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婚約期

吟遊詩人

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湖を後にしたあと馬車は順調に進み、宿泊予定の小さな町へと到着した。
マリィアンナは腰をさすりながらとベットへ横になりゴロンと寝ころんだ。
「お嬢様、お体お変わりないですか?」
メイドが心配そうに様子を伺ってくる。

「…大丈夫…よ」
マリィアンナは微笑みながら答えた。


全然…大丈夫じゃないわ…こんなに旅がつらいと思わなかったわ…
こんな旅じゃメルを連れて来なくて正解ね。


離れた乳母を思いながら瞳を閉じたら、そのままスースーと寝息を立ててマリィアンナは眠ってしまった。
メイドが部屋にいるのに令嬢が寝てしまうことなどありえなかったので、メイドは大変驚いた。

「お嬢様、おやすみなさいませ…」
メイドは音を立てないよう静かにそっと扉を閉めて出て行った。

翌朝、マリィアンナはいつもより早くに目が覚めた。
腕を回すとパキパキと鳴った
「体が悲鳴をあげてますわね…」
苦笑しながら窓辺へ行き、窓ガラスに触れながら
「この旅ももう少しですわね…」

ぼんやりしているとお腹がクゥーと鳴った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4日目も順調に馬車は進んでいく。
天気もよく、外を眺めているのも一向に飽きなかった。

何度目かの休憩を終えた後、道すがら腰を折って礼をしている者がいた。
クステルタ伯爵家の馬車にも家門の紋章が施されており、外からも一目で貴族が乗っているのがわかる。
下級の貴族や元は貴族だった者達は、馬車を見れば貴族としての地位がわかるので、腰を折り敬意をしめすことが度々あった。他にも貴族と関わりがあった平民達も腰を折り、馬車が通り過ぎるのを待つことも頻繁にあった。

「あれは…吟遊詩人か」
父が呟いた。

吟遊詩人はとんがり帽子をかぶり、長いローブを着て楽器を大事そうに持っていた。
父は、ドンドンと座席の下をステッキで叩いて御者に合図を出した。
すぐに馬車は止まり、御者の横に座っていた騎士がドアを開けてきた。

「いかがなされました旦那様」
「あそこにおるのは吟遊詩人であろう?そろそろ休憩したいのだ。彼の歌を聴きながら休憩しよう」
「承知しました。しばしお待ちくださいませ」

騎士はすばやく吟遊詩人の元へ行き、話をまとめて2台目の馬車へ吟遊詩人に乗るよう促した。


馬車を少し進めたところに小さな湖があった。
花々がちらほらと咲いており休憩するにはもってこいの場所であった。
メイドが手早く紅茶の準備をし始める。

「そなたはどんな歌を歌うのだ?」
「わ…わたしめは恋歌が得意でございます」
「ほほう、楽しみだな。そなたも紅茶を飲むがよい。ほれ、これをなめると声がよく出るとのことだ。試してみよ」
「ありがとうございます」

紅茶を堪能して、勧められたものを口にすると吟遊詩人は驚いた。
「これは…とても甘味が…素晴らしいですね!初めて口にしましたが感動しました!」
「花の蜜を集めたものと聞く。あまり市場に出ることがない品なのだそうだ」
「これは大変貴重なものを…ありがとうございます!わたしめの全力で歌う所存でございます」


紅茶を飲んでひと心地付いたとこで
吟遊詩人が立ち「ンンッ」と咳払いをし楽器を鳴らし始めた。
楽器はポロンポロンと寂しげに音をこぼした。
そして目を伏せ、スーッと息を吸い込み歌い出す。


愛しいあなた 会えないあなた
早くわたしのもとへ
早馬に乗って 駆けて 駆けて
わたしのもとへ 会いたい

愛しいあなた 遠いあなた
早く君のもとへ
馬よ 走れ もっと早く
きみのもとへ 会いたい


父・クステルタ伯爵とマリィアンナは驚いた。
前半は吟遊詩人の容姿からは想像できないほど綺麗な女性のやわらかい声であったし、後半は低い声で凛々しく重々しく重厚な声であったからだ。

声音もさることながら、男女の早く会いたい気持ちがダイレクトに伝わり、クステルタ伯爵とマリィアンナは静かに感動していた。周りに控えていたメイドや騎士も頬を紅潮させてため息をついていた。

「すばらしい歌声と表現力だ」
「とっても素敵でしたわ」
「ありがとうございます」

「だが…しかし…惜しいな」
クステルタ伯爵は困り顔で微笑みながら吟遊詩人を見つめた。
「惜しい…でございますか…」
「あぁ、君の歌声は文句なしに素晴らしい。だが…楽器の腕が惜しい」
「楽器の腕…でございますか」
「間奏が残念だ。君の声の魅力を半減させている」
「間奏…」
吟遊詩人はクステルタ伯爵の言葉を聞いて渋い顔をした。
マリィアンナも困り顔で吟遊詩人を見つめた。


声は素敵だったけど…楽器の腕前はあまり…
普段、夜会などでは奏でられる楽器隊の音を聞いているから残念に感じるのかしら?
むしろ、声が素晴らしいからこそ下手な楽器が邪魔に感じてしまうわ…


俯いている吟遊詩人を見ながらマリィは微笑みながら話しかけた。
「…貴方は歌が素晴らしいのですから楽器を他の方にしていただいたらどうなのかしら」
「え…他の人?」
「吟遊詩人はいろいろな町へ移り、奏でるのでしょう?楽器が得意な方と一緒に回ればいいのではないかしら。」
「…ですが吟遊詩人は楽器と歌を一人で…」
「楽器から奏でられる素晴らしい音にのる貴方の歌声、聞いてみたいものだわ」
「はぁ…」
「歌に専念すればもっと色々な歌を貴方は集中して歌えるようになるんじゃないかしら」
「色々な歌…」

「他にはどんな歌があるんだい?もう1曲」
クステルタ伯爵が促すと吟遊詩人は気持ちを切り替え歌い始めた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

歌が終わり休憩を終え、馬車へクステルタ伯爵とマリィアンナは戻ろうとした。
そこでピタッと止まり、伯爵は吟遊詩人へ向けて
「君、名前は?」
と尋ねた。
「ゾンダルア村のビブレと申します」
「そう、覚えておくよ。これはお礼だ」
そう言ってクステルタ伯爵は銀貨と小瓶を渡した。
「これは…」
「君は素晴らしい声と魅力を持っているようだな。気に入ったようだからこの花の蜜も与えよう。わたしは甘いものが好きでないが付き合いで購入したものだ。好きにしてくれ」
「あ…ありがとうございます!」

銀貨という破格な報酬と、高価な花の蜜の入った小瓶を両手で握りしめながら吟遊詩人は答えた。

2人が馬車に乗り込み、ガタガタと発車していった。
吟遊詩人は馬車が遠くなるまで腰を折り、頭を下げていた。
そして顔をあげ
「楽器屋と一緒にまわる…か…」
と、ポツリ呟いた。

歌と楽器を両方をこなす『吟遊詩人としてのプライド』を取るか、プライドを捨てて『歌を極める道』を取るか、マリィアンナの気まぐれで出た言葉に吟遊詩人のビブレの心はゆれていた。
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