15 / 39
第二章 出会い・前進・家族の問題
8.初白星
しおりを挟む
電話が鳴り出した。
受話器に手を伸ばす直に、瀬央がサムズアップを送る。
正面の板来は、ホワイトボードに視線を向けて、こくりと一つ頷いた。
その視線を追いかけてから、直も頷き返す。
最後に、瀬央に目で合図して、直は静かに受話器をあげるた。
「お電話ありがとうございます。多比良オフィスレンタルサービス株式会社、お客様サポートコールセンターです」
『もしもし? ちょっとご相談したいんですがいいですか?』
「はい、どのようなことでしょうか?」
板来がキーボードに書かれた文字を指している。
「まずは明るく」。
説明していたときの板来の声が、脳裏によみがえる。
『一般にコールセンターの第一声は、とにかく明るい方がいい、と言われてる』
『そうなの?』
『ああ、だがここは違う。このコールセンターにかかってくる電話は、基本的には修理の依頼だ。顧客は困ってかけてきてるんだから、あんまり明るすぎると、かけてきた相手との温度差が大きくなる』
『じゃあ……暗い方がいいかな?』
『んなワケねぇだろ、バカかお前は。適度に印象いいくらいに明るくしろ。初対面の相手が暗い声で電話に出たら、顧客だって困るだろうが』
ひどくバカにされたが、瀬央さんも苦笑しつつ頷いていた。
怒りをぐっと抑えて、直も納得した。
確かに、自分がかけた電話相手が暗い声をしていたら、まず会話する気が起こらない。
まずは明るく。
クリアした、と思う。
視線で問うと、板来が、ふんと鼻を鳴らした。
及第点のようだ。
安堵の息をこっそりとついたところで、顧客の声が話を続ける。
『そちらからお借りしている複合機なんですけどね、最近調子が悪いんです』
「それは……大変ご迷惑をおかけしております」
『ええ、困っていましてね。すぐに紙が詰まってしまって、日に何度も作業が止まるの。私がいるときはいいけれど、ほら、うちは男手の方が多いくらいだから。車には詳しいけれどコピー機はてんでダメでねぇ』
「そうでしたか……紙が何度も詰まってしまうのですね」
相槌を打ちながら、直は再び板来を見た。
濃いルージュの塗られた唇が、音を出さずにぱくぱく動く。
『よ・く・き・け』。
『それで、それからどうすればいいの?』
『前にも言ったが、俺は細かい敬語なんかより先に気にすることがあると思ってる。お前が伝えたい気持ちは顧客に伝わる。だから、電話に必要なのは、三つの『きく』だ』
『きく……?』
聞。聴。訊。
ホワイトボードに書かれた三つの字をちらりと見て、直は電話に意識を戻した。
ひとまず、顧客の状況を『聞く』ことはできたようだ。
次は、『聴く』こと。
彼女が言いたいことはなんなのか、それをうまく捉えないと、次の話にスムーズに移行しない。
瀬央がウインクを飛ばしてくる。
板来の言う『聴く』については、瀬央も一家言あったようだ。
『そうだなぁ、僕もわかるよ、その感覚。こっちが焦って話を進めようとすればするほど、なぜか話は進まなくなるんだよね。結局、向こうは言いたいことがあるんだ。それは、必ずしも僕のしたい話と一致していない。最終的に、お客様が言いたいことを言い切らない限り電話は終わらない。だから、話を丁寧に聴くことは、実は回り道じゃなくて一番の近道なんだ。話を進めるためにもね』
これが一番の近道だ。耳を傾ける。
もう一度その言葉を繰り返して、電話の向こうに耳を傾ける。
『そうなのよ、紙が詰まるでしょう? そのたびに私ばっかり呼ばれるのよ。修理してってねぇ……私だって別に直せる訳じゃないのよ。紙がどこに詰まってるかって、画面に出てる通りなのにね』
顧客が言いたいことはなんだ。知りたいことはなんだ。
このタイミングで、代替品を用意する、と言えばそれですむのか。
いや、と直は心の中で否定した。
「頼りにされているのですねぇ。ですが、お手を煩わせてしまってすみません」
『ええ、いえ。いいのよ。まあ機械だからね、壊れることもあるでしょう。ずいぶん長くお借りしてるしね』
「はい、長くご利用いただいて本当にありがとうございます」
『いいえ、まあこちらこそお世話になってねぇ……!』
言葉が区切れた。
直はふっと息を吸いなおして、最後の『訊く』に集中した。
「ご迷惑をおかけいたしました。それでは、代替品をご用意できるよう、ご登録を確認させていただきます」
『ええ、お願いしますね』
顧客の情報を漏れなく聞き取って、直はゆっくりと電話を切った。
談笑の混じるような、良い電話だった。
「……はあぁぁぁぁ……」
長い緊張の糸がほどけ、力が抜ける。
その肩を、ぽん、と優しく瀬央の手が叩いた。
「煙咲さん、お疲れ様。いい電話だったね」
「そう……でしょうか? うまくできていましたか?」
「後で録音を聞くといいよ。お客様の話をよく聞けていた。板来くんもびっくりするくらいね」
「びっくり……?」
最初のうち、板来が何度かアイコンタクトを取ってくれていた。
それで落ち着いて、板来の教えてくれたことを思い出せた。
今はディスプレイの影になっているが、きっとこちらを気にして何度も様子をうかがってくれたのだろう。
直はディスプレイ越しに頭を下げた。
「あの、板来くん、ありがとう。私、あなたのおかげで――」
「いい、言うな」
「えっ……?」
制止され、びっくりして立ち上がる。
板来はディスプレイの向こうで、ぐったりとキーボードの上に伏せていた。
「……板来くん?」
「他人の電話って、自分の電話以上に緊張するもんだな……。いつポカするかと思って気が気じゃなかった……」
「えぇ……そんな言い方ってある?」
直が顔をしかめた途端、背後でくっくっと笑い声が上がる。
思わず振り返ると、嬉しそうに口元を緩めた瀬央と目が合った。
「やだなぁ、板来君。そういうのは、心配してるって言うんだよ。教え子が君の言う通りに果敢に挑戦していくものだから、期待と不安でハラハラしたんだろう?」
「……瀬央さん」
「やったじゃないか、初白星――それも見事な金星だ」
「……瀬央さん、言葉のチョイスが古いっす」
じろりと瀬央を見上げた板来を、笑顔を消さない瀬央が迎え撃つ。
無言の攻防は、動揺の少ない方に勝ちがあったらしい。
結局、板来は無言のまま、もう一度机に顔をくっつけたのだった。
受話器に手を伸ばす直に、瀬央がサムズアップを送る。
正面の板来は、ホワイトボードに視線を向けて、こくりと一つ頷いた。
その視線を追いかけてから、直も頷き返す。
最後に、瀬央に目で合図して、直は静かに受話器をあげるた。
「お電話ありがとうございます。多比良オフィスレンタルサービス株式会社、お客様サポートコールセンターです」
『もしもし? ちょっとご相談したいんですがいいですか?』
「はい、どのようなことでしょうか?」
板来がキーボードに書かれた文字を指している。
「まずは明るく」。
説明していたときの板来の声が、脳裏によみがえる。
『一般にコールセンターの第一声は、とにかく明るい方がいい、と言われてる』
『そうなの?』
『ああ、だがここは違う。このコールセンターにかかってくる電話は、基本的には修理の依頼だ。顧客は困ってかけてきてるんだから、あんまり明るすぎると、かけてきた相手との温度差が大きくなる』
『じゃあ……暗い方がいいかな?』
『んなワケねぇだろ、バカかお前は。適度に印象いいくらいに明るくしろ。初対面の相手が暗い声で電話に出たら、顧客だって困るだろうが』
ひどくバカにされたが、瀬央さんも苦笑しつつ頷いていた。
怒りをぐっと抑えて、直も納得した。
確かに、自分がかけた電話相手が暗い声をしていたら、まず会話する気が起こらない。
まずは明るく。
クリアした、と思う。
視線で問うと、板来が、ふんと鼻を鳴らした。
及第点のようだ。
安堵の息をこっそりとついたところで、顧客の声が話を続ける。
『そちらからお借りしている複合機なんですけどね、最近調子が悪いんです』
「それは……大変ご迷惑をおかけしております」
『ええ、困っていましてね。すぐに紙が詰まってしまって、日に何度も作業が止まるの。私がいるときはいいけれど、ほら、うちは男手の方が多いくらいだから。車には詳しいけれどコピー機はてんでダメでねぇ』
「そうでしたか……紙が何度も詰まってしまうのですね」
相槌を打ちながら、直は再び板来を見た。
濃いルージュの塗られた唇が、音を出さずにぱくぱく動く。
『よ・く・き・け』。
『それで、それからどうすればいいの?』
『前にも言ったが、俺は細かい敬語なんかより先に気にすることがあると思ってる。お前が伝えたい気持ちは顧客に伝わる。だから、電話に必要なのは、三つの『きく』だ』
『きく……?』
聞。聴。訊。
ホワイトボードに書かれた三つの字をちらりと見て、直は電話に意識を戻した。
ひとまず、顧客の状況を『聞く』ことはできたようだ。
次は、『聴く』こと。
彼女が言いたいことはなんなのか、それをうまく捉えないと、次の話にスムーズに移行しない。
瀬央がウインクを飛ばしてくる。
板来の言う『聴く』については、瀬央も一家言あったようだ。
『そうだなぁ、僕もわかるよ、その感覚。こっちが焦って話を進めようとすればするほど、なぜか話は進まなくなるんだよね。結局、向こうは言いたいことがあるんだ。それは、必ずしも僕のしたい話と一致していない。最終的に、お客様が言いたいことを言い切らない限り電話は終わらない。だから、話を丁寧に聴くことは、実は回り道じゃなくて一番の近道なんだ。話を進めるためにもね』
これが一番の近道だ。耳を傾ける。
もう一度その言葉を繰り返して、電話の向こうに耳を傾ける。
『そうなのよ、紙が詰まるでしょう? そのたびに私ばっかり呼ばれるのよ。修理してってねぇ……私だって別に直せる訳じゃないのよ。紙がどこに詰まってるかって、画面に出てる通りなのにね』
顧客が言いたいことはなんだ。知りたいことはなんだ。
このタイミングで、代替品を用意する、と言えばそれですむのか。
いや、と直は心の中で否定した。
「頼りにされているのですねぇ。ですが、お手を煩わせてしまってすみません」
『ええ、いえ。いいのよ。まあ機械だからね、壊れることもあるでしょう。ずいぶん長くお借りしてるしね』
「はい、長くご利用いただいて本当にありがとうございます」
『いいえ、まあこちらこそお世話になってねぇ……!』
言葉が区切れた。
直はふっと息を吸いなおして、最後の『訊く』に集中した。
「ご迷惑をおかけいたしました。それでは、代替品をご用意できるよう、ご登録を確認させていただきます」
『ええ、お願いしますね』
顧客の情報を漏れなく聞き取って、直はゆっくりと電話を切った。
談笑の混じるような、良い電話だった。
「……はあぁぁぁぁ……」
長い緊張の糸がほどけ、力が抜ける。
その肩を、ぽん、と優しく瀬央の手が叩いた。
「煙咲さん、お疲れ様。いい電話だったね」
「そう……でしょうか? うまくできていましたか?」
「後で録音を聞くといいよ。お客様の話をよく聞けていた。板来くんもびっくりするくらいね」
「びっくり……?」
最初のうち、板来が何度かアイコンタクトを取ってくれていた。
それで落ち着いて、板来の教えてくれたことを思い出せた。
今はディスプレイの影になっているが、きっとこちらを気にして何度も様子をうかがってくれたのだろう。
直はディスプレイ越しに頭を下げた。
「あの、板来くん、ありがとう。私、あなたのおかげで――」
「いい、言うな」
「えっ……?」
制止され、びっくりして立ち上がる。
板来はディスプレイの向こうで、ぐったりとキーボードの上に伏せていた。
「……板来くん?」
「他人の電話って、自分の電話以上に緊張するもんだな……。いつポカするかと思って気が気じゃなかった……」
「えぇ……そんな言い方ってある?」
直が顔をしかめた途端、背後でくっくっと笑い声が上がる。
思わず振り返ると、嬉しそうに口元を緩めた瀬央と目が合った。
「やだなぁ、板来君。そういうのは、心配してるって言うんだよ。教え子が君の言う通りに果敢に挑戦していくものだから、期待と不安でハラハラしたんだろう?」
「……瀬央さん」
「やったじゃないか、初白星――それも見事な金星だ」
「……瀬央さん、言葉のチョイスが古いっす」
じろりと瀬央を見上げた板来を、笑顔を消さない瀬央が迎え撃つ。
無言の攻防は、動揺の少ない方に勝ちがあったらしい。
結局、板来は無言のまま、もう一度机に顔をくっつけたのだった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
【短編】スカートの奥のリアリティ【現代/コメディ?】
桜野うさ
大衆娯楽
元・売れっ子少女漫画家の早乙女キララ(♂)は、起死回生を図り、女子高生のぱんつを描いていた。
女子高生ミユは、ヒロインのオーラと「世の中に静かに絶望している」目を持つ美少女だった。
※恋愛要素はありません。
※カクヨムで公開しているのと同じです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる