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第三章 成功・拡大・思わぬ罠
7.父子
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「板来くんっ! 板来くん、止まって……」
手を引かれながら声をかけてみたが、直の声に気付いている様子すらない。
優佑はもう追ってきていないのに、人混みをすり抜け先へ向かおうとする。
途中で何人かにぶつかって、怒声をあげられたが、聞こえている様子すらない。
直は腰に力を入れて足を止め、両手で手を引き返した。
「板来く――んっ、もう! 流くん、ストップ!」
直の体重をかけた全力にか、それとも唐突に呼ばれた下の名前のせいか、さすがの板来――流も、ぴたりと足を止めた。
振り返った顔はひどいしかめ面だったが、直と目が合った瞬間にはっとした顔になった。
握られた手が慌てて離される。
「悪い。必死で……」
「ううん、気にしなくていいけど」
「いや。あと、隠してたのもごめん」
「あ、うん。あの……さっき優佑が言ってたのって本当?」
「ああ」
あまり言いたくはなさそうだが、この期に及んでごまかすつもりもないらしい。
大きく息をついてから、直の目を見ないまま言葉をつづけた。
「あいつの言う通りだよ。俺の父親が、お前んとこの社長」
「……ってことは、板――ううん、流くんが次期社長……?」
「父さんはそうしたいらしいけど、俺の方はそのつもりがゼロって話。俺そういうの向いてないんだよ、わかるだろ?」
「そう? 瀬央さんにも、アイギスの山本さんにも可愛がられてたし、別に向いてないってことはないと思うけど……」
「瀬央さんもヤマモっさんも、俺が多比良の息子だって分かってるから可愛がってくれんだよ。俺自身はどっちかっつーと……な、わかるだろ? こういう人間なの」
いくらなんでも、それだけで人間関係を構築したわけではないだろう。
だが、直がそう口にしたところで、流は聞き入れそうになかった。
「俺、本当はぜんぶ自分でやりたいし、誰かの分まで責任取るとか柄じゃない。可愛いワンピースだって似合うんだし」
「唐突になに……いや、確かに似合ってたけどね」
直の見立てで言うと――正直、今の普通の男の子のような恰好よりも、ゴスロリの方がよほど似合っている。
が、そこまで言っていいものか判断しかねて、口ごもった。
流には、直が黙った理由も予想がついたようだが。
「似合うだろ? できたらずっとアレでいたいんだけどさ、さすがに父親経由で紹介されたバイト先では着れないし。だからアイギスでは、いつもこういう感じの格好してた」
「それで、今日はいつもの服装じゃなかったんだ」
「うん……」
俯いた流の横を、見知らぬ人々が通り過ぎていく。
腕を引いて道端に寄る。
並んで見上げたビルの隙間に、きれいな月が引っかかるように浮かんでいた。
「コールセンターでバイトしたのは、瀬央さんから聞いてたからだ」
「多比良にもコールセンターが必要だって?」
「そう。いつか俺も手伝おうと思って。だから、瀬央さんが社内にコールセンター立ち上げたって聞いて、急いで連絡とった。もちろん、父親には内緒で」
「内緒なんだ……?」
瀬央さんと社長も繋がりがあるのかと一瞬思ったが、それは余計な勘繰りだったらしい。
「もちろん言ってない。あの人は俺が自分の会社でバイトしてるなんて知りゃしないよ。だって本当は俺に興味なんてないんだ、ただ『後継者』ってヤツが欲しいだけで。だから自分が預けたヤマモっさんとこで、俺が大人しくお世話になってると思ってるよ、どうせ」
吐き捨てるような口調に、ふと直は引っかかった。
「もしかして、流くんはお父さん――社長と仲が悪いの?」
「…………」
刺々しい視線が一度だけ直を見て、そのままふいと逸らされる。
「とにかくさ、父さんはなんも関係ないのに、俺が瀬央さんを手伝ってると、顔知ってるひとに色んなこと言われるじゃん。だから化粧濃いめにしといた」
「うん、確かに……見かけたくらいだと同一人物とは思えないよね」
「だろ? 瀬央さんにも褒められた。俺も楽しいし瀬央さんも安心する。一石二鳥だ」
「まあ……?」
直の不審なまなざしをスルーして、流は地面を蹴った。
「……って完璧な計画だったのに、あんなアホに、あんなタイミングで見破られるなんて」
悔しげな声で、優佑のことを思い出す。
アホはひどい――ような気がしたが、まあそうでもないかもしれない。
そんなことより、あそこで流が優佑と顔を合わせることになったのは、どう考えても直のためだ。
「ごめんね、私のせいで」
「別にそんな風には思ってない――あ、やべ、電話きてる。瀬央さんだ」
スマホを取り出し、流は耳元に当てた。
「瀬央さん、すみません。実はあのアホ――佐志波に絡まれて。あ、声聞こえてました? ああ、はい。そうなんです……俺のことバレちゃって。いえ、そうです。問題ないです。瀬央さんがいたら間違いなく余計にモメることになったと思うんで……」
流の声を聞きながら、直は心の中で頷いた。
確かに、あのタイミングで瀬央が顔を見せたら、優佑は発狂したかもしれない。
どうやら専務の娘との見合いも話がうまく進んでいないようだ。
瀬央が社長令息と繋がっていると知れば、嫉妬で我を失うだろう。
「はい、じゃあ今日はこのまま帰ります。ええ、また来週」
通話を終えた流が、直に視線を戻した。
「瀬央さんが、このままお開きにしようって。戻ってきて鉢合わせすると大変だから」
「それしかないみたい。本当はもっと話したかったけど……帰ろうか」
「また来週、事務室で続きの話をすればいいさ。この先の時間はいくらでもある」
皮肉に笑う流の言葉に、直は素直に頷いた。
そう思っていたのだ、このときは。
だって、なにもかもうまくいっていると思っていたのだから。
手を引かれながら声をかけてみたが、直の声に気付いている様子すらない。
優佑はもう追ってきていないのに、人混みをすり抜け先へ向かおうとする。
途中で何人かにぶつかって、怒声をあげられたが、聞こえている様子すらない。
直は腰に力を入れて足を止め、両手で手を引き返した。
「板来く――んっ、もう! 流くん、ストップ!」
直の体重をかけた全力にか、それとも唐突に呼ばれた下の名前のせいか、さすがの板来――流も、ぴたりと足を止めた。
振り返った顔はひどいしかめ面だったが、直と目が合った瞬間にはっとした顔になった。
握られた手が慌てて離される。
「悪い。必死で……」
「ううん、気にしなくていいけど」
「いや。あと、隠してたのもごめん」
「あ、うん。あの……さっき優佑が言ってたのって本当?」
「ああ」
あまり言いたくはなさそうだが、この期に及んでごまかすつもりもないらしい。
大きく息をついてから、直の目を見ないまま言葉をつづけた。
「あいつの言う通りだよ。俺の父親が、お前んとこの社長」
「……ってことは、板――ううん、流くんが次期社長……?」
「父さんはそうしたいらしいけど、俺の方はそのつもりがゼロって話。俺そういうの向いてないんだよ、わかるだろ?」
「そう? 瀬央さんにも、アイギスの山本さんにも可愛がられてたし、別に向いてないってことはないと思うけど……」
「瀬央さんもヤマモっさんも、俺が多比良の息子だって分かってるから可愛がってくれんだよ。俺自身はどっちかっつーと……な、わかるだろ? こういう人間なの」
いくらなんでも、それだけで人間関係を構築したわけではないだろう。
だが、直がそう口にしたところで、流は聞き入れそうになかった。
「俺、本当はぜんぶ自分でやりたいし、誰かの分まで責任取るとか柄じゃない。可愛いワンピースだって似合うんだし」
「唐突になに……いや、確かに似合ってたけどね」
直の見立てで言うと――正直、今の普通の男の子のような恰好よりも、ゴスロリの方がよほど似合っている。
が、そこまで言っていいものか判断しかねて、口ごもった。
流には、直が黙った理由も予想がついたようだが。
「似合うだろ? できたらずっとアレでいたいんだけどさ、さすがに父親経由で紹介されたバイト先では着れないし。だからアイギスでは、いつもこういう感じの格好してた」
「それで、今日はいつもの服装じゃなかったんだ」
「うん……」
俯いた流の横を、見知らぬ人々が通り過ぎていく。
腕を引いて道端に寄る。
並んで見上げたビルの隙間に、きれいな月が引っかかるように浮かんでいた。
「コールセンターでバイトしたのは、瀬央さんから聞いてたからだ」
「多比良にもコールセンターが必要だって?」
「そう。いつか俺も手伝おうと思って。だから、瀬央さんが社内にコールセンター立ち上げたって聞いて、急いで連絡とった。もちろん、父親には内緒で」
「内緒なんだ……?」
瀬央さんと社長も繋がりがあるのかと一瞬思ったが、それは余計な勘繰りだったらしい。
「もちろん言ってない。あの人は俺が自分の会社でバイトしてるなんて知りゃしないよ。だって本当は俺に興味なんてないんだ、ただ『後継者』ってヤツが欲しいだけで。だから自分が預けたヤマモっさんとこで、俺が大人しくお世話になってると思ってるよ、どうせ」
吐き捨てるような口調に、ふと直は引っかかった。
「もしかして、流くんはお父さん――社長と仲が悪いの?」
「…………」
刺々しい視線が一度だけ直を見て、そのままふいと逸らされる。
「とにかくさ、父さんはなんも関係ないのに、俺が瀬央さんを手伝ってると、顔知ってるひとに色んなこと言われるじゃん。だから化粧濃いめにしといた」
「うん、確かに……見かけたくらいだと同一人物とは思えないよね」
「だろ? 瀬央さんにも褒められた。俺も楽しいし瀬央さんも安心する。一石二鳥だ」
「まあ……?」
直の不審なまなざしをスルーして、流は地面を蹴った。
「……って完璧な計画だったのに、あんなアホに、あんなタイミングで見破られるなんて」
悔しげな声で、優佑のことを思い出す。
アホはひどい――ような気がしたが、まあそうでもないかもしれない。
そんなことより、あそこで流が優佑と顔を合わせることになったのは、どう考えても直のためだ。
「ごめんね、私のせいで」
「別にそんな風には思ってない――あ、やべ、電話きてる。瀬央さんだ」
スマホを取り出し、流は耳元に当てた。
「瀬央さん、すみません。実はあのアホ――佐志波に絡まれて。あ、声聞こえてました? ああ、はい。そうなんです……俺のことバレちゃって。いえ、そうです。問題ないです。瀬央さんがいたら間違いなく余計にモメることになったと思うんで……」
流の声を聞きながら、直は心の中で頷いた。
確かに、あのタイミングで瀬央が顔を見せたら、優佑は発狂したかもしれない。
どうやら専務の娘との見合いも話がうまく進んでいないようだ。
瀬央が社長令息と繋がっていると知れば、嫉妬で我を失うだろう。
「はい、じゃあ今日はこのまま帰ります。ええ、また来週」
通話を終えた流が、直に視線を戻した。
「瀬央さんが、このままお開きにしようって。戻ってきて鉢合わせすると大変だから」
「それしかないみたい。本当はもっと話したかったけど……帰ろうか」
「また来週、事務室で続きの話をすればいいさ。この先の時間はいくらでもある」
皮肉に笑う流の言葉に、直は素直に頷いた。
そう思っていたのだ、このときは。
だって、なにもかもうまくいっていると思っていたのだから。
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