上 下
39 / 39
第九章 昨日とはちがう明日へ

しおりを挟む
 けたたましい耳元の電子音で、慌てて身体を起こした。

 窓から差し込んでくる太陽の光が眩しい。
 目を細めながら窓の外を見れば、時間は……たぶん、正午とかじゃないかな、これ。

 貴重なお休みの――土曜の朝を、寝て潰してしまったことへの罪悪感が、じわじわとわいてくる。
 よくよく自分の姿を見ると、スーツにストッキングのまま、顔も化粧をしたままだ。

「いやー! ヤバい……お肌ガビガビになっちゃう……!」

 昨晩はよほど疲れていたのだろう。
 梨菜のことや、その他にも……色々と。

 不幸中の幸いは、ぐっすりと眠ったせいか、気持ちはぜんぜん沈んでいないことだった。
 何か……すごく楽しいことや、苦労したけど乗り越えたような気がするのだけど。

 慌てて洗面所へ行こうとして顔を上げると、ベッドサイドの写真立てが目に入る。
 高校の卒業式の後、家族と撮影した写真。
 硬い笑顔で、卒業証書の筒を抱えた私。それを挟んだお母さんとお父さん、そして、私の隣に――

「おばあちゃん……」

 私の大学入試の日、脳卒中で倒れたおばあちゃんは、まだこの時には笑顔でこの場に立っている。
 少しだけ腰を曲げ、こちらに向かって微笑んでいる、その懐かしい表情。

「おはよう、おばあちゃん」

 なんとなく、どこかでおばあちゃんが聞いているような気がした。
 どこからか、あの懐かしい笑い声が聞こえてきそうな。

「……っと、それどころじゃないよね。今、何時だろ?」

 枕のそばにあったスマホを拾って、目覚ましを解除する。
 時計を見ようとして、ふと、着信履歴があったことに気付いた。

 着信時間は昨夜遅く。
 発信者は――『梨菜』。

「……梨菜?」

 高校の同級生。そして現在の同僚。
 自分に嫌がらせする相手の名前を見て、私はふと眉をひそめ――る気になれずに、首を傾げてみた。
 梨菜ったら、何の用で夜中にかけてきたんだろ……。
 ううん、そもそも私、梨菜の電話番号なんて登録してたっけ?

 よく分からないけど、仕事の連絡なのなら、何か緊急の用事だったのかもしれない。
 慌ててリダイヤルを押してみる。
 続く呼び出し音。
 近くにいないのかな、なんて思い始めたところで、ぷつ、と繋がった音がした。

『……はい、梨菜だけど。誰?』

 不貞腐れたような、疑っているような……ううん、これって多分、ただ単に寝起きなんだわ。
 何となく、授業中にうとうとしてた後、休み時間に起こしたときの梨菜の顔を思い出した。
 思わずくすっと笑いがこぼれて――あれ、高校時代、梨菜を起こしたことなんてあったっけ?

「あの、日上ひかみです。おはよう、梨菜」
『日上!? なんであんた、この番号知ってんの?』
「なんでって……昨日の晩、あなたの方からかけてきたんでしょう?」

 名前が登録されてるってことは、その前に交換してたんだと思ったんだけど。
 今の驚き様からすると、どうも梨菜は私の電話番号を登録していないらしい。

『あんたの番号なんて知らないよ。昨日の晩だってかけてない』
「でも、履歴があったからかけ直したのよ」
『知らないってば。壊れてんじゃない、あんたのスマホ』
「そんな壊れ方聞いたことないもん」

 くくくっとスマホから忍び笑いが聞こえてくる。
 それがあんまり楽しそうだから……なんだか、私も頬が緩んできた。

「なんで笑ってるの?」
『いや、なんかさぁ……あんたと電話したことなんて全然ないはずなのに、なんだかいつも話してるような気がしちゃって』
「奇遇だね、私もそんな気がする」

 二人でなんとなく笑い合って、しばらくしたところで梨菜がふと息をつく。

『あの……えっと、まあ、用がないなら、その……わたし、切るけど』
「あ、うん。えっと……」

 どうやら梨菜は特に電話してないらしいし、それを確認したからには用は終わった。
 せっかくの土曜日に、仲の悪い相手と話をする必要なんて、ある訳ないし。
 簡単な話だ。「じゃあ」と言って、終話ボタンを押せばいい。
 だけど――

 私はすっと息を吸って、気合を入れてスマホに向かった。

「あの、梨菜。今日って他に用事あったりする?」
『あったら、こんな時間にあんたからの電話とったりしてないよ。や、なんかすっごい寝ちゃってさぁ』
「ねえ、これから……映画とか行かない?」
『はあ? あんたと?』
「うん。梨菜は好きでしょう、映画とか、本とか」
『や、好きだけど……なんであんた知ってるのよ』

 なんで? なんでだろう。
 だけど、なぜか私は知ってる気がする。
 梨菜の好きなもの。正直な性格。なんだかんだで義理堅いところ。
 仲良くなると、きっとすごく楽しいこと――

 私たち、全然仲良くないし、梨菜は仕事もちゃんとしてくれないし。
 だけど、そう言えば、私もまだ梨菜に、私自身どうして欲しいのかってちゃんと言ってなかった。
 仕事しなさい、なんて話じゃなくて――梨菜と、もっとちゃんと話したいってことを。

「ねえ、一緒に映画館に行かない? 古い洋画なんてどうかな」
『……いや、あの、あんたと行ってもさ』

 私の一抹の勇気に、梨菜はなんだかYesともNoとも言い難い空気でもごもご呟いてる。
 そりゃ困るだろう。私が梨菜の立場なら困惑する。
 普段なら、こういう困った空気を感じたところで、私、諦めて手を引いてたと思う。

 だけど――今回ばかりは、撤回しようなんて気にはなれない。
 何かが、胸の中で、ちゃんと動けと叫んでいるから。
 後悔しないように、ちゃんと、言うべきことを。

「一緒に行ってくれるまで、私、諦めない。たとえ空がくずれおちてきても、梨菜を誘い続けるから」
『どんな呪いよ!?』
「呪いじゃないよ! むしろこれは……」

 むしろ、なんだろう。
 一番近い言葉はすぐ浮かんできたんだけど、口に出すのが恥ずかしくて、別の言葉に置き換えた。

「……むしろこれは、嫌がらせだよ!」
『呪いじゃねぇか!』

 ツッコミの後に爆笑が続いて、そして――待ち合わせは一時間後。
 電話を切った私は、急いで準備を始めた。

 土曜を半分無駄にしたし、職場の嫌な奴との待ち合わせだし、なのに――五月のこの爽やかな日差しの中、私の胸は幸せな気持ちがいっぱいにあふれてた。
 まるで、すごく仲良しの子と、冒険に行く時のようなワクワクした幸せが。

 きっと今なら、何だってできる気がする。
 そうだ、帰ってきたら、高校の頃の友達にも連絡取ってみよう。
 あれは確か……えっと、美玖と鞠絵だ。二人とも、元気にしてるだろうか。

 もう一人、連絡を取りたい子がいるような気がするけど、その記憶はぼんやりしてて、どうしてもちゃんと思い出せない。
 シャワーを浴びながら一生懸命考えて、図書室のイメージだけが浮かんできた。
 本が好きな友達、いたっけ……?

 考えながら手早く着替えて、お化粧。
 どうにもお肌のノリが悪いけど、まあそこはあんまり気にしないことにしよう。
 梨菜なら、普段の私のメイクもよく知ってる訳だし。

 仕事場向けのヒールの代わりに、スニーカーを引っかけて玄関を出る。
 外は、太陽がさんさんと照り付けている。
 くらりと心を揺らした景色の中に、一瞬、みんなで囲んだ中庭の風景がオーバーラップした。

 幻の中の私があんまり楽しそうで、私はいやおうなく微笑んでしまう。
 ふふ、変なの。昨日はあんなに沈んだ気分だったのに。

 もしかして、この世界は一度、終わったのかしら。
 そうじゃなきゃ、私が一度死んで生き返ったとか?

 まるで空がくずれおちてきたみたいな、不思議な気分。
 だけど――そう、悪くない。
 何もかも、ここから始まるのだから。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(22件)

葛城騰成
2022.06.25 葛城騰成

最終話まで読みました。
勇気を出すことや、固定概念から脱却すること、それらの大切さが描かれていたように思えます。変わろうと踏み出した彼女たちの未来が明るいことを願っています。

狼子 由
2022.06.25 狼子 由

最後までありがとうございました。
楽しんでいただけたなら嬉しいです。

解除
葛城騰成
2022.06.22 葛城騰成

第五章読み終わりました。
三人が仲良くなっていく物語、面白いですね。
ただ、お父さんのことが気になりますね。

狼子 由
2022.06.22 狼子 由

ありがとうございます。
うまく片付くといいですねえ。

解除
葛城騰成
2022.06.18 葛城騰成

図書室で出会った楠原くん。
彼と関わることで、自分の他人への関心の薄さを知る。打開策ができた訳じゃない。でも、一歩前進しましたね。

狼子 由
2022.06.18 狼子 由

ありがとうございます。
頑張れるといいですよね。

解除

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

野良インコと元飼主~山で高校生活送ります~

浅葱
ライト文芸
小学生の頃、不注意で逃がしてしまったオカメインコと山の中の高校で再会した少年。 男子高校生たちと生き物たちのわちゃわちゃ青春物語、ここに開幕! オカメインコはおとなしく臆病だと言われているのに、再会したピー太は目つきも鋭く凶暴になっていた。 学校側に乞われて男子校の治安維持部隊をしているピー太。 ピー太、お前はいったいこの学校で何をやってるわけ? 頭がよすぎるのとサバイバル生活ですっかり強くなったオカメインコと、 なかなか背が伸びなくてちっちゃいとからかわれる高校生男子が織りなす物語です。 周りもなかなか個性的ですが、主人公以外にはBLっぽい内容もありますのでご注意ください。(主人公はBLになりません) ハッピーエンドです。R15は保険です。 表紙の写真は写真ACさんからお借りしました。

瞬間、青く燃ゆ

葛城騰成
ライト文芸
 ストーカーに刺殺され、最愛の彼女である相場夏南(あいばかなん)を失った春野律(はるのりつ)は、彼女の死を境に、他人の感情が顔の周りに色となって見える病、色視症(しきししょう)を患ってしまう。  時が経ち、夏南の一周忌を二ヶ月後に控えた4月がやって来た。高校三年生に進級した春野の元に、一年生である市川麻友(いちかわまゆ)が訪ねてきた。色視症により、他人の顔が見えないことを悩んでいた春野は、市川の顔が見えることに衝撃を受ける。    どうして? どうして彼女だけ見えるんだ?  狼狽する春野に畳み掛けるように、市川がストーカーの被害に遭っていることを告げる。 春野は、夏南を守れなかったという罪の意識と、市川の顔が見える理由を知りたいという思いから、彼女と関わることを決意する。  やがて、ストーカーの顔色が黒へと至った時、全ての真実が顔を覗かせる。 第5回ライト文芸大賞 青春賞 受賞作

チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!

芽狐
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️ ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。  嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる! 転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。 新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか?? 更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!

人生負け組のスローライフ

雪那 由多
青春
バアちゃんが体調を悪くした! 俺は長男だからバアちゃんの面倒みなくては!! ある日オヤジの叫びと共に突如引越しが決まって隣の家まで車で十分以上、ライフラインはあれどメインは湧水、ぼっとん便所に鍵のない家。 じゃあバアちゃんを頼むなと言って一人単身赴任で東京に帰るオヤジと新しいパート見つけたから実家から通うけど高校受験をすててまで来た俺に高校生なら一人でも大丈夫よね?と言って育児拒否をするオフクロ。  ほぼ病院生活となったバアちゃんが他界してから築百年以上の古民家で一人引きこもる俺の日常。 ―――――――――――――――――――――― 第12回ドリーム小説大賞 読者賞を頂きました! 皆様の応援ありがとうございます! ――――――――――――――――――――――

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。