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第二章 出会い・前進・家族の問題
7.知り合い
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板来は一週間ほどで仕事に慣れたようだ。
その週にはもう、直以上に電話を取っていた。
それまで、お昼休憩が取れないこともあったが、板来が入ってからは余裕ができた。
たとえば、直が電話の練習をしたり、これまでの電話内容を整理したり。
そして、それについて
「うん、やっぱり月曜の朝が一番多いみたいだね。板来君の言っていた通りだ」
瀬央が、集計した電話件数を見て板来に向かって笑いかけた。
板来は頷き返してから、直へ訝しげな視線を向ける。もの言いたげな直の表情を読んだのだろう。
「俺の予測が間違ってると思ってるのか?」
「う、ううん……間違ってるとは思ってないけど」
「だけど、なんか言いたいことあんだろ」
「煙咲さん、言ってごらん」
瀬央の柔らかな口調に背中を押されて、直はごくりと息をのんだ。
「あの……板来くんが間違ってるとかじゃなくて、ただ……月曜に電話を取ったのはたった二回だけなので。その、今週も先週も確かに板来くんがくるまで忙しかったけど……二回だけの経験で結論出して、板来くんのシフト決めちゃって本当にいいのかなって思ったんです」
「あん? 結局俺の言うことを疑ってるんじゃないか」
「落ち着いて、板来君。うん、煙咲さんもいいところに目をつけたね。実データが少なすぎるというのは、確かなことだ」
「瀬央さん! 俺は――」
「わかってるよ、板来君。ちゃんと説明するから。実はね、煙咲さん。板来君が前に働いていたコールセンターも、その前に働いていたコールセンターも、多比良と同じ法人向けのサポートセンターなんだ」
「えっ……」
経験豊富だとは聞いていたが、そこまで似たタイプのコールセンターとは思っていなかった。
驚いた直に、板来がふん、と鼻を鳴らす。
「俺はオールラウンダーじゃないの。一つの技能を磨くタイプなんだよ」
「そこでも同じ傾向だったんだって。月曜の午前中に電話が殺到する。だいたい理由の予測もつくんだ」
「そう、なんですか?」
「まあ、だいたい機械ってのは電源を入れるときと落とすときに一番負荷がかかるんだ。だから、土日に休んで月曜に電源入れたときには壊れてるってことがままあるわけ。それに、ここは土日休みだけど、土日に普通に稼働してる企業もあるだろ。そういうとこは、土日に故障に気づいてもあんたらが月曜に営業開始するのをじりじり待ってる。ってことは、当然件数は増えるだろ。ほら、自明だ。もちろん波はあるだろうが、全体として俺が月曜にシフト入れることは間違ってない」
「そ、そっか……ごめん」
慌てて直は頭を下げたが、板来はぷいと横を向いた。
「俺はいいとして、瀬央さんがちゃんとした理由もなく、適当に決めたりするわけないだろ。このひと、こう見えてデータの鬼なんだぞ」
「いやあ、鬼ではないって」
瀬央が苦笑して立ち上がる。
「ま、二人とも落ち着いて。コーヒー買ってくるから、ちょっと待ってて」
「あ、あの……」
「俺はブラックがいいです」
「知ってるよ」
横を向いたまま注文を出す板来に、瀬央は軽く手を振って部屋を出て行った。
気まずい沈黙が二人の間に落ちる。
「……あの、板来くん」
「なに」
「えっと……その、ごめんなさい」
「それはさっき聞いた」
取り付く島もない言いようだ。
直は必死に話題を探して頭を働かせる。
「あの、さあ……板来くんて」
「なんだよ」
「えっと、瀬央さんとは昔からの知り合いなの?」
「……あ?」
びっくりした顔で板来が振り向いた。
見開かれた目は、ばちばち伸びたつけまつげに彩られている。
その目力のある視線に見つめられて、思わず直はのけぞった
「えっ……あの?」
「なんでそう思うんだよ」
「だって、前の前に働いてたバイト先まで知ってるんだもの。初日からずいぶん気安い感じだったし。でも、私がいるときにそんな話してる様子はなかったでしょ。だから、以前からの知人なのかと思って」
「おっまえさぁ……」
板来は天を仰いだ。体重をかけられた椅子の背がぎしりと鳴る。
しばらく沈黙した後、ぐいんと背を戻した板来は、いつもの無表情に戻っていた。
「なんでお前、こういうときは嗅覚きくの?」
「嗅覚?」
「俺が瀬央さんと初めて会ったのは、小学生のとき。それ以来ちょくちょく。……これでいい?」
「えっ、うん」
更にしばしの沈黙。
それから突然、板来が立ち上がった。
「俺はさ、煙咲さん。仕事ではちゃんと喋るけど」
「うん」
そのことはよく知っている。
なにせ席は正面だ。声はよく聞こえてくる。
愛想のよさは、本当に同一人物か疑いたくなるくらいだ。
低い声も、ゆったりとした喋り方も、落ち着きを感じさせる。
電話の向こうの顧客も安堵して聞いているに違いない。
『ええ、ありがとうございます。はい、そうでしたか……大変ご迷惑をおかけいたしました。ええ、早急に代替品をご用意いたします。まずはお名前から……』
「板来くんは、本当に電話がうまいよね」
「ああ、まあね。だけど、こうやって喋るのは苦手だ。……話すことないし」
「話題ってこと?」
「そ」
板来は軽く頷いた後、やはり困った顔で沈黙している。
直は少し考えて、とん、と手を叩いた。
「じゃあ、仕事の話をしようか。板来くん」
「なにについて」
「電話のトレーニングだよ。私、もっとうまくならないとだめでしょ」
「ああ、それには完全に同意だね。まだまだ改善の余地があるし」
「伸びしろって言ってほしいなぁ」
「伸びしろが大きすぎて、どこまででも成長できそうに見えるってやつだね」
板来の目が少しだけ和らいだ。
その目線だけで、冗談だと理解できる程度には仲良くなったようだ。
目が合ったところで、微かに笑い合う。
扉の向こう、瀬央の足音が近づいてくる。
コーヒーの匂いがふわりと漂った。
「お、どうしたの。僕がいない間に仲良くなったみたいだね」
「板来くんが電話応対講座を開いてくれるそうなので」
「いや、そこまでは言ってないでしょ」
寄せられた眉も、瀬央がコーヒーを押し付けると微かに緩む。
「君の講座、僕も聞きたいなぁ。ぜひ」
「まあ……瀬央さんが言うなら、まあ」
板来が、きゅぽんとホワイトボードマーカのキャップを抜いた。
その週にはもう、直以上に電話を取っていた。
それまで、お昼休憩が取れないこともあったが、板来が入ってからは余裕ができた。
たとえば、直が電話の練習をしたり、これまでの電話内容を整理したり。
そして、それについて
「うん、やっぱり月曜の朝が一番多いみたいだね。板来君の言っていた通りだ」
瀬央が、集計した電話件数を見て板来に向かって笑いかけた。
板来は頷き返してから、直へ訝しげな視線を向ける。もの言いたげな直の表情を読んだのだろう。
「俺の予測が間違ってると思ってるのか?」
「う、ううん……間違ってるとは思ってないけど」
「だけど、なんか言いたいことあんだろ」
「煙咲さん、言ってごらん」
瀬央の柔らかな口調に背中を押されて、直はごくりと息をのんだ。
「あの……板来くんが間違ってるとかじゃなくて、ただ……月曜に電話を取ったのはたった二回だけなので。その、今週も先週も確かに板来くんがくるまで忙しかったけど……二回だけの経験で結論出して、板来くんのシフト決めちゃって本当にいいのかなって思ったんです」
「あん? 結局俺の言うことを疑ってるんじゃないか」
「落ち着いて、板来君。うん、煙咲さんもいいところに目をつけたね。実データが少なすぎるというのは、確かなことだ」
「瀬央さん! 俺は――」
「わかってるよ、板来君。ちゃんと説明するから。実はね、煙咲さん。板来君が前に働いていたコールセンターも、その前に働いていたコールセンターも、多比良と同じ法人向けのサポートセンターなんだ」
「えっ……」
経験豊富だとは聞いていたが、そこまで似たタイプのコールセンターとは思っていなかった。
驚いた直に、板来がふん、と鼻を鳴らす。
「俺はオールラウンダーじゃないの。一つの技能を磨くタイプなんだよ」
「そこでも同じ傾向だったんだって。月曜の午前中に電話が殺到する。だいたい理由の予測もつくんだ」
「そう、なんですか?」
「まあ、だいたい機械ってのは電源を入れるときと落とすときに一番負荷がかかるんだ。だから、土日に休んで月曜に電源入れたときには壊れてるってことがままあるわけ。それに、ここは土日休みだけど、土日に普通に稼働してる企業もあるだろ。そういうとこは、土日に故障に気づいてもあんたらが月曜に営業開始するのをじりじり待ってる。ってことは、当然件数は増えるだろ。ほら、自明だ。もちろん波はあるだろうが、全体として俺が月曜にシフト入れることは間違ってない」
「そ、そっか……ごめん」
慌てて直は頭を下げたが、板来はぷいと横を向いた。
「俺はいいとして、瀬央さんがちゃんとした理由もなく、適当に決めたりするわけないだろ。このひと、こう見えてデータの鬼なんだぞ」
「いやあ、鬼ではないって」
瀬央が苦笑して立ち上がる。
「ま、二人とも落ち着いて。コーヒー買ってくるから、ちょっと待ってて」
「あ、あの……」
「俺はブラックがいいです」
「知ってるよ」
横を向いたまま注文を出す板来に、瀬央は軽く手を振って部屋を出て行った。
気まずい沈黙が二人の間に落ちる。
「……あの、板来くん」
「なに」
「えっと……その、ごめんなさい」
「それはさっき聞いた」
取り付く島もない言いようだ。
直は必死に話題を探して頭を働かせる。
「あの、さあ……板来くんて」
「なんだよ」
「えっと、瀬央さんとは昔からの知り合いなの?」
「……あ?」
びっくりした顔で板来が振り向いた。
見開かれた目は、ばちばち伸びたつけまつげに彩られている。
その目力のある視線に見つめられて、思わず直はのけぞった
「えっ……あの?」
「なんでそう思うんだよ」
「だって、前の前に働いてたバイト先まで知ってるんだもの。初日からずいぶん気安い感じだったし。でも、私がいるときにそんな話してる様子はなかったでしょ。だから、以前からの知人なのかと思って」
「おっまえさぁ……」
板来は天を仰いだ。体重をかけられた椅子の背がぎしりと鳴る。
しばらく沈黙した後、ぐいんと背を戻した板来は、いつもの無表情に戻っていた。
「なんでお前、こういうときは嗅覚きくの?」
「嗅覚?」
「俺が瀬央さんと初めて会ったのは、小学生のとき。それ以来ちょくちょく。……これでいい?」
「えっ、うん」
更にしばしの沈黙。
それから突然、板来が立ち上がった。
「俺はさ、煙咲さん。仕事ではちゃんと喋るけど」
「うん」
そのことはよく知っている。
なにせ席は正面だ。声はよく聞こえてくる。
愛想のよさは、本当に同一人物か疑いたくなるくらいだ。
低い声も、ゆったりとした喋り方も、落ち着きを感じさせる。
電話の向こうの顧客も安堵して聞いているに違いない。
『ええ、ありがとうございます。はい、そうでしたか……大変ご迷惑をおかけいたしました。ええ、早急に代替品をご用意いたします。まずはお名前から……』
「板来くんは、本当に電話がうまいよね」
「ああ、まあね。だけど、こうやって喋るのは苦手だ。……話すことないし」
「話題ってこと?」
「そ」
板来は軽く頷いた後、やはり困った顔で沈黙している。
直は少し考えて、とん、と手を叩いた。
「じゃあ、仕事の話をしようか。板来くん」
「なにについて」
「電話のトレーニングだよ。私、もっとうまくならないとだめでしょ」
「ああ、それには完全に同意だね。まだまだ改善の余地があるし」
「伸びしろって言ってほしいなぁ」
「伸びしろが大きすぎて、どこまででも成長できそうに見えるってやつだね」
板来の目が少しだけ和らいだ。
その目線だけで、冗談だと理解できる程度には仲良くなったようだ。
目が合ったところで、微かに笑い合う。
扉の向こう、瀬央の足音が近づいてくる。
コーヒーの匂いがふわりと漂った。
「お、どうしたの。僕がいない間に仲良くなったみたいだね」
「板来くんが電話応対講座を開いてくれるそうなので」
「いや、そこまでは言ってないでしょ」
寄せられた眉も、瀬央がコーヒーを押し付けると微かに緩む。
「君の講座、僕も聞きたいなぁ。ぜひ」
「まあ……瀬央さんが言うなら、まあ」
板来が、きゅぽんとホワイトボードマーカのキャップを抜いた。
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