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第六章
第54話
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覗くとルク宰相に見つかってしまうから、やりとりしている表情はよくわからない。
でも、扉が開いていれば会話は全部聞こえる。
なにしろこのアルド離宮は普通の住宅なので、玄関からリビングの扉まで五メートルほどしかない。日本人としてはいろいろサイズが大きい住宅だけれど、場合によっては二階にいても玄関に人が来たのが聞こえる。
……改めてだけど、夜のことは考えないでもらえると、とても嬉しい……
「それは困りましたね」
「サリナ様に御用であれば、ヒースクリフ殿下をお通しくださいませ」
「そのヒースクリフ殿下のお話なのですが」
ルク宰相の声にドキッとする。
わたしと並んで扉の手前で壁際に貼り付いているミルラの顔を振り返って見た。
ミルラは微妙な顔でわたしを見返してくる。
「ヒースクリフ殿下のことで、大切なお話があるのです」
どういうことなんだろう。
動揺する。
「ね、ねえ、ミルラ」
そう、思いっきりわたしは動揺して、ミルラを呼んだ。
声は潜めてだったけど。
小さな声だったはずなのに――
「――おや、そこにいらっしゃいますか。女神様」
「ひっ」
ルク宰相に聞こえてしまった。
耳が良いのか、わたしの声が大きかったのか。
……両方かもしれない。
向こうの声がしっかり聞こえる距離なんだから、こっちの声だって聞こえるよね。
震え上がって扉の向こうへ顔は出さなかったけど、ルク宰相はかまわず喋り続けた。
「女神様、ヒースクリフ殿下をお助けしたくはございませんか」
「え……」
ルク宰相の突然言い出したことに混乱して、やっぱりミルラの顔を見た。
ミルラは困った顔でわたしを見返している。
「女神様に私と共に来ていただけたなら、殿下も無事お戻りいただけるでしょう」
それってどういうことなの。
わたしが行かなきゃヒースが捕まってるみたいな、戻ってこないような言い方だ。
ヒースは朝、普通に出かけていったのに……
今日、出かけていった後に、捕まったの……?
「女神様の身に、ご心配は要りません。女騎士を十分連れてきております。女騎士が周りを囲うように護衛いたします。私は近付きませんし、他の男も近寄れません。危険はございませんよ」
少しも慌てていないルク宰相の様子に、逆に焦りが湧いてくる。
ルク宰相は、裏切ったんだろうか。
ううん、最初からルク宰相は敵か味方かよくわからない人だったから、裏切ったって言うのは正しくないのかもしれない。
ルク宰相は、味方じゃなかった?
「サリナ様、この男の話に耳を貸す必要などないわ!」
急にヒルダの声がして、またびくりとしてしまった。
さ、宰相をこの男呼ばわりして、大丈夫なのか。
本当はそれどころじゃないんだけど、気になってしまう。
「女神様付きの侍女殿は怖いですね」
ふふっとルク宰相が笑いを零すのが聞こえてきた。怒ってはいなさそうだけど……
わたしの相談できる相手は、目の前のミルラだけだ。
そして迂闊に声を出すとルク宰相にも聞こえてしまう。
どうしたらいいか考えながら、やっぱりミルラを見る。
「わたし……」
そう言っただけなのに、ミルラは激しく首を横に振った。
……行っちゃだめってこと?
でも、行かなくてヒースは大丈夫なの?
「女神様、侍女殿が如何に制止しようとも、ここでは女神様の御意志が優先されますよ。お望み通りになさって良いのです」
向こうからは見えてないはずなのに、どういうやりとりをしてるのかわかっているようなルク宰相の声が聞こえる。
「サリナ様! 騙されちゃ駄目よっ! あの殿下がどうにかされるもんですかっ」
ヒルダの怒鳴り声が聞こえて、ミルラもうんうんと言うように頷いてる。
ヒースのことを良く知ってる魔女二人は、ヒースを信じてる。
ルク宰相が嘘吐いてるってこと?
嘘か本当か……わたしに判断できるだろうか。
あの宰相様にわたしが口で敵いそうもないことは、初めて会った時からわかってる。
「ミルラ、ミルラも嘘だと思うの? ヒースは大丈夫?」
聞こえるとか聞こえないとか、もう気にしてる余裕はなかった。
自分で決めろと言うのなら、わたしはここでじっと我慢できると思えない。
確かめに行きたい。
それがさんざんいけないと言われたことでも。
今、この瞬間でさえ不安でたまらないのに。
でも、がしっと手を握られて懇願されたのは。
「サリナ様を外に出したりしたら殿下が怖いです……!」
え、そっち?
あ、いや、無事を信じてるから、怒られるのが怖いんだよね……?
「ヒースが捕まったりとか……」
「あー……えーと……」
ミルラはしばらくふらふら視線をさまよわせてから、握ってるわたしの手を見つめた。
「……ないと思います。殿下を捕まえておくのってすごい大変って言うか、意識あったらまず転移で逃げられちゃうので……跳べないように周りを障壁で囲めば、ほら、術士を迷わず殺しに来ますし……」
……そうだった。
殺されかけた人の言葉は重い。
「術士なしで維持できるところまで禁止の陣を仕掛けるとなると、作るのも撤去するのも生半可な労力じゃないですし。王宮の中の転移避けの障壁は撤去しない前提で作られてますから」
魔法使いが中にいないでも、壁を作ることもできるらしい。
王宮の中に仕掛けられてる、転移避けの壁がそうだと言う。
でもそれは作るのが、とても大変……ということだ。
一度はそう簡単に捕まったりはしないと安心したけれど、話を聞いていくと不安がまた迫り上がってくる。
難しくても、方法はあるんだとわかってしまったから。
だいたい、最初の条件も意識があれば、だ。
意識がなかったら、逃げられないってこと。
「そんなことするくらいなら、殿下本人に魔力封じの手枷でもかけた方が早いですけど、殿下はおとなしくそんなものつけられるような人じゃ痛!」
「馬鹿ミルラっ! サリナ様の不安を煽ってどうするのっ!」
ミルラの話が中断したのは駆け戻ってきたヒルダがミルラの頭をはたいたからだった。
「だ、だって」
ミルラは涙目で叩かれた頭をさすっている。
「大丈夫です! 殿下は殺したって死ぬような玉じゃありませんっ。そんな簡単にどうかできるなら、とっくの昔に死んでます!」
ヒルダが替わって力説する。
それもそれで、安心できないっていうか……
もしかして外に出かけてる間のヒースって危なかったの?
もう、何を信じていいのか。
「れ……連絡は取れないの?」
これが現代の日本だったら、ケータイとかスマホで確認できるのに。
「遠話ですか?」
そうだ、わたしも前に遠くにいるヒースと話ができた。
あれがもう一度できれば……!
ああ、でも、キーワードは教えてくれなかったんだ。
やっぱり聞き出しておくべきだった!
「……あれ、繋がりません」
「馬鹿ミルラっ」
ミルラが首を傾げて、それをまたヒルダがはたいた。
「どっどういうことなの」
繋がらないってどういうこと。
「サリナ様、遠話はどこの誰とでも繋がるものじゃないんです。ミルラ、あんた殿下の媒体もらってるの?」
「ここ来た時に、いきなり危なかったんで、念のためって」
「範囲はどうしたの?」
「普通は執務室で、出かけてても塔か兵団の詰所か事務局か訓練場だと思うんで、王宮の南半分から探したんですけど」
「…………」
「殿下の魔力って派手だから、いたら見落とさないよね」
なんだかもう、不安が爆発しそうで、泣きそう。
「ヒース……どうしちゃったの?」
「範囲内にいないか、意識がないんだと思います」
ミルラの言葉に、急に息苦しくなった……
でも、扉が開いていれば会話は全部聞こえる。
なにしろこのアルド離宮は普通の住宅なので、玄関からリビングの扉まで五メートルほどしかない。日本人としてはいろいろサイズが大きい住宅だけれど、場合によっては二階にいても玄関に人が来たのが聞こえる。
……改めてだけど、夜のことは考えないでもらえると、とても嬉しい……
「それは困りましたね」
「サリナ様に御用であれば、ヒースクリフ殿下をお通しくださいませ」
「そのヒースクリフ殿下のお話なのですが」
ルク宰相の声にドキッとする。
わたしと並んで扉の手前で壁際に貼り付いているミルラの顔を振り返って見た。
ミルラは微妙な顔でわたしを見返してくる。
「ヒースクリフ殿下のことで、大切なお話があるのです」
どういうことなんだろう。
動揺する。
「ね、ねえ、ミルラ」
そう、思いっきりわたしは動揺して、ミルラを呼んだ。
声は潜めてだったけど。
小さな声だったはずなのに――
「――おや、そこにいらっしゃいますか。女神様」
「ひっ」
ルク宰相に聞こえてしまった。
耳が良いのか、わたしの声が大きかったのか。
……両方かもしれない。
向こうの声がしっかり聞こえる距離なんだから、こっちの声だって聞こえるよね。
震え上がって扉の向こうへ顔は出さなかったけど、ルク宰相はかまわず喋り続けた。
「女神様、ヒースクリフ殿下をお助けしたくはございませんか」
「え……」
ルク宰相の突然言い出したことに混乱して、やっぱりミルラの顔を見た。
ミルラは困った顔でわたしを見返している。
「女神様に私と共に来ていただけたなら、殿下も無事お戻りいただけるでしょう」
それってどういうことなの。
わたしが行かなきゃヒースが捕まってるみたいな、戻ってこないような言い方だ。
ヒースは朝、普通に出かけていったのに……
今日、出かけていった後に、捕まったの……?
「女神様の身に、ご心配は要りません。女騎士を十分連れてきております。女騎士が周りを囲うように護衛いたします。私は近付きませんし、他の男も近寄れません。危険はございませんよ」
少しも慌てていないルク宰相の様子に、逆に焦りが湧いてくる。
ルク宰相は、裏切ったんだろうか。
ううん、最初からルク宰相は敵か味方かよくわからない人だったから、裏切ったって言うのは正しくないのかもしれない。
ルク宰相は、味方じゃなかった?
「サリナ様、この男の話に耳を貸す必要などないわ!」
急にヒルダの声がして、またびくりとしてしまった。
さ、宰相をこの男呼ばわりして、大丈夫なのか。
本当はそれどころじゃないんだけど、気になってしまう。
「女神様付きの侍女殿は怖いですね」
ふふっとルク宰相が笑いを零すのが聞こえてきた。怒ってはいなさそうだけど……
わたしの相談できる相手は、目の前のミルラだけだ。
そして迂闊に声を出すとルク宰相にも聞こえてしまう。
どうしたらいいか考えながら、やっぱりミルラを見る。
「わたし……」
そう言っただけなのに、ミルラは激しく首を横に振った。
……行っちゃだめってこと?
でも、行かなくてヒースは大丈夫なの?
「女神様、侍女殿が如何に制止しようとも、ここでは女神様の御意志が優先されますよ。お望み通りになさって良いのです」
向こうからは見えてないはずなのに、どういうやりとりをしてるのかわかっているようなルク宰相の声が聞こえる。
「サリナ様! 騙されちゃ駄目よっ! あの殿下がどうにかされるもんですかっ」
ヒルダの怒鳴り声が聞こえて、ミルラもうんうんと言うように頷いてる。
ヒースのことを良く知ってる魔女二人は、ヒースを信じてる。
ルク宰相が嘘吐いてるってこと?
嘘か本当か……わたしに判断できるだろうか。
あの宰相様にわたしが口で敵いそうもないことは、初めて会った時からわかってる。
「ミルラ、ミルラも嘘だと思うの? ヒースは大丈夫?」
聞こえるとか聞こえないとか、もう気にしてる余裕はなかった。
自分で決めろと言うのなら、わたしはここでじっと我慢できると思えない。
確かめに行きたい。
それがさんざんいけないと言われたことでも。
今、この瞬間でさえ不安でたまらないのに。
でも、がしっと手を握られて懇願されたのは。
「サリナ様を外に出したりしたら殿下が怖いです……!」
え、そっち?
あ、いや、無事を信じてるから、怒られるのが怖いんだよね……?
「ヒースが捕まったりとか……」
「あー……えーと……」
ミルラはしばらくふらふら視線をさまよわせてから、握ってるわたしの手を見つめた。
「……ないと思います。殿下を捕まえておくのってすごい大変って言うか、意識あったらまず転移で逃げられちゃうので……跳べないように周りを障壁で囲めば、ほら、術士を迷わず殺しに来ますし……」
……そうだった。
殺されかけた人の言葉は重い。
「術士なしで維持できるところまで禁止の陣を仕掛けるとなると、作るのも撤去するのも生半可な労力じゃないですし。王宮の中の転移避けの障壁は撤去しない前提で作られてますから」
魔法使いが中にいないでも、壁を作ることもできるらしい。
王宮の中に仕掛けられてる、転移避けの壁がそうだと言う。
でもそれは作るのが、とても大変……ということだ。
一度はそう簡単に捕まったりはしないと安心したけれど、話を聞いていくと不安がまた迫り上がってくる。
難しくても、方法はあるんだとわかってしまったから。
だいたい、最初の条件も意識があれば、だ。
意識がなかったら、逃げられないってこと。
「そんなことするくらいなら、殿下本人に魔力封じの手枷でもかけた方が早いですけど、殿下はおとなしくそんなものつけられるような人じゃ痛!」
「馬鹿ミルラっ! サリナ様の不安を煽ってどうするのっ!」
ミルラの話が中断したのは駆け戻ってきたヒルダがミルラの頭をはたいたからだった。
「だ、だって」
ミルラは涙目で叩かれた頭をさすっている。
「大丈夫です! 殿下は殺したって死ぬような玉じゃありませんっ。そんな簡単にどうかできるなら、とっくの昔に死んでます!」
ヒルダが替わって力説する。
それもそれで、安心できないっていうか……
もしかして外に出かけてる間のヒースって危なかったの?
もう、何を信じていいのか。
「れ……連絡は取れないの?」
これが現代の日本だったら、ケータイとかスマホで確認できるのに。
「遠話ですか?」
そうだ、わたしも前に遠くにいるヒースと話ができた。
あれがもう一度できれば……!
ああ、でも、キーワードは教えてくれなかったんだ。
やっぱり聞き出しておくべきだった!
「……あれ、繋がりません」
「馬鹿ミルラっ」
ミルラが首を傾げて、それをまたヒルダがはたいた。
「どっどういうことなの」
繋がらないってどういうこと。
「サリナ様、遠話はどこの誰とでも繋がるものじゃないんです。ミルラ、あんた殿下の媒体もらってるの?」
「ここ来た時に、いきなり危なかったんで、念のためって」
「範囲はどうしたの?」
「普通は執務室で、出かけてても塔か兵団の詰所か事務局か訓練場だと思うんで、王宮の南半分から探したんですけど」
「…………」
「殿下の魔力って派手だから、いたら見落とさないよね」
なんだかもう、不安が爆発しそうで、泣きそう。
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