へと向けられる――「それで、おまえは見ているだけか?」と。

 挑戦的な意図をともなって、青磁色の瞳がわらっていた。
 なにひとつ面白い状況じゃないのに、椎堂さんがわらうのは自信のあらわれだろうか。

 ……つまり、高みの見物というわけだ。

 この状況を解決したいのであれば、僕が主体となって動くしかない。

 やれるだろうかと己に問いかけ、やるしかないのかと迷いが生まれた。信じられるものがあるとすれば、違和感と直感だ。

 恵太さんの部屋で発見された、スカーフと折りたたみ傘。女性用の小物。
 部屋に出入りしていた謎の女性。
 蓉子さんから聞いた話のなかに、不可解を解く手がかりならあったのだ。

「待ってください。恵太さんが見たものに、心当たりがあります。蓉子さんは……彼のことを誤解しているんじゃありませんか?」

 不和に悩む恋人たちに横槍を入れる僕は、犬に蹴られて死ぬのだろうか。

 突如、仲裁に入った子どもを見かねて、恵太さんは気難しげに眉を下げた。

「なんだ、急に……」
 ぎこちないまなざしを受けて怯みそうになるが、退くにはまだ早すぎる。
 なおも食い下がる。

「もう一度だけ確認させてください。恵太さん、本当に浮気はしていないんですよね?」
「するはずないだろう」
「けど、スカーフや日傘を持っていた。これも事実ですよね?」
「そんなことまで知ってるのか……。そうだな……認めよう」


「それ、恵太さんがご自分のために買ったものじゃないですか?」


 とたん、恵太さんは苦虫を噛み潰すような表情をして、目を伏せた。
 おどろいた蓉子さんが、彼にまなざしを向ける。

「どういうこと……?」

「恵太さん、僕が言ってもいいですか。この場にいて気づいていないのは、蓉子さんだけだと思います。それはあなたの努力の成果なのかもしれませんが……たぶん、もう限界なのでしょう」

 おそらく椎堂さんも可能性に思い至っていたのだろう。
 最初から親切にしてくれればいいのに、僕と恵太さんがたがいに躊躇しあうなか、ようやく助け舟を出してくれる。

「言葉で説明するのが煩雑ならば、見せてやれば合点がいくのではないか。持ってきているだろう、あの鏡を」
「それは……」

 二の足を踏みつづける恵太さんを、僕からも催促する。

「恵太さん……。お願いします」
「……もう、それしかないのか」

 恵太さんはとうとう観念して提案を飲んでくれた。
 状況が飲み込めず呆気にとられたまま恋人をさしおいて、彼はスーツの胸ポケットから鏡を取り出す。

 雲外鏡。この世のモノならざる魔性の鏡。

 恵太さんがフタを開けると、鏡面には紫煙が映り込んでいた。
 まるで鏡像を隠すかのような薄霞だ。これでは恵太さんの顔が見えない……はずなのに。

 青年が呻く。
 手にした鏡は、彼だけに真実を明かしたようだった。

 震える片腕が手鏡を落としかける――。僕は慌てて駆け寄って、すんでのところで彼を支える。すると、蓉子さんもあとにつづく。青年の肩越しに、鏡を覗き込む。




 鏡面に映されたのは、ひとりの女性だった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

職業、種付けおじさん

gulu
キャラ文芸
遺伝子治療や改造が当たり前になった世界。 誰もが整った外見となり、病気に少しだけ強く体も丈夫になった。 だがそんな世界の裏側には、遺伝子改造によって誕生した怪物が存在していた。 人権もなく、悪人を法の外から裁く種付けおじさんである。 明日の命すら保障されない彼らは、それでもこの世界で懸命に生きている。 ※小説家になろう、カクヨムでも連載中

遥か彼方の天気と夢

三日月
キャラ文芸
夢が叶った時、人は次に何を見るのだろう。 僕らが住む町、山央町(さんおうちょう)にはふたつの特徴がある。 一つは町の中央に山があること。 もう一つは天候が変わりやすいことだ。 この町で出会った僕達は、夢を見て、それを追いかける。その先に何があるのかも、見つけ出そうと。 そして、僕達は一人一人の夢の先に待っていたものを見る──。

こちら、あやかし移住就職サービスです。ー福岡天神四〇〇年・お狐社長と私の恋ー

まえばる蒔乃
キャラ文芸
転職活動中のOL菊井楓は、何かと浮きやすい自分がコンプレックス。 いつも『普通』になりたいと願い続けていた。ある日、もふもふの耳と尻尾が映えたどう見ても『普通』じゃない美形お狐様社長・篠崎に声をかけられる。 「だだもれ霊力で無防備でいったい何者だ、あんた。露出狂か?」 「露出狂って!? わ、私は『普通』の転職希望のOLです!」 「転職中なら俺のところに来い。だだもれ霊力も『処置』してやるし、仕事もやるから。ほら」 「うっ、私には勿体無いほどの好条件…ッ」 霊力『処置』とは、キスで霊力を吸い上げる関係を結ぶこと。 ファーストキスも知らない楓は篠崎との契約関係に翻弄されながら、『あやかし移住転職サービス』ーー人の世で働きたい、居場所が欲しい『あやかし』に居場所を与える会社での業務に奔走していく。 さまざまなあやかしの生き方と触れ、自分なりの『普通』を見つけていく楓。 そして篠崎との『キス』の契約関係も、少しずつ互いに変化が…… ※ 土地勘や歴史知識ゼロでも大丈夫です。 ※ この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません

大正銀座ウソつき推理録 文豪探偵・兎田谷朔と架空の事件簿

アザミユメコ@書籍発売中
キャラ文芸
──その男、探偵の癖に真実を語らず。本業は小説家なり。 地獄の沙汰も口八丁。嘘と本当のニ枚舌。でっちあげの事件簿で、今日も難事件を解決するのだ! 大正時代末期、関東大震災後の東京・銀座。 生活費とネタ探しのために探偵業を営むウソつきな小説家・兎田谷。 顔は怖いが真面目でひたむきな書生・烏丸。 彼らと、前向きに生きようとする銀座周辺の人々との交流を書いた大正浪漫×ミステリー連作です。 ※第4回ホラー・ミステリー小説大賞で大賞を受賞しました ※旧題:ウソつき文豪探偵『兎田谷 朔』と架空の事件簿 ※アルファポリス文庫より書籍発売中

【キャラ文芸大賞 奨励賞】壊れたアンドロイドの独り言

蒼衣ユイ/広瀬由衣
キャラ文芸
若手イケメンエンジニア漆原朔也を目当てにインターンを始めた美咲。 目論見通り漆原に出会うも性格の悪さに愕然とする。 そんなある日、壊れたアンドロイドを拾い漆原と持ち主探しをすることになった。 これが美咲の家族に大きな変化をもたらすことになる。 壊れたアンドロイドが家族を繋ぐSFミステリー。 illust 匣乃シュリ様(Twitter @hakonoshuri)

小児科医、姪を引き取ることになりました。

sao miyui
キャラ文芸
おひさまこどもクリニックで働く小児科医の深沢太陽はある日事故死してしまった妹夫婦の小学1年生の娘日菜を引き取る事になった。 慣れない子育てだけど必死に向き合う太陽となかなか心を開こうとしない日菜の毎日の奮闘を描いたハートフルストーリー。

After-eve

本宮 秋
キャラ文芸
小さな街にある[After-eve ]というパン屋を 中心に30代から40代の人達のヒューマンドラマ

宝石の花

沙珠 刹真
キャラ文芸
 北の大地のとある住宅地にひっそりと佇む花屋がある。そんな花屋に新米教師の藤田穂(ふじた みのり)がやってくる。何やら母の日の花を選ぶのに、初対面の店主に向かい自らの不安を打ち明け始めてしまう。これは何かの縁だろうと、花屋店主の若林蛍(わかばやし ほたる)はある花の種を渡し、母の日の花をおまけする代わりに花を育てるように、と促す。  はてさて、渡した種は不安を抱えた新米教師に何をもたらすのか––。

処理中です...