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其の四 駆け引き

其の四 駆け引き③

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 さて、沙夜とつき子さんが空き家へと帰っている時、御所では緊急の会議が開かれていた。出席者たちは眠い目をこすりながら、何事かと事の行く末を見守っている。
 皆が集まったのを見た明治天皇が口を開いた。

「この時間につどってくれた者たちに、まずは感謝を」

 よく通る声で言われた出席者たちは、その内容に目を丸くした。いつもの少年のわがままで集められたと思っていたのだ。各人のそんな反応を御簾みす越しで感じた明治天皇は小さく苦笑した。そして気を取り直して再び口を開く。

「朕は今宵、江戸へ移ることを宣言する」

 静かな声で告げられた大きな決断に、会場内が一気にざわめく。

「陛下、それは都を江戸へ移されると言うことですかな?」

 勇気を出した1人の出席者が声を上げる。その声に明治天皇はそうだ、と短く返した。

「そのようなこと、京の民が悲しみますぞ!」
「朕は、京の民が強いことを知っている。朕が江戸へ移っても、うまく立ち回ることだろう」

 天皇の揺るぎない声を聞いて、江戸へ移ることを反対していた者たちが押し黙る。

「陛下、江戸へお移りになると言うことは、都を江戸へ移すと言う考えで良いのですな?」
「遷都の明言は避けたいと考えておる。京には千年以上天皇がいた歴史がある。それは京の人々の心の支えとなっておる」

 急に天皇が京を出て江戸へ居を移し、更に都までも移したとなれば、京の人々の精神的動揺は計り知れない。中には、天皇は京の都を捨てたと考える者まで出てくるかもしれない。

「京を捨てるわけではないのだ。江戸に居を移すことで、日本の東西をしっかり統治すること、江戸幕府がなしえたことを、今度は朕が行うのだ」

 しっかりとした明治天皇の言葉にどこからともなくパラパラと拍手が起こり、あっという間に会場中に広がった。その拍手はかなりの時間鳴り響く。
 明治天皇はその拍手が収まるのを待って、今度は少しいたずらっぽい声を出した。

「1つだけ、朕のわがままを聞いてはくれぬか?」
「何でしょうか?」
「朕が江戸へ移ると決めた日を、9月3日として欲しいのだ」
「それは、構いませぬが。何故9月3日なのですか?」

(それは、朕があの娘に出会った日だからだ)

 しかし天皇は御簾越しに笑っているだけで答えてはくれない。それでも先ほどの天皇の言葉に感銘を受けている会場の者たちは、天皇への言及をそれ以上行わなかった。
 そして天皇は自分の考えや今後の方向性を示してくれた沙夜のことを思いながら、今後の話を進め、会議の幕を閉じるのだった。
 こうして1868年9月3日、江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書が出されることとなった。



 深夜近くに空き家へと帰りついた沙夜は、急いで桶に井戸水を汲んできた。

「つき子さん、怪我の手当てするから来てくれる?」
「大丈夫ですよ、自分で出来ますから」

 つき子さんは困ったように笑うと、手拭いを濡らして上半身の傷の手当てを始めた。

「沙夜こそ、しっかり傷口の手当てをしてくださいね。痕が残っては大変です」

 つき子さんに促された沙夜は自分の身体についた傷口を消毒する。冷たい井戸水が傷口に染みる。
 こうして各々で傷口を洗い消毒を終えると、もう夜も深い時間になっている。2人はそれぞれの寝床で眠りにつくのだった。
 翌日はあいにくの空模様だった。沙夜は眠りにつくのが遅かったこともあり昼過ぎに目覚めた。

(っ、いった!)

 昨夜ついた全身の切り傷で身体を起こすのもやっとだった沙夜は室内を見渡す。どうやらつき子さんはまだ眠っているようだ。

(つき子さんがまだ眠っているなんて珍しいな)

 沙夜はそんなことを思いながらのそのそと寝床を出て、身支度を整えていく。桶を持って井戸まで向かうと顔を洗ってから水を汲み、空き家へと戻った。

(あれ?つき子さん、まだ寝てる……。よっぽど疲れているのかな?)

 沙夜はそれほど気にすることなく、自分の傷の手当てを進めていく。傷口を洗い、消毒をしてからさらしを交換していく。その間もつき子さんが目覚める様子はなかった。
 違和感を感じた沙夜はつき子さんのもとへと這いより、つき子さんの傷の手当てもしようと古いさらしを外していく。そして露わになった傷口に、沙夜は愕然とした。
 同じ傷口を何度もえぐるように切られたその切り傷は深く、熱を持っているようだ。沙夜がつき子さんの額へと手を伸ばし、その体温を確かめると、

(凄い熱!)

 つき子さんの身体は全身、傷口が熱を持っているようだった。沙夜は慌てて傷口を井戸水で洗うと消毒を行ってから新しいさらしと交換する。
 つき子さんは高熱にうなされるわけでもなく、静かに眠り続けていた。その様子が逆に沙夜を不安にさせる。

『神を本当の意味で抹殺できるのは、神のみです』

 昨夜の帰り道でつき子さんが話した言葉がよみがえる。沙夜の不安は募る一方だった。

(とにかく、つき子さんが目覚めることを信じて看病していくしかない)

 沙夜は井戸水を交換すると、手拭いを冷たい井戸水にさらしてからつき子さんの額の上に乗せた。
 沙夜が昼夜問わずつき子さんの看病に付きっ切りになって4日目の朝を迎えた。この間、つき子さんはたまにぴくりと反応を見せるものの目覚める気配は全くなかった。沙夜は不安になりながらも、つき子さんを信じて看病を続けていた。

 そうして迎えた4日目の早朝、沙夜はつき子さんの枕元でうつらうつらとしていたが、突然聞こえてきた隣家からの物音でぱちりと目を覚ました。
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