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第一章「袖振り合う世の縁結び」
7.真夏の夜に美青年と出会ってしまったのが、運の尽き
しおりを挟む土蔵の奥はほとんど暗闇だった。
戸口に立って目を凝らしてみるが、内部の様子はすこしもうかがい知れない。夏も盛りだというのに夜風が冷え込むのか、ひんやりとした空気が肌に触れて、寒いくらいだ。
蔵へと先導した店主の手元に光がともる。
洋燈だ。
華奢なブロンズの金具に支えられるようにして、ガラス管の中であわい炎が揺らめいている。化学の実験で用いるアルコールランプと同じ構造で、ガソリンを燃料として点火する照明器具だったか。
「これだ。近くで見てみるといい」
ぼんぼりのような球体に、見慣れない装飾。
これもアンティークの品で、アウトドア用品店で見かけるキャンプギアとは一線を画する代物なのだろう。手渡されるままに持ってみると、驚くほどに軽い。質量をほとんど感じない。これでは空気も同然だ。
興味深くながめると――ガラス管の中で炎が青く燃え上がった。
ガタン! 蔵の戸口がひとりでに閉ざされる。
急になにごとか、と心臓が跳ねた。すると背後に控えた古物商の男が、まるで気でも触れたかのようにクツクツと息を潜めて嗤い出すではないか。
「さて。うまく化けたつもりだろうが、その程度で俺を騙せるとでも思ったか?」
炎は勢力を増して、激しく燃え上がる。
青白い火柱。パチパチと散る火の粉。焦げつくようなにおいが鼻筋をかすめたような気がしたのは一瞬のことだった。
炎は渦を巻いて天井へと舞い上がったかとおもえば、ぐにゃりと歪曲して弧を描いた。
まるで生き物のようにうねりながら――僕の腕へと襲いかかってくる。
――あつい!
叫びだすところだった。
とっさにつむった目蓋をおそるおそる開ける。
「……あれ? 熱く……ない?」
そうだ、熱くはない。洋燈から飛び出した炎はまとわりつくように僕の全身を覆っているが、肌が焼けただれることはない。摂氏約千度の超高温どころか、むしろかすかに冷気を感じるくらいだ。
――常軌を逸している。
説明を求めて視線を向けると、男は目を瞠っていた。
「愚者火程度では化けの皮は剥がれないか。まあいいさ、どうせこの部屋からは出られまい。時間をかけて燻して、正体を暴いてやるまでのこと」
……このひと、突然どうしたんだ?
これまで見せていたのはかろうじて柔和に繕った表面で、この邪悪な物言いこそが男の本性なのだろうか。
だとしたら、僕はとんでもない人外魔境に足を踏み入れてしまったのではないか。
落とし物なんて拾わなければよかった。持ち主なんて探さなければよかった。祭りの夜に浮かされて、軽い気持ちで寄り道なんてするべきではなかった。後悔が洪水のように押し寄せてきて、いっそのこと泣き出したい。
必死に逃げ場を求めて戸口にすがりつくが、ピタリと閉じたまま微動だにしない。
「そう簡単に逃すものか」
俎板の鯉とはまさにこのこと。
男が発したドスの利いた声を受けて、僕はこのときおそらく生まれて初めて本能的な恐怖を味わった。
こわい。こわい。こわい。
いまさらのように全身の毛穴からどっと冷や汗が吹き出す。
すでに事態は理解の範疇を超えているというのに、目の前で不敵に笑う男の存在がなによりおそろしかった。
扉をガタガタと揺らすが、手応えはない。
「おいシドー。こいつ、ただの人間だぜ」
絶望的な状況のさなか、誰かが男を制止した。
驚いたことに声は僕のすぐ間近から聞こえてきた。しかし周囲を見まわしても、どこにも声の主は見当たらない。幻覚についで、いよいよ幻聴だろうか。度重なる怪奇現象にさすがに目眩がしてきた。
一方、「シドー」と名前を呼ばれた元凶は平然と返事をしてみせる。
「ただの人間? 狐狸妖怪の類ではないと? こともなげに店に足を踏み入れてきたというのにか」
「間違いなく人間だろ。ケモノの匂いはしないしなぁ」
ここへきてはじめて、店主――シドウさんは顔をしかめた。
腕を組んでしばらく考え込んだあと、
「おまえ、どうやってこの店の場所を知った」
と尋ねてくる。
「夜道でみたらしを売っていたおじさんが教えてくれたんです。シドウさんってあなたですよね。お知り合いでは?」
「みたらし……? 確かに財布は俺のものだが」
「届けにきただけです。一切の邪心なく、純粋に、親切心で」
それで酷い目にあわされている。鬱憤をこめて、一言一句、恨みがましく発音しておく。
シドウさんは、ふっと視線をそらした。
「そのよく回る舌に、小生意気な形相。いかにも市井に紛れた豆狸そのものだがな」
「だれが狸なもんですか!」
さりげなく侮辱されてないか?
「まあ……そうか。こちらの落ち度だ。詫びてやろう、すまなかったな」
「まったくですよ……」
「ヒャッヒヒヒヒ、こいつはやっちまったなぁシドー。ざまあないぜ」
けらけらと不気味な笑い声が蔵の中に響くのを聞いて、僕も理解が追いついてきた。
炎が喋っている。僕を覆う炎はしゃがれた声が轟くたびに踊るように燐光を放ち脈打つのだ。さも愉快でたまらない状況を目の当たりにして、滑稽な道化役者が嘲笑するように。
「もういい、戻れ」
「あーあ。つまんねぇ。オレもたまには出してくれよなぁ」
シドウさんの号令で、生意気な言葉ばかり響かせる炎は僕の身体から離れていった。膨れあがった炎の巨体はみるみるうちに萎み、洋燈の硝子管の中にすっぽりとおさまった。
ほっとする。――のは、まだ早い。
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