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其の一 つき子さんと初仕事
其の一 つき子さんと初仕事①
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付喪神。それは長い年月を経た道具などに神が宿ったものを言う。
そんな付喪神と共に成長した1人の新米女性記者がいた。名を杉本沙夜と言う。
沙夜が幼少期の頃母親から貰った古びた櫛、それが付喪神だ。豊かな長い黒髪を後ろで1本に縛り、櫛をさした温和な性格のこの青年のことを、幼い沙夜は『つき子さん』と呼んだ。
さて、そんなつき子さんと沙夜は常に一緒にいた。学生時代はもちろん、沙夜が社会人になった今も、職場である小さな出版社へと一緒に出社していた。付喪神であるつき子さんの姿は他の人には見えないようで、大人になった沙夜はなるべく外でのつき子さんとの会話を避けていた。つき子さんもそれは分かっていたので、外ではなるべく沙夜に話しかけないようにしている。
そんな2人がいつも通り今朝も満員電車に揺られて出社すると、沙夜は編集長から声をかけられた。
「何でしょうか?」
編集長のデスクの前に立つと、編集長は眼鏡の奥の瞳を光らせ口を開いた。
「京都へ飛んでくれないかね」
「京都、ですか?」
パッチリした二重瞼をぱちくりさせる沙夜に、編集長は口端を上げて続ける。
「単独で、京都の町屋カフェの取材をしてきて欲しい」
それは沙夜にとって思ってもみなかった話だった。普段、取材と言えば先輩記者と共に行動していたので、単独での取材となるとこれが初仕事となる。
「いいんですか?」
信じられないと言った風の沙夜に今度はしっかりと微笑み、編集長が頷いた。沙夜は満面の笑みを堪えることなくがばっと頭を下げた。
「ありがとうございます!」
こうして沙夜の京都行きが決まった。
帰宅した沙夜は浮足立っていた。
「初仕事!しかも京都だよ、つき子さん!」
「良かったですね」
落ち着いた柔らかな声音のつき子さんに沙夜は続ける。
「京都、八ッ橋、宇治抹茶……」
「食べ物ですか。沙夜は昔から花より団子ですね」
うっとりと呟く沙夜に微苦笑するつき子さん。そんなつき子さんにも京都と言う土地には何かしらの思い入れがあるようで、
「京都は歴史の深い町ですから、何事も起きなければよいのですが」
「何も起きないよ、つき子さん。この近代化が進んだ現代に、一体何が起きると言うの?」
付喪神が憑いている時点で、十分沙夜の日常は現実離れしているのだが、つき子さんが傍にいることが当たり前になっている沙夜はそれに気付かない。
「無事に取材を終わらせて、無事に帰ってくる!」
鼻息荒くそう言う沙夜に、つき子さんは柔らかな微笑みを返すのだった。
そして翌日、沙夜は当然のようにつき子さんと言う非現実的な存在を連れて京都に向かうのだった。
京都駅の広いバスターミナルに到着した沙夜は、ん~と伸びをすると1度深呼吸をする。新幹線にずっと座りっぱなしだった身体が伸びて呼吸が楽になる。観光客でごった返す駅前で、沙夜は目的地の祇園へと向かうバスを探していた。
「すみません」
バスの路線図を見ていた沙夜に1人の老人が声をかけてきた。沙夜はゆっくりとその老人に目を向ける。
真っ先に目についたのは正面に『LA』と書かれた少し色褪せた黄色のキャップ。少したれ目で眼鏡をかけたその顔には皺が刻まれている。恰幅の良い体格だがズボンの上にぽっこりと乗った下っ腹のその老人は、真っ直ぐに沙夜を見つめていた。
「私、渡辺謙四郎と申します。失礼ですがお名前は?」
しわがれた声で、それでも丁寧に尋ねられた沙夜は思わず自分の名を名乗っていた。
「沙夜さん。いきなり不躾に失礼しました。何か困っとうとですか?」
謙四郎と名乗った老人の言葉は京都訛りではなかった。
「あの、祇園に出るバスを探していまして」
沙夜は謙四郎の方言が気になりながらも正直に答えた。沙夜の言葉を聞いた謙四郎は口元の皺をさらに深くして1つのバス停を指さした。
「そいやったら、あそこんバスに乗ったら良かですたい」
「え?」
沙夜は一瞬、謙四郎が何を言っているのか分からなかったが、彼の笑みと指さす方向でバス停を教えて貰ったのだと理解した。
「あ、ありがとうございます」
咄嗟にぺこりと頭を下げてお礼を言う沙夜に、謙四郎はにこにこして言った。
「沙夜さん、逢魔が時にご注意を」
謙四郎は意味深長な言葉を残してバスターミナルを去っていった。沙夜はしばらく人混みに消えていく黄色のキャップを見つめていたのだが、
「バス、行ってしまいますよ」
「あっ!」
つき子さんの言葉にはっとして、慌てて祇園行きのバスの行列へと並ぶのだった。
午前中に祇園の町屋カフェを巡り取材を行った沙夜は、最後に取材したカフェでノートパソコンを使って記事を書き、昼食を摂っていた。つき子さんはその様子を黙って見ている。
「できたー!」
そうしてしばらくした後、沙夜は椅子の上で伸びをするとぱたんとノートパソコンを閉じた。その後ノートパソコンをカバンにしまうと、代わりにスケジュール帳を取り出し、午後のスケジュールを確認していく。後ろに立っていたつき子さんもスケジュール帳を覗き込み、
「午後は御所周辺ですか」
「ここからなら、四条河原町からバスで移動だなぁ」
そう呟くと沙夜はスケジュール帳をカバンの中にしまう。
そんな付喪神と共に成長した1人の新米女性記者がいた。名を杉本沙夜と言う。
沙夜が幼少期の頃母親から貰った古びた櫛、それが付喪神だ。豊かな長い黒髪を後ろで1本に縛り、櫛をさした温和な性格のこの青年のことを、幼い沙夜は『つき子さん』と呼んだ。
さて、そんなつき子さんと沙夜は常に一緒にいた。学生時代はもちろん、沙夜が社会人になった今も、職場である小さな出版社へと一緒に出社していた。付喪神であるつき子さんの姿は他の人には見えないようで、大人になった沙夜はなるべく外でのつき子さんとの会話を避けていた。つき子さんもそれは分かっていたので、外ではなるべく沙夜に話しかけないようにしている。
そんな2人がいつも通り今朝も満員電車に揺られて出社すると、沙夜は編集長から声をかけられた。
「何でしょうか?」
編集長のデスクの前に立つと、編集長は眼鏡の奥の瞳を光らせ口を開いた。
「京都へ飛んでくれないかね」
「京都、ですか?」
パッチリした二重瞼をぱちくりさせる沙夜に、編集長は口端を上げて続ける。
「単独で、京都の町屋カフェの取材をしてきて欲しい」
それは沙夜にとって思ってもみなかった話だった。普段、取材と言えば先輩記者と共に行動していたので、単独での取材となるとこれが初仕事となる。
「いいんですか?」
信じられないと言った風の沙夜に今度はしっかりと微笑み、編集長が頷いた。沙夜は満面の笑みを堪えることなくがばっと頭を下げた。
「ありがとうございます!」
こうして沙夜の京都行きが決まった。
帰宅した沙夜は浮足立っていた。
「初仕事!しかも京都だよ、つき子さん!」
「良かったですね」
落ち着いた柔らかな声音のつき子さんに沙夜は続ける。
「京都、八ッ橋、宇治抹茶……」
「食べ物ですか。沙夜は昔から花より団子ですね」
うっとりと呟く沙夜に微苦笑するつき子さん。そんなつき子さんにも京都と言う土地には何かしらの思い入れがあるようで、
「京都は歴史の深い町ですから、何事も起きなければよいのですが」
「何も起きないよ、つき子さん。この近代化が進んだ現代に、一体何が起きると言うの?」
付喪神が憑いている時点で、十分沙夜の日常は現実離れしているのだが、つき子さんが傍にいることが当たり前になっている沙夜はそれに気付かない。
「無事に取材を終わらせて、無事に帰ってくる!」
鼻息荒くそう言う沙夜に、つき子さんは柔らかな微笑みを返すのだった。
そして翌日、沙夜は当然のようにつき子さんと言う非現実的な存在を連れて京都に向かうのだった。
京都駅の広いバスターミナルに到着した沙夜は、ん~と伸びをすると1度深呼吸をする。新幹線にずっと座りっぱなしだった身体が伸びて呼吸が楽になる。観光客でごった返す駅前で、沙夜は目的地の祇園へと向かうバスを探していた。
「すみません」
バスの路線図を見ていた沙夜に1人の老人が声をかけてきた。沙夜はゆっくりとその老人に目を向ける。
真っ先に目についたのは正面に『LA』と書かれた少し色褪せた黄色のキャップ。少したれ目で眼鏡をかけたその顔には皺が刻まれている。恰幅の良い体格だがズボンの上にぽっこりと乗った下っ腹のその老人は、真っ直ぐに沙夜を見つめていた。
「私、渡辺謙四郎と申します。失礼ですがお名前は?」
しわがれた声で、それでも丁寧に尋ねられた沙夜は思わず自分の名を名乗っていた。
「沙夜さん。いきなり不躾に失礼しました。何か困っとうとですか?」
謙四郎と名乗った老人の言葉は京都訛りではなかった。
「あの、祇園に出るバスを探していまして」
沙夜は謙四郎の方言が気になりながらも正直に答えた。沙夜の言葉を聞いた謙四郎は口元の皺をさらに深くして1つのバス停を指さした。
「そいやったら、あそこんバスに乗ったら良かですたい」
「え?」
沙夜は一瞬、謙四郎が何を言っているのか分からなかったが、彼の笑みと指さす方向でバス停を教えて貰ったのだと理解した。
「あ、ありがとうございます」
咄嗟にぺこりと頭を下げてお礼を言う沙夜に、謙四郎はにこにこして言った。
「沙夜さん、逢魔が時にご注意を」
謙四郎は意味深長な言葉を残してバスターミナルを去っていった。沙夜はしばらく人混みに消えていく黄色のキャップを見つめていたのだが、
「バス、行ってしまいますよ」
「あっ!」
つき子さんの言葉にはっとして、慌てて祇園行きのバスの行列へと並ぶのだった。
午前中に祇園の町屋カフェを巡り取材を行った沙夜は、最後に取材したカフェでノートパソコンを使って記事を書き、昼食を摂っていた。つき子さんはその様子を黙って見ている。
「できたー!」
そうしてしばらくした後、沙夜は椅子の上で伸びをするとぱたんとノートパソコンを閉じた。その後ノートパソコンをカバンにしまうと、代わりにスケジュール帳を取り出し、午後のスケジュールを確認していく。後ろに立っていたつき子さんもスケジュール帳を覗き込み、
「午後は御所周辺ですか」
「ここからなら、四条河原町からバスで移動だなぁ」
そう呟くと沙夜はスケジュール帳をカバンの中にしまう。
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