37 / 39
第五章 あなたと家族と明日のこと
5.対決(下)
しおりを挟む
「母さん! なんてことを……」
「…………」
紙切れになった友人の手紙を、多比良社長は茫然と眺めるだけだった。
夫人はちらりとそちらを見たが、すぐに流に向き直る。
「流、あなたはパパのようになってはダメよ。家族より会社をとるとか、家族を捨てて他の女と浮気をするとか」
「美咲……それは今は、関係ないだろう」
「あなたは黙っていて」
「そうだぞ、統久くん。男らしくない」
専務が横から夫人に援護射撃をくわえている。
もどかしく見ている直の前で、しかし、多比良社長は大人しく口を閉じてしまった。
「――なんでそこで黙っちゃうんだ、父さん! 母さんばっかじゃない、あんたのそれだって無責任なんだよ!」
いつもの低い声に苛立ちを響かせて、流が声を張り上げる。
攻撃的で父親をよそ者と軽んじる母親、それに唯々諾々と従うだけの父親。
流にとってはどちらも我慢のならないものだったのだろう。
誰の意見に頷べきか、きょろきょろ迷う優佑の背を、後ろから瀬央が軽く叩いた。
「痛ぇな、なんだよ?」
「佐志波は、今この場所の力関係がわからないから迷ってるんだろう」
「いや、いちばん強そうなのは奥さんかなって……」
「そう思うならさっさと向こうについてもいいですよーだ」
「なっ……さすがにそんな手のひら返しはせんわ! だけど、強そうな相手に一回迎合しておいて、そこから切り崩してくのは話術の基本だろうが」
「そんな基本、僕は考えたこともないけどね」
苦笑した瀬央は、睨み合う多比良の一族を眺めつつ、小声で囁いた。
「見た目とはちょっと違う力関係もあるよ。この会社は一応株式会社だから、株を発行してる。上場してないから部外者が売り買いすることはできないけど」
「えっ、株ですか……?」
「一族で持ってんのか」
優佑はじろりと瀬央を睨みつける。
「もしかして、お前も持ってたりしないだろうな?」
「しないよ、僕は部外者と同じ扱い。ただし、誰がどれだけ持ってるのかは知ってる」
「やっぱり、奥様がいちばん多いんですか?」
「うん。美咲夫人が三割、専務が一割。あとは、社長が二割、流が一割。ほら、対立しても四対三で流の方が不利だ。だから、強く言い出せない」
「おー、そう考えると単純だな」
「ん、でも、この場の全員で七割だとすると、残り三割はどこにあるんですか?」
「いい質問だ。残りは親族関係がバラけて持っててね」
「ああ、配当金狙いか。経営には参加してない層だな」
「そうだよ。だけど……」
一瞬、こちらを振り返った流と、瀬央の視線が確かに合った。
二人は目くばせのうちになにかを決めて――そして、瀬央は直に向かって微笑んだ。
「けど、取りまとめることはできる」
「えっ」
「ちょっと待って」
内ポケットからスマホを取り出し、瀬央は誰かに電話をかけながら、流たちの方へと歩きだした。
「あ、ご無沙汰しております。ええ……ええ、はい。ええ、そうです。以前お願いした件……」
にこやかな受け答えの声だけが聞こえてくる。
通話相手の声は微かにしか聞こえない。わかることは少ない。たぶん、直の知らない相手だろうということくらいだろうか。
談笑しながら近づいてくる瀬央に気付いて、美咲夫人が顔を上げた。
「ちょっと、うるさいわよ。仁誉さん……聞いてるの?」
「いえ、どうやらはっきり通達した方がよいものかと思いまして。ええ、悟流曾お爺さま」
「――待ちなさい、お爺さまですって!?」
血相を変えた美咲夫人に、瀬央は黙ってスマホの画面を差し出した。
「どうぞ、美咲夫人。曾お爺さまは直接お話したいそうです」
『……美咲。仁誉と流から聞いたぞ。余計な口出しをしておるらしいな。経営などわかりもせんくせに』
威厳のある老人の声が、スマホから聞こえてくる。
低い声は、確かに流に似ている。
腹違いの兄弟である瀬央が曾お爺さまと呼ぶからには、流にとっても同じ曾祖父――つまり、美咲夫人からは祖父にあたるひとということか。
「どういうことですか、お爺さま! 本家の息子である流はまだしも、仁誉さんは私の――いいえ、多比良の子ですらありませんのよ! それなのに、なぜ連絡先を知って……」
『そんなことはどうでもよい』
ぴしゃりと言葉を遮って、しわがれて落ち着いた声は自分の言葉を続けた。
『わしらは配当金が高くなればそれでいい。統久くんがそうしてくれるというから任せて黙っておった。それが、なんじゃ。統久くんのやることを、おまえが邪魔しとると。最初は信じておらんかったが、仁誉と流は、証拠まで送ってきおったぞ』
「……流!」
「自業自得でしょ。俺は何回も止めたんだよ、あんたを」
美咲夫人の慌てた声を、流は吐き捨てるように跳ねのけた。
びくりと美咲夫人の肩が揺れる。
その表情も見えないであろう電話の向こうの相手は、冷ややかに言い放った。
『おまえは小さい頃からそうじゃ。自分のことばかり言いおって、他人がどうなっても気にもせん。冷たい女じゃ。おまえがそんなだから統久くんが浮気したりするのだ』
「――ちょっと待ってください!」
思わず口を挟んで、直は、それからはっとした。
その場の全員が直を見ている。
不可解な闖入者の存在に場に沈黙が落ちている。
その真ん中を、直は美咲夫人に――いや、スマホに向かって歩み寄った。
「経営もわからんクセに口出ししてくる部外者と、無関係のクセに家族のことに物申す遠い親戚と、なにが違うって言うんですか!」
「煙咲……いんだよ、母さんなんて庇わなくても。あんた、自分が散々困らされてきてるだろう」
流の言葉は冷ややかで、母親に対する思いやりというものを忘れきっているようだった。
美咲夫人が、絶望の目で流を見る。
だが、流は彼女と目すら合わせない。
直はそんな流と美咲夫人を交互に見て、そして再びスマホに向き直った。
「私のは、誰かを庇うとかじゃないです。言うだけのことは自分もやるべきってだけ。できないひとが口を出すから、ややこしいことになるんです」
仕事のもろもろとプライベートのもろもろが、直の中で一気に爆発した。
仕事と私情はわけろって言っておいて、自分がわけられてないとか。
恋人作れ結婚しろとか言っておいて、自分はシングルマザーだとか。
だから。
「だから――そこのところは曲げたくない。それと、これは人道的な話ですけど。親戚とか家族とか……お互いの足を引っ張り合う存在じゃないと思います」
多比良の一族は皆、瀬央までもが胸を突かれたように顔色を変えた。
言うだけ言うと、直はぺこりと頭を下げる。
「すみません、それだけです。失礼しました」
社長室を出た直は、小走りで廊下を駆けていく。
その後ろを、ついてくる足音が一つだけあった。
「…………」
紙切れになった友人の手紙を、多比良社長は茫然と眺めるだけだった。
夫人はちらりとそちらを見たが、すぐに流に向き直る。
「流、あなたはパパのようになってはダメよ。家族より会社をとるとか、家族を捨てて他の女と浮気をするとか」
「美咲……それは今は、関係ないだろう」
「あなたは黙っていて」
「そうだぞ、統久くん。男らしくない」
専務が横から夫人に援護射撃をくわえている。
もどかしく見ている直の前で、しかし、多比良社長は大人しく口を閉じてしまった。
「――なんでそこで黙っちゃうんだ、父さん! 母さんばっかじゃない、あんたのそれだって無責任なんだよ!」
いつもの低い声に苛立ちを響かせて、流が声を張り上げる。
攻撃的で父親をよそ者と軽んじる母親、それに唯々諾々と従うだけの父親。
流にとってはどちらも我慢のならないものだったのだろう。
誰の意見に頷べきか、きょろきょろ迷う優佑の背を、後ろから瀬央が軽く叩いた。
「痛ぇな、なんだよ?」
「佐志波は、今この場所の力関係がわからないから迷ってるんだろう」
「いや、いちばん強そうなのは奥さんかなって……」
「そう思うならさっさと向こうについてもいいですよーだ」
「なっ……さすがにそんな手のひら返しはせんわ! だけど、強そうな相手に一回迎合しておいて、そこから切り崩してくのは話術の基本だろうが」
「そんな基本、僕は考えたこともないけどね」
苦笑した瀬央は、睨み合う多比良の一族を眺めつつ、小声で囁いた。
「見た目とはちょっと違う力関係もあるよ。この会社は一応株式会社だから、株を発行してる。上場してないから部外者が売り買いすることはできないけど」
「えっ、株ですか……?」
「一族で持ってんのか」
優佑はじろりと瀬央を睨みつける。
「もしかして、お前も持ってたりしないだろうな?」
「しないよ、僕は部外者と同じ扱い。ただし、誰がどれだけ持ってるのかは知ってる」
「やっぱり、奥様がいちばん多いんですか?」
「うん。美咲夫人が三割、専務が一割。あとは、社長が二割、流が一割。ほら、対立しても四対三で流の方が不利だ。だから、強く言い出せない」
「おー、そう考えると単純だな」
「ん、でも、この場の全員で七割だとすると、残り三割はどこにあるんですか?」
「いい質問だ。残りは親族関係がバラけて持っててね」
「ああ、配当金狙いか。経営には参加してない層だな」
「そうだよ。だけど……」
一瞬、こちらを振り返った流と、瀬央の視線が確かに合った。
二人は目くばせのうちになにかを決めて――そして、瀬央は直に向かって微笑んだ。
「けど、取りまとめることはできる」
「えっ」
「ちょっと待って」
内ポケットからスマホを取り出し、瀬央は誰かに電話をかけながら、流たちの方へと歩きだした。
「あ、ご無沙汰しております。ええ……ええ、はい。ええ、そうです。以前お願いした件……」
にこやかな受け答えの声だけが聞こえてくる。
通話相手の声は微かにしか聞こえない。わかることは少ない。たぶん、直の知らない相手だろうということくらいだろうか。
談笑しながら近づいてくる瀬央に気付いて、美咲夫人が顔を上げた。
「ちょっと、うるさいわよ。仁誉さん……聞いてるの?」
「いえ、どうやらはっきり通達した方がよいものかと思いまして。ええ、悟流曾お爺さま」
「――待ちなさい、お爺さまですって!?」
血相を変えた美咲夫人に、瀬央は黙ってスマホの画面を差し出した。
「どうぞ、美咲夫人。曾お爺さまは直接お話したいそうです」
『……美咲。仁誉と流から聞いたぞ。余計な口出しをしておるらしいな。経営などわかりもせんくせに』
威厳のある老人の声が、スマホから聞こえてくる。
低い声は、確かに流に似ている。
腹違いの兄弟である瀬央が曾お爺さまと呼ぶからには、流にとっても同じ曾祖父――つまり、美咲夫人からは祖父にあたるひとということか。
「どういうことですか、お爺さま! 本家の息子である流はまだしも、仁誉さんは私の――いいえ、多比良の子ですらありませんのよ! それなのに、なぜ連絡先を知って……」
『そんなことはどうでもよい』
ぴしゃりと言葉を遮って、しわがれて落ち着いた声は自分の言葉を続けた。
『わしらは配当金が高くなればそれでいい。統久くんがそうしてくれるというから任せて黙っておった。それが、なんじゃ。統久くんのやることを、おまえが邪魔しとると。最初は信じておらんかったが、仁誉と流は、証拠まで送ってきおったぞ』
「……流!」
「自業自得でしょ。俺は何回も止めたんだよ、あんたを」
美咲夫人の慌てた声を、流は吐き捨てるように跳ねのけた。
びくりと美咲夫人の肩が揺れる。
その表情も見えないであろう電話の向こうの相手は、冷ややかに言い放った。
『おまえは小さい頃からそうじゃ。自分のことばかり言いおって、他人がどうなっても気にもせん。冷たい女じゃ。おまえがそんなだから統久くんが浮気したりするのだ』
「――ちょっと待ってください!」
思わず口を挟んで、直は、それからはっとした。
その場の全員が直を見ている。
不可解な闖入者の存在に場に沈黙が落ちている。
その真ん中を、直は美咲夫人に――いや、スマホに向かって歩み寄った。
「経営もわからんクセに口出ししてくる部外者と、無関係のクセに家族のことに物申す遠い親戚と、なにが違うって言うんですか!」
「煙咲……いんだよ、母さんなんて庇わなくても。あんた、自分が散々困らされてきてるだろう」
流の言葉は冷ややかで、母親に対する思いやりというものを忘れきっているようだった。
美咲夫人が、絶望の目で流を見る。
だが、流は彼女と目すら合わせない。
直はそんな流と美咲夫人を交互に見て、そして再びスマホに向き直った。
「私のは、誰かを庇うとかじゃないです。言うだけのことは自分もやるべきってだけ。できないひとが口を出すから、ややこしいことになるんです」
仕事のもろもろとプライベートのもろもろが、直の中で一気に爆発した。
仕事と私情はわけろって言っておいて、自分がわけられてないとか。
恋人作れ結婚しろとか言っておいて、自分はシングルマザーだとか。
だから。
「だから――そこのところは曲げたくない。それと、これは人道的な話ですけど。親戚とか家族とか……お互いの足を引っ張り合う存在じゃないと思います」
多比良の一族は皆、瀬央までもが胸を突かれたように顔色を変えた。
言うだけ言うと、直はぺこりと頭を下げる。
「すみません、それだけです。失礼しました」
社長室を出た直は、小走りで廊下を駆けていく。
その後ろを、ついてくる足音が一つだけあった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる