Diminuendo days

雨宮玲於奈

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Diminuendo days

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 この地球上には、いくつもの「滅ぶ」という言葉が蔓延して、その度に沢山の人々や生き物たちを恐怖のどん底に陥れたことがあった。やれ、恐怖の大王が降ってくるだの二〇三六年には第三次世界大戦が起きてしまうだの、どこかの国だけが滅亡するなど冷や汗をかくことばかりで、どれほどの人を苦しめてきたのか解らないほどだ。それでいて「結局は何も起きなかった」というものが大半を占めているのだから、始末が悪いと言われても仕方のないことである。

 もしそれが――今この時間の中にある「今度こそ本当に、地球が滅んでしまう」ということが、何も起きなかったと笑われる過去であったのなら、良かったのに……。

「……。……ううん……」

 日頃思って、悩んでいることが夢の中にまで出てきて、眠りの中さえも安息の日をもたらしてくれないということにうめき声をあげながらゆっくりと瞼を開く。ぼんやりとした意識の中で視界に入ってくる眩しい光。朝日が雑に閉めたカーテンの隙間から入り込んできてアタシの顔だけを照らし出す。ああ、もう朝になってしまったのかとため息を、この世に産まれてきて十六年ほどしか経っていないが数えることが嫌になるほどのものを吐き出して起き上がる。

 薄暗い部屋、自らの部屋をぐるりと見渡して今日は大丈夫だったのかともどかしさを抱えながら意識を確かなものへと変えていく。そしてアタシは、今日はどんな景色かと思って、僅かに開いているカーテンを開きその全貌を見るのだ。――そこには、昨日よりも大きく、窓硝子を叩いたのなら落ちてきそうなほど大きく映り込む、眩しさの象徴である太陽が赤く存在していた。

「んん……サキちゃあん……?」

 日に日に熱くなっていくこの世の状態を物語るように見るだけでも灼熱だと思わせるそれを見ていると、途端に身体中が暑くてたまらなくなってくる。だからこそアタシは、温もりを包むベッドの掛け布団さえもアタシの身体から取り払う。限りなく全裸に近い格好になって外の様子を眺めていると、アタシのすぐ隣から呑気で眠たそうな声が聞こえてくるではないか。この状況になっても寝起きが悪いことは変わらないと、幼馴染であり親友……いいや、アタシの初めての恋人であるハルが、アタシと同じ薄着姿でもぞもぞとしながら眠りから覚めようとしていたのである。

「おはよハル。相変わらずお寝坊だね……ま、今となっちゃどうでもいいけどね?」

「あはは! 私ずっと遅刻魔だったしねぇ。ずっと先生とか親に怒られてたっけ」

「そうそう。遅刻してくるクセに授業中もずっと居眠りして……ふふっ……」

「もーっ! そんな過ぎたこと言って笑うなんてヒドくない?」

「……そうだね。ごめんごめん」

「……」

「? ハル?」

「……ね、サキちゃん。おはよーのチュー……」

「……。甘えん坊」

 そう言ってハルはこちらの両腕を掴み小ぶりな顔をアタシの前に差し出す。

 がさつで部屋の整理も無頓着なアタシとは違い、ハルはとても可愛らしくて女の子らしいというのはまさに彼女のことだと言っても過言ではないくらいの可憐な子だ。愛想があって気配りもでき、乱れのないおかっぱがよく似合う頼れる親友で、自慢の彼女だ。

 彼女と初めて出会ったのは幼稚園の頃。その頃から彼女は身なりもきちんとして泥だらけになって男子たちと遊ぶアタシの服を綺麗にしてくれたのもハルだ。その時はまだ優しい近所の女の子として見ていなかったが、中学生に上がる、俗に「思春期」と呼ばれる時期から、ハルに対するアタシの意識というものが変わっていったのである。

「ん……ちゅっ……」

「……んふっ……! えへへ……ありがと」

 アタシが初めて好きだと言って告白した時のこと。格好良くて笑顔の似合うクラスで一番人気のあった男子に告白を断られた時、初めて味わう挫折というものに涙を流し何時になく力が入らなくなったことがあったのである。食事もまともに喉へ通らずに、好意を寄せて必要ないと突き放されてしまったその時のアタシにとってその出来事はとても荷が重く、魂の抜けた人形と化していたと周りの友人から、ハルからも言われていた。そんな絶望にも似た心境から救ってくれたのは、目の前に居るハルだった。

「? サキちゃん?」

「あ……ごめん。どうかした?」

「それはこっちのセリフだよ! ぼーっとしちゃって」

「……ううん。相変わらずハルは可愛いなって」

「ちょっ……! は、恥ずかしいことをさらっと言うなぁ……。……まあ、それがサキちゃんの良い所、なんだけど」

 ハルはもう一度アタシの顔に近付いてこちらの唇に触れてくる。柔らかくて気持ちが落ち着くこの感触に抱かれていると、やはりハルからアタシのことが好きだと言ってくれた時のことを思い出すのだ。その時もそう、アタシを癒やし暖めてくれたのは確かにこの唇であった。

 後から話を聞くと、ハルは告白に失敗して段々と弱々しくなっていくこちらの姿が、大好きな人の姿を見ることが耐えられなかったのだそう。その大好きな人というものが親友としてではなく、一人の女性としてということもその時に判ったものだった。

 どうやらハルは元々女性に興味があったらしく、アタシよりも付き合って欲しいと言われていた人数は多かったのに誰とも恋人同士にならなかったのはそういった理由があるからだったのだろう。

「ねえハル。アタシのどんな所が好きなんだっけ?」

「えー? また聞くの? まあ良いけど……えっとね、喧嘩っ早くておバカなところ! 見てて清々しいよ!」

「バカにしてるでしょ」

「にゃはは! ……でも、一番好きなのは……サキちゃんの全部、かな」

「えー? それズルくない?」

「ズルくなんかないよぉ! だって、健康的な色黒のお肌にツヤツヤでサラサラのショートヘアに……一途で涙もろくっていつも楽しそうにしてる……照れてる時のサキちゃんが一番だーいすき! ……それに」

「それに?」

「それに、産まれる前からサキちゃんと一緒になる運命だったんだって、今でも思ってるよ! ……あんなに、小さい頃からサキちゃんだけを見つめていたい、誰が何と言おうと結婚するんだって思う人、居なかったから」

 恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、口元にあるほくろにさえどきりとしてしまうハルの表情に喉を鳴らし数え切れないほど交わした口付けをまた交わす。

 確かにハルにそう言われた時のアタシは戸惑い驚いたものだが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。だって、いつも側に居てアタシのことを一番に思ってくれて、時々女らしくないとさえ言われていたアタシのことを気にかけてくれた。それだけでも嬉しくて、その日からアタシの興味というのはハルに傾いていって、その年の七夕にアタシたちは付き合い恋人同士となった。七夕に想いを打ち明けようと決めたのはアタシで、一年に一度しか逢えないという伝説があるその日に、アタシは塗り替えてやろうと心に誓い、一ヶ月ほど待たせてしまったがアタシは二度目の告白をして、初めての恋人と出逢ったのである。――その時の嬉しさに浮かれていたアタシには、数年後に訪れる最期の日がやって来るなんて想像もしなかったことだろう。

 ふと、ハルと抱き合っている近くに散らかしてある新聞紙に目が止まりそれを見つめる。

 そこには――地球最期の日、いよいよ残り十日に迫る……! という、いつもよりも大きな文字が見出しとして記されていた。


「……サキちゃん?」

「……。……本当に終わっちゃうんだね、この世が……」

 ハルの気に障ることのないように、なるべく言わないようにしてきたつもりだが、ついそんなことを口走ってしまう。

 それというのも、近年のこの地球上では様々な異常気象や災害に苛まれていた。四季がはっきりとしているこの日本でも段々と春と冬しかやって来なくなり、天の底が抜けたのではと思うほどに雨ばかりが続いたり、各地で干ばつが相次いだりしていた。そんな異常が顕著になって世界中が騒がしくなった頃、更に震撼させることが発表された。それは――地球が驚異的な速さで太陽に吸い寄せられておりいずれ吸収される、ということである。

 初めの内の五年ほど前までは根拠のないデタラメだとか虚偽も甚だしいという批判が相次いだが、それは五年という月日が、二〇三八年現在の、アタシたちを取り巻く現状が答えとして実際に目の前で起こっているのだ。そして今……その地球最期の日がすぐそこまで来ている。

「……サキちゃん?」

 地上のあらゆる土地は枯れ果て海すらも底を着いた。そして人々や動物たちは年々上昇する気温に耐えきれず多くの犠牲を払ったのである。その対策としてアタシたちの体内には最新技術の結晶である暑さに比例して身体を冷やす血液循環の薬が開発されたが、それは気休めにしかならず、日に日に現実味を帯びる「嘘から出た真」に恐れ慄いて世界中が悲しみと怒りに狂った。連日強奪や心中など気が狂いそうになる出来事ばかり続いていたが、それらは今や二、三年前の話。今年が正確な地球最期の日と発表された一年前から各地で起こっていた暴動もなくなり穏やかな雰囲気に――寒さが漂う優しさで世の中が溢れかえったのだ。

 そんな今までの軌跡を思い返してみて、自宅のアタシの部屋を見渡す。その一連の騒動がどのように起きたのかがよく分かる殴り書きがしてあり、どれほど絶望に苦しめられたか容易に想像が出来るものだ。こうした状態になったのはアタシだけではなく他の人たちも同じだった。アタシの両親は共にここから別な場所へと行ってしまい、アタシが初めて告白した男子は発狂した挙げ句誰にも行き先を告げずに消息を絶ったのだという。耳を塞いでも突き破ってくる可怪しな世の中に震えながら日々を過ごしていたことは記憶に新しい。

 生き地獄とはまさにこのことだと思っていた――だが、ハルは違った考えをしていた。彼女は世界が終わってしまうのだから、最期くらいゆっくりとしていたい、そう言ったのである。

「サーキちゃんっ!」

「! あっ……ごめっ……」

「ふふ、またあの新聞見てる……私がサキちゃんの部屋に押し入ってきた時のやつだよね。……この世が終わっちゃう、いろんな世界のことを知らせてくれた新聞も今じゃ無くなって、途絶える寸前の記事は全部そんなことばかり……だから私は、最期くらい、最期の一週間くらい楽しいことで終わろうって言ったんだよ?」

「そ……そうだけど……」

「……えへへっ……。だ、だからね? 残り十日だから一週間、いちゃいちゃし続けようって言ったんだよ……? そんなこと、こうじゃなきゃ出来なかったし、ね……」

 ハルはそう言いながら両方の人差し指同士を突き合ってもじもじとし始める。

 十日前、恐怖に震えていたアタシの家にやって来た最後の客はハルで、彼女は最後までは一緒に居ようと、ハルも両親を失くしたばかりで頬に涙を引きながらこの部屋にやって来たのだ。混乱で溢れていたその時のアタシでさえもすぐに察して、アタシはすぐにハルを迎い入れ――そこから飲まず食わずに互いの唇を貪り合った。

 人間を初めとする多くの生き物には、危険だと感知すると遺伝子を残そうとして本能が強くなるのだそうだ。きっとそういった働きがあるからなのか、アタシたちは直接的ではないけれどお互いを求めてそれを実感し、身体も解っていることなのだと理解が出来て、アタシたちはつかの間の睡眠の後抱きしめ合いながら涙を流したのである。

 その後も口付けに耽ったが、回数は段々と減っていき、やがて互いの存在を確かめ合う口付けが主に取り合うコミュニケーションとなった。

「一週間って決めたのも、ハルが三日は時間が欲しいって言ったからだよね? ……今更だけど、どうして三日だったの?」

「……。え、えへへ……あ、あのね? 私……意気地なしだから……勇気が欲しかったの……――意識のある内に、サキちゃんと一緒に天国に行きたいって思ったから、この薬を飲む覚悟を決める時間が……」

 そう言ってハルは近くに置いてある小さな箱を取り出し、アタシはぎくりとしてその白い箱を見つめる。その箱には――キサナドゥ・二人用、安楽死薬と、味気のないシールが貼られていた。

 今回の事件がきっかけで様々な死が見出された。アタシやハルの両親のように消息を絶つ者、散々暴動を起こしてその後最期を遂げる者。そして、太陽の火に焼かれることを望む者、穏やかに愛してる人たちと終わりを迎えたい……アタシたちのように安楽死を望む人たちが現れたのである。以前までは両親たちのような人が多かったけれど、今となっては安楽死を望む人の割合が多くなっているらしい。そういった声に応えるべく急ピッチで作り上げられたのがこの薬で、昔なら違法であった薬品を用いて、苦しむこと無く旅立つことが出来るのだそうだ。本当かどうかは知る術はないけれど、捨てるように配布されていたこれにすがる他、選択肢はないように思えたものだ。

 しかし、気になる説明が記されている――それは「人によって症状は様々で、幻覚を見たり気狂いする可能性があります。なにぶん急いだもので」とある。それを見てしまうとすんなり行けるのかと思ってしまうものだ。

「……。ハル……?」

「……! な、なあに……?」

「……もしかして……もう、覚悟が出来た……とか?」

 そんな言葉で、恐る恐る訪ねてみる。アタシとしてはまだ一歩を踏み出すことが出来ず、変な気を起こしたら嫌だと言ってしまいそうだ。ハルはこう見えてやる時はやるといった肝が座った一面があり、もしかしたら今がそうなのではと思ったからである。しかし、ハルは一向に反応を見せずに部屋のあちこちに視線をぶつけている。少しした後、ハルは恥ずかしそうな笑みを浮かべて「ううん」と言って首を横に振っていた。

「ま、まだちょっと……」

「そ、そっか……そうだよね」

「……でも、ね……。飲むことになるのは、今日になると思うよ」

「……。どうして?」

「……。サキちゃん、今日見えるお日さまが……一段と大きなってると思わない?」

「……確かに。……まあ、あくまで予測は予測だしね……。……だから今日、って訳だね?」

「……そう。もしかしたら明日……ううん、今日の夜かもしれない。だとしたら……私たちが一緒に天国へ行くことが出来なくなっちゃう、から……」

「……そうだね。……まだ付き合って五年しか経ってないんだもん、最期くらい一緒に……だよね?」

「……うんっ」

 身体が離れていたアタシたちの距離はもう一度近付いて口付けを交わす。

「んっ……んちゅっ……! ふぁあっ……サ、サキちゃ……」

「んぢゅっ……。……はあはあ……ねえ、ハル……?」

「……。えへへ……うんっ、もう一回……だね」

 どこか涙ぐんだ声で嗚咽を漏らしながらハルはアタシの名前を呼び続ける。その口付けには、もう一度口付けをし合いたい、そんなハルにしては珍しいワガママが込められているようで、アタシはそのままハルに引き込まれて行くのだった。





「はっ……はっ……。ハ、ハル……」

「んっ……ふうっ……! サ、サキちゃんっ……」

 一体どれだけの時間が過ぎたのだろう。あれから私たちは互いに存在を求め続けてからの記憶がなく、どれだけの時間を過ごしていたのか判らないでいた。だが、こうして体力の限界が訪れて酸素が足りず視界がくらくらし始めている所を思うと相当な時間を費やしたに違いない。それでもアタシたちは手を絡め合ったまま離すことはなく、肩同士をくっつけて寄り添うようにベッドの上で横たわっていた。

「はぁっ、はぁっ……まだ、足りない……?」

「……ううん、凄く……良かったから、大満足だよ……! えへへ、サキちゃん段々上手くなってくね?」

「あはは……ハルもね」

「そう? うれし……」

「……本当に、そんなハルが大好きで、愛してる。可愛くって愛想良くって、お茶目で……。アタシ、こうしていられるのが本当に幸せだよ……!」

「……! あーもー!」

 そんな奇声にも似た叫びをあげてハルはアタシの胸を何度も叩いてくる。彼女の様子は恥ずかしがっているということを上手に表現していた。

「……ねえ、ハル?」

「うん? なあに、サキちゃん?」

「気持ちは……どう……?」

「……。うん、大丈夫……今のおかげで吹っ切れたよ。それに……してる時サキちゃんはずっと私の名前を呼んで『愛してるっ』って言ってくれたんだもん……! それだけで……もう、何も思い残すことはないよ……?」

「……。そっか」

 ハルはそう言いながら「サキちゃんは……?」と小さく呟いてこちらの顔を伺っている。この期に及んで命乞いをしたり、やはり嫌だと言うつもりは毛頭ない。だって、アタシがハルにしてあげたようなことをハルもしてくれたのだから、嫌な気持ちや悲しみがどこかへ飛んでいき――愛おしいと思う気持ちが決め手となって決心が固まる。その気持ちを胸に、アタシがハルにそう伝えると、彼女は小さく微笑んだ後大きく頷いて身体を起こした。

「……。ね、サキちゃん」

「うん?」

「最期に……ワガママ言っていい?」

「……なんでも」

「……あのね。一緒に天国に行く時には私、一番大好きな服を着たいんだ。良いかな?」

「それはもちろん……。ちなみに、どんな服?」

「えへへっ……! ちょっと待ってて……じゃん! これだよ!」

 ハルは自らの荷物がある場所に向かって、少しした後二着のAラインワンピースを取り出す。その見覚えのあるワンピースに声が出て懐かしさが滲み出る。このワンピースは中学校に上がったばかりの頃に二人でお揃いのものが欲しいといって買った物だ。純白の生地に襟元にはアイボリーのレースが飾られて、大人しいけれど可愛らしいとアタシたちは即決して購入したのである。一度着たことがあったが、可愛すぎて勿体無いと出し惜しみしてほとんど着なかった物でもある。

「一回クリーニングに出して二人分を家に置きっぱなしだったから探す手間が省けたよ! ……ねっ? サキちゃん、私これを着たいなァ……?」

「ふふふっ……! うん、そうしよう!」

「やったぁ! はいサキちゃん! バンザイして!」

 機嫌の良さそうな声の調子のままハルはアタシに早く着ろとせがんで来る。

「はいはい……バンザーイ」

「よく出来ました! それじゃあ私も……うんしょ……」

 ハルは動きを忙しくしながら裸体の上からワンピースを身にまとう。アタシも同じことだが、非常に下のほうがすうっとして寒ささえ覚えるものだ。そんなことを考えていると、ハルは元気な声をあげて身支度が整ったことを教えてくれた。

「……ふふっ! サキちゃん可愛い……!」

「ハルだって……ふふふ……」

「サキちゃん……ちゅー……」

「ん……。……んん……」

 僅かではあるが、身長差のあるハルの腰を抱きしめ口付けを交わす。ハルは見上げるようにアタシの首元に腕を回して密着をより強いものにしていく。――ちゅっ、くちゅっと触れ合う度に大きくなるその音はアタシたちがどれほど高揚に舞い上がっているか分かるもので、唇を離してはもう一度触れ合うということを何回も繰り返した。

「んふふ……サキちゃんとちゅーすると気持ちいいな……本当に大好き……!」

「アタシも……ハルの唇ふわふわってしてて……すっごく気持ちいい……!」

「本当!? えへへ、サキちゃん……!」

「……」

「……」

「……座ろうか?」

 湧き上がった高揚はつかの間で、そろそろだと感じ取ったアタシたちは無言で頷き合う。ベッドに座り、私たちが愛し合っていた所へ戻っていくと、ハルは表情を変えることなく、先ほどアタシにも見せてくれた安楽死薬を取り出す。……いよいよ来る時がすぐそこにと、生唾を飲み込み、いつになく遅く感じるハルの動きを見つめる。彼女の手元ばかり見ているせいもあってハルがどんな表情をしているか判らないが、それを表しているように薬を握る細く小さな手のひらは微かに震えていた。

「……はい、サキちゃんの分だよ」

「……ありがと。……そ、それじゃ」

「待って!」

「え……何……?」

「……自分で飲まないで、お互いに飲ませ合おう……? ……そうしたいな」

 アタシの手首を握り、震えながらそう望むハルの気持ちを汲んで素直にその意見に頷く。

 おもむろに私たちの手はそれぞれの相手にの口元へと運んでいく。ハルの、愛する自慢の人に死ぬための薬を届けようとして視界にハルの表情が映り込んでくる――ハルは、大粒の涙を零しながらも笑みを浮かべていたのであった。

「……っ」

 そんな、本心が滲み出た表情をされてしまうと怖気付くというものだ。それでもアタシたちはこの薬を飲み合わせなければならない。そうしなければ、アタシたちの望みは消えて無くなってしまうのだから……。

「――あ……むっ……!」

 汗で湿る指先を、行き着くための未来へと運ばせるために本心とは裏腹の行動としてゆっくりと彼女の口元へと運ぶ。

 このまま運んでいけば、ハルは死んでしまう! 本当にそれで良いのか!?

 けれどそれを叶えることが出来なかったのなら?

 きっと後悔することになるだろう……二度と蘇ることはない先を思えばやらなくてはならないのだ。


 ……愛しているからこそ……。


「むぐ……んっ……。……はあっ……」

 葛藤に苛まれながら指先を震わせて、アタシの手は……ハルの手は口元に到達して、それぞれの唇はそれを受け入れた。薬を飲み込み喉を鳴らすと、食道をするすると通り落ちていくことが感じ取れる。いつになく意味深なその様子に浸っていると、ハルはアタシの名前を呼びながら腕を引いていた。

「サキちゃん……いっしょにゴロゴロしてようよ……? きっと、薬が効き始める頃には倒れてるんだから……そうなっちゃうより、ぎゅーってしてたいな……っ」

「……うん。ハル……ぎゅーっ……」

 その言葉と共にアタシの腕に力が入りハルの身体を抱きしめている。それに応えるように彼女もアタシの背中を押すように抱きしめ始める。そして彼女はアタシの胸に顔を埋めて肩を僅かに揺らしていた。

「……ハル」

「……ぐすっ……えぐっ……! サ、サキ……ちゃ……」

「前に決めたでしょ……? 最期は泣かないって……」

「……や、やっぱり……難しいや……! こんなの……なかないっていうほうがっ……!」

「……アタシは、泣かないって決めてるよ……?」

「……! サキちゃん……?」

「……アタシ、勉強とかロクに出来なかったヤツだから……素直に決めたことを守ることしか出来ない。……それでもいいんだって、今思ってるよ。……最後の約束、それを果たせるんだから、こんなアタシでも……さ……」

「……。……良かったぁ」

「……?」

「……やっぱりサキちゃんは、一途だよ……結婚する人だって思っていて、良かった……!」

「……ハル……!」

「サキちゃん……ねっ、ちゅー……!」

 そういう風にせがんで来るハルの行動を素直に受け止め、アタシは彼女の唇にそっと触れる。まだ彼女の唇は温かくて柔らかい。まだ生きているのだと思える感触は何時になく生き心地がして……愛おしい。唇を合わせて、互いの温もりを求めるようにうねりながら触れ合いをし続ける。むにゅむにゅとする彼女の唇が、たまらなく気持ちがいい。

 ああ、ここが天国で気が付かない内にたどり着いていたら良いのに――そんなアタシの望みは、ハルによって打ち消される。違和感を覚えて瞼を開きハルの顔を見てみると……ハルは、視線を明後日に向けながら小さく口を動かし、意味の成さない言葉を呟いていたのである……!

「……っ!? ハ、ハル……!?」


「……ひや、ふれほ……ヒちゃ……ン……」


 言葉を聞いている限りだとろれつが回っていないようで、時々笑みを浮かべては身体をひくつかせる。……きっとこれが薬の効果なのだと感じ取って、アタシは急いでハルの身体を抱きしめる。それでもハルは笑い続けることをやめようとせず、楽しそうな声色で続けるのだった。

「……! ハ、ハル……ハルッ!」

「ひへへ……ぁ、ハヒひゃんはぁ……」

「……! そ、そうだよ……サキだよっ……!」

「えへへ……だひふきだよぉ……ふーっと、ひようね……!」

「……う……ハル……」

「はんでないへふの、ハヒひゃん?」

「あ! ハヒひゃん! ほら、あっひのへえこコースターのろうほ! ひっほはのひいよ! 待ちひかんはくて乗へるなんへ、ひゅめみたいだよぉ……」

「……! も……もしかして、前に行った、遊園地のこと思い出してるの……!?」

 ろれつが回らず聞き取りづらい喋り方ではあるが、どことなく聞き覚えのある会話を思い出して、約一年前に最期の遊園地を満喫しようと言い出したハルの姿が甦る。あの時は人がほとんど居ない遊園地内ではしゃいで、大好きなジェットコースターを何回も乗ろうと言い出したはずだ。

 ……そのことを思い出しているのだとすれば、これは間違いなく薬による副作用に違いない。それはすなわち幻覚を見ている、ということだ。

「ハ……ハル……。ハルは……今幻覚を見てるんだね……? 楽しかったあの時を、思い出して……っ」

「……へんはく?」

「……そう……その記憶はもうかなり昔のことだから……ハルにはもうっ……効き目が……」

「へんはふ見へる……にへへ、はら……ほのほうが、いいはな……」

「……!? え……っ」

「はっへ……」

 単純に幻覚しか見えていないものだと思っていたから、会話が成り立ったことに驚きつつハルの方を見てみる。ハルは相変わらず視線も舌の先も明後日を向いているが、意識はこちらを向いていた。

「幻覚だよ!? そんなの……本当じゃないんだよっ!?」

「ひひよ?」

「……どうしてっ……!?」

「はっへ……そろほろ、ひんじゃうんだもん……」

「……!」


「――例へ、ほれがへんはふでも……ひひの。だひふきなハヒひゃんの……へがおを見へてんごくひ、ひへる……はんへ、ほへはへでも、しあわせはんだもん……ふっ……く、うへし……よ……ヒ、ひゃ……ん……。……」


「……ハル? ……ハル!? ……っ……ああぁぁ……!」

 ――例え、それが幻覚でも、それでもいいの。大好きなサキちゃんの笑顔を見て天国に行ける、なんて……それだけでも、幸せだもん。……そんな言葉を、ハルはアタシにそう投げかけていた。

 ハルは、私の方を向いて笑顔を見せてくれていた。本当に楽しそうな表情を浮かべながら、大好きな笑顔が私の方だけを見つめてくれていた――それでもハルは、二度と動いてはくれなかった。

 そんなハルの姿が酷過ぎて口元からもどかしさが溢れ出して、しばらくの間のたうち回る。藻掻いても藻掻いても留まることのないそれはやがて色を変えて白いものが目の前には映し出される。それを見た瞬間、意識が一気に遠のいて目の前が点滅していく。――なにもかもが、しろくなっていく。

 そ/れ……*/で――も#あたしは、はる*――のほ、うだけをみ! つめる。だ/い*す――きだといってくれたひと、がわ*ら%っているのだか#ら、み? つめない/わ! けには*いかない。だんだん、その――け、しき、は……か、すんでいく。あた、しのあ*い――したひとがきえてなくなって#いく――とけて、しまう、しゅわしゅわ/と、まっしろに……。

 ……。……。









Diminuendo days(完)
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