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第四章 恋愛・友情・私の仕事

5.トラブル再び

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 思ったよりも順調だったはずの異動後の日々は、ある日を境に

「おい、今日はながれくん来るって言ってたよな?」

 優佑ゆうすけに言われて、なおは顔を上げた。
 火曜日の流のシフトは十時から。
 既に十時を十五分ほど回っている。

「あれ、確かにおかしいですね」

 首を傾げ、流の連絡先を探そうとした途端に、次の電話が鳴った。
 慌てて電話を取って、そのまま対応しているうちに――気付けば、流の姿を見ないまま昼前になっていた。

 昼休憩のベルが鳴る。
 電話を取る人員が一人いない分、怒涛のように仕事が流れ込んでくる。

 ようやく受話器を置いた直の横で、優佑が喚いた。

「おい、流くんの連絡先知らないか!?」

 たった今置いた受話器を上げ、直は今度こそ流のスマホへ電話をかけた。
 が、たっぷりと呼び出し音を待った後、直の耳に流れ込んできたのは無機質な女性の声だけだった。

『ただいま電話に出ることができません。ピーという発信音の後に……』

 昼休みが終わり、夕方になっても――翌日も、その翌日も、流が姿を現すことはなかった。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


「社長の息子だからって、さすがにまずいだろう、これは」
「社長の息子かどうか関係なく、普通にまずいでしょう。無断欠勤は」

 淡々と返したのは、優佑に対する反発ばかりが理由ではない。
 この三日間、毎日パンクしそうな電話を受け、イライラしているのも原因の一つだ。
 そして、苛立っているのは当然、直だけではない。

「ああ、まずいんだよ、無断欠勤は! なんなんだ、今になって俺が嫌になったのか!?」
「そんなこと誰も言ってないでしょう。まずは理由を聞かないと」
「理由を聞こうにも連絡が通じないんだろうが! どうすんだよ」
「どうって……電話がダメなら直接話すしかないでしょう!」
「直接って――まさか、これから彼の家に行くつもりか!? 流くんは実家――つまり社長の家に住んでいるんだぞ!?」

 慌てる優佑を、直はじろりと睨みつけた。目が据わっている。
 今日は昼食をとる時間もなかったのだ。怖いものはなにもない。

「そう言えば、優佑――もとい、佐志波さしば部長は行ったことあるんだよね、社長のご自宅」
「あるけど。お前、呼び方直しても言葉遣い直ってないぞ」
「わざとだよ」
「わざとか。……いや、おまちょっと待て。俺が行ったことあるからって、まさか案内させようなんて思ってるんじゃないだろうな!?」
「なんでビビるの? 社長の家だけど、流くんに会いに行くだけだよ」
「流くんに会いに行くだけでも社長の家だろが! おい、スーツの上着取れ」
「自分で取れば」

 冷ややかに答えたが、どうやら直一人を行かせるつもりではないらしい。
 ネクタイを締めなおす背中を見ていると、視線に気づいた優佑が振り向いた。

「……いや、違うぞ。別にお前を心配してとか、優しさとかじゃなくて……そう、その、お前は一応俺の部下だから。お前が下手打つと俺にもしわ寄せがくるかもしれんし」
「まあ、そうだろうと思ったよ」
「だから、心配とかじゃないんだぞ!」
「わかってるよ。私たち、別れてるんだから、もうゆ――佐志波部長が心配する必要ないでしょ」
「そ、そうだ。こっちから別れたんだ、未練なんか俺にはない。ないぞ!」
「はいはい」

 その後も優佑は一人でぶつぶつ言っていたが、直はもう相手にしなかった。
 流のところまで行くためだけの道案内だと思えば、どうということもない。

「さあ、連れてってください、佐志波部長」
「俺に命令するなって言ってんだろ」

 優佑は顔をしかめ、車のキーをぐるりと回した。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 しばらくの後、コインパーキングに車を停めた二人は、多比良たいら邸の前に立っていた。
 広い邸宅は庭と木々に囲まれ、前庭には小ぶりの池まである。背の低い塀でぐるりと囲われているが、中を覗くくらいは軽いものだ。
 正門の横にあるインターフォンに、優佑は黙って手を伸ばした。

 軽いノイズの直後、女性の声が応答する。

『はい』
「あ、夜分遅くに申し訳ございません。わたくし、多比良オフィスレンタルサービス株式会社の従業員で、佐志波と申します」
『……会社の方? 旦那様になにかご用ですか?』

 口ぶりから、どうやらお手伝いさんのようだ。
 優佑は一度だけ直を振り返ってから、インターフォンに向き直る。

「いえ、今夜はご令息の流くんに用があってまいりました。実は、彼はずっとわたくしどもの部署でアルバイトしていらしたのですが、先日から連絡がつかないまま出勤されないのです。お身体になにかあったのではないかと思いまして」
『……坊ちゃまが?』

 一瞬、戸惑う声が聞こえた後に、すぐに別の声が被せるように響いた。

『――帰ってください!』
『お、奥様……?』
『帰ってください! 流はもう、あの女とは関わりません! あなた方ともお話することなんてないわ。バイトも辞めさせます』
「い、いやしかし。辞めるにしても、残ったバイト料の振り込みとか、退職の手続きとかいろいろ……」
『そんなことは主人にやらせてください! 帰って!』

 がちゃ、とひどいノイズの後に、インターフォンの声は途切れた。
 どうやら向こうから切断されたらしい。

 ため息をついた優佑が振り返る。

「……おい、どうすんだ、これ」
「どうもこうも……あの女って誰のこと? もしかして私――は、さすがに関係ないよね」
「そりゃ、お前じゃないだろう。誰のことかは知らんが。とにかく一回出直そう」

 行くぞ、と引かれた手を、直は軽く振り払った。

「おい?」
「私、もうちょっと待ってみる。大丈夫、あの奥さんには見つからないようにするし、無茶はしないから。気が済んだら歩いて帰るよ、幸いここからなら家も近いし」
「いいけど……変なもめごと起こすなよ?」

 首を傾げつつ優佑が去っていくのを見送ってから、直はくるりと踵を返した。
 向かう先は敷地の端――多比良邸の中で唯一、家屋が公道に接する箇所である。

 月光に照らされたその白い壁に、泥棒のように張り付いている人影を見つけ、直は下から声をかけた。

「……こんばんは、瀬央せおさん」
「こんばんは、煙咲たばさきさん。あー……これは、まずいところを見られたね」

 苦笑する顔は、まぎれもない。現営業一部部長、そして元コールセンター長の瀬央せお仁誉きみたかだった。
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