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第5話

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 死ぬのはごめんだ。

 一歩二歩、エドアールに手を引かれて寝台に近付く。
 でもそこで、また足が止まってしまった。

 わたしは、初めてなのに。
 こんな風に純潔を散らすのか。
 狂った老人の後妻になって、その孫の慰み者になるのか。

 しかも――まだ狂った老人はそこにいる。

「歩いて」

 エドアールが囁くのに、首を振った。

「まだ侯爵様がいるから……」

 それにエドアールはため息で答えた。

 そんなに無理なことを言っているだろうか。
 ……無理なのか。
 新しい絶望に襲われて、俯いた。

「お爺様、もういいでしょう。彼女に相手をしてもらいますから、お爺様は部屋にお戻りください」

 駄目だと思ったのに、エドアールは侯爵に退室を促してくれた。

 それに釣られるように、少しだけ顔を上げられた。

「駄目だ! 貴様がちゃんとできるのか見届けなくてはならん」

 ああ、そう言うのか。
 孫が女と同衾できるかを見て確かめようなんて、やっぱり狂っている。

 でもこれは、エドアールを罵る言葉だ。
 わたしのために言わなかったら、エドアールが酷い言葉を返されることはなかった。

 きっとわたしよりも付き合いの長いエドアールは、この老人から何が返ってくるかわかっていただろう。
 だから、ため息だったんだ。

「さっさとやれ!」

 ごめんなさい。
 どうせ、もう引き返せないんだから、諦めなくてはいけない。
 無理だと思っていても彼が見せてくれた誠意に、応えなくては。

「お爺様――」

 ぎゅっと彼の閨着を掴んで引いた。

「ありがとう」

 本当に微かに、彼だけに聞こえるくらいの声で言った。

「ありがとうございます」
「…………」

 ちらりと見たエドアールの表情は相変わらず冷ややかなものだったけれど、もうそれが自分を蔑んでのものだとは思わなかった。
 たとえ心のうちでそう思っていたとしても、彼は十分わたしに親切だ。

「……行こう」

 また寝台に向けて歩き出した。
 天蓋のある寝台まで来る。

 不幸中の幸いは、部屋が広いので間近で見られるわけではないということか。
 侯爵の腰かけているソファは、寝台とは距離がある。
 でも天蓋の帳を下ろさなければ、遮るものもない。

 室内履きを脱いで、エドアールが先に寝台に上がる。
 シーツを捲ってから、わたしに手を差し伸べてきた。
 まるでエスコートされているみたいだと思いながら、わたしも寝台の上に乗った。

 シーツを引きながら、エドアールはわたしの上に圧し掛かる。
 寝台に倒されて、エドアールの体が上に乗った。

「シーツをかけるな。見えんだろうが」

 あくまで見ようと言うのかと、わたしもため息が出そうになった。

 見られたくない。
 でもわたしの言うことなど聞きもしないに違いない。
 抵抗すれば、エドアールの言ったように、もっと酷いことになるかもしれない。

 諦めなくちゃいけないと思っても、気持ちは思い通りにはならなかった。
 歯を食いしばっていると、エドアールがまた囁いた。

「すまない。でもあの爺は本当に、使用人を鞭打ち過ぎて死なせたことがある。僕が知っているだけでも一度じゃない。あの言い様じゃ、君のことは使用人と変わらないつもりだろうから、逆らわないでくれ」

 貴族でも、人を殺せば罪になる。
 だけどきっと、この家の中での侯爵の罪は表沙汰にせずに片付けてしまったのだろうということは想像に難くなかった。

 そういうことはあるだろう。
 法はあっても、貴族はそうそう裁かれない……平民の命は軽い。

 この家では、きっとわたしの命も軽い。
 エドアールはわたしのために忠告してくれているのだと、わかる。

 わかっている。

「お爺様」

 エドアールが体を起こした。
 上着も閨着も脱ぎ捨てて、寝台の端に放った。

「どうしても見ると言うのなら、そこにいてください。近くで見られたりしたら、萎えてできるものもできなくなります」

 エドアールは体を捻り、侯爵に近付かないように言った。

 それには自分で思っていた以上に、ほっとした。
 今よりも近くで見られるなどたまらない。

 閨の灯りはランプと燭台の蝋燭で、距離があればはっきりとは見えない……そう自分に言い聞かせる。

 だけどそうしたエドアールを見て、直後に愕然とした。
 エドアールの背中には明らかに鞭打ちの傷跡があって、それが目に入って。

 老人が癇癪を起こしたなら起こるとエドアールが忠告した、それが事実であるとその傷跡が語っている。
 きっとこれを見せるために、エドアールは脱いでから背中を向けたのだ。

「そんな繊細なことでは世間を渡っていけんわ。しかし今日はことを済ませればいいとしよう。とっととやれ」

 老人は元々クズだと、そう確信した。
 貴族が使用人を人と思っていないことはままあるが、自分の孫にこんな傷跡が残るほど鞭打つなんて。

 エドアールでこれならば、わたしに癇癪を起こされたら殺されるかもしれないと言うのはごく現実的な心配だ。

 彼はわたしが死なないように計らってくれている――

 どんなに悲しくても、命あっての物種だ。
 そう、半分庶民だから知っている。

 わたしは誇りで死ねる生粋の貴族じゃないんだと、今更ながらに自覚した。
 どんなに悲しくても、死にたくない。

 でも、悲しむことは許してほしい……

 ラウール様、ラウール様、あなたと神に誓って、夫婦になりたかった。
 情熱的な恋を交わしていたわけじゃないけど、きっと幸せな夫婦になれたから……

 もし、わたしが愛人の子じゃなかったら、今でもそう夢見ていられたはずなのに。
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