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第三章 成功・拡大・思わぬ罠
1.至近距離(上)
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コールセンターの評判は上々。
営業の事務室の前を通るたびに、直は元同僚や営業二部の面々から声をかけられた。
好意的な声掛けがほとんどだったが、唯一嫌味を投げてくるのが、優佑だったりする。
今日も、帰り際に廊下を歩いていたところで、後ろから呼び止められた。
さりげなく非常階段の方に後ずさりつつ、直は無言でぺこりと頭を下げる。
そのしぐさのなにかが優佑の気に障ったらしい。
「直――いや、煙咲。お前、異動してから服装が適当になったんじゃないか? いくら客前に出ないっても、女の仕事着はスカートだろうが。パンツなんてカジュアルすぎるぞ」
「ええ……いつの時代のお生まれですか、佐志波部長?」
「お前、生意気になったな」
「はあ、私よりはるかに生意気なヤツがいますんで、つい」
幸か不幸か、板来の口の悪さに付き合ううちに、だんだん優佑に対しても言い返せるようになってきたらしい。
板来さまさまだなぁと心の中で呟いたが、どうやら優佑の方は別の意味にとったようだ。
「それ、誰のことだ。俺のことだな?」
「はい?」
「まだそんなに俺のこと意識してるのかって言ってんだよ」
「…………はい?」
長い沈黙の後で、ようやく優佑の言いたいことが、直にも理解できた。
優佑のことが気になりすぎて、生意気に接してる――などという誤解を受けているらしい。
そういえば、まだ優佑と別れて一か月も経っていない。
つい一か月前に振られて泣いていたばかりなのに、新しい仕事に一生懸命ですっかり忘れていた。
そもそも、くだらないいやがらせや公私混同で、別れた後の優佑が直をうんざりさせたことも大きいが。
「俺がいないとお前が寂しがるのは知ってるよ。しかも、別れて直後に知り合いの誰もいない部署に異動だもんな、さぞつらかったと思う」
「あ、はい……」
確かに直は、どちらかというと人見知りするところがある。
だが、正直、寂しさを感じていた期間は非常に短かった。
慣れない仕事に必死だったのもあるし、なにより仕事仲間とあっという間に溶け込むことができた。
瀬央は初日から親身に話しかけてくれたし、板来は口が悪いながらも根は悪い人間じゃないと思える。電話の状況も三人いれば余裕があって、板来が来てからは有給休暇をとることもできるようになった。
頼りになる上司と、気安く話せる相手。
大変恵まれた職場環境と言える。
「だがな、俺の気持ちもわかってくれ。別に、お前が嫌いで別れたわけじゃないんだ」
「あ、聞きました。専務のお嬢さんとお見合いしたんですよね。おめでとうございます」
もとは瀬央から聞いた情報だったが、ここしばらく瀬央経由で仲良くなった営業二部の面々も口々に似たようなことを言っていた。
代替品の輸送に関してやり取りのある業務課の事務仲間も耳にしている噂らしい。
どうやら、瀬央以外にもかなり広まっているようだ。
自覚しているだろうと思っていたのだが、直がその話題を口にした途端、優佑は大きく目を見開いた。
「お前……それをどこで!?」
「どこって、あちこちで噂になってますよ」
「な、なんでだよ……俺はなにも言ってないぞ!」
「知りませんよ。話が進んでるなら、結婚式の準備とかで、専務側から聞いてる社員もいるんじゃないですか。実際、どのくらい進んでるんです?」
「どのくらいもこのくらいも、全く進んで――あ、いや。お前に言う話じゃないだろ!」
「ああ、そーですね。正直さして興味もないんで言わなくていいですよ」
優しい顔でしれっと手のひらを返す、この辺りの態度は瀬央の薫陶のたまものである。
瀬央のことを嫌っている優佑は、それにいち早く気付いたらしい。すぐにくしゃりと眉を寄せた。
「あいつの真似するなよ。俺があいつのこと嫌いなの知ってるだろ」
「知ってますけど、いつまでそんな好き嫌いで仕事選ぶつもりですか?」
直接的な問いかけに、優佑が天井を仰ぐ。
「……俺の勝手だろうが」
「あなただけの話ならそれでもいいですけど。そろそろ営業一部の顧客もコールセンターに回した方がいいって話が出てきているのでは?」
かまをかけている訳ではない。
斎藤をはじめとする営業二部各位が、精力的にお客様サポートコールセンターの良い評判を流してくれているおかげで、一部の社員にも「障害対応を任せられるならありがたい」という声が増えているのだ。
二部の社員も、別に瀬央の肩をもってそう口にしている訳ではない。
実際に、本来の仕事である営業活動に割ける時間が増え、売り上げが上がっているのだ。
少なくとも谷中は、二部の顧客をすべてコールセンターの対象とすることを決定した。それがちょうど先週末のことで、今週から二部顧客の障害連絡は、原則としてすべてコールセンターに回ってきている。
噂だけでいいならば、二部の谷中部長は、優佑にも一部の顧客を回した方がいいとオススメしている……らしい。
二部の強プッシュを受けて、隣接する一部がまったくその影響を受けずにいられるとは思えない。
直の問いかけに、優佑はすっと目を細めた。
「ああ、今日お前に言おうと思っていたのは、その話だ」
「瀬央さんの話ですか?」
「違う、コールセンターの話だよ」
ちっと舌打ちする音が廊下に響いた。
その音で、直も思い出した。
優佑は、この手の相手に圧をかける営業が得意なのだ。
緊張させておいて、そして緩和したところですいと相手の懐に忍び込むタイプの。
「お前、俺のことがまだ好きなんだろう? 役に立ちたいと思っているな?」
ずい、と身を寄せられて、思わず直は一歩あとずさった。
頭では理解している。
こうして距離を詰めて、こちらを脅すのが優佑の手なのだ。
その手で、少し強引なくらいに契約をもぎ取る優佑を見ていて、営業というものはこのくらいしなきゃいけないんだと感じていたこともあった。
全然違うタイプの瀬央や二部のやり方を知ったことで、それだけじゃないとわかってきたけれど。
夕焼けも沈みきった廊下は、すでに薄暗い。
そんな場所で、元恋人とは言え男性にじわじわ迫って来られるのは、どうしても心細さを感じてしまう。
後ろに下がろうとした腕を、優佑がぐっと握って引いた。
振り払おうとしても、痛いくらいの力だ。
「役に立てよ。そうすれば……俺だって考え直すさ。お前次第で」
もうその気はない、と言えばいいだけだ。
なのに、至近距離から見下ろされて、喉が塞がったように声が出ない。
体格も力の強さも全然違う。
そのことを、頼りになると感じたこともあったのに――今は、もうそうじゃない。
震える唇で、それでもなにかを言い返そうと口を開いたそのとき。
「――そこでなにしてるんだ、佐志波」
優佑の肩を後ろから引いたのは、瀬央だった。
営業の事務室の前を通るたびに、直は元同僚や営業二部の面々から声をかけられた。
好意的な声掛けがほとんどだったが、唯一嫌味を投げてくるのが、優佑だったりする。
今日も、帰り際に廊下を歩いていたところで、後ろから呼び止められた。
さりげなく非常階段の方に後ずさりつつ、直は無言でぺこりと頭を下げる。
そのしぐさのなにかが優佑の気に障ったらしい。
「直――いや、煙咲。お前、異動してから服装が適当になったんじゃないか? いくら客前に出ないっても、女の仕事着はスカートだろうが。パンツなんてカジュアルすぎるぞ」
「ええ……いつの時代のお生まれですか、佐志波部長?」
「お前、生意気になったな」
「はあ、私よりはるかに生意気なヤツがいますんで、つい」
幸か不幸か、板来の口の悪さに付き合ううちに、だんだん優佑に対しても言い返せるようになってきたらしい。
板来さまさまだなぁと心の中で呟いたが、どうやら優佑の方は別の意味にとったようだ。
「それ、誰のことだ。俺のことだな?」
「はい?」
「まだそんなに俺のこと意識してるのかって言ってんだよ」
「…………はい?」
長い沈黙の後で、ようやく優佑の言いたいことが、直にも理解できた。
優佑のことが気になりすぎて、生意気に接してる――などという誤解を受けているらしい。
そういえば、まだ優佑と別れて一か月も経っていない。
つい一か月前に振られて泣いていたばかりなのに、新しい仕事に一生懸命ですっかり忘れていた。
そもそも、くだらないいやがらせや公私混同で、別れた後の優佑が直をうんざりさせたことも大きいが。
「俺がいないとお前が寂しがるのは知ってるよ。しかも、別れて直後に知り合いの誰もいない部署に異動だもんな、さぞつらかったと思う」
「あ、はい……」
確かに直は、どちらかというと人見知りするところがある。
だが、正直、寂しさを感じていた期間は非常に短かった。
慣れない仕事に必死だったのもあるし、なにより仕事仲間とあっという間に溶け込むことができた。
瀬央は初日から親身に話しかけてくれたし、板来は口が悪いながらも根は悪い人間じゃないと思える。電話の状況も三人いれば余裕があって、板来が来てからは有給休暇をとることもできるようになった。
頼りになる上司と、気安く話せる相手。
大変恵まれた職場環境と言える。
「だがな、俺の気持ちもわかってくれ。別に、お前が嫌いで別れたわけじゃないんだ」
「あ、聞きました。専務のお嬢さんとお見合いしたんですよね。おめでとうございます」
もとは瀬央から聞いた情報だったが、ここしばらく瀬央経由で仲良くなった営業二部の面々も口々に似たようなことを言っていた。
代替品の輸送に関してやり取りのある業務課の事務仲間も耳にしている噂らしい。
どうやら、瀬央以外にもかなり広まっているようだ。
自覚しているだろうと思っていたのだが、直がその話題を口にした途端、優佑は大きく目を見開いた。
「お前……それをどこで!?」
「どこって、あちこちで噂になってますよ」
「な、なんでだよ……俺はなにも言ってないぞ!」
「知りませんよ。話が進んでるなら、結婚式の準備とかで、専務側から聞いてる社員もいるんじゃないですか。実際、どのくらい進んでるんです?」
「どのくらいもこのくらいも、全く進んで――あ、いや。お前に言う話じゃないだろ!」
「ああ、そーですね。正直さして興味もないんで言わなくていいですよ」
優しい顔でしれっと手のひらを返す、この辺りの態度は瀬央の薫陶のたまものである。
瀬央のことを嫌っている優佑は、それにいち早く気付いたらしい。すぐにくしゃりと眉を寄せた。
「あいつの真似するなよ。俺があいつのこと嫌いなの知ってるだろ」
「知ってますけど、いつまでそんな好き嫌いで仕事選ぶつもりですか?」
直接的な問いかけに、優佑が天井を仰ぐ。
「……俺の勝手だろうが」
「あなただけの話ならそれでもいいですけど。そろそろ営業一部の顧客もコールセンターに回した方がいいって話が出てきているのでは?」
かまをかけている訳ではない。
斎藤をはじめとする営業二部各位が、精力的にお客様サポートコールセンターの良い評判を流してくれているおかげで、一部の社員にも「障害対応を任せられるならありがたい」という声が増えているのだ。
二部の社員も、別に瀬央の肩をもってそう口にしている訳ではない。
実際に、本来の仕事である営業活動に割ける時間が増え、売り上げが上がっているのだ。
少なくとも谷中は、二部の顧客をすべてコールセンターの対象とすることを決定した。それがちょうど先週末のことで、今週から二部顧客の障害連絡は、原則としてすべてコールセンターに回ってきている。
噂だけでいいならば、二部の谷中部長は、優佑にも一部の顧客を回した方がいいとオススメしている……らしい。
二部の強プッシュを受けて、隣接する一部がまったくその影響を受けずにいられるとは思えない。
直の問いかけに、優佑はすっと目を細めた。
「ああ、今日お前に言おうと思っていたのは、その話だ」
「瀬央さんの話ですか?」
「違う、コールセンターの話だよ」
ちっと舌打ちする音が廊下に響いた。
その音で、直も思い出した。
優佑は、この手の相手に圧をかける営業が得意なのだ。
緊張させておいて、そして緩和したところですいと相手の懐に忍び込むタイプの。
「お前、俺のことがまだ好きなんだろう? 役に立ちたいと思っているな?」
ずい、と身を寄せられて、思わず直は一歩あとずさった。
頭では理解している。
こうして距離を詰めて、こちらを脅すのが優佑の手なのだ。
その手で、少し強引なくらいに契約をもぎ取る優佑を見ていて、営業というものはこのくらいしなきゃいけないんだと感じていたこともあった。
全然違うタイプの瀬央や二部のやり方を知ったことで、それだけじゃないとわかってきたけれど。
夕焼けも沈みきった廊下は、すでに薄暗い。
そんな場所で、元恋人とは言え男性にじわじわ迫って来られるのは、どうしても心細さを感じてしまう。
後ろに下がろうとした腕を、優佑がぐっと握って引いた。
振り払おうとしても、痛いくらいの力だ。
「役に立てよ。そうすれば……俺だって考え直すさ。お前次第で」
もうその気はない、と言えばいいだけだ。
なのに、至近距離から見下ろされて、喉が塞がったように声が出ない。
体格も力の強さも全然違う。
そのことを、頼りになると感じたこともあったのに――今は、もうそうじゃない。
震える唇で、それでもなにかを言い返そうと口を開いたそのとき。
「――そこでなにしてるんだ、佐志波」
優佑の肩を後ろから引いたのは、瀬央だった。
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