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第二章 出会い・前進・家族の問題

2.ゴスロリ男と地味女

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「……ただいま」
「どうしたの、あんた。ストッキング破れてるわよ」

 家に辿り着いた直を、母親の有希子ゆきこは、ちゃぶ台の向こうで出迎えた。
 かつては、直にとって自慢の母親だった。
 他の子のお母さんよりも、若く美しくおしゃれに気を抜かない。友人から羨まれることも多かった。

 だが、あれから十年も経った。
 有希子ももうすぐ五十だ。
 直だって、母親にただ綺麗でいてほしいだけの少女では、もうない。

 確かに今でも有希子は美人だ。
 身内で同性である直から見てもそうだし、実際これまで、恋人が途切れたことはほとんどないらしい。
 今だって、十歳以上年下の男性と付き合っている。
 直も数度、食事を共にしたことがあるので、嘘やはったりでないのはよく知っている。

 モテるひとなのだ。
 そして、そのための努力を惜しまない。
 ……それが悪いことではないのも、否定すべきことでもないのも、直は知っている。

 反応の悪い娘に対し、有希子は小首をかしげた。
 気取ったポーズも、有希子がとると美しく見える。

「晩ごはんできてるから、べたら? 低カロリーだから夜遅くに食べても太りにくいよ」
「……またダイエットしてるの?」
「またじゃないわ、まだ。ずっとダイエット。気を抜くとすぐ太っちゃうからね」

 ダイエット、美容、メイク。時々彼氏。
 有希子の興味はいつもそんなものばかり。
 どれも直の好きな話題ではない。
 直はうんざりして立ち上がった。

「あら、ごはんは?」
「今日はいい」
「全然食べないのも身体に悪いのよ。それより、あんたも一緒にヨガ行く? 身体を動かしてやせる方が長期的には……」
「いいから。今日はもう寝る」

 乱暴に閉じた襖が、背中で、ぱーんと乾いた音を立てた。
 自室のベッドに身体を放り投げると、みるみる睡魔が身体を絡め取っていく。
 慣れない仕事に加え、二日続けて他人と言い争うことになったのが、直の心にぎちぎちと圧をかけている。
 言い争って、喚いて逃げて。

 さっきの美少女――美少年?
 あの子にも、言いたいだけ言われて逃げ出しただけだ。

「あの子なんなの……そりゃ光の当たらないところでしゃがみ込んでたのは私が悪いかもしれないけど」

 思い返せば、あのひらひらと飾りが多いワンピース。派手過ぎるメイク。いわゆるゴスロリ、というヤツだ。
 なんだかんだで堅めの社風である多比良たいらの社員には見えない。
 通用口近くにいたことも含めて、もしかして敷地内を通り抜けしようとしただけの通りすがりなのでは。

「……関係者外立ち入り禁止なのに」

 もしそうだとすると、大変よろしくない。
 明日、警備のおじさんに言いつけておこう。
 そこまで考えたところで、直の意識は夢の世界へと沈んでいった。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 翌朝、疲れを引きずって出勤した直に、瀬央せおの笑顔が向けられた。

「おはよう、煙咲たばさきさん。だいぶ疲れているね」
「顔に出てますか……? すみません」
「いや、慣れない仕事だからね。当然だよ。だけど……その様子だと、明日はちょっとキツいかな?」
「明日? 土曜日ですが……あっ!」

 言いかけて、昨日の瀬央の言葉を思い出した。
 新しいバイトが来たら、土日に事務所の引っ越しをしよう、という話だ。

「じゃあ、決まったんですか? もう!?」
「いやあ、ぴったりな候補者がいてね。即決だったんだ。今日の午後から見学に来るって言ってたから、そのときに紹介するよ」
「わっ良かった! そんなのもちろん私、明日も喜んで来ます! バイトの方も来るし、事務所ももっと過ごしやすい場所になるんですよね!」
「ああ、うん。それは保証するよ。ビルの中に戻ることになるから、空調もあるしトイレも近い」
「わーい!」

 プレハブで今現在困っている訳ではないが、一日の大半を過ごす場所だ。住環境は良いに越したことはない。
 ようやくテンションが上がってきたところで始業のベルが鳴ったのは、大変結構なことであった。
 ――その後の出来事を知っていれば、とてもそうは思えなかったかもしれないが。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 昼休み。
 多忙片手で昼食がわりの菓子パンをかじっていると、プレハブの入り口をガンガン、と誰かが叩いた。ブリキだから音は派手だが、ノックだろう。

「ふわーい」

 菓子パンをくわえたまま、入り口に向かって返事をする。
 直の声を聞いて、扉の向こうからひょこりと顔を出したのは――

「――ああ? 昨日の障害物女じゃん……」
「あああああ! あなた、ゴスロリ男!」
「誰がゴスロリ男だよ。地味女」
「じ、地味女……!?」

 皮肉な言葉を投げつけてくるのは、昨晩の美少女――もとい、低音ボイスの美少年であった。
 直に足を引っかけたときと同じ、フリルたっぷりのワンピースを、今日もまとっている。
 だが、昼の光の下で見ると、暗闇の中よりもよく顔が見える分、いろいろなことがはっきりする。
 たとえば、服装の派手さとか化粧の濃さ、そしてそんな化粧に覆われていても明らかな、整った顔立ちとか。

 その尖った顎先をつんと押し上げて、少女――もとい、少年は腕組みをして直を睨みつけた。

多比良たいらのお客様サポートコールセンターってのは、ここ?」
「まさか、あなた……それを聞くってことは」

 薄々勘づいた直が、声を上げる前に。
 ぽん、とゴスロリ少年の肩を叩いたのは、ちょうど買い物から戻ってきた瀬央だった。

「やあやあ、板来いたらいくん、来てたのか!」
「瀬央さん……」

 瀬央の視線が直に向けられる。

煙咲たばさきさん、紹介するよ。こちら、今日からバイトに入ってくれる板来いたらいくんだ。板来くん、こっちは正社員の煙咲さんね。この三人だけの部署だから、仲良く頼むよ」
「ああっやっぱり!」
「……マジかよ」

 吐き捨てるような板来の声に、直は苛立ちを感じつつも、心から同意したのだった。
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