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第15話
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「追い出されたか」
「遺産として、こちらのお家はいただけるそうです。後は、小切手でいただきました」
翌日にはお父様がご自身で、この家まで確認にいらした。
馬車が着いて、お迎えに出て、馬車から降りてきたその開口一番にズバリ言われてしまったが、わたしも結婚前よりは強くなった気がする。
お父様に目録を差し出して、答えた。
目録を持って、お迎えに出たのだ。
絶対に見せろって言うと思ったから。
「ほう」
目録をその場で開き、お父様は嫌な笑い方をした。
「中にお入りくださいな」
「少し話をしなくてはならないな。屋敷に残っていたおまえの衣装をいくらか持ってきたから、運びこむ場所を指示しなさい」
お父様の従者と御者が、積んできた衣装箱を馬車から下ろしている。
「わたくしの部屋にしたところに運んでいただきますわ。ハンクさん、案内をお願いします」
管理人の老夫妻を呼んで、荷物を運ぶ部屋の案内を頼む。
ハンクさん夫妻を見て、お父様は顎を撫でた。
「使用人はあれだけか?」
「元々この家の管理人をしていただけで、わたくしの使用人というわけではないのですが……お世話してくれる者は、確かにハンク夫妻だけです」
「あの老人たちでは手が足らんだろう。侍女を一人か二人回そう。後は料理人か。男手は要るか? ……それとも、うちの屋敷に帰ってくるか?」
まさか、お父様がわたしにそんなことを言うとは思わなかったので、すぐに返事ができなかった。
侍女や料理人を回してくれると言うだけでも驚きだったのに、バシュレーの屋敷に帰るなんて選択肢があるなんて。
「……中で、お話しいたしましょう」
ハンクさんの奥さんにお茶をお願いする。
居間のソファに腰を落ち着け、テーブルを挟んでお父様と向かい合った。
「お父様が家に戻るようにおっしゃるとは思いませんでした」
「おまえが未亡人になるのが思ったより早かったからな」
それはもしや、と眉間に力が入る。
「わたくし、またどこかに嫁ぐのですか……?」
「嫌か?」
お父様はそう聞いてくるけれど、お父様がそうしようと思ったなら抗えない。
「お父様……わたくし」
だから、駄目だとしても思うところを言っておかないといけない気がした。
最初だって愛人は嫌だと言ったら、それはなかったのだから。
次だって、少しは気にしてくれるかもしれない。
「後妻はもう嫌です」
「懲りたか?」
「懲りました」
深く頷いた。
「あと、やっぱり愛人も嫌です」
「そうか。ではできる範囲で考慮しよう」
できる範囲でと言うのだから、お父様はわざわざ選ぶことしないだろう。
無理に避けることもないだろうけれど……
それでも、わたしが後悔しないためには、言っておかなくてはならないことだと思う。
「お父様。しばらくはわたくし、ここにいようと思います」
本当は、積極的に再婚したいとも思わない。
もうしばらく結ばれなかった縁のことを思っていたかった。
ラウール様の時には婚約破棄になって、すぐに他の男の人のところに行くのも仕方ないと思ったけれど、今回は違う。
エドアールの正妻……ただ一人になれることはあり得なくても、エドアールがわたしを特別に想ってくれたことは信じられる。
「わかった。では、やはり侍女と料理人をこの家に遣ろう。男手が足りない時には言うといい」
「はい、お願いします」
それから帰るお父様を見送ると、小さな屋敷の中は静かになった。
老齢のハンク夫妻は、庭の手入れや屋敷の掃除を黙々としている。
静かな屋敷の中で、改めて亡くなった侯爵のしたことは酷いと思った。
エドアールとは思い合っても、結婚はできない。
わたしはエドアールの祖父の妻で、血は繋がらないが義祖母なのだ。
最初から好きなっても未来がないようにした上で、わたしたちを引き合わせている。
でも、思い出に浸るのは自由だろう。
そして、妄想も自由だ。
もし、エドアールがわたしを探して、迎えに来てくれたら。
そしたら、愛人でもいいだろうか。
最初から正妻になれる可能性がないなら、諦められるだろうか……
わたしは時間があると、ぼんやりと、そんな妄想をしていた。
だけど、一ヶ月が経っても、二ヶ月が経っても、エドアールがわたしを迎えに来ることはなかった。
いなくなってしまえば、それまでの相手だったようだと、やっと諦めなくてはと思うようになった頃……
「エドアール……」
エドアールは、なんの予告もなく急にこの小さな屋敷まで訪ねてきた。
そして玄関ホールで迎えたわたしに、わたしの住むこの小さな屋敷を見回して言った。
「この屋敷が君のものじゃないのはわかっているよね」
どきりとした。
ダンドリー氏が自分の財産から出したものなのは、わたしだって見当がついている。
「遺産の、先渡しだと思ったのよ」
「遺産をもらったら、もうウェストルンドの屋敷には少しもいたくなかった?」
じっと窺うような睨むような、そんな目でエドアールは見つめてくる。
「……出ていくように言われたからよ」
言い訳なのはわかってる。
だからエドアールの顔をまっすぐ見られなくて、目を逸らした。
「それでもまだ喪服は着ているんだな」
「喪中なのは変わらないもの」
遺産を貰ったらさよならというつもりはなかった。
むしろ遺産が未亡人である証拠だ。
それはエドアールとの繋がりで、隔たりそのものだ。
「今すぐその喪服を脱いでくれ」
「え?」
エドアールが何を言っているのかわからなくて、思わず逸らしていた視線を合わせた。
「君はもう未亡人じゃない」
更にわからなくなる。
まさか侯爵が生き返った……?
いや、そんなばかな。
「だから今すぐ脱いできて。……それとも、僕に脱がされたい?」
エドアールの群青色の瞳に危険な光が宿った気がして、飛び上がった。
エドアールがこんなところで自分をひん剥かないという自信が持てない。
「わっわかったわ!」
ちょっと待ってて――と後退る。
「ハンクさん! お客様を応接間にご案内して! へっヘレン、ヘレンは、わたしの着替えを手伝って――」
声を上げて人を呼ぶのは、狼狽えて自分でもはしたない様子だと思ったけれど、そうでなければすぐにもエドアールがわたしを裸に剥きそうな予感がした。
そして剥かれたらもう、そこから先は。
玄関ホールから出る時に、エドアールを振り返った。
言っておかなくてはならない。
使用人は少なくても、この屋敷は狭くて、どこで何をしていてもすぐわかる。
玄関ホールで襲われるなんてとんでもないが、応接間ならいいと言うわけではないのだ。
「エドアール……わたし、人に見られるのは嫌なのよ」
エドアールは急に驚いたように瞠目して、それから力を抜いて笑った。
「……知ってるよ」
「遺産として、こちらのお家はいただけるそうです。後は、小切手でいただきました」
翌日にはお父様がご自身で、この家まで確認にいらした。
馬車が着いて、お迎えに出て、馬車から降りてきたその開口一番にズバリ言われてしまったが、わたしも結婚前よりは強くなった気がする。
お父様に目録を差し出して、答えた。
目録を持って、お迎えに出たのだ。
絶対に見せろって言うと思ったから。
「ほう」
目録をその場で開き、お父様は嫌な笑い方をした。
「中にお入りくださいな」
「少し話をしなくてはならないな。屋敷に残っていたおまえの衣装をいくらか持ってきたから、運びこむ場所を指示しなさい」
お父様の従者と御者が、積んできた衣装箱を馬車から下ろしている。
「わたくしの部屋にしたところに運んでいただきますわ。ハンクさん、案内をお願いします」
管理人の老夫妻を呼んで、荷物を運ぶ部屋の案内を頼む。
ハンクさん夫妻を見て、お父様は顎を撫でた。
「使用人はあれだけか?」
「元々この家の管理人をしていただけで、わたくしの使用人というわけではないのですが……お世話してくれる者は、確かにハンク夫妻だけです」
「あの老人たちでは手が足らんだろう。侍女を一人か二人回そう。後は料理人か。男手は要るか? ……それとも、うちの屋敷に帰ってくるか?」
まさか、お父様がわたしにそんなことを言うとは思わなかったので、すぐに返事ができなかった。
侍女や料理人を回してくれると言うだけでも驚きだったのに、バシュレーの屋敷に帰るなんて選択肢があるなんて。
「……中で、お話しいたしましょう」
ハンクさんの奥さんにお茶をお願いする。
居間のソファに腰を落ち着け、テーブルを挟んでお父様と向かい合った。
「お父様が家に戻るようにおっしゃるとは思いませんでした」
「おまえが未亡人になるのが思ったより早かったからな」
それはもしや、と眉間に力が入る。
「わたくし、またどこかに嫁ぐのですか……?」
「嫌か?」
お父様はそう聞いてくるけれど、お父様がそうしようと思ったなら抗えない。
「お父様……わたくし」
だから、駄目だとしても思うところを言っておかないといけない気がした。
最初だって愛人は嫌だと言ったら、それはなかったのだから。
次だって、少しは気にしてくれるかもしれない。
「後妻はもう嫌です」
「懲りたか?」
「懲りました」
深く頷いた。
「あと、やっぱり愛人も嫌です」
「そうか。ではできる範囲で考慮しよう」
できる範囲でと言うのだから、お父様はわざわざ選ぶことしないだろう。
無理に避けることもないだろうけれど……
それでも、わたしが後悔しないためには、言っておかなくてはならないことだと思う。
「お父様。しばらくはわたくし、ここにいようと思います」
本当は、積極的に再婚したいとも思わない。
もうしばらく結ばれなかった縁のことを思っていたかった。
ラウール様の時には婚約破棄になって、すぐに他の男の人のところに行くのも仕方ないと思ったけれど、今回は違う。
エドアールの正妻……ただ一人になれることはあり得なくても、エドアールがわたしを特別に想ってくれたことは信じられる。
「わかった。では、やはり侍女と料理人をこの家に遣ろう。男手が足りない時には言うといい」
「はい、お願いします」
それから帰るお父様を見送ると、小さな屋敷の中は静かになった。
老齢のハンク夫妻は、庭の手入れや屋敷の掃除を黙々としている。
静かな屋敷の中で、改めて亡くなった侯爵のしたことは酷いと思った。
エドアールとは思い合っても、結婚はできない。
わたしはエドアールの祖父の妻で、血は繋がらないが義祖母なのだ。
最初から好きなっても未来がないようにした上で、わたしたちを引き合わせている。
でも、思い出に浸るのは自由だろう。
そして、妄想も自由だ。
もし、エドアールがわたしを探して、迎えに来てくれたら。
そしたら、愛人でもいいだろうか。
最初から正妻になれる可能性がないなら、諦められるだろうか……
わたしは時間があると、ぼんやりと、そんな妄想をしていた。
だけど、一ヶ月が経っても、二ヶ月が経っても、エドアールがわたしを迎えに来ることはなかった。
いなくなってしまえば、それまでの相手だったようだと、やっと諦めなくてはと思うようになった頃……
「エドアール……」
エドアールは、なんの予告もなく急にこの小さな屋敷まで訪ねてきた。
そして玄関ホールで迎えたわたしに、わたしの住むこの小さな屋敷を見回して言った。
「この屋敷が君のものじゃないのはわかっているよね」
どきりとした。
ダンドリー氏が自分の財産から出したものなのは、わたしだって見当がついている。
「遺産の、先渡しだと思ったのよ」
「遺産をもらったら、もうウェストルンドの屋敷には少しもいたくなかった?」
じっと窺うような睨むような、そんな目でエドアールは見つめてくる。
「……出ていくように言われたからよ」
言い訳なのはわかってる。
だからエドアールの顔をまっすぐ見られなくて、目を逸らした。
「それでもまだ喪服は着ているんだな」
「喪中なのは変わらないもの」
遺産を貰ったらさよならというつもりはなかった。
むしろ遺産が未亡人である証拠だ。
それはエドアールとの繋がりで、隔たりそのものだ。
「今すぐその喪服を脱いでくれ」
「え?」
エドアールが何を言っているのかわからなくて、思わず逸らしていた視線を合わせた。
「君はもう未亡人じゃない」
更にわからなくなる。
まさか侯爵が生き返った……?
いや、そんなばかな。
「だから今すぐ脱いできて。……それとも、僕に脱がされたい?」
エドアールの群青色の瞳に危険な光が宿った気がして、飛び上がった。
エドアールがこんなところで自分をひん剥かないという自信が持てない。
「わっわかったわ!」
ちょっと待ってて――と後退る。
「ハンクさん! お客様を応接間にご案内して! へっヘレン、ヘレンは、わたしの着替えを手伝って――」
声を上げて人を呼ぶのは、狼狽えて自分でもはしたない様子だと思ったけれど、そうでなければすぐにもエドアールがわたしを裸に剥きそうな予感がした。
そして剥かれたらもう、そこから先は。
玄関ホールから出る時に、エドアールを振り返った。
言っておかなくてはならない。
使用人は少なくても、この屋敷は狭くて、どこで何をしていてもすぐわかる。
玄関ホールで襲われるなんてとんでもないが、応接間ならいいと言うわけではないのだ。
「エドアール……わたし、人に見られるのは嫌なのよ」
エドアールは急に驚いたように瞠目して、それから力を抜いて笑った。
「……知ってるよ」
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