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第三章 成功・拡大・思わぬ罠

8.足をとられる

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 月曜の昼間、なおが久々に外食して戻ってくると、なぜか事務室の空気がぴりぴりしていた。
 瀬央せおながれも鬼気迫る表情でディスプレイに向かっている。
 普段から仏頂面の流はともかく、穏やかな瀬央までが切羽詰まった様子をしていたため、直は思わず息をのんだ。

「あの……お昼の間になにかあったんですか?」
「ああ」
煙咲たばさきさんか、おはよう」

 ディスプレイの脇から瀬央が挨拶をくれたが、余裕のない声は変わらない。

「どうしたんですか、瀬央さん?」
「……とある大顧客からクレームの連絡が入ったそうだ。僕らが金曜に送ると言った代替品が届いてない、と」
「届いてない? まさか!」

 直は慌ててデスクへ走りかけた。自分の処理漏れではないか確認するために。
 が、それより先に、流が直の方をちらりと見据えた。

「あんたのミスじゃないよ。って言うか、俺たちの誰でもない、多分」
「誰でもない?」
「うん、それがね、今、先に二人で先週の履歴をその顧客から電話を貰った履歴もないし、そもそもその顧客というのがね……」
「営業一部の顧客――先週の役員会で決定したばかりで、今日から入電の対象になってる。つまり、金曜の段階ではまだ一部の顧客はコールセンターのことを知らないはずだ。俺たちが電話とってる訳ないだろ」
「それって……」

 また優佑ゆうすけの仕業か、と直はうんざりした。
 確かに強引で人の気持ちを考えないところはあったが、こんな風に足を引っ張る人だとは思ってもいなかった。
 瀬央や直にとってだけではなく、多比良たいらオフィスレンタルサービス株式会社全体にとって――ひいては自分自身にとってもマイナスだと、考えないのだろうか?

 呆れて深い息を吐いた途端、背後で、大きな音を立てて扉が開いた。
 びくりと肩を竦めた直を無視して、怒鳴り声が上がる。

「――おい、どういうことだ!」

 足音も荒く入ってきたのは、たった今、頭に思い描いた男――営業一部の部長である佐志波さしば優佑ゆうすけだった。
 止める間もなく、室内をすり抜け、優佑は瀬央のデスクの脇に立つ。

「お前、本当にいい加減にしろよ! 勝手にコールセンターを立ち上げておいて、うちの顧客を激怒させるってのはなんだ!? しかもあそこは俺が担当してるんだぞ。俺の顔に泥を塗るつもりか、ふざけんな!」
「……うん、ちょっと待って。整理しようか」

 苦笑を浮かべた瀬央が、優佑の前に手のひらを立てた。
 ついでに、立ち上がりかけた流に向かって、座っていろとジェスチャーで合図している。流が大人しく従ったのは、土曜のことがあるからだろう。ここで喋って注目を集めれば、優佑に疑われる可能性が高い。
 瀬央は、デスクの上で指を組み、微笑みを浮かべて優佑に向き直った。

「君がそう言うってことは、君の差し金じゃない訳だ」
「なんで俺が大口顧客を不意にするようなことするんだ」
「いや、僕への嫌がらせに……」
「バカか。お前の嫌がらせに俺が困ることしてどうする」
「ううん、まったくもってその通りだ。これは僕の発想が、頭が悪すぎたね」

 あっさりと引いた瀬央が、直の方へ目くばせを投げてくる。
 直も思わず笑ってしまったが、正直、笑っている場合ではない。
 顧客の担当だという優佑までがこんなに焦っているのだ。問題の大きさがひしひしと伝わってくる。
 そもそも、現場を離れているはずの部長が直接担当する顧客など、重要度を考えるだに恐ろしい。

「俺の仕業じゃないとわかったら、さっさと説明しろ。約束の期日に代替品が届いてないとは、どういう経緯なんだ」
「いや、君が冷静さを取り戻したなら、ちょっと思い出してほしいんだけど。あのね、僕ら金曜はまだ、営業一部のお客様は担当してないんだよ。営業一部がコールセンターを使うようにって言われたのって、今日からじゃない?」
「……そう言われてみれば、そうだな。今朝の朝礼で言えと、金曜の夜に専務から電話がきたばかりだ」

 ぽつりと呟く優佑を見るでもなく眺めつつ、直は一人納得した。
 なるほど、土曜の優佑の一人カラオケは、瀬央が成功しつつあることへのストレス解消だった訳だ。

「待て、じゃあ誰が俺の顧客を怒らせてるんだ」
「だからさ、君じゃなければ誰がいるのか、それを教えてほしいところだけど」
「ああ、ああ! 思い当たりがあればすぐにでも教えてやりたいよ! だが、お前らじゃないとしたら……いったい誰が」

 優佑はしばらく悩む様子を見せていたが、すぐに、はっと顔を上げて再び瀬央に向き直った。

「もういい。とにかく、俺はこれから先方へ謝りに行く。お前のところからも人を出せ。同行させるから」
「謝罪なら、当然上司の仕事だ。僕が行こう」
「いや、お前じゃだめだ。な――煙咲たばさきを連れていく」
「えっ……」

 指名された直は、驚きに声を上げた。

「わた……私ですか?」
「そうだ、お前だ。この部署唯一のヒラの正社員だろうが」
「こういうときは役職が行くものでしょう? 僕が行けばいいじゃないか。こんなときまで私情を言うのはどうかと思うぞ、佐志波」
「なにが私情だよ、バカか。これは営業戦略だ」

 優佑は胸を張って、瀬央の肩をどんと叩いた。

「お前は関係ないんだろうが。じゃあ、担当の俺は別にして、コールセンターの上長まで出てきたらどうなると思う。顧客は『やっぱりこいつのせいか』って思うだろ。それに恰好付けのお前のことだ、顧客の前に出たら『全部僕の責任ですぅ』とか言っちゃうだろうが」
「……まあ、一理あるけど」

 瀬央が渋い顔で頷いたのは、後半の口真似があんまり似ていなかったからだろう。
 だが、否定しないということは、実際に優佑の言葉にはそれなりの正当性があるに違いない。
 なんだかんだで、優佑の外面の良さや顧客に対する嗅覚はきちんとあるのだ。
 ――ならば、と直は息を呑んだ。

 渋い表情のまま、瀬央の目が自分の方に向く。

「煙咲さんは、どう思う? 謝罪なんて行きたいと思う人はいないだろうけど」
「……あの、私」

 瀬央だけではない。優佑も、流も、直をじっと見つめている。
 直の答えを待っているのだ。
 それに気付いて、直は、ぎゅっと拳を握り締めた。

「私、あの……私が行きます。同行します」
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