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第三章 成功・拡大・思わぬ罠
6.正体
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「んー、大体こんなとこかな」
とん、と瀬央がペンを卓上に置いて、それがいったん締め括りの合図になった。
少しだけ、と三人とも思っていたのに、既に窓の外は暗くなっていた。
ずいぶん根を詰めて話し合ってしまったらしい。
あちこちから聞こえてくる調子外れの歌声も、さっきまで聞こえていなかったくらいだ。
直は自分のメモ帳を見ながら今日一日を振り返る。
設備、システム、管理、教育。
アイギスの山本さんも、まだ試行錯誤中だなどと言っていたが、少なくとも今の直たちよりは一歩も二歩も先を行っているはずだ。
数十名のオペレーターと、そこからデータを受け取るエンジニアが、全員同じシステム上で情報共有できること。
オペレーターが今なにをしていて、あとどれくらい電話を受ける余裕があるか、可視化されていること。
そして、新規で雇用したオペレーターを育成すること。
「案件管理システムは優先度たかいね、やっぱり」
「教育制度が充実してたのはさすがでした。板来くんはそんなに重要じゃないなんていつも言いますけど、電話応対マナーは、私もきちんと体系だって学んだ方が良さそうですね」
「いずれは君にオペレーターの育成を担当してもらおうか。まだこれから電話が増えることにもなるし」
経験者である板来を横に、瀬央と直は再び興奮して語り始めた。
板来はため息をついて、席を立つ。
「まだ話すなら、ドリンクバーで飲み物とってくる」
「あ、私も手伝うよ」
「いい。トイレ寄ってから行くし」
普通の大学生めいた板来が、扉を出て行く。
その背中を見ながら、普段ゴスロリワンピースのときは男女どっちのトイレに入ってるのか、直はふと気になってしまった。
もちろん、そんな質問を直がしたら、睨み付けられて終わりだろうが。
「あ、流もう行っちゃった? 僕、次はコーヒーが欲しいって言おうと思ってたんだけど」
「瀬央さん、コーヒー好きですね。わかりました、私が行ってきますよ」
「いや、いいよ。自分で……」
「いえ、いつも奢って貰ってますから! これくらいはやらせてください」
そう答えておいて、直はさっさと席を立った。
普段、上座下座と言われてもその効果をあまり意識したことのないマナーであるが、こういうときは便利だ。
素早く動くには、下座に座るに限る。
扉を開けて外に出る。
ほぼ同じタイミングで、斜め一つ向こうの扉が開閉するのが見えた。
ドリンクコーナーに向かいつつ、なんということもなくそちらに目を向けた途端、直の顔がこわばった。
「……ゆ、優佑?」
「直……どうした? まさか、俺を追ってきたのか?」
「はあ!? そんな訳ないじゃないですか、偶然ですよ!? やめてください」
あまりにも自意識過剰な言葉に、さすがの直も即座に否定の言葉が滑り出た。
が、例によって、優佑がそんな直の言葉を聞く様子はない。
慌ててドリンクコーナーに出たところで、どん、と壁に背中がぶつかった。
せめて視線は怯えないよう、近寄ってくる男を睨みつける。
「優佑こそ、どうしてこんなとこに……?」
が、口を開いた瞬間に声が震えていて、自分で自分を罵りたくなった。
優佑は、直の視線などなんとも思わぬ様子でどんどん近づいてくる。
「さすがに気が塞ぐものだから、ちょっと気晴らしにな。俺、歌うまいの知ってるだろ」
「ああ……ええ、まあ」
「どうだ、ちょっと聞いてくか? ここで会ったのもなにかの縁だ。お前、俺が歌うの好きだったろう。なんならお前の好きな曲歌ってやるぞ」
「いえ、あの……」
確かに優佑のカラオケはうまい。付き合っていた頃に何度か聞いたことがあるから知っている。
が、別れてまで聞きたいかといえば、そんな訳はない。
だから、聞きたいと答えるつもりはない。
なのに一瞬、答えを躊躇したのは、怖かったからだ。
ここで素直に頷かなければ、優佑が気を悪くする。それに気遣って過ごした一年が、直の口を勝手に塞いだ。
――だが、すぐに夕方の板来の言葉を思い出した。
自衛だ。
自分で自分を守ろうとしない限り、誰も助けてくれない。
直は、ひゅっと息を飲んだ。
「……あなたとは、もう別れたはずです!」
震えてはいたが、思っていたより大きな声になった。
そのことに勇気づけられて、距離を取ろうと足に力を入れる。
逃げようとした背中に手が伸びてくる。
どうしよう、と迷った瞬間、直を庇うように間に割って入った人影があった。
「なにやってんの」
「板来くん……!」
呆れたような低い声に安堵して振り向いた先、細身の身体はまっすぐに優佑を睨み付けていた。
優佑も、突然現れた邪魔者を訝しげに睨み返している。
「ああ、誰だ?」
社内で一度会っているはずだが、いつもの目立つワンピースでないために、誰だかわからないらしい。
男性の姿をしている分、優佑の警戒心も高まっていそうだ。
ここで喧嘩になるのはまずい、と直はまずそう思った。
「板来くん、ありがとう。もういいから、行こう?」
手を取り、部屋に戻ろうと踵を返したところで、背後でぽつりと呟く優佑の声が聞こえた。
「待て。お前……いや、あなたは流くん、では?」
気付いた、というには違和感がある。
振り向いた直の視線の先で、優佑は目を見開いて板来の背中を見つめていた。
板来が、小さく舌打ちしてから、肩越しに優佑を見る。
「そうだけど、なにか?」
「年明けにご挨拶にうかがいました、営業二部の佐志波です。いやぁ、偶然だなぁ、こんなところで!」
「……前にも言ったけど、父の会社と俺は無関係なので」
「や、それはわかってますがね! しかし、直――煙咲とは知り合いでしたか? 煙咲がなにか余計なことをしでかしたのでは……」
一介の大学生を相手にしているにしては、ずいぶん優佑の腰が低い。
板来は手を引いたが、直はそれを振り切って、優佑に向き直った。
「優佑こそ、板来くんと知り合いなの? らしくない態度だけど」
「馬鹿、お前は自社の名前もおぼえてないのか? 名前を間違えるなんて失礼にもほどがあるぞ!」
「名前……?」
「まさか知らずに一緒にいるのか? お前の横にいるのは、多比良 流さん。我らが多比良オフィスレンタルサービス株式会社の社長令息だぞ!」
「え!?」
板来――いや、流が、今度こそあからさまに舌打ちを響かせた。
そのまま直の肩を摑み、優佑の横を通り抜けて出口へまっすぐ向かおうとする。
「ああ、流さん!? えっと、どちらへ……」
背後で優佑の慌てる声が聞こえたが、流は足を止めなかった。
まだ部屋に瀬央のいる直たちとは違い、優佑は一人だ。二人が自動ドアを抜けるとき、一緒に出て行こうとしてスタッフに止められていた。
流は、その姿を冷たく一瞥したが、足を止めることはなかった。
直の手を引いたまま、街の雑踏へと踏み込んだ。
とん、と瀬央がペンを卓上に置いて、それがいったん締め括りの合図になった。
少しだけ、と三人とも思っていたのに、既に窓の外は暗くなっていた。
ずいぶん根を詰めて話し合ってしまったらしい。
あちこちから聞こえてくる調子外れの歌声も、さっきまで聞こえていなかったくらいだ。
直は自分のメモ帳を見ながら今日一日を振り返る。
設備、システム、管理、教育。
アイギスの山本さんも、まだ試行錯誤中だなどと言っていたが、少なくとも今の直たちよりは一歩も二歩も先を行っているはずだ。
数十名のオペレーターと、そこからデータを受け取るエンジニアが、全員同じシステム上で情報共有できること。
オペレーターが今なにをしていて、あとどれくらい電話を受ける余裕があるか、可視化されていること。
そして、新規で雇用したオペレーターを育成すること。
「案件管理システムは優先度たかいね、やっぱり」
「教育制度が充実してたのはさすがでした。板来くんはそんなに重要じゃないなんていつも言いますけど、電話応対マナーは、私もきちんと体系だって学んだ方が良さそうですね」
「いずれは君にオペレーターの育成を担当してもらおうか。まだこれから電話が増えることにもなるし」
経験者である板来を横に、瀬央と直は再び興奮して語り始めた。
板来はため息をついて、席を立つ。
「まだ話すなら、ドリンクバーで飲み物とってくる」
「あ、私も手伝うよ」
「いい。トイレ寄ってから行くし」
普通の大学生めいた板来が、扉を出て行く。
その背中を見ながら、普段ゴスロリワンピースのときは男女どっちのトイレに入ってるのか、直はふと気になってしまった。
もちろん、そんな質問を直がしたら、睨み付けられて終わりだろうが。
「あ、流もう行っちゃった? 僕、次はコーヒーが欲しいって言おうと思ってたんだけど」
「瀬央さん、コーヒー好きですね。わかりました、私が行ってきますよ」
「いや、いいよ。自分で……」
「いえ、いつも奢って貰ってますから! これくらいはやらせてください」
そう答えておいて、直はさっさと席を立った。
普段、上座下座と言われてもその効果をあまり意識したことのないマナーであるが、こういうときは便利だ。
素早く動くには、下座に座るに限る。
扉を開けて外に出る。
ほぼ同じタイミングで、斜め一つ向こうの扉が開閉するのが見えた。
ドリンクコーナーに向かいつつ、なんということもなくそちらに目を向けた途端、直の顔がこわばった。
「……ゆ、優佑?」
「直……どうした? まさか、俺を追ってきたのか?」
「はあ!? そんな訳ないじゃないですか、偶然ですよ!? やめてください」
あまりにも自意識過剰な言葉に、さすがの直も即座に否定の言葉が滑り出た。
が、例によって、優佑がそんな直の言葉を聞く様子はない。
慌ててドリンクコーナーに出たところで、どん、と壁に背中がぶつかった。
せめて視線は怯えないよう、近寄ってくる男を睨みつける。
「優佑こそ、どうしてこんなとこに……?」
が、口を開いた瞬間に声が震えていて、自分で自分を罵りたくなった。
優佑は、直の視線などなんとも思わぬ様子でどんどん近づいてくる。
「さすがに気が塞ぐものだから、ちょっと気晴らしにな。俺、歌うまいの知ってるだろ」
「ああ……ええ、まあ」
「どうだ、ちょっと聞いてくか? ここで会ったのもなにかの縁だ。お前、俺が歌うの好きだったろう。なんならお前の好きな曲歌ってやるぞ」
「いえ、あの……」
確かに優佑のカラオケはうまい。付き合っていた頃に何度か聞いたことがあるから知っている。
が、別れてまで聞きたいかといえば、そんな訳はない。
だから、聞きたいと答えるつもりはない。
なのに一瞬、答えを躊躇したのは、怖かったからだ。
ここで素直に頷かなければ、優佑が気を悪くする。それに気遣って過ごした一年が、直の口を勝手に塞いだ。
――だが、すぐに夕方の板来の言葉を思い出した。
自衛だ。
自分で自分を守ろうとしない限り、誰も助けてくれない。
直は、ひゅっと息を飲んだ。
「……あなたとは、もう別れたはずです!」
震えてはいたが、思っていたより大きな声になった。
そのことに勇気づけられて、距離を取ろうと足に力を入れる。
逃げようとした背中に手が伸びてくる。
どうしよう、と迷った瞬間、直を庇うように間に割って入った人影があった。
「なにやってんの」
「板来くん……!」
呆れたような低い声に安堵して振り向いた先、細身の身体はまっすぐに優佑を睨み付けていた。
優佑も、突然現れた邪魔者を訝しげに睨み返している。
「ああ、誰だ?」
社内で一度会っているはずだが、いつもの目立つワンピースでないために、誰だかわからないらしい。
男性の姿をしている分、優佑の警戒心も高まっていそうだ。
ここで喧嘩になるのはまずい、と直はまずそう思った。
「板来くん、ありがとう。もういいから、行こう?」
手を取り、部屋に戻ろうと踵を返したところで、背後でぽつりと呟く優佑の声が聞こえた。
「待て。お前……いや、あなたは流くん、では?」
気付いた、というには違和感がある。
振り向いた直の視線の先で、優佑は目を見開いて板来の背中を見つめていた。
板来が、小さく舌打ちしてから、肩越しに優佑を見る。
「そうだけど、なにか?」
「年明けにご挨拶にうかがいました、営業二部の佐志波です。いやぁ、偶然だなぁ、こんなところで!」
「……前にも言ったけど、父の会社と俺は無関係なので」
「や、それはわかってますがね! しかし、直――煙咲とは知り合いでしたか? 煙咲がなにか余計なことをしでかしたのでは……」
一介の大学生を相手にしているにしては、ずいぶん優佑の腰が低い。
板来は手を引いたが、直はそれを振り切って、優佑に向き直った。
「優佑こそ、板来くんと知り合いなの? らしくない態度だけど」
「馬鹿、お前は自社の名前もおぼえてないのか? 名前を間違えるなんて失礼にもほどがあるぞ!」
「名前……?」
「まさか知らずに一緒にいるのか? お前の横にいるのは、多比良 流さん。我らが多比良オフィスレンタルサービス株式会社の社長令息だぞ!」
「え!?」
板来――いや、流が、今度こそあからさまに舌打ちを響かせた。
そのまま直の肩を摑み、優佑の横を通り抜けて出口へまっすぐ向かおうとする。
「ああ、流さん!? えっと、どちらへ……」
背後で優佑の慌てる声が聞こえたが、流は足を止めなかった。
まだ部屋に瀬央のいる直たちとは違い、優佑は一人だ。二人が自動ドアを抜けるとき、一緒に出て行こうとしてスタッフに止められていた。
流は、その姿を冷たく一瞥したが、足を止めることはなかった。
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