上 下
28 / 39
第四章 恋愛・友情・私の仕事

4.気になるあのひと

しおりを挟む
「ええ、ありがとうございました。またご連絡いたしますね」

 柔和な声で、丁寧に受話器を置く。
 優佑ゆうすけのその一連の仕草に、直は思わず目を見張ってしまった。

 視線に気づいて、優佑が顔を上げる。

「……おい、なにぼんやりしてんだ、ちゃんと仕事しろ」
「し、しますよ! 言われなくても」

 慌ててディスプレイに目を戻した。

 意外にも、というか、当然のことながら、というか。
 優佑はてきぱきと電話をこなしている。

 最初は優佑が受話器を握るたび、肩に力の入っていたながれも、五件目から先はもう優佑を意識しなくなっていた。
 さすが、元敏腕営業。
 人当たりよくだってできる……と、いうことは、直に優しくないのはそうする意味がないから、ということだろう。

 一瞬腹が立ったが、もう関係ない相手だ、と思い出して納得した。
 ただの仕事仲間、上司と部下だ。優しくされる必要はない。
 そう考えることに、不思議と寂しさはなかった。

 一か月前はつらくて仕方なかった。
 こんなに元気になれたのは、新しい職場と二人のおかげだ。
 流と、瀬央せおの――

 まさか二人が片親違いの兄弟だなんて知らなかったが、言われてみると少し顔立ちに似たところがある……ような気もする。
 そんな気持ちで流を見つめたら、困った顔で目を逸らされた。
 即座に優佑の怒声が飛ぶ。

「おい、遊んでるなって言ってんだろ!」
「遊んでません!」

 強気に言い返すと、正面のディスプレイの陰で、流がぷっと吹き出した。
 優佑が顔をしかめて口を開く。
 だが、鳴り始めた電話に気を取られすぐに、そちらに手を伸ばした。

 ある意味よかったのかもしれない。
 一か月だけでも瀬央の下で働けて、色々勉強できた。

 優佑は、サボるタイプの上司ではないけれど、部下を育成するとか後進を育てるといったことにはあまり積極的ではない。本当はぜんぶ自分でやりたいタイプなのだろう。
 新しい仕事で、最初から優佑の下だったとしたら、きっと今とはくらべものにならないほど追い詰められていたに違いない。

 それを思えば、一か月だけでも一緒に仕事ができて良かった。
 そう自分に言い聞かせて、直は頭を切り替えた。

 寂しいと、そう口に出す勇気はなかった。
 言えば、本当になってしまいそうで。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


「じゃあな、お先」

 早々に引き上げていく優佑の背中を見送って、直はパソコンの電源を落とした。
 そそくさと帰ろうとした流が、ふと扉のところで立ち止まる。
 もの言いたげな顔に、直は首を傾げた。

「……なに?」
「いや。一緒に帰るか?」

 いつにない誘いを口に出してから、流は自分で驚いたらしい。
 目を見開いてしぱしぱと瞬いた。

「……え? あの、別に誘ってる訳じゃないんだ」
「あ、うん? それはもちろんわかってるけど」
「いや、だから。単にあの男……佐志波さしばがどっかで待ち伏せとかしてたらマズいだろ」
「待ち伏せ?」

 あの人、プライド高いし、そんなことはしないんじゃないか、と答えかけた途端、流の方が先に喋り出した。

「いや、そうだよな。うん、わかってるわかってる。や、ほらあれだよ……俺んちちょっと複雑だろ、だから誰でも疑う癖がついてて、そういうの良くないって自分でもわかってっけどなかなかやめらんなくて……その、とにかく」
「えっ、うん……? ちょっと待って、なに言ってるかよくわかんない」
「とにかく、そんなつもりじゃないから! 余計な気ぃ回して悪かったな!」

 ばたばたと出ていく流の背中を、あっけにとられて見送るしかなかった。
 しばらく無人のドアを眺めていると、ひょいと瀬央が顔をのぞかせた。

「……瀬央さん!」
「や、今日はどうだった!?」
「いえ、思ったよりも順調で……少し見直しました」
「あ、そう……?」

 ちょっとだけがっかりした感じが漂う。直は思わず笑ってしまった。

「大変だったと思って、慰めに来てくれたんですか?」
「慰めというか、手伝いにね。まあ、だけどそりゃそうだよね、あいつも別に子どもじゃないんだから」
「瀬央さんって、割と優佑のこと気にかけてますよね」

 やはり同期だからか、と絆を感じてほっこりする。
 瀬央は苦笑して手を振った。

「いや、なんで僕が佐志波さしばを気に掛ける必要があるのさ?」
「えっだって……」
「君だよ、煙咲たばさきさん」
「はい?」
「僕が気にしてるのは君。ほら、佐志波さしば、あいつは部下への当たりがキツいから」

 どうやら瀬央が心配してくれていたのは、直のことらしい。
 嬉しくなって、それからすぐに自分の中でその気持ちを否定した。

 部下。ただの部下だ。気にして貰えているのは、それだけ。
 ……いや、よく考えれば部下ですらない。
 元部下だ。

 自分自身でも落ち込む理由がわからないまま、直は慌てて笑顔を取り繕った。

「えっと、私は大丈夫です。なにも問題ないですから」
「……そう」

 瀬央も笑顔でそう答え、すぐに背中を見せた。
 なぜかその足取りが重く見えたのは、直の気のせいか――さもなくば、希望によるものだろう。
 きっと、多分。
しおりを挟む
感想 44

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

処理中です...