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第九章 昨日とはちがう明日へ
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病院の駐車場に車を入れたところで、お父さんは深いため息をついた。
「私はここで待っている。母さんの――おばあちゃんの顔を見ると、どうしても言い合いになってしまうから。病み上がりで興奮させるのもまずいだろう」
今までの二人の関係からすると、おばあちゃんの方はさして興奮しないんじゃないかな。
けど、別にそれを口に出す必要性はないから、まあいいか。
私は慌てて車を降りた。
病棟へ向かって走りながら――ふと思い出して、くるりと踵を返す。
停車した車に向かって、軽く頭を下げる。
ぴこん、とヘッドライトが一度だけ点滅したのが見えた。
病棟に入り、受付で入館証を貰う。
首にかけながら、おばあちゃんの病室に向かってエレベーターを上がっていく。
二階……三階……四階……待ちきれずに足踏みしていると、ぽーん、と音がしてエレベーターが止まった。
開いた扉の隙間から駆けだしかけて、ここが病院だということを思い出し、何とか早足に切り替える。
おばあちゃんの病室を見付け、勢いよく飛び込もうとしたところで、ちょうど出て来たお母さんとぶつかりそうになった。
「ちょっと、遥花! 危ないじゃない」
「ご、ごめんなさい……それよりおばあちゃんは!?」
「一度目を覚ましてから、ちょうど今はまた眠っているところよ。だけど、酸素マスクも取れたし、お医者さんはこの様子なら心配ないって」
「良かった……」
ほっと息をつくと、膝から力が抜けてそのままへたり込みそうだった。
扉に手を突いて、なんとか身体を支える。
お母さんは頷いて、私の肩を叩いてくれた。
「もう大丈夫だから。それより、あなたが来てるってことは、お父さんも来てるわね?」
「うん。おばあちゃんと会うと喧嘩になるから、車で待ってるって」
「あの人ったら本当に……お母さん、ちょっと話してくるけど、あなたどうする?」
「もうすぐ面会時間終わりだよね? おばあちゃんの顔見てから、帰る」
「分かったわ。じゃあ、駐車場で落ち合いましょう」
手を振ってお母さんと別れ、私は病室に足を踏み込んだ。
真っ白な何もない部屋に、おばあちゃんがじっと横たわっていた。
酸素マスクがないからか、その表情は前に見たときよりもずっと安らかに見える。頬にもいくぶんか血の気が戻ったようだ。
じっと見ている内に、その唇が、不意に動いた。
「……来たわね、遥花」
「起きてたの?」
「あんたたちの話声でね」
ゆっくりと開いた瞼が、微笑みの形に細められる。
「どうも下手打っちゃったわね、心配したでしょ、遥花」
「したよ……もう一生分した。二度とこんなことないようにしてね」
言いながら、胸の中では、そんなことは不可能だって声が響いていた。
だって、私は知っている。
おばあちゃんは、この二年後の春、脳卒中で今度こそ帰らぬ人になるのだと。
未来を隠して、私はおばあちゃんの手を握った。
「ずっと元気でいて。おばあちゃんだって、もっと色んな映画、見たいでしょう?」
「そうねぇ。まあ、今回は何とか乗り切ったけど、あんたはもう分かってるでしょ。あたしの寿命なんてそう長くはないって」
「そんなこと言わないで――」
「大丈夫よ、二度は立ち会わせないから。あんたとはもう、一度さよならしたもんね」
いたずらっぽい表情で、おばあちゃんが囁いた。
驚きで、言葉が喉に詰まる。
私が口をぱくぱくさせているのを見て、おばあちゃんは掠れた声で笑っている。
「そんな、餌をねだる鯉みたいな顔はやめなさい。おばあちゃんみたいないい女になれないわよ」
「だ、だ……だって、おばあちゃん……」
「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』って、おぼえてるかい?」
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』――未来からタイムマシンで過去に戻った高校生が、危険をかいくぐって無事元の未来に戻るまでの映画だ。
つまり――私も未来に戻れる、ということをおばあちゃんは言いたいのだろうか?
ううん。その前に、おばあちゃんは私が未来から来たということを知ってる――?
「お、おばあちゃん……それって、もしかして」
「つまりね、あんたをこの時代に呼んだのは、あたしの差し金ってことだよ」
にんまりと笑う顔はいつものおばあちゃんだ。
いつもよりちょっと頬がこけていても。
その腕にまだ、点滴が刺さっていても。
明るくて、ちょっと皮肉っぽい。
その表情がもう懐かしくて、それだけで少し泣きそうになった。
「……本当に、私を過去に戻したのはおばあちゃんなの?」
「ああ、それはちょっと語弊があるねぇ。差し金ってことはつまりね、こうしてほしいと頼んだのはあたし。実際に実行したのは、あの子の力さ」
「あの子?」
「ほら、今入ってきただろう? あの子だよ」
おばあちゃんの指さす先、病室の入り口に立っているのは、楠原くんだった。
「私はここで待っている。母さんの――おばあちゃんの顔を見ると、どうしても言い合いになってしまうから。病み上がりで興奮させるのもまずいだろう」
今までの二人の関係からすると、おばあちゃんの方はさして興奮しないんじゃないかな。
けど、別にそれを口に出す必要性はないから、まあいいか。
私は慌てて車を降りた。
病棟へ向かって走りながら――ふと思い出して、くるりと踵を返す。
停車した車に向かって、軽く頭を下げる。
ぴこん、とヘッドライトが一度だけ点滅したのが見えた。
病棟に入り、受付で入館証を貰う。
首にかけながら、おばあちゃんの病室に向かってエレベーターを上がっていく。
二階……三階……四階……待ちきれずに足踏みしていると、ぽーん、と音がしてエレベーターが止まった。
開いた扉の隙間から駆けだしかけて、ここが病院だということを思い出し、何とか早足に切り替える。
おばあちゃんの病室を見付け、勢いよく飛び込もうとしたところで、ちょうど出て来たお母さんとぶつかりそうになった。
「ちょっと、遥花! 危ないじゃない」
「ご、ごめんなさい……それよりおばあちゃんは!?」
「一度目を覚ましてから、ちょうど今はまた眠っているところよ。だけど、酸素マスクも取れたし、お医者さんはこの様子なら心配ないって」
「良かった……」
ほっと息をつくと、膝から力が抜けてそのままへたり込みそうだった。
扉に手を突いて、なんとか身体を支える。
お母さんは頷いて、私の肩を叩いてくれた。
「もう大丈夫だから。それより、あなたが来てるってことは、お父さんも来てるわね?」
「うん。おばあちゃんと会うと喧嘩になるから、車で待ってるって」
「あの人ったら本当に……お母さん、ちょっと話してくるけど、あなたどうする?」
「もうすぐ面会時間終わりだよね? おばあちゃんの顔見てから、帰る」
「分かったわ。じゃあ、駐車場で落ち合いましょう」
手を振ってお母さんと別れ、私は病室に足を踏み込んだ。
真っ白な何もない部屋に、おばあちゃんがじっと横たわっていた。
酸素マスクがないからか、その表情は前に見たときよりもずっと安らかに見える。頬にもいくぶんか血の気が戻ったようだ。
じっと見ている内に、その唇が、不意に動いた。
「……来たわね、遥花」
「起きてたの?」
「あんたたちの話声でね」
ゆっくりと開いた瞼が、微笑みの形に細められる。
「どうも下手打っちゃったわね、心配したでしょ、遥花」
「したよ……もう一生分した。二度とこんなことないようにしてね」
言いながら、胸の中では、そんなことは不可能だって声が響いていた。
だって、私は知っている。
おばあちゃんは、この二年後の春、脳卒中で今度こそ帰らぬ人になるのだと。
未来を隠して、私はおばあちゃんの手を握った。
「ずっと元気でいて。おばあちゃんだって、もっと色んな映画、見たいでしょう?」
「そうねぇ。まあ、今回は何とか乗り切ったけど、あんたはもう分かってるでしょ。あたしの寿命なんてそう長くはないって」
「そんなこと言わないで――」
「大丈夫よ、二度は立ち会わせないから。あんたとはもう、一度さよならしたもんね」
いたずらっぽい表情で、おばあちゃんが囁いた。
驚きで、言葉が喉に詰まる。
私が口をぱくぱくさせているのを見て、おばあちゃんは掠れた声で笑っている。
「そんな、餌をねだる鯉みたいな顔はやめなさい。おばあちゃんみたいないい女になれないわよ」
「だ、だ……だって、おばあちゃん……」
「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』って、おぼえてるかい?」
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』――未来からタイムマシンで過去に戻った高校生が、危険をかいくぐって無事元の未来に戻るまでの映画だ。
つまり――私も未来に戻れる、ということをおばあちゃんは言いたいのだろうか?
ううん。その前に、おばあちゃんは私が未来から来たということを知ってる――?
「お、おばあちゃん……それって、もしかして」
「つまりね、あんたをこの時代に呼んだのは、あたしの差し金ってことだよ」
にんまりと笑う顔はいつものおばあちゃんだ。
いつもよりちょっと頬がこけていても。
その腕にまだ、点滴が刺さっていても。
明るくて、ちょっと皮肉っぽい。
その表情がもう懐かしくて、それだけで少し泣きそうになった。
「……本当に、私を過去に戻したのはおばあちゃんなの?」
「ああ、それはちょっと語弊があるねぇ。差し金ってことはつまりね、こうしてほしいと頼んだのはあたし。実際に実行したのは、あの子の力さ」
「あの子?」
「ほら、今入ってきただろう? あの子だよ」
おばあちゃんの指さす先、病室の入り口に立っているのは、楠原くんだった。
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