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轟さんの過去③
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加持と俺は冷めきった料理を食すと店を出た。
頼んだドリアの味なんて全くわからなかった。ドロリとした塊をスプーンで口の中に押し込んだだけだ。
しばらく俺たちは無言で歩いていた。途中、十字路にあたると「じゃあ僕はこっちだから」加持は右に曲がると俺に背中を向けて歩き出す。
「加地さん」
俺は加地の背中に声を掛けた。
加持が振り向く。
「あの――」
俺はずっと気になっていた疑問を加持にぶつけてみた。
レッドハイルに出勤すると轟が既に働いていた。
「轟さん、おはようございます。……具合はもういいんですか?」
「おう、大和。この間は悪かったな。ちょっとイライラしててお前に嫌な態度を取っちまった」
「いえ……」
普段通り明るく振舞う轟。いつもなら、何の気なしに轟の機嫌が直って良かった良かった、めでたしめでたし。と思うのだろうが、轟の過去を知った今では、轟の奥底にある本当の気持ちが気になって仕方がない。
「あら轟くん。もう体調は大丈夫なの?」
そこへ百瀬が現れ、三人で談笑していると、
「しまった!」
事務所にいた本多が急に大きな声をあげた。
一体何事かと俺たちは事務所を覗くと本多がケーキを取り分けているところだった。
「……何しているんですか本多さん」
「いや……轟くんの快気祝いをしようと思ってケーキを切り分けていたんだけど飲み物を買うの忘れて……」
「なら大和くんが買い出しに行くしかないわね」
さも当たり前かのように百瀬が言う。
「じゃあ俺と行くか、大和」
「え。轟さんが主役なのに買い出しに行かせるなんて」
「いいんだよ俺は」
轟は行くぞ、と言うと俺を連れ出した。
外に出ると心地よい風が吹いて気持ちよかった。
俺は轟の大きな背中をぼんやりと見つめていた。
「大和」
轟に名前を呼ばれて俺は轟の顔を見る。
「加持から聞いたんだろ? 俺のこと」
咎めるような、責めるような口調ではなく、轟は穏やかに言った。
「えっと、その……」
「怒ってないから。俺があんな態度を取ったら気になるよ、普通」
「五年前のこと聞きました。光城ホテルで働いてたこと」
「そうだ。俺は光城ホテルで働いてた。今と違って真面目に働いてたんだぜ? 髪も黒くしてオールバックにキメてて」
轟はニカッと白い歯を見せると笑う。
「でも……一体何がダメだったんだろうな。俺のメンタルが弱かったのか、仕事するのが怖くなっていったんだよ。調理場に立つのが嫌で、お客様から料理の質問をされても聞きに行けなくてさ。テキトーに答えちまったことがあるんだ。後で俺は自分を責めたよ、一番やってはいけないことをしてしまったって。何も関係のないお客様に嘘をついたんだから」
いつも堂々としていて頼りになって、カッコよくて。俺はそんな轟を見ていたけれど、今の轟は弱々しかった。
「でも轟さんは……本当は後悔してるんじゃないですか。辞めたこと」
本多はホテルに対する恨みと反抗から轟は髪を赤く染め、ピアスをしている、と言っていたが俺は違うと思う。その逆だ。
轟は本当はホテルの世界に戻りたい。それも、ずっと憧れていた光城ホテルに。でも同時に嫌な目に遭った場所に戻りたくないという思いもある。だからホテルに戻れないようわざと足枷を作ったのだ。髪を染めてピアスをして。
「あのまま光城ホテルに居続けてたらメンタルがボロボロになっていたよ。でもな、思ってしまうんだよ、たまに。もしまだ光城ホテルで働いてたらどうなっていたんだろうって」
「……戻ってみませんか? 光城ホテルに」
俺の言葉に轟は、何を言ってるんだ、という顔をした。
「加持さんが言ってました。あれから光城ホテルは勤務体制が変わってちゃんと休みが取れるようになったし、それに調理場に対してパワハラ等の研修をしっかりと行っているって。そして……例の料理長は近々退職するそうです」
轟の身体がピクリと動いた。
「長年の夢だった自分の店を持つそうですよ。だから……光城ホテルに戻って来て欲しいって」
「あの――加持さんは一体どうしたいんですか?」
ファミレスの帰り、俺はずっと気になっていた疑問を加持にぶつけてみた。
「僕は……呂希に戻ってきて欲しいんだ。呂希が憧れていた光城ホテルに」
そう言うと加持は結んでいる自分の髪を触った。
「大和くんはどうして僕が髪を伸ばしているかわかる?……ホテルマンが髪を伸ばすなんて以ての外さ。ホテルマンは清潔さが大事だからね。これは戒めだよ」
「戒め?」
「何もできなかった自分に対してね。俺は呂希に何もしてあげられなかった。同期だったのに、仲間だったのに」
そう言う加持の顔は悲しげだった。
「だからね大和くん。お願いがあるんだ――」
「これ、加持さんの連絡先です。轟さんに渡してほしいって頼まれました」
俺は轟に連絡先が書かれた紙を渡す。轟は黙って受け取った。
「それじゃあ、俺は飲み物を買いに行くんで轟さんは先にレッドハイルに戻ってください」
そう言って、俺は轟をその場に残して買い出しに行った。
轟の快気祝いは、どんちゃん騒ぎだった。
買った覚えのない酒をいつの間にか百瀬と本多が飲み始め、でろんでろんに酔っぱらっているところにヤクザが現れ、場所代を要求してきた。それを轟がケーキをぶつけて追い返す。その様子を見ていた百瀬がエキサイティングし、酒を浴びるように飲む。
轟は終始楽しそうだった。でも轟が今、何を考えているのか。どの道を選ぶのか俺にはわからなかった。
翌日。出勤すると轟の姿がなかった。
「本多さん。轟さんは?」
「しばらく休むって。まぁ有給休暇が溜まっていたから有休ということにしているよ」
「……そうですか」
もしかすると、轟はもうレッドハイルに戻って来ない――そんな気がしてならなかった。
俺は轟が選んだ道を応援している。……でも、轟と一緒に働けないとなると、やっぱり悲しかった。もっと一緒に働きたかった。色々と教えて欲しかった……。
ぽたりと目から涙が落ちた。
あ……れ……?
「どどどどうしたの大和くん⁉」
驚き慌てる本多。
だけど、びっくりしているのは俺の方だ。どうして涙なんか……。なおも涙が溢れる。止められない。止まらない。
「おはようござ――え⁉ 何事⁉」
出勤してきた百瀬が目を丸くさせる。
本多と百瀬が赤子をあやすかのように俺を泣き止ませようとする。が、俺はわんわん声をあげて泣いた。
俺は落ち着くと、二人に全て話す。本多と百瀬は轟の意志を尊重しよう、と言った。
それからというもの俺は懸命に働いた。轟がいなくなっても、ちゃんと一人で仕事ができるように。
三日が過ぎ、一週間が過ぎた。轟がいないレッドハイルが当たり前のようになっていった頃――。
「よう大和。久しぶりだな」
赤髪にピアス姿の轟がフロントに立っているではないか。レッドハイルの制服を着て。
「轟さん⁉ どうしてここに⁉」
「どうしてって……俺がここにいちゃ悪いのか?」
轟がムッと眉を寄せる。
「嬉しいけど……ってそうじゃなくて! 光城ホテルに戻ったんじゃないんですか⁉」
「あぁ。戻ったけど、辞めてきた」
轟はふっと思い出し笑いする。
整髪料を手に付けると、真っ黒な髪の毛を後ろへともっていく。オールバックの髪型が俺の戦闘スタイルだ。
五年ぶりに戻ってきた――憧れの場所に。
ずっと赤髪だったからか黒髪の自分に見慣れない。
「呂希。よく戻って来てくれたね」
加持が嬉しそうに笑う。
「こっちこそありがとうな。ずっと心配させてすまなかった」
鼻を擦りながら言う。コイツに礼を言うのは何だか照れくさい。
すると加持はニヤニヤしながら「呂希ったら素直になっちゃってー」と揶揄う。
「うっせ」
俺は光城ホテルに戻ってきた。ある目的を果たすために――。
「それじゃあ呂希には会場のセッティングをしてもらおうかな。今日はどんでんがあるから忙しいんだ」
加持が俺に指示するが、俺はシカトしてその場を離れる。
「え⁉ ちょっと呂希!」
俺の名前を呼ぶ加持をシカトして、肩を揺らしながらずかずかと歩く。一体何事かと驚いた顔をしたスタッフ何人かとすれ違った。その中には俺が知っている顔もあった。俺が苦しんでいる時に見て見ぬふりをした奴らだ。でも、しょうがないと今では思う。誰だって我が身が可愛い。誰かを庇うことで自分に火の粉が飛んで来たらたまったもんじゃない。
俺が真っ先に向かったのは調理場だ。
怖くて入れなかった場所。声が出なくて足が震えた場所。
俺の登場に、さっきまで包丁で食材を刻んでいた音が止み、しん……と静まり返った。
俺は料理長の前に立つ。あんなに怖かった相手なのに五年ぶりに見た料理長はだいぶ老け、一回り小さくなったように見えた。
呆気にとられる料理長。どうしてお前がここにいるんだ、と言いたげな顔をしていた。
俺は両足に力を入れる。そして拳を大きく振りかぶる。
「呂希、待つんだ! 早まるな――」
慌てて加持が調理場に入ってきた。でも、もう遅い。
俺は振りかぶり、手を料理長の前に差し出すと九十度のお辞儀をした。
「店を出されるそうですね! おめでとうございます!」
調理場に俺の声がビリビリと響き渡る。
俺に殴られると思った料理長は防御のため上げていた腕をゆっくりと下ろした。
「五年前、料理長が俺にしたこと、まだ俺は許していません。一生許せないと思います。っていうか俺、アンタのことが大っ嫌いなんで」
俺は早口で言う。一旦息を吸い込むと続ける。
「アンタは幼稚で女々しい奴だと思いますよ。新人だった俺に八つ当たりなんかして。俺のことだけをシカトして。本当に大っ嫌いだよ。でも、でもさ――」
俺は料理を提供してきたから知っている。美味しい美味しいと笑顔で料理を食べるお客様の笑顔を。とても、幸せそうだった――。
「アンタの作る料理は美味しいってことは確かだから。その腕に見合う……恥じない人間になって下さい」
俺はもう一度頭を下げると調理場から出て行く。
「呂希……」
加持が俺に何かを言おうとする。俺は加持の束ねている髪を触る。
「前々から言おうと思っていたけどお前さ、長髪似合ってないぞ。髪切れよ」
「そうか……似合わないか」
加持は苦笑する。
俺は着ていた光城ホテルの制服ジャケットを脱ぐと加持に渡した。
「ごめん、加持。俺やっぱ光城ホテルで働けねぇわ」
そう言うと俺は光城ホテルを去って行く。だって、俺の居場所はここじゃないから。俺にはもう、信頼出来る新しい仲間がいるから。
去って行く呂希の背中を僕は見つめていた。晴れ晴れとしたその大きな背中に、僕は安心していた。少し寂しさもあったけど。
「髪、やっと切れるや」僕はポツリと呟く。
「あの、加持さん……」
一体今のはどういうことか説明しろ、とでも言うようにスタッフが僕の所に来た。
「さっ、仕事をするよ」
僕はスタッフの尻を叩くと会場へ向かう。
「俺ここが居心地良いんだ。赤髪でピアス開けててもいいし、タバコも吸えるし、おっぱいのデカい姉ちゃんにも会えるし。それに可愛い新入りを教育しないといけないし」
俺の頭をくしゃくしゃと撫でる轟。
「と、轟さぁん!」
俺は轟に抱きつく。
「轟くんが戻ってきてくれて本当に良かった良かった」
事務所にあるモニターでフロントの様子を見ていた本多と百瀬が手を叩きながら出てきた。
「じゃあこれから復帰祝いしましょうよ」
いつの間にか百瀬が一升瓶を片手にしていた。
「ま、待ってください! 今仕事中ですから!」
俺の気苦労はこれからもまだまだ続くのだろう。でも俺はホテルレッドハイルが、この仲間が大好きだ。
頼んだドリアの味なんて全くわからなかった。ドロリとした塊をスプーンで口の中に押し込んだだけだ。
しばらく俺たちは無言で歩いていた。途中、十字路にあたると「じゃあ僕はこっちだから」加持は右に曲がると俺に背中を向けて歩き出す。
「加地さん」
俺は加地の背中に声を掛けた。
加持が振り向く。
「あの――」
俺はずっと気になっていた疑問を加持にぶつけてみた。
レッドハイルに出勤すると轟が既に働いていた。
「轟さん、おはようございます。……具合はもういいんですか?」
「おう、大和。この間は悪かったな。ちょっとイライラしててお前に嫌な態度を取っちまった」
「いえ……」
普段通り明るく振舞う轟。いつもなら、何の気なしに轟の機嫌が直って良かった良かった、めでたしめでたし。と思うのだろうが、轟の過去を知った今では、轟の奥底にある本当の気持ちが気になって仕方がない。
「あら轟くん。もう体調は大丈夫なの?」
そこへ百瀬が現れ、三人で談笑していると、
「しまった!」
事務所にいた本多が急に大きな声をあげた。
一体何事かと俺たちは事務所を覗くと本多がケーキを取り分けているところだった。
「……何しているんですか本多さん」
「いや……轟くんの快気祝いをしようと思ってケーキを切り分けていたんだけど飲み物を買うの忘れて……」
「なら大和くんが買い出しに行くしかないわね」
さも当たり前かのように百瀬が言う。
「じゃあ俺と行くか、大和」
「え。轟さんが主役なのに買い出しに行かせるなんて」
「いいんだよ俺は」
轟は行くぞ、と言うと俺を連れ出した。
外に出ると心地よい風が吹いて気持ちよかった。
俺は轟の大きな背中をぼんやりと見つめていた。
「大和」
轟に名前を呼ばれて俺は轟の顔を見る。
「加持から聞いたんだろ? 俺のこと」
咎めるような、責めるような口調ではなく、轟は穏やかに言った。
「えっと、その……」
「怒ってないから。俺があんな態度を取ったら気になるよ、普通」
「五年前のこと聞きました。光城ホテルで働いてたこと」
「そうだ。俺は光城ホテルで働いてた。今と違って真面目に働いてたんだぜ? 髪も黒くしてオールバックにキメてて」
轟はニカッと白い歯を見せると笑う。
「でも……一体何がダメだったんだろうな。俺のメンタルが弱かったのか、仕事するのが怖くなっていったんだよ。調理場に立つのが嫌で、お客様から料理の質問をされても聞きに行けなくてさ。テキトーに答えちまったことがあるんだ。後で俺は自分を責めたよ、一番やってはいけないことをしてしまったって。何も関係のないお客様に嘘をついたんだから」
いつも堂々としていて頼りになって、カッコよくて。俺はそんな轟を見ていたけれど、今の轟は弱々しかった。
「でも轟さんは……本当は後悔してるんじゃないですか。辞めたこと」
本多はホテルに対する恨みと反抗から轟は髪を赤く染め、ピアスをしている、と言っていたが俺は違うと思う。その逆だ。
轟は本当はホテルの世界に戻りたい。それも、ずっと憧れていた光城ホテルに。でも同時に嫌な目に遭った場所に戻りたくないという思いもある。だからホテルに戻れないようわざと足枷を作ったのだ。髪を染めてピアスをして。
「あのまま光城ホテルに居続けてたらメンタルがボロボロになっていたよ。でもな、思ってしまうんだよ、たまに。もしまだ光城ホテルで働いてたらどうなっていたんだろうって」
「……戻ってみませんか? 光城ホテルに」
俺の言葉に轟は、何を言ってるんだ、という顔をした。
「加持さんが言ってました。あれから光城ホテルは勤務体制が変わってちゃんと休みが取れるようになったし、それに調理場に対してパワハラ等の研修をしっかりと行っているって。そして……例の料理長は近々退職するそうです」
轟の身体がピクリと動いた。
「長年の夢だった自分の店を持つそうですよ。だから……光城ホテルに戻って来て欲しいって」
「あの――加持さんは一体どうしたいんですか?」
ファミレスの帰り、俺はずっと気になっていた疑問を加持にぶつけてみた。
「僕は……呂希に戻ってきて欲しいんだ。呂希が憧れていた光城ホテルに」
そう言うと加持は結んでいる自分の髪を触った。
「大和くんはどうして僕が髪を伸ばしているかわかる?……ホテルマンが髪を伸ばすなんて以ての外さ。ホテルマンは清潔さが大事だからね。これは戒めだよ」
「戒め?」
「何もできなかった自分に対してね。俺は呂希に何もしてあげられなかった。同期だったのに、仲間だったのに」
そう言う加持の顔は悲しげだった。
「だからね大和くん。お願いがあるんだ――」
「これ、加持さんの連絡先です。轟さんに渡してほしいって頼まれました」
俺は轟に連絡先が書かれた紙を渡す。轟は黙って受け取った。
「それじゃあ、俺は飲み物を買いに行くんで轟さんは先にレッドハイルに戻ってください」
そう言って、俺は轟をその場に残して買い出しに行った。
轟の快気祝いは、どんちゃん騒ぎだった。
買った覚えのない酒をいつの間にか百瀬と本多が飲み始め、でろんでろんに酔っぱらっているところにヤクザが現れ、場所代を要求してきた。それを轟がケーキをぶつけて追い返す。その様子を見ていた百瀬がエキサイティングし、酒を浴びるように飲む。
轟は終始楽しそうだった。でも轟が今、何を考えているのか。どの道を選ぶのか俺にはわからなかった。
翌日。出勤すると轟の姿がなかった。
「本多さん。轟さんは?」
「しばらく休むって。まぁ有給休暇が溜まっていたから有休ということにしているよ」
「……そうですか」
もしかすると、轟はもうレッドハイルに戻って来ない――そんな気がしてならなかった。
俺は轟が選んだ道を応援している。……でも、轟と一緒に働けないとなると、やっぱり悲しかった。もっと一緒に働きたかった。色々と教えて欲しかった……。
ぽたりと目から涙が落ちた。
あ……れ……?
「どどどどうしたの大和くん⁉」
驚き慌てる本多。
だけど、びっくりしているのは俺の方だ。どうして涙なんか……。なおも涙が溢れる。止められない。止まらない。
「おはようござ――え⁉ 何事⁉」
出勤してきた百瀬が目を丸くさせる。
本多と百瀬が赤子をあやすかのように俺を泣き止ませようとする。が、俺はわんわん声をあげて泣いた。
俺は落ち着くと、二人に全て話す。本多と百瀬は轟の意志を尊重しよう、と言った。
それからというもの俺は懸命に働いた。轟がいなくなっても、ちゃんと一人で仕事ができるように。
三日が過ぎ、一週間が過ぎた。轟がいないレッドハイルが当たり前のようになっていった頃――。
「よう大和。久しぶりだな」
赤髪にピアス姿の轟がフロントに立っているではないか。レッドハイルの制服を着て。
「轟さん⁉ どうしてここに⁉」
「どうしてって……俺がここにいちゃ悪いのか?」
轟がムッと眉を寄せる。
「嬉しいけど……ってそうじゃなくて! 光城ホテルに戻ったんじゃないんですか⁉」
「あぁ。戻ったけど、辞めてきた」
轟はふっと思い出し笑いする。
整髪料を手に付けると、真っ黒な髪の毛を後ろへともっていく。オールバックの髪型が俺の戦闘スタイルだ。
五年ぶりに戻ってきた――憧れの場所に。
ずっと赤髪だったからか黒髪の自分に見慣れない。
「呂希。よく戻って来てくれたね」
加持が嬉しそうに笑う。
「こっちこそありがとうな。ずっと心配させてすまなかった」
鼻を擦りながら言う。コイツに礼を言うのは何だか照れくさい。
すると加持はニヤニヤしながら「呂希ったら素直になっちゃってー」と揶揄う。
「うっせ」
俺は光城ホテルに戻ってきた。ある目的を果たすために――。
「それじゃあ呂希には会場のセッティングをしてもらおうかな。今日はどんでんがあるから忙しいんだ」
加持が俺に指示するが、俺はシカトしてその場を離れる。
「え⁉ ちょっと呂希!」
俺の名前を呼ぶ加持をシカトして、肩を揺らしながらずかずかと歩く。一体何事かと驚いた顔をしたスタッフ何人かとすれ違った。その中には俺が知っている顔もあった。俺が苦しんでいる時に見て見ぬふりをした奴らだ。でも、しょうがないと今では思う。誰だって我が身が可愛い。誰かを庇うことで自分に火の粉が飛んで来たらたまったもんじゃない。
俺が真っ先に向かったのは調理場だ。
怖くて入れなかった場所。声が出なくて足が震えた場所。
俺の登場に、さっきまで包丁で食材を刻んでいた音が止み、しん……と静まり返った。
俺は料理長の前に立つ。あんなに怖かった相手なのに五年ぶりに見た料理長はだいぶ老け、一回り小さくなったように見えた。
呆気にとられる料理長。どうしてお前がここにいるんだ、と言いたげな顔をしていた。
俺は両足に力を入れる。そして拳を大きく振りかぶる。
「呂希、待つんだ! 早まるな――」
慌てて加持が調理場に入ってきた。でも、もう遅い。
俺は振りかぶり、手を料理長の前に差し出すと九十度のお辞儀をした。
「店を出されるそうですね! おめでとうございます!」
調理場に俺の声がビリビリと響き渡る。
俺に殴られると思った料理長は防御のため上げていた腕をゆっくりと下ろした。
「五年前、料理長が俺にしたこと、まだ俺は許していません。一生許せないと思います。っていうか俺、アンタのことが大っ嫌いなんで」
俺は早口で言う。一旦息を吸い込むと続ける。
「アンタは幼稚で女々しい奴だと思いますよ。新人だった俺に八つ当たりなんかして。俺のことだけをシカトして。本当に大っ嫌いだよ。でも、でもさ――」
俺は料理を提供してきたから知っている。美味しい美味しいと笑顔で料理を食べるお客様の笑顔を。とても、幸せそうだった――。
「アンタの作る料理は美味しいってことは確かだから。その腕に見合う……恥じない人間になって下さい」
俺はもう一度頭を下げると調理場から出て行く。
「呂希……」
加持が俺に何かを言おうとする。俺は加持の束ねている髪を触る。
「前々から言おうと思っていたけどお前さ、長髪似合ってないぞ。髪切れよ」
「そうか……似合わないか」
加持は苦笑する。
俺は着ていた光城ホテルの制服ジャケットを脱ぐと加持に渡した。
「ごめん、加持。俺やっぱ光城ホテルで働けねぇわ」
そう言うと俺は光城ホテルを去って行く。だって、俺の居場所はここじゃないから。俺にはもう、信頼出来る新しい仲間がいるから。
去って行く呂希の背中を僕は見つめていた。晴れ晴れとしたその大きな背中に、僕は安心していた。少し寂しさもあったけど。
「髪、やっと切れるや」僕はポツリと呟く。
「あの、加持さん……」
一体今のはどういうことか説明しろ、とでも言うようにスタッフが僕の所に来た。
「さっ、仕事をするよ」
僕はスタッフの尻を叩くと会場へ向かう。
「俺ここが居心地良いんだ。赤髪でピアス開けててもいいし、タバコも吸えるし、おっぱいのデカい姉ちゃんにも会えるし。それに可愛い新入りを教育しないといけないし」
俺の頭をくしゃくしゃと撫でる轟。
「と、轟さぁん!」
俺は轟に抱きつく。
「轟くんが戻ってきてくれて本当に良かった良かった」
事務所にあるモニターでフロントの様子を見ていた本多と百瀬が手を叩きながら出てきた。
「じゃあこれから復帰祝いしましょうよ」
いつの間にか百瀬が一升瓶を片手にしていた。
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