豊穣の女神は長生きしたい

碓井桂

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第六章

第50話

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「ヒルダめ」

 本当に微かな小声だったけど、忌々しげにヒースが呟いたのが聞こえた。
 しまった、喋りすぎちゃったかな。

 ヒースは食事の時間には帰ってくる。
 それはわたしといっしょに食事するためだ。
 ただし、いっしょに食べたい、なんていう甘やかな理由がすべてじゃない。
 魔女たちはわたしの世話と護衛を引き受けてくれて、ここにいるけど、毒味まではさせられないということ。

 それにはわたしも同意する。
 毒に当たったら死んじゃうしね。

 そう、王宮に来る前に言ったことを貫いて、わたしが食べるものはヒースがすべて毒味している。
 そのために必ず帰ってくる。
 ヒースならいいってわけじゃないけど、誰かがしなくちゃならないのなら狙われてる本人がするべきだというヒースの主張に抵抗できないままなのだ。
 そしてヒース以上に、そのリスクへの対処の幅の広い人間がいないのだ。

 昼はさすがに戻らないけど、冷めても大丈夫な食事が朝食といっしょに運ばれてきて、ヒースは朝食をわたしといっしょに食べて、昼食の分も確認してから出かける。
 昼のスープは温めなおして食べる。

 自由にものを食べることはできないんだけど、いずれ植木鉢でももらって、窓際菜園でもして野菜を育てようかと思ってる。
 手枷付きの自分に料理ができるかは微妙だけど、自分で育てた野菜なら、生で食べてもいいしね。
 自分で育てた野菜がおいしいことはわかってるから。

 色々と苦労させられる女神の力だけど、この作物がおいしくなるのだけは確実にいい力だと思う。
 育つのも早いし。
 野菜育てて、その味で証明ってわけにはいかないんだろうか……

 と、いけない、話が逸れた。

 えーと、ヒースは必ず食事の時間までには帰ってくるって話だった。
 ヒースが帰ってきて、食事はいっしょに食べる。
 食事の状況は手枷をつけられた当初とほぼ同じで、ヒースが食べさせてくれる。
 昼は自分で食べるんだから手枷があっても自分でできないわけじゃないってわかったんだけど、ヒースは給餌をやめてくれなかったので、いまだに朝と夕は食べさせてもらってる。

 食べさせてもらうとなると、当然食事の時間はゆっくりとなるわけで……
 自然と食事の時間は、色々話しながらになった。
 話題は、ヒースがわたしにこの国やこの世界の話を教えてくれたり、わたしが日中に三人の魔女たちとしていたことを話したりだ。

 ……で、隠す必要も感じなかったので、今日は昼間彼女たちと禁止の陣で檻の代わりにならないか話し合った時のことを話した。
 でもわたしって、すごく話し上手ってわけじゃないから、流れのまんま話しちゃったのだ。
 そう、ヒースが檻の代わりにわたしを囲う禁止の陣の術者になれないだろうって聞いた理由も、話しちゃった。

 男であれば俗世の欲を捨てた神官か賢者でもなければ抗えぬ女神の力が効かないなどとなれば、かつての噂の通り、やはりヒースクリフ王子は女ではないか……と言われかねないという話を。

 言ってから思ったんだけど、人間誰しも黒歴史ってあるよね……

 そのつもりのない男の人が女性じゃないかと疑われていたのは、屈辱だったのかもしれない。
 悔しいことではあるだろう。
 一般的に。

「ごめんね。嫌なこと言っちゃった?」

 ヒースが自分の顔の作りについて言及したのを見たことはなかった。
 それを気にするところも。
 だからそれについて、わたしも大して考えたことはなかった。

 綺麗なものは綺麗だと思うけど、わたしは多分そんなに面食いじゃない。
 自分がそんなに際立った顔じゃないから、美形とは縁がないと思っていたのもあるだろうか。
 だから、その、ヒースの顔の美々しさはわたしの中での重要度が低いんだと思う。

 でも、知らなかっただけでヒースは気にしていたのなら、悪いことを言ってしまった。
 ヒースが怒っちゃったのかな、と思ったら、ちょっと不安になる。
 怒らせたかったわけじゃない。
 不注意だった。

 もっと謝った方がいいかなあとヒースの顔を覗くようにしたら。

「はい」

 ヒースはわたしの問いには答えないまま、フォークに切った肉を刺して差し出してきた。
 すっかり慣れたもので、反射的にぱくっと口に入れてもぐもぐ咀嚼する。

 おいしい。
 おいしいけど、誤魔化されているんだろうか。
 誤魔化されるべきだろうか。

 そう思ってたら、ヒースは次のお肉を切りながら語り出した。

「私は、君に出会う前には男としては出来損ないでしたから。自分でも、男の体の方が誤りではないかと思っていたことがあります」

 ごくんと口の中のお肉を飲み込んで、なんて言うべきかすぐに思い浮かばず口だけ開いた。
 そこへまたお肉が差し出されて、口に入れてしまった。

 しまった、喋れない。

「そうは言っても、身体的には本当に男ですからね。揶揄されようと、本気で疑われようと、事実は変わりません」

 まあ、そうだよね。
 ヒースは男の人だ。

 それはわたしには疑う余地がない……ちょっとそれを思って恥ずかしくなる。

「この話は、本気で疑ってきた者の方が厄介でしたが」

 本気でヒースが女だと疑った人……
 ああ、ええ、ううん……
 なんか困った騒ぎがあったような気がする。
 聞かなくても、知らなくても、そんな予想ができてしまった。

 口の中のものをすっかり飲み込んで、今度こそ口を開く。

「大変だった?」
「まあ……少し」

 ヒースは少し笑ってみせてくれた。
 笑い話で話せるなら、深刻な事件ではなかったと思う。

「だから、あんな疑いを呼び戻すようなことはしませんよ。昔よりは身体付きは男っぽくなったけれど、私は男性の平均より背が低いから、今でも背の高い女騎士と比べると頼りなく見えますからね」
「え、ヒースって低いの?」

 違うところが気になってしまった。
 ヒースが背が低いなんて思ったことなかった……けど、そういえば、通りすがりレベルではなくわたしが会ったことのある男性は誰も、ヒースより低い人はいなかった。

 でも、ヒースもわたしよりはだいぶ高い。
 わたしは、現代日本では平均的な身長だったはず、だけど。

 ……この世界の女性はどうだ。
 ミルラはわたしよりちょっと背が高い。
 ヒルダとフランシスカはモデルっぽく、だいぶ高い。

 し、知らなかった。

 この世界の人は背が高いのか!
 ……西洋の人だと思えば、それは普通なのかな。
 これはヒキコモリの弊害か……『普通の人』の大きさがわかってなかったんだ。

 でも、いまさらの新発見に、わたしがびっくりしているのをヒースも気付いたようだ。

「低いですね。小男とまでは言いませんが。それでこの顔では、疑う者も責められない」

 苦笑いを浮かべ、また肉を差し出してくる。

「だから彼女たちの話していた通り、ミルラが禁止の陣の術士になれないなら、檻の代わりに陣を用いる案は使えないでしょう。私が女だなんて囃し立てられては、またそれも相手の思うつぼです。呼び戻されてみたものの、とにかく私を引きずり下ろしたいという者はやっぱりいますからね。兄に従えないと言う者しかいないほど一枚岩だったなら、私など必要もなかったでしょう。兄の地位を奪うのに私が必要だったということは、兄に味方する者もやっぱりまだいるということなんですよ。そういう者たちは兄に立場を取り戻すために、どんなことにもいちゃもんをつけるでしょう」

 ヒースが女なら、王位を求めて嘘を吐いていると。
 手枷で周りへの影響を抑えていると言うが、それも実は偽りで、わたしは本当は女神ではないのではないかと。
 ヒースの男性機能が治ったというのは、嘘ではないのかと。

 結局全部、同じ目的を持った言いがかりだ。
 ヒースから王太子の立場を奪うため。

 しかし、どれもこれも、証拠を見せろと言われても……
 困ったものだ。

 そして、やっぱり、檻に入るしかないんだろうか……
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