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第二章 その名は魔王
5.おめかしをする
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侍女さんの案内で進む間、彼女の身の上話を聞いたりした。
「元は私、この都市を治める市長の奥さまにお仕えしておりました。ところが、魔王さまがこの街を攻めたときに、逃げ遅れまして。途方に暮れる私を、魔王さまはそのまま侍女として雇ってくださったのです。まあ、侍女と申しましても、女手不足の折ですから目に付くことは何でもやりますが」
「ではあなたは、今は魔王の手下……いやいやいや、ごめんなさい! そんな嫌な言い方をするつもりは!」
慌てて撤回したけど、侍女さんはころころ笑ってうなずいた。
「いいえ、王国の方ならそう思われるのが普通でしょう。それに、そう……魔王さまの手下ですわね。それが一番しっくりきます」
雰囲気が大人だったのでしり込みしてたけど、笑うととっても可愛らしいひとだ。
魔王の侍女と聞くとどきりとしたけれど、元は王国のひとだと聞いて、ほっと胸を撫でおろした。
「もとはリディリア王国の人間ですが、私の故郷はここより更に東方になります。ここより数年前に、既に魔王さまの治める地となっておりました。両親が無事にしていることも分かっておりますので、急いで戻る必要もないかと」
攻め込んできた魔王軍に思うところがあるかもと思っていたけど、話しぶりからは魔王に対する嫌な気持ちは伝わってこない。
どうやら、魔王とはとてもうまくやっているらしい。
「それにしても、その魔王の侍女さんが、わざわざ私の準備をと言うのは、一体どういう……?」
「ナリア様が、侍女をお連れであれば、もちろんその方にお任せいたしましたけれど」
と、ちらりと私の姿を見てから、深い同情のため息をついた。
「高貴なお方が供の者一人も連れず、そのようなお姿に身をやつされるとは……お困りでいらしたのでしょうね」
「はい……え? はい……?」
身をやつしたつもりはないけれど、まあ職を失ってはるばる遠くまで来なきゃいけないって事情だったワケだから、お困りではある。
ただ、高貴なお方ではない。
だから、侍女がいないのは当たり前だ。そのはずだ。
「……んんっ? えっと、私はですね」
「大丈夫です。お腹が空いていらっしゃるでしょうが、少しだけ我慢くださいませ。昼餐会とのことですもの、まさかそのままのお姿なんて乙女心を無視したことはいたしませんとも! まずは身だしなみを整えさせていただきますね」
「あっはい? え、はい……」
何だか良く分からないけど、勢いがコワイので、うなずいてしまう。
見通すようなその目におびえている間に、どうやら目的の部屋に着いた。
「さあ、こちらへ」
侍女さんに促されて扉をくぐり――だけど、そこからが本当の地獄?の始まりだったのだ。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「頑張ってください、食堂までもう少しですから。お疲れなのは存じておりますが、せめてご挨拶くらいはしゃきっとなさいませ」
「……ぅぁい」
だるーく返事をしつつ、ふらつく足を何とか前に運ぶ。
だけど、着慣れない硬いコルセットで締め上げられた胸じゃ、少しずつしか呼吸が出来ない。苦しい。
淡い空色のドレスはものすごくすべすべしていて、午後の日差しを柔らかく反射している。だけど、とにかくドレープやフリルやレースやで使われてる布の量がハンパない。重い。
初めて見るよな踵の高い靴は深い青色で、縫いとられた金のモールが上品に輝いてる。でも痛い。
放りっぱなしだった髪の毛には良い匂いのするねっとりした何かを塗りこまれ、ついでに手足や顔にも塗りこまれ、粉を振りまかれ唇に紅をさされ。
かれこれ数時間かけて整えられた身だしなみとやらに、ただの町娘の私はもう死にそうです。
まるでお姫さまみたいなドレス、最初はすごく嬉しかったけど、そんな気持ちは最初の数分で吹っ飛んだ。
空腹も相まって、だるさと動きにくさで死にそう。
ただお昼ご飯をご馳走になるってつもりで来ただけなのに、ここまでしなきゃいけないような相手が誰か一緒なのだろうか。
そんな気が張る昼餐会だと知っていれば、最初からイェレミアスの誘いを断っていたのに。
今後もう二度と同じような苦しみがないことを祈りつつ、私は足を進めた。
ドレスの裾を踏まないように気をつけながら。
「それにしても、お肌も髪も荒れて……王都よりの旅路で、ずいぶんと苦労をされたのですね」
しみじみと侍女さんに言われて、私も何だかしんみりした気持ちになった。
だけど……え、王都から来た訳じゃないんだけど……?
「さあ、着きましたよ。この扉の向こうに魔王さまがいらっしゃいます。それでは私はここで」
頭に浮かんだ疑問は、すぐに吹っ飛んだ。
え? 待って侍女さん! 私、いきなり魔王と会うの!?
ちょ――それは、だいぶマズイんですけど!
高い踵の上で、何とかバランスを取ってる今の状態では、自由に振り返ることもままならない。あわあわしている内に、扉の脇に立っていた魔族の兵士が、重々しい手つきで扉を開ける。
金縁の扉の向こうは、広い空間だった。真っ直ぐに敷かれた赤い絨毯と、白い長テーブルの奥、一人の少年が真紅のビロード張りの椅子に座っている。
宝玉の散りばめられた金の王冠を斜めに載せた髪は漆黒。その両端から螺旋のように捻れたツノが一本ずつ伸びている。今着ているドレスよりも手触り良さそうな白い肌の中、金の瞳が楽しそうに細められた。
真っ黒の襟の詰まった上衣は金の縁取りで飾りつけられ、長い脚を見せつけるように身体の前で組んで。尻尾と一緒にだらりと垂れたマント1つとっても、私が今朝まで付けてたエプロンが千枚は買えそう。
いや、けど――ちょっと待って。あなた、知ってる顔なんだけど!
椅子の上で足を組み私を見下ろしているのは、さっき会ったばかりの少年兵くんならぬ、イェレミアスその人だった。
「元は私、この都市を治める市長の奥さまにお仕えしておりました。ところが、魔王さまがこの街を攻めたときに、逃げ遅れまして。途方に暮れる私を、魔王さまはそのまま侍女として雇ってくださったのです。まあ、侍女と申しましても、女手不足の折ですから目に付くことは何でもやりますが」
「ではあなたは、今は魔王の手下……いやいやいや、ごめんなさい! そんな嫌な言い方をするつもりは!」
慌てて撤回したけど、侍女さんはころころ笑ってうなずいた。
「いいえ、王国の方ならそう思われるのが普通でしょう。それに、そう……魔王さまの手下ですわね。それが一番しっくりきます」
雰囲気が大人だったのでしり込みしてたけど、笑うととっても可愛らしいひとだ。
魔王の侍女と聞くとどきりとしたけれど、元は王国のひとだと聞いて、ほっと胸を撫でおろした。
「もとはリディリア王国の人間ですが、私の故郷はここより更に東方になります。ここより数年前に、既に魔王さまの治める地となっておりました。両親が無事にしていることも分かっておりますので、急いで戻る必要もないかと」
攻め込んできた魔王軍に思うところがあるかもと思っていたけど、話しぶりからは魔王に対する嫌な気持ちは伝わってこない。
どうやら、魔王とはとてもうまくやっているらしい。
「それにしても、その魔王の侍女さんが、わざわざ私の準備をと言うのは、一体どういう……?」
「ナリア様が、侍女をお連れであれば、もちろんその方にお任せいたしましたけれど」
と、ちらりと私の姿を見てから、深い同情のため息をついた。
「高貴なお方が供の者一人も連れず、そのようなお姿に身をやつされるとは……お困りでいらしたのでしょうね」
「はい……え? はい……?」
身をやつしたつもりはないけれど、まあ職を失ってはるばる遠くまで来なきゃいけないって事情だったワケだから、お困りではある。
ただ、高貴なお方ではない。
だから、侍女がいないのは当たり前だ。そのはずだ。
「……んんっ? えっと、私はですね」
「大丈夫です。お腹が空いていらっしゃるでしょうが、少しだけ我慢くださいませ。昼餐会とのことですもの、まさかそのままのお姿なんて乙女心を無視したことはいたしませんとも! まずは身だしなみを整えさせていただきますね」
「あっはい? え、はい……」
何だか良く分からないけど、勢いがコワイので、うなずいてしまう。
見通すようなその目におびえている間に、どうやら目的の部屋に着いた。
「さあ、こちらへ」
侍女さんに促されて扉をくぐり――だけど、そこからが本当の地獄?の始まりだったのだ。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「頑張ってください、食堂までもう少しですから。お疲れなのは存じておりますが、せめてご挨拶くらいはしゃきっとなさいませ」
「……ぅぁい」
だるーく返事をしつつ、ふらつく足を何とか前に運ぶ。
だけど、着慣れない硬いコルセットで締め上げられた胸じゃ、少しずつしか呼吸が出来ない。苦しい。
淡い空色のドレスはものすごくすべすべしていて、午後の日差しを柔らかく反射している。だけど、とにかくドレープやフリルやレースやで使われてる布の量がハンパない。重い。
初めて見るよな踵の高い靴は深い青色で、縫いとられた金のモールが上品に輝いてる。でも痛い。
放りっぱなしだった髪の毛には良い匂いのするねっとりした何かを塗りこまれ、ついでに手足や顔にも塗りこまれ、粉を振りまかれ唇に紅をさされ。
かれこれ数時間かけて整えられた身だしなみとやらに、ただの町娘の私はもう死にそうです。
まるでお姫さまみたいなドレス、最初はすごく嬉しかったけど、そんな気持ちは最初の数分で吹っ飛んだ。
空腹も相まって、だるさと動きにくさで死にそう。
ただお昼ご飯をご馳走になるってつもりで来ただけなのに、ここまでしなきゃいけないような相手が誰か一緒なのだろうか。
そんな気が張る昼餐会だと知っていれば、最初からイェレミアスの誘いを断っていたのに。
今後もう二度と同じような苦しみがないことを祈りつつ、私は足を進めた。
ドレスの裾を踏まないように気をつけながら。
「それにしても、お肌も髪も荒れて……王都よりの旅路で、ずいぶんと苦労をされたのですね」
しみじみと侍女さんに言われて、私も何だかしんみりした気持ちになった。
だけど……え、王都から来た訳じゃないんだけど……?
「さあ、着きましたよ。この扉の向こうに魔王さまがいらっしゃいます。それでは私はここで」
頭に浮かんだ疑問は、すぐに吹っ飛んだ。
え? 待って侍女さん! 私、いきなり魔王と会うの!?
ちょ――それは、だいぶマズイんですけど!
高い踵の上で、何とかバランスを取ってる今の状態では、自由に振り返ることもままならない。あわあわしている内に、扉の脇に立っていた魔族の兵士が、重々しい手つきで扉を開ける。
金縁の扉の向こうは、広い空間だった。真っ直ぐに敷かれた赤い絨毯と、白い長テーブルの奥、一人の少年が真紅のビロード張りの椅子に座っている。
宝玉の散りばめられた金の王冠を斜めに載せた髪は漆黒。その両端から螺旋のように捻れたツノが一本ずつ伸びている。今着ているドレスよりも手触り良さそうな白い肌の中、金の瞳が楽しそうに細められた。
真っ黒の襟の詰まった上衣は金の縁取りで飾りつけられ、長い脚を見せつけるように身体の前で組んで。尻尾と一緒にだらりと垂れたマント1つとっても、私が今朝まで付けてたエプロンが千枚は買えそう。
いや、けど――ちょっと待って。あなた、知ってる顔なんだけど!
椅子の上で足を組み私を見下ろしているのは、さっき会ったばかりの少年兵くんならぬ、イェレミアスその人だった。
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