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第七章 今度は、私が

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 ふと、物音が聞こえた気がした。
 目を開けると、既に日は陰っていて、赤々とした夕焼けが窓の向こうで消えかかっているところだった。

 学校で何があったかとか、どうやって帰ってきたのかとか、ぼんやりとしていてうまく思い出せない。
 だけど、こうして自分の部屋のベッドにいるということは、疲れて自分で潜り込んだんだろう。

 窓の外で、コンコン、ともう一度音が鳴った。
 誰かがノックしているような。

 まだ半分夢の中にいるような気持ちで、そっとカーテンを引いた。
 窓ガラス越し、立っていたのは楠原くすはらくんだった。

「えっ……楠原くん?」

 目を擦り、彼の姿が幻じゃないことを確認する。消え……ない。
 慌てて窓に張り付いて、鍵を開けた。
 からからと音を立てて開いた窓の隙間から、夕暮れの冷えた空気が入ってくる。

「変なところからごめん。多分ここだと思ったから」
「ど、どうしてここが……」
「学校の図書室。あそこ、放課後は閉められちゃうようになったけど、昼休みは開けてくれるんだ。返却する本もあるしね。それで、君の図書カードを確認した。今時、住所を書かせる欄があるなんて危なっかしいよね。ほとんどみんな空欄にしちゃうんだけど、君は律義に埋めてたね」
「あっ……」

 言われて思い出した。確かに、手書きの貸出カードに住所を書いておいた気がする。

「あれ、みんなは書かないの?」
「うん。クラスと名前くらいかな。書いちゃだめな訳じゃないけど。住所がわかれば、後はね、一番可愛らしいカーテンの窓がここだったから」

 楠原くんは、脇で揺れているピンクの花柄のカーテンをちらりと見て、くすっと笑った。
 なんだか照れてしまって、私は慌てて首を振った。

「あの、玄関に回って? お茶を淹れるし、えっと……今、みんな病院に行ってて誰もいないけど」
「いや、いいよ。少し話をしに来ただけだから。今、家に一人なら、余計に上がり込んだりできない」
「でも」
「いいから。……君が、気にしてると思ったんだ。黒板とか、机の」
「楠原くんも、見たんだね……」

 楠原くんが頷く。
 私はもう、何も言えなくて下を向いた。
 梨菜に対するいじめのことを知ってれば、楠原くんにももう、どんなことがあったのか見当がついてるはずだ。
 同じ女の子にのけ者にされている。そのことが、こんなに悔しくて恥ずかしいだなんて、初めて知った。

 梨菜は……どんな気持ちだったんだろう。
 なんにも考えずに、へたくそな演技で梨菜を庇おうとした私のこと、どう思ってただろう。
 考え込んだまま窓枠に置いていた手に、そっと楠原くんの大きな手が重なった。

「昨日の放課後、坂詰さかつめさん、俺のところにも来たんだ。君と新関さんには関わるなって。これ以上関わるなら、俺の噂も流すぞって」
「えっ」

 土曜のことも図書室のことも、私と梨菜だけじゃなく、楠原くんのことも知られているとは思っていた。
 だけど、男子にまで真正面から声をかけてるとは思わなかった。
 驚く私の顔を真っすぐに見つめて、楠原くんは爽やかに笑う。

「『やれば』って答えておいたよ」
「そんな……だって、あんな風にあからさまに意地悪されるなんて……」
「落書きなんて消せば落ちる。実際に俺がやったことなら、言いふらされても痛くも痒くもない。やってないことならやってないと言うだけだよ」
「だけど、みんなきっと呆れちゃう。私、苛められるような子なんだって……」

 苛められることは、恥ずかしいし、辛い。
 意地悪自体よりも、そこに悪意があることが。
 悪意を向けられるような、自分であることが。

 楠原くんは、そんな私をじっと見つめていた。

日上ひかみさんは、どうしてそんなにいい子でありたいの?」
「えっ……?」

 胸のどこか深いところに、楠原くんの言葉が刺さった。
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