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ホテルスタッフ影井さん②
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上階の客室まで行くにはロビーからエレベーターを使わなければならなくて、俺は三人に見送られながらエレベーターに乗り込んだ。エレベーターの中は薄暗く、天井にぶらさがってあるミラーボールが幻想的な光を作っている。
そういえば客室に入るのは初めてだな……。
そんなことを思っているうちにエレベーターが目的の階に着いた。
一歩フロアに足を踏み入れた、その時――……。
「あんっ」
「んぁっ」
「あぁっ」
客室のドアから艶やかな声が漏れ、フロア全体に聞こえてくる。
あぁ、そうだ。ここはそういうホテルだったんだ。改めてここがラブホテルであることを実感させられる。何だか盗み聞きしているような気になり、足早に廊下を歩く。
ルームキーをかざし、ドアを開ける。電気を付けたら部屋がピンク色に照らされた。
お、落ち着かない……!
部屋を見回すと、ティッシュボックスや避妊具が目に飛び込んできた。途端に恥ずかしくなってバスルームへ逃げる。洗面台にはクレンジングオイルや化粧水、保湿クリームと女性に配慮したアメニティが並べられている。
浴槽は大きく作られていて二人で入っても十分な広さだった。バスチェアは座る部分にへこみがあった。
こ、これは噂で聞いたことがあるスケベ椅子というものか……! 触ろうと手を伸ばすが慌てて手を引っ込めた。ここには休む目的できたんだから余計なことを考えるな。
本多や皆の顔が頭に浮かぶ。俺を心配してこの部屋を用意してくれたんだから、しっかり休まなきゃ。
俺はベッドへとダイブする。ふかふかしたベッドにしわ一つなく張られたシーツが心地いい。
あぁ、ゆっくり休めそうだ……。
微睡みの中、うつ伏せから仰向けに体勢を変える。
「っ⁉」
視界に何かが動いた気がして飛び起きた。が、すぐに正体がわかり冷静になる。
天井が鏡張りになっていて自分が映っているのだ。間抜け面をした自分が映っている。
せっかく眠れそうだったのに一気に目が冴えてしまった。溜息をつき、気分を変えようとテレビを付けてみた。
『あぁんっ……ん』
ぶはぁっ! 盛大に吹いた。
大音量の喘ぎ声と共にテレビ画面いっぱいに映る女優の裸体。
女優は艶めかしく舌で自分の唇を舐めると男性の下半身に顔を近づけ――……。
「うわわぁぁぁぁ!」
慌ててテレビを消そうとするが動揺するあまりリモコンを持つ手が震え、なかなか消せない。
くそっ、俺はテレビを消す簡単なことさえも出来ないのか!
その時、持っていたリモコンがなくなった。一体何が起こったか理解できなかった。
しかし、紛れもなくリモコンが自分の手の中から消えたのだ。まるで手品のように。
くすくすと笑う声と共にテレビの電源が消された。
「誰⁉」
ふと目線をベッドに移す。と、さっきまで握っていたリモコンがイリュージョン! とでも言うかのようにふかふか布団の上に転がっているではないか。
「まさかこのリモコンには意思があるのか⁉ お前が笑ったのか⁉」
リモコンに向かって叫ぶ。
「違いますよ、こっちです」
後ろからか細い声がする。振り向くが、誰もいない――……。
「くっ、幻聴が聞こえるようになったか……!」
頭を抱える俺。するとまた、くすくすと笑う声がした。
「今回の新入りさんはあわてんぼうさんなんですね。初めまして。わたくし、影井と申します」
姿は見えないが、たぶんお辞儀されたような気がした。
シャイなあまり、人と顔を合わさないように客室の清掃をしていると、百瀬が言っていたことを思い出す。
「あなたが影井さんですか!」
「新人の大港大和くんだよね?」
影井は中性的な声で男性か女性か判別できなかった。が、俺は影井は男性だと思う。
まぁこれは俺の勘だが。
影井は声が細く、ぼそぼそとした話し方が特徴的だった。
「はいっ、大港大和です。よろしくお願いします」
お辞儀するが、ちゃんと目の前に影井がいるのかわからない。
「えっと、やっぱり姿は見せてくれないんですね」
「ごめんなさい。初対面で恥ずかしくて……わたくしは恥ずかしがり屋なあまり、人に姿を見られないよう、ものすごい速さで動いて姿を消すことができるようになったんです……」
何それ、すごい能力。
「えーと、大丈夫ですよ。轟さん達も影井さんを見たことないって言っていたし」
「あ……轟さんですか」
「どうかしたんですか?」
何やら思う節があるような影井の言い方に、つい反応してしまった。
「実は轟さんが入社したての頃の話なんですが……」
こうして影井は語り始めた。
いつものように影井が客室の清掃をしているとこのことだった。見かけない顔の男が廊下を歩いている。黒のベストを着ていて、すぐに新人のホテルスタッフということが分かった。
「今はだいぶ丸くなりましたが、新人の頃の轟さんは荒れたオーラを放っていて、近付くと間髪を入れずに殴りかかってきそうな、言わば切れたナイフのような人だったんです」
今でも十分怖いですけどね、と喉元まで出かかったが何とか飲み込んだ。
ナイフのように怖い人でも自分はここで働く先輩になるんだからちゃんと挨拶をしなきゃ。まずは声を掛けて仲良くなってから姿を見せよう。この恥ずかしがり屋な性格を直すためにも、影井は勇気を振り絞った。
「あのぅ……」
声を掛ける。しかし、轟の反応はない。声が聞こえなかったのだろうか。
「あの、聞こえますか……」
もう一度、声を掛けたその時だった。
「消え失せろぉ‼」
「ぐふぅっ!」
まるで自分の姿が轟に見えているかのように、偶然にも轟が放った拳が影井の顔面に直撃する。
影井はあまりの痛みと恐怖から声も出せずにいた。
ただ逃げなきゃ殺されると思い、懸命にその場から離れたのだった。
「それから轟さんが怖くて怖くて……」
影井の声が震えている。そりゃそうだ。初対面の人から殴られるなんて誰だって怖いはずだ。
それにしてもなぜ轟は影井を殴ったのだろうか。考えるがわからない。虫の居所が悪かったのだろうか。
「それには同情します……でも百瀬さんは? 女性だし話し掛けやすいんじゃないんですか?」
「あ。百瀬さんですか……」
またもや影井は言いよどむ。
「また何かあったんですか?」
「これは百瀬さんが入社したばかりの話です……」
今度入った新人はモデルのように綺麗な女性だった。華やかな雰囲気だけれど気さくで、本多や轟と楽しそうに談笑しているところを何度か見掛けたことがある。きっと、百瀬となら仲良くなれるはずだ。
「だけど轟さんとの一件以来、話しかけたら問答無用で殴られるという恐怖心が芽生えてしまって……」
「うわ。轟さん、影井さんにめちゃくちゃトラウマを残してるじゃん」
話し掛けたらまた殴られるかもしれない。それならばまずは肩を叩いて、ここにいるよとアピールしてから声を掛けるとしよう。影井は作戦を立てると早速実行した。
百瀬がゴミを捨てに外に出た時、影井は百瀬の肩を二回叩く。
「え?」
百瀬が振り返る。しかし、後ろには誰もいない。なぜなら影井はシャイすぎて、人に見られないようにものすごい速さで動いて姿を消しているからだ。
「今、肩を叩かれた気がしたんだけど」
そうとは知らない百瀬は首を傾げると、カラス除けのネットをどかしゴミを捨てた。
「あの、初めまして。わたくし――……」
影井が声を掛けた、その時。
「女はゴミ捨て場でゴミを捨てた。ゴミ捨てくらいアツシがやってくれればいいのに。アツシとは女の彼氏で同棲して三年になる。最近、アツシは自分のことを女と見てくれないのか、営みはめっきりと減ってしまった。「おはようございます」後ろから声を掛けられ、女はドキリとする。振り向くと同じアパートの隣に住む大学生の男だった。「あ。おはようございます」女は挨拶を返すと、男の視線に気付いた。早朝だから油断してブラジャーもせずにワンピース一枚でいたのだ。「きゃっ」女は慌てて腕を組んで前を隠した。」
えっ、百瀬さんいきなり何を言っているの⁉ びっくりする影井だが、めげずに声を掛ける。
「百瀬さん……わたくし影井と申します……」
「「それじゃあ……」女は会釈すると腕を組んで胸元を隠したまま足早に去ろうとする。大学生の男は女の腕を掴むと耳元で囁く。「そんな恰好して欲求不満なの?」と。」
ダメだ、百瀬さん何も聞いてない! 影井は失意のままその場から離れた。
「……こうして百瀬さんにはシカトされてショックでショックで……」
「あーそれはシカトとかではなく、百瀬さんの妄想スイッチが入っただけだから影井さんは気にしなくていいですよ」
「だけど、大港くんとはこうやって話ができて嬉しいです……初対面の人とこんなに話せるなんて初めてのことで……」
姿は見えないが、影井は嬉しさのあまり泣いているかのようだった。
そんなことを言われると照れ臭い気持ちになる。
俺は思い切って気になっていることを訊いてみた。
「ところで、影井さんはどうしてこの部屋にいるんですか?」
だってそうだろう。人が休んでいる部屋に入ってくるなんて怖いじゃないか。ましてや姿が見えないなら尚更だ。
俺の思っていたことが影井に伝わったのか、
「本多さんから大和くんの様子を見てほしいって言われたから来たんです。部屋のドアをノックしたんだけど返事がなかったから心配になってスペアキーを使って……」
上ずった声で言う。
「あぁ、そうだったんですね。すいません。気分はだいぶ良くなりました」
良かった。シャイで姿を見せないのは変だけど、影井さんはまともそうな人だ。
「えっと、大港くんがアダルトビデオを観て叫んでいたことは皆さんには内緒にしておきますから……アダルトビデオを観て興奮すると叫ぶ癖があるんですね」
影井はぽっと顔を赤らめたかのようだった。
「いや、それは誤解――うわっ!」
誤解を解こうと、一歩踏み出した拍子に足に何かが引っかかってベッドへ倒れこんだ。
「痛たた……一体何に躓いたんだろう?」
「あ……嫌……」
怯えた影井の声が真下から聞こえてくる。まさか。嫌な予感がする。
「まさか大港くんがわたくしを押し倒すなんて……初対面なのに。仲良くできると思っていたのに……」
涙声の影井。俺は慌ててベッドから飛び起きる。
「待って! 誤解だ影井さん!」
だが、影井に俺の声は届かない。てか、影井を押し倒したというのに影井の姿が一切見えなかったのが謎すぎるんですけど! 一体どういう原理で影井は動いているの⁉
「お……大港くんのケダモノ~~~‼」
バタバタと足音を立てて部屋を出ていく影井。
「影井さーーん!」
どうやら俺は轟や百瀬と同じように影井に大きな傷を与えてしまったようだ。
一方その頃、フロントでは轟達が話で盛り上がっていた。
「そういえば俺が新人の頃、客室の廊下で幽霊に遭遇したんだよなぁ」
「え、何それ。怖いんだけど」
気味悪がる百瀬。
「か細い声で『あのぅ』って声を掛けられたんだよ。ビビッて殴ったらいなくなったけどさ」
「轟くんでも幽霊って怖いんだね。なんだか僕は安心したよ」
「てか幽霊って殴れるものなの?」
「わからんが、それ以来一度も遭遇していないぞ」
「轟くんはヤクザの他に幽霊も追い返すことができるんだね~。桃華くんは心霊体験ないの?」
「そうね……あ。一度だけなんだけど、ゴミ捨て場で肩を叩かれたことがあったわ。振り向いても誰もいないのよ」
「やべーな。一応塩撒いた方が良いんじゃないか?」
「あ、大和くん。気分はもういいの?」
フロントへ戻ると俺に気付いた本多が声を掛けてくれた。
「はい。もう大丈夫です、ご心配をおかけしました。……皆さんで一体何の話をしていたんですか?」
本多は暫し考える。
「……えーと、元を辿れば大和くんの性癖について」
「大和くんの好みのAVジャンルとか」
「意外と熟女が好きそうだとか」
三人は悪びれる様子もなく答える。
「本人がいない間に何ちゅう話をしてるんですかっ!」
全く油断も隙もない。
「それから心霊体験になったんだよ」
「何ですか、その心霊体験って」
「実はね……」
本多が喋りだした矢先に、お客さんが来館してきた。
「いらっしゃいませ。ようこそホテルレッドハイルへ」
すっかり仕事モードになった本多。気になる心霊体験の話は聞き出せそうにない。この話はまた今度にしよう。
こうして、俺と皆が心霊体験の真実を知るのは、まだまだ先になるのであった。
そういえば客室に入るのは初めてだな……。
そんなことを思っているうちにエレベーターが目的の階に着いた。
一歩フロアに足を踏み入れた、その時――……。
「あんっ」
「んぁっ」
「あぁっ」
客室のドアから艶やかな声が漏れ、フロア全体に聞こえてくる。
あぁ、そうだ。ここはそういうホテルだったんだ。改めてここがラブホテルであることを実感させられる。何だか盗み聞きしているような気になり、足早に廊下を歩く。
ルームキーをかざし、ドアを開ける。電気を付けたら部屋がピンク色に照らされた。
お、落ち着かない……!
部屋を見回すと、ティッシュボックスや避妊具が目に飛び込んできた。途端に恥ずかしくなってバスルームへ逃げる。洗面台にはクレンジングオイルや化粧水、保湿クリームと女性に配慮したアメニティが並べられている。
浴槽は大きく作られていて二人で入っても十分な広さだった。バスチェアは座る部分にへこみがあった。
こ、これは噂で聞いたことがあるスケベ椅子というものか……! 触ろうと手を伸ばすが慌てて手を引っ込めた。ここには休む目的できたんだから余計なことを考えるな。
本多や皆の顔が頭に浮かぶ。俺を心配してこの部屋を用意してくれたんだから、しっかり休まなきゃ。
俺はベッドへとダイブする。ふかふかしたベッドにしわ一つなく張られたシーツが心地いい。
あぁ、ゆっくり休めそうだ……。
微睡みの中、うつ伏せから仰向けに体勢を変える。
「っ⁉」
視界に何かが動いた気がして飛び起きた。が、すぐに正体がわかり冷静になる。
天井が鏡張りになっていて自分が映っているのだ。間抜け面をした自分が映っている。
せっかく眠れそうだったのに一気に目が冴えてしまった。溜息をつき、気分を変えようとテレビを付けてみた。
『あぁんっ……ん』
ぶはぁっ! 盛大に吹いた。
大音量の喘ぎ声と共にテレビ画面いっぱいに映る女優の裸体。
女優は艶めかしく舌で自分の唇を舐めると男性の下半身に顔を近づけ――……。
「うわわぁぁぁぁ!」
慌ててテレビを消そうとするが動揺するあまりリモコンを持つ手が震え、なかなか消せない。
くそっ、俺はテレビを消す簡単なことさえも出来ないのか!
その時、持っていたリモコンがなくなった。一体何が起こったか理解できなかった。
しかし、紛れもなくリモコンが自分の手の中から消えたのだ。まるで手品のように。
くすくすと笑う声と共にテレビの電源が消された。
「誰⁉」
ふと目線をベッドに移す。と、さっきまで握っていたリモコンがイリュージョン! とでも言うかのようにふかふか布団の上に転がっているではないか。
「まさかこのリモコンには意思があるのか⁉ お前が笑ったのか⁉」
リモコンに向かって叫ぶ。
「違いますよ、こっちです」
後ろからか細い声がする。振り向くが、誰もいない――……。
「くっ、幻聴が聞こえるようになったか……!」
頭を抱える俺。するとまた、くすくすと笑う声がした。
「今回の新入りさんはあわてんぼうさんなんですね。初めまして。わたくし、影井と申します」
姿は見えないが、たぶんお辞儀されたような気がした。
シャイなあまり、人と顔を合わさないように客室の清掃をしていると、百瀬が言っていたことを思い出す。
「あなたが影井さんですか!」
「新人の大港大和くんだよね?」
影井は中性的な声で男性か女性か判別できなかった。が、俺は影井は男性だと思う。
まぁこれは俺の勘だが。
影井は声が細く、ぼそぼそとした話し方が特徴的だった。
「はいっ、大港大和です。よろしくお願いします」
お辞儀するが、ちゃんと目の前に影井がいるのかわからない。
「えっと、やっぱり姿は見せてくれないんですね」
「ごめんなさい。初対面で恥ずかしくて……わたくしは恥ずかしがり屋なあまり、人に姿を見られないよう、ものすごい速さで動いて姿を消すことができるようになったんです……」
何それ、すごい能力。
「えーと、大丈夫ですよ。轟さん達も影井さんを見たことないって言っていたし」
「あ……轟さんですか」
「どうかしたんですか?」
何やら思う節があるような影井の言い方に、つい反応してしまった。
「実は轟さんが入社したての頃の話なんですが……」
こうして影井は語り始めた。
いつものように影井が客室の清掃をしているとこのことだった。見かけない顔の男が廊下を歩いている。黒のベストを着ていて、すぐに新人のホテルスタッフということが分かった。
「今はだいぶ丸くなりましたが、新人の頃の轟さんは荒れたオーラを放っていて、近付くと間髪を入れずに殴りかかってきそうな、言わば切れたナイフのような人だったんです」
今でも十分怖いですけどね、と喉元まで出かかったが何とか飲み込んだ。
ナイフのように怖い人でも自分はここで働く先輩になるんだからちゃんと挨拶をしなきゃ。まずは声を掛けて仲良くなってから姿を見せよう。この恥ずかしがり屋な性格を直すためにも、影井は勇気を振り絞った。
「あのぅ……」
声を掛ける。しかし、轟の反応はない。声が聞こえなかったのだろうか。
「あの、聞こえますか……」
もう一度、声を掛けたその時だった。
「消え失せろぉ‼」
「ぐふぅっ!」
まるで自分の姿が轟に見えているかのように、偶然にも轟が放った拳が影井の顔面に直撃する。
影井はあまりの痛みと恐怖から声も出せずにいた。
ただ逃げなきゃ殺されると思い、懸命にその場から離れたのだった。
「それから轟さんが怖くて怖くて……」
影井の声が震えている。そりゃそうだ。初対面の人から殴られるなんて誰だって怖いはずだ。
それにしてもなぜ轟は影井を殴ったのだろうか。考えるがわからない。虫の居所が悪かったのだろうか。
「それには同情します……でも百瀬さんは? 女性だし話し掛けやすいんじゃないんですか?」
「あ。百瀬さんですか……」
またもや影井は言いよどむ。
「また何かあったんですか?」
「これは百瀬さんが入社したばかりの話です……」
今度入った新人はモデルのように綺麗な女性だった。華やかな雰囲気だけれど気さくで、本多や轟と楽しそうに談笑しているところを何度か見掛けたことがある。きっと、百瀬となら仲良くなれるはずだ。
「だけど轟さんとの一件以来、話しかけたら問答無用で殴られるという恐怖心が芽生えてしまって……」
「うわ。轟さん、影井さんにめちゃくちゃトラウマを残してるじゃん」
話し掛けたらまた殴られるかもしれない。それならばまずは肩を叩いて、ここにいるよとアピールしてから声を掛けるとしよう。影井は作戦を立てると早速実行した。
百瀬がゴミを捨てに外に出た時、影井は百瀬の肩を二回叩く。
「え?」
百瀬が振り返る。しかし、後ろには誰もいない。なぜなら影井はシャイすぎて、人に見られないようにものすごい速さで動いて姿を消しているからだ。
「今、肩を叩かれた気がしたんだけど」
そうとは知らない百瀬は首を傾げると、カラス除けのネットをどかしゴミを捨てた。
「あの、初めまして。わたくし――……」
影井が声を掛けた、その時。
「女はゴミ捨て場でゴミを捨てた。ゴミ捨てくらいアツシがやってくれればいいのに。アツシとは女の彼氏で同棲して三年になる。最近、アツシは自分のことを女と見てくれないのか、営みはめっきりと減ってしまった。「おはようございます」後ろから声を掛けられ、女はドキリとする。振り向くと同じアパートの隣に住む大学生の男だった。「あ。おはようございます」女は挨拶を返すと、男の視線に気付いた。早朝だから油断してブラジャーもせずにワンピース一枚でいたのだ。「きゃっ」女は慌てて腕を組んで前を隠した。」
えっ、百瀬さんいきなり何を言っているの⁉ びっくりする影井だが、めげずに声を掛ける。
「百瀬さん……わたくし影井と申します……」
「「それじゃあ……」女は会釈すると腕を組んで胸元を隠したまま足早に去ろうとする。大学生の男は女の腕を掴むと耳元で囁く。「そんな恰好して欲求不満なの?」と。」
ダメだ、百瀬さん何も聞いてない! 影井は失意のままその場から離れた。
「……こうして百瀬さんにはシカトされてショックでショックで……」
「あーそれはシカトとかではなく、百瀬さんの妄想スイッチが入っただけだから影井さんは気にしなくていいですよ」
「だけど、大港くんとはこうやって話ができて嬉しいです……初対面の人とこんなに話せるなんて初めてのことで……」
姿は見えないが、影井は嬉しさのあまり泣いているかのようだった。
そんなことを言われると照れ臭い気持ちになる。
俺は思い切って気になっていることを訊いてみた。
「ところで、影井さんはどうしてこの部屋にいるんですか?」
だってそうだろう。人が休んでいる部屋に入ってくるなんて怖いじゃないか。ましてや姿が見えないなら尚更だ。
俺の思っていたことが影井に伝わったのか、
「本多さんから大和くんの様子を見てほしいって言われたから来たんです。部屋のドアをノックしたんだけど返事がなかったから心配になってスペアキーを使って……」
上ずった声で言う。
「あぁ、そうだったんですね。すいません。気分はだいぶ良くなりました」
良かった。シャイで姿を見せないのは変だけど、影井さんはまともそうな人だ。
「えっと、大港くんがアダルトビデオを観て叫んでいたことは皆さんには内緒にしておきますから……アダルトビデオを観て興奮すると叫ぶ癖があるんですね」
影井はぽっと顔を赤らめたかのようだった。
「いや、それは誤解――うわっ!」
誤解を解こうと、一歩踏み出した拍子に足に何かが引っかかってベッドへ倒れこんだ。
「痛たた……一体何に躓いたんだろう?」
「あ……嫌……」
怯えた影井の声が真下から聞こえてくる。まさか。嫌な予感がする。
「まさか大港くんがわたくしを押し倒すなんて……初対面なのに。仲良くできると思っていたのに……」
涙声の影井。俺は慌ててベッドから飛び起きる。
「待って! 誤解だ影井さん!」
だが、影井に俺の声は届かない。てか、影井を押し倒したというのに影井の姿が一切見えなかったのが謎すぎるんですけど! 一体どういう原理で影井は動いているの⁉
「お……大港くんのケダモノ~~~‼」
バタバタと足音を立てて部屋を出ていく影井。
「影井さーーん!」
どうやら俺は轟や百瀬と同じように影井に大きな傷を与えてしまったようだ。
一方その頃、フロントでは轟達が話で盛り上がっていた。
「そういえば俺が新人の頃、客室の廊下で幽霊に遭遇したんだよなぁ」
「え、何それ。怖いんだけど」
気味悪がる百瀬。
「か細い声で『あのぅ』って声を掛けられたんだよ。ビビッて殴ったらいなくなったけどさ」
「轟くんでも幽霊って怖いんだね。なんだか僕は安心したよ」
「てか幽霊って殴れるものなの?」
「わからんが、それ以来一度も遭遇していないぞ」
「轟くんはヤクザの他に幽霊も追い返すことができるんだね~。桃華くんは心霊体験ないの?」
「そうね……あ。一度だけなんだけど、ゴミ捨て場で肩を叩かれたことがあったわ。振り向いても誰もいないのよ」
「やべーな。一応塩撒いた方が良いんじゃないか?」
「あ、大和くん。気分はもういいの?」
フロントへ戻ると俺に気付いた本多が声を掛けてくれた。
「はい。もう大丈夫です、ご心配をおかけしました。……皆さんで一体何の話をしていたんですか?」
本多は暫し考える。
「……えーと、元を辿れば大和くんの性癖について」
「大和くんの好みのAVジャンルとか」
「意外と熟女が好きそうだとか」
三人は悪びれる様子もなく答える。
「本人がいない間に何ちゅう話をしてるんですかっ!」
全く油断も隙もない。
「それから心霊体験になったんだよ」
「何ですか、その心霊体験って」
「実はね……」
本多が喋りだした矢先に、お客さんが来館してきた。
「いらっしゃいませ。ようこそホテルレッドハイルへ」
すっかり仕事モードになった本多。気になる心霊体験の話は聞き出せそうにない。この話はまた今度にしよう。
こうして、俺と皆が心霊体験の真実を知るのは、まだまだ先になるのであった。
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