傷物令嬢とウェストルンド家の秘め事

第２話

「後妻の口だとだいぶ男の年齢が高くなるが、妾はまだ枯れていない歳だからさほどでもないだろう。商人の妻だと色々だな、若いのもいなくはない」

　……妾は嫌だな。

　わたしには、きっと母や昔の友達ほど割り切って愛人業はできない。
　愛人の存在には、正妻はそりゃあ嫌な気分になるだろう。

　お父様の正妻であるお義母様は、わたしを虐めはしなかったが、積極的に関わろうともしなかった。
　対面する時に悲しそうな顔をされるのが嫌で、わたしも積極的な接触は避けた。
　お義母様は大人しい人で、わたしとの関係は酷いことにはならなかったが、愛人とその子どもと正妻の間での血塗られたゴシップも社交界には前例がたくさんあるのだ。

　そんな道を積極的に歩むなんて、正妻に押し勝てる自信か被虐趣味でもなければ無理だ。
　わたしには両方ないので、妾の道は避けたい。

「お父様、わたくし妾や愛人は嫌です」
「ほう」

　わたしがはっきり答えたのが意外だったのか、お父様は少し目を瞠ったようだった。

「確かに、おまえが妾になっても正妻と渡り合えるとは思えないな」

　お父様、正しい認識だと思います。

「第一希望は商人の妻でお願いします」
「平民になるが、いいのか？」
「元々平民暮らしでしたので、問題ありません」
「なるほど」

　平民って言ったって、バシュレー家の利になる相手は羽振りのいい商人だもの。
　いきなり苦しい生活になるわけじゃないんだから、そこは問題にするところじゃない。

　相手はだいぶ年上にはなるだろうけど、平民が貴族の娘を妾にするのは無理だ。
　正妻なのは約束されている。
　愛人や妾との争いはあるかもしれないが、自分が妾になるよりは正妻の方が立場は強いだろう。

　相手の年齢が高いということでは、後妻も同じだ。
　一応は正妻であるということも。
　ただ、後妻の口は当たり外れが大きい。
　真っ当なただの後妻であることもあるが、普通の死に別れではなく夫に問題があったり、酷いのになると妻殺しの疑惑の人だったりする。
　商人の妻になるのと違って、相手も貴族で夫の立場の方が高く、なんらかの我慢を強いられる可能性も高い。

「第二希望は、後妻で」

　できればそうじゃない方がいいと思いながら、控えめに第二希望を述べた。

　後から思えば、ここで商人の妻を強く推して他の可能性を潰しておくべきだったんだろう。
　こういうところが、やっぱりわたしは甘かった。




　数日後、ラウール様からお詫びのお手紙が届いた。
　婚約を続けられなかったことのお詫びと、直接訪問できないお詫びだ。

　気の回る人だ。
　格下の婚約破棄した傷物令嬢なんて放っておいても問題は起こらないのに……

　逃がした魚は大きかった。
　もう道が交わらないと思えば、余計にラウール様の人となりの良さが身に染みる。

　わたしなんて……神に誓った夫婦の間に産まれたわけではない半分庶民の血が入った愛人の娘なんて、どんな目に遭わせようが、どんな風に貶めようが構わないと思われているから、こんなことになったのだ。
　この国の貴族の多くがそう思っているから、わたしを陥れ、わたしが傷物になったと面白おかしく吹聴した。

　未遂のまま助けられたので、穢されたなんて事実じゃない。
　でも、事実かどうかなどは関係ない。

　ラウール様が来れないのも、そんな傷物令嬢と接触すれば、わたしが更に元婚約者とふしだらな遊びをしていると言われるからだろう。
　もちろんラウール様もわたしで遊んでいるような風に揶揄される。
　そう考えれば訪問はできず、周りも止める。

　今、自分が置かれた状況を思えば、わたしに優しかったラウール様は本物だった。
　本当にいい人で、誠実だった。

　あの人と、教会で神に誓いたかった。

　叶わなくなった願いに、この日やっと涙がこぼれた。




「おまえの嫁ぎ先が決まった。ウェストルンド侯爵家だ」

　次にお父様から呼び出されたのは、その十日後のことだった。

　商人の妻ではないらしいということにがっかりしたが、顔には出さなかったと思う。
　ずいぶん早く次の相手が決まったものだ。
　しかも侯爵家とは……更に格上じゃないか。

　だけど頭の中の貴族年鑑を捲って、疑問を抱いた。
　ウェストルンド家のご当主は七十を越える老齢ではなかったか。
　でも、老後の連れ添いに後妻を娶る話はたまにあるか……
　後妻という名の、介護要員だ。
　もちろん力仕事的な介護は使用人がするが、ある程度判断能力があって判断できる立場のある者も一緒にいなくては、身分がある者がボケちゃうと面倒くさいのだ。

「おまえは当主の老侯爵の後妻に入る。遺産を少しくれるというし、未亡人になってもそれで暮らしていけるだろう。そろそろ孫に継がせて隠居するつもりなのかもしれない」

　侯爵の評判はかくしゃくとした合理的な人物ということだったが、遅くにできて一人しかいなかった跡取り息子が平民の女性と駆け落ちしてしまい、出奔した息子は亡くなったが、見つけた孫を引き取って跡取りに育てているのだと言う。
　侯爵は既に七十を越えているのに、跡取りの孫はまだ十八。
　今まではまだ若い孫に跡を継がせることができず、隠居できなかったようだ。
　多くの場合は若い当主には後見をつけるが、十八ならどうにか家を継ぐことができる。

　お父様の推測を交えた説明に、矛盾はなさそうだった。

「ウェストルンド候の年齢を考えれば、そう長いことはなかろう。どうだ」

　何が長いことがないのか、はっきりとは口にしないが、まあつまり老い先は短いだろうということだ。
　わたしが未亡人になるまでの時間が、長くないってこと。

「わかりました」

　どちらにしろ、わたしに拒否権はない。
　それで、わたしはウェストルンド家に嫁ぐことになった。