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第五章 あなたと家族と明日のこと
4.対決(上)
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翌朝、直はこっそりと多比良オフィスレンタルサービス株式会社の敷地に入り込んだ。
手引きしたのは瀬央、そして守衛のおじさんをごまかすための囮役をかってでたのは意外なことに優佑だった。
優佑が、蜂の巣ができて怖いだの街燈が切れていて危ないだの、守衛さんに話しかけているうちに、直と流がこっそり裏門を通過する。
そうして忍び込んだ先、向かったのは、社長室だった。
瀬央が三人を代表して、扉をノックする。
「なんだね」
中から男の声が応えた。
社長――流の父親である多比良統久の声だ。
後ろから、守衛さんを宥めて優佑が追いついてくる。
瀬央はそれを待ってから、扉を開けた。
「……瀬央くん、と……」
「――流!? どうしてまたここにいるの!」
「佐志波くんじゃないか! なぜ君まで一緒に」
社長室にいたのは、社長一人ではない。
社長夫人である美咲と、立ち上がった専務が、一斉に扉の方へ向き直った。
二人の間に挟まれて、眼鏡をかけた痩躯の男が座っている。
小柄な身体は、椅子の背もたれの立派さに負けそうなくらいにも見える。
よく言えば穏やか、悪く言えば闘争心に欠けると表現できるだろう。
なぜあの人が浮気なんて、と言われるタイプの人物だ。
三人の視線を浴びた直たちは、誰も怯えなかった。
最初からこれを見計らってきたからだ。
「社長にご相談したいことがあります」
優佑が最初に室内に入り込み、手にしていた封筒を差し出した。
「これは?」
「ご友人からの手紙です」
「あいつか……」
封筒の裏を見た社長が、微かに頬を緩めた。
先日お願いして書いて貰ったものだが、やはり多比良社長にとっては気安い相手らしい。
だが、素直に中を開こうとした手を、横から美咲夫人が止めた。
「あなた。ご友人とのやり取りなんて、後になさって。今はどうして部外者がここにいるのかを確認する方が大事でしょう」
「そうだぞ、瀬央くん。流くんはまだいいとしても、そこの女性は明らかに部外者だ。先日正式に退職したのだから」
二人が直を睨みつける。
向けられた敵意と悪意に、直はじりりと後ろに下がりかけ――ぎりぎりで踏みとどまった。
退職した直を別にすれば、他の三人は今の体制でもなんとかやっていけなくもない。
むしろ今回直と行動を共にしたことで、下手をすれば自分たちも退職に追い込まれる可能性すらある。
そこをおして、直のために集まってくれたのだ。
直が下がる訳にはいかない。
もちろん流などは、「いや、これは俺自身のためだから」と言っていた。
自分の両親と未来にかかわることだから、と。
それも嘘ではないのだろうが、やはり直のことを考えて、今このときに合わせてくれたのも事実だろう。
直は夫人と専務の視線を跳ね返すように、足を進めた。
「私――部外者じゃありません」
「煙咲さんは今も当社の社員ですよ。非正規ですけど」
「非正規……?」
美咲夫人が怪訝な顔をする。
直に視線が向いている隙に、優佑が封筒から取り出した手紙を多比良社長に差し出した。
「ああ……なるほどね。そこの煙咲さんを元の部署に戻せと……」
苦笑する多比良社長から、美咲夫人が手紙を取り上げた。
「あなた? 私たちの多比良をなんだと思っているの? そんな、いくら取引相手だからって、昔のお友だちの言うことを私の言うことより優先するつもりじゃないでしょうね」
「そうは言うがね、彼は今じゃこの会社より大きな会社の社長だよ。彼との取引の影響は強い」
「多比良より大事なものなんてありません! 取引先なんていくらでもあるわ、探せばいいのよ」
美咲夫人の言葉に、多比良社長は微かに顔をしかめる。
だが、反論を口にする前に、専務が社長の肩を叩いた。
「多比良より大事なものはないよ。そうだろう? 先代の傍で我々がずっと守ってきたものを、後から入って来た君が踏みつけにするのは許されじゃないか」
「そうよ、叔父様の言う通りだわ」
斜め後ろから、瀬央がこっそりと直に耳打ちした。
「専務も、多比良の一族だ」
「え、専務は苗字が違うのでは」
「外に婿に出ているから。先代社長の弟にあたる」
「そういう関係なんですか……えっ、じゃあその人の娘との結婚話って、瀬央さん」
「まあ、血縁間の結婚になるね。伯従母だから、法的にはなんの問題もないんだけど」
「法的には?」
「心理的には、『今更になって僕を一族に受け入れようなんて言われても、これっぽっちもありがたくないですね』って感じかな」
抑えた声ではあるが、過激なことを言っている。
思わず直が周囲をきょろきょろと見まわしたとき、流が専務の方へと近寄った。
「大叔父。取引先なんてどうでもいいっていうのは、さすがに言いすぎです」
「わしじゃない。言ったのはお前の母様だ」
「いいえ。あなたも、多比良より大事なものはないと言いました」
「…………」
悔しげに顔をゆがめる様子からするに、専務もまた、流を心の底から認めている様子ではない。
「流、失礼よ、叔父様に向かって」
「母さんもそうだ。あんたら、本当に会社経営ってもの考えてるのか? 単に自分のテリトリーを守りたいだけじゃないか」
吐き捨てた言葉は、しかし美咲夫人の心を動かした様子はなかった。
その整えられた爪先が、多比良社長から取り上げた手紙を、音を立てて引き裂いた。
手引きしたのは瀬央、そして守衛のおじさんをごまかすための囮役をかってでたのは意外なことに優佑だった。
優佑が、蜂の巣ができて怖いだの街燈が切れていて危ないだの、守衛さんに話しかけているうちに、直と流がこっそり裏門を通過する。
そうして忍び込んだ先、向かったのは、社長室だった。
瀬央が三人を代表して、扉をノックする。
「なんだね」
中から男の声が応えた。
社長――流の父親である多比良統久の声だ。
後ろから、守衛さんを宥めて優佑が追いついてくる。
瀬央はそれを待ってから、扉を開けた。
「……瀬央くん、と……」
「――流!? どうしてまたここにいるの!」
「佐志波くんじゃないか! なぜ君まで一緒に」
社長室にいたのは、社長一人ではない。
社長夫人である美咲と、立ち上がった専務が、一斉に扉の方へ向き直った。
二人の間に挟まれて、眼鏡をかけた痩躯の男が座っている。
小柄な身体は、椅子の背もたれの立派さに負けそうなくらいにも見える。
よく言えば穏やか、悪く言えば闘争心に欠けると表現できるだろう。
なぜあの人が浮気なんて、と言われるタイプの人物だ。
三人の視線を浴びた直たちは、誰も怯えなかった。
最初からこれを見計らってきたからだ。
「社長にご相談したいことがあります」
優佑が最初に室内に入り込み、手にしていた封筒を差し出した。
「これは?」
「ご友人からの手紙です」
「あいつか……」
封筒の裏を見た社長が、微かに頬を緩めた。
先日お願いして書いて貰ったものだが、やはり多比良社長にとっては気安い相手らしい。
だが、素直に中を開こうとした手を、横から美咲夫人が止めた。
「あなた。ご友人とのやり取りなんて、後になさって。今はどうして部外者がここにいるのかを確認する方が大事でしょう」
「そうだぞ、瀬央くん。流くんはまだいいとしても、そこの女性は明らかに部外者だ。先日正式に退職したのだから」
二人が直を睨みつける。
向けられた敵意と悪意に、直はじりりと後ろに下がりかけ――ぎりぎりで踏みとどまった。
退職した直を別にすれば、他の三人は今の体制でもなんとかやっていけなくもない。
むしろ今回直と行動を共にしたことで、下手をすれば自分たちも退職に追い込まれる可能性すらある。
そこをおして、直のために集まってくれたのだ。
直が下がる訳にはいかない。
もちろん流などは、「いや、これは俺自身のためだから」と言っていた。
自分の両親と未来にかかわることだから、と。
それも嘘ではないのだろうが、やはり直のことを考えて、今このときに合わせてくれたのも事実だろう。
直は夫人と専務の視線を跳ね返すように、足を進めた。
「私――部外者じゃありません」
「煙咲さんは今も当社の社員ですよ。非正規ですけど」
「非正規……?」
美咲夫人が怪訝な顔をする。
直に視線が向いている隙に、優佑が封筒から取り出した手紙を多比良社長に差し出した。
「ああ……なるほどね。そこの煙咲さんを元の部署に戻せと……」
苦笑する多比良社長から、美咲夫人が手紙を取り上げた。
「あなた? 私たちの多比良をなんだと思っているの? そんな、いくら取引相手だからって、昔のお友だちの言うことを私の言うことより優先するつもりじゃないでしょうね」
「そうは言うがね、彼は今じゃこの会社より大きな会社の社長だよ。彼との取引の影響は強い」
「多比良より大事なものなんてありません! 取引先なんていくらでもあるわ、探せばいいのよ」
美咲夫人の言葉に、多比良社長は微かに顔をしかめる。
だが、反論を口にする前に、専務が社長の肩を叩いた。
「多比良より大事なものはないよ。そうだろう? 先代の傍で我々がずっと守ってきたものを、後から入って来た君が踏みつけにするのは許されじゃないか」
「そうよ、叔父様の言う通りだわ」
斜め後ろから、瀬央がこっそりと直に耳打ちした。
「専務も、多比良の一族だ」
「え、専務は苗字が違うのでは」
「外に婿に出ているから。先代社長の弟にあたる」
「そういう関係なんですか……えっ、じゃあその人の娘との結婚話って、瀬央さん」
「まあ、血縁間の結婚になるね。伯従母だから、法的にはなんの問題もないんだけど」
「法的には?」
「心理的には、『今更になって僕を一族に受け入れようなんて言われても、これっぽっちもありがたくないですね』って感じかな」
抑えた声ではあるが、過激なことを言っている。
思わず直が周囲をきょろきょろと見まわしたとき、流が専務の方へと近寄った。
「大叔父。取引先なんてどうでもいいっていうのは、さすがに言いすぎです」
「わしじゃない。言ったのはお前の母様だ」
「いいえ。あなたも、多比良より大事なものはないと言いました」
「…………」
悔しげに顔をゆがめる様子からするに、専務もまた、流を心の底から認めている様子ではない。
「流、失礼よ、叔父様に向かって」
「母さんもそうだ。あんたら、本当に会社経営ってもの考えてるのか? 単に自分のテリトリーを守りたいだけじゃないか」
吐き捨てた言葉は、しかし美咲夫人の心を動かした様子はなかった。
その整えられた爪先が、多比良社長から取り上げた手紙を、音を立てて引き裂いた。
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