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第四章 今なら、きみと
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梨菜は私の顔を睨み付けたまま、唇を尖らせる。
「助けに来てくれたんでしょ。わたしがいじめられてるって知ってて」
「えっ……と、それは」
「もう分かってるってば。別に怒ってんじゃないから」
さすがにバレバレだったらしい。
私は、大人しく頷いた。
梨菜が深いため息をつく。
「いつから知ってたのよ」
「……一昨日、から」
「は? 一昨日? つい最近じゃん」
「偶然気付いて……その、それまでは全然知らなかったの」
「ふーん、気付きもしなかったってか。やっぱ優等生さまは違いますわね」
拗ねた口調で、パンの袋を開け始める。
大口でかぶりつくのも、なんだかさっさとこの話を終わらせたいように見えて、私は慌てて自分のお弁当にはしを伸ばした。
梨菜は私の方を見もしない。
黙ってお互いに目の前のご飯を片付ける。
沈黙が続く。
ふと気付く。
この気づまりな空気――これじゃ、職場のときと本当に同じだってことに。
ぎゅっと、はしを握りしめて顔を上げた。
言いたいこと、言おう。
だって、このままじゃ結局ああいう風になるって知ってるんだから。
「――ね、梨菜」
意を決して口を開くと、梨菜は野菜ジュースのストローをくわえたままこちらをじろりと睨んだ。
「何よ?」
「私、『優等生さま』じゃないよ。そういうレッテル貼りみたいなの、やめてほしい」
ずずっ、とジュースを吸い込む音が続く。
凹んだ紙箱を口元から放してから、ふっと笑った。
「……へえ。じゃあさ、わたしと一緒に優等生っぽくないことできる? そうしたら、言うのやめてあげるけど」
「優等生っぽくない、こと……?」
非行、売春、喫煙、飲酒――ありとあらゆる可能性が一瞬、頭を駆け巡る。
駆け巡った想像に心が奪われそうになったとき、はっと気付いた。
からかうような梨菜の目に、どこか祈るような色が混じっていることに。
これは、梨菜の挑戦だ。
今までとは違う関係を築きたいなら、私はこの挑戦に勝つしかない。
だって、やり直したって同じなら、今の私に存在価値なんてないもの。
「――い、いいよ。やる」
声が震えたけど、目だけは絶対に梨菜から逸らさなかった。
私の真剣な顔を見て、梨菜はにやりと唇を歪める。
「上等じゃないの」
片手でぽんと投げたジュースの箱は、音もたてずにゴミ箱に吸い込まれていった。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
ざざーん、と波の打ち寄せる音が聞こえる。
潮の匂い。砂浜は白くて、波はきらきらしていて、太陽の照り返しがひどく眩しい。
梨菜と一緒に、あのまま午後の授業をサボって電車に乗った。
終点で降りたのが、この海だ。
平日の午後だからか、この辺りは観光地じゃないからか、人の姿はほとんどない。
青い空と海は光で区切られて、まるで同じ一つのものみたいだ。
打ち寄せられた流木の破片や海藻の間を、梨菜はざっしゅざっしゅと、足音を立てて先に歩いて行く。
「いやー、いい天気だねぇ」
のんきな声を上げる背中で、長い髪がゆらりゆらりと揺れている。
セーラー襟に乗った髪が、きらきら光る。この光景を、以前どこかで見たような気がして、私は目を擦った。
ううん、それどころじゃない。
ここまで来たら、何だってやってやるんだから。
前を行く梨菜を、じっと睨み付ける。
「そ、それで……優等生っぽくないことって、何なの? 梨菜ができることなら、わた、わた、私だってやれるんだから!」
海――海で優等生じゃないことって何かしら。
やっぱり、タバコ? それとも、お酒?
泳いだ後のビールなんて、きっと絶対美味しいもんね。
……あ、思い出したら飲みたくなってきた。
梨菜の足が、ふと止まった。
そして、くるりと振り返ったとき、その表情は、ひどく真剣だった。
「……試すようなこと言って、悪かったよ」
「えっ」
「午後の体育をサボりたかっただけなんだ。まさか、あんたがついてくるなんて思ってなかった」
梨菜は眩しげに目を細め、靴先で足元のごみを払った。
その場に腰を下ろして、私の方にちょいちょいと手招きする。
梨菜にならって、ローファーで座る分のスペースを作った私は、少しだけ間隔を空けて梨菜の横に座った。
「助けに来てくれたんでしょ。わたしがいじめられてるって知ってて」
「えっ……と、それは」
「もう分かってるってば。別に怒ってんじゃないから」
さすがにバレバレだったらしい。
私は、大人しく頷いた。
梨菜が深いため息をつく。
「いつから知ってたのよ」
「……一昨日、から」
「は? 一昨日? つい最近じゃん」
「偶然気付いて……その、それまでは全然知らなかったの」
「ふーん、気付きもしなかったってか。やっぱ優等生さまは違いますわね」
拗ねた口調で、パンの袋を開け始める。
大口でかぶりつくのも、なんだかさっさとこの話を終わらせたいように見えて、私は慌てて自分のお弁当にはしを伸ばした。
梨菜は私の方を見もしない。
黙ってお互いに目の前のご飯を片付ける。
沈黙が続く。
ふと気付く。
この気づまりな空気――これじゃ、職場のときと本当に同じだってことに。
ぎゅっと、はしを握りしめて顔を上げた。
言いたいこと、言おう。
だって、このままじゃ結局ああいう風になるって知ってるんだから。
「――ね、梨菜」
意を決して口を開くと、梨菜は野菜ジュースのストローをくわえたままこちらをじろりと睨んだ。
「何よ?」
「私、『優等生さま』じゃないよ。そういうレッテル貼りみたいなの、やめてほしい」
ずずっ、とジュースを吸い込む音が続く。
凹んだ紙箱を口元から放してから、ふっと笑った。
「……へえ。じゃあさ、わたしと一緒に優等生っぽくないことできる? そうしたら、言うのやめてあげるけど」
「優等生っぽくない、こと……?」
非行、売春、喫煙、飲酒――ありとあらゆる可能性が一瞬、頭を駆け巡る。
駆け巡った想像に心が奪われそうになったとき、はっと気付いた。
からかうような梨菜の目に、どこか祈るような色が混じっていることに。
これは、梨菜の挑戦だ。
今までとは違う関係を築きたいなら、私はこの挑戦に勝つしかない。
だって、やり直したって同じなら、今の私に存在価値なんてないもの。
「――い、いいよ。やる」
声が震えたけど、目だけは絶対に梨菜から逸らさなかった。
私の真剣な顔を見て、梨菜はにやりと唇を歪める。
「上等じゃないの」
片手でぽんと投げたジュースの箱は、音もたてずにゴミ箱に吸い込まれていった。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
ざざーん、と波の打ち寄せる音が聞こえる。
潮の匂い。砂浜は白くて、波はきらきらしていて、太陽の照り返しがひどく眩しい。
梨菜と一緒に、あのまま午後の授業をサボって電車に乗った。
終点で降りたのが、この海だ。
平日の午後だからか、この辺りは観光地じゃないからか、人の姿はほとんどない。
青い空と海は光で区切られて、まるで同じ一つのものみたいだ。
打ち寄せられた流木の破片や海藻の間を、梨菜はざっしゅざっしゅと、足音を立てて先に歩いて行く。
「いやー、いい天気だねぇ」
のんきな声を上げる背中で、長い髪がゆらりゆらりと揺れている。
セーラー襟に乗った髪が、きらきら光る。この光景を、以前どこかで見たような気がして、私は目を擦った。
ううん、それどころじゃない。
ここまで来たら、何だってやってやるんだから。
前を行く梨菜を、じっと睨み付ける。
「そ、それで……優等生っぽくないことって、何なの? 梨菜ができることなら、わた、わた、私だってやれるんだから!」
海――海で優等生じゃないことって何かしら。
やっぱり、タバコ? それとも、お酒?
泳いだ後のビールなんて、きっと絶対美味しいもんね。
……あ、思い出したら飲みたくなってきた。
梨菜の足が、ふと止まった。
そして、くるりと振り返ったとき、その表情は、ひどく真剣だった。
「……試すようなこと言って、悪かったよ」
「えっ」
「午後の体育をサボりたかっただけなんだ。まさか、あんたがついてくるなんて思ってなかった」
梨菜は眩しげに目を細め、靴先で足元のごみを払った。
その場に腰を下ろして、私の方にちょいちょいと手招きする。
梨菜にならって、ローファーで座る分のスペースを作った私は、少しだけ間隔を空けて梨菜の横に座った。
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