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第二章 出会い・前進・家族の問題

1.夜道のシンデレラ

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 翌朝、目が合った瞬間に瀬央せおはにこりと笑って手をあげた。

「やあ、おはよう。昨日は……ぶ、あはははは、すごい活躍だったってね!」
「昨日……ぶ、部長!? 聞いてらしたんですか?」
「瀬央でいいってば。いや、二部の……ほら、斎藤くんが見てた。お客様サポートコールセンターの勇敢な部下が、営業一部の見栄張り部長に食ってかかってたって」
「ああ……あっ、あの……すみません……でした」

 直は頭を抱えた。
 自分でも薄々わかっている。
 喚くだけしかできなかった。なんの役にも立ってない。

「謝ることないでしょ。僕は頼もしいと思ったけど」
「いえ、なんにもできてないので……」
「まあまあ、結果よりも過程が好きだよ、僕は。ただの嗜好の話だけど」

 しょんぼりと席に着く直を見守ってから、瀬央は頷いた。

「で、どうだった? 佐志波さしばはなにか言ってた?」
「それが、『知らん』の一点張りで」
「そうかあ」
「顧客リストも渡せない、と」
「うん、まあそうだろうね。あいつ、協力とか提携とか嫌いだからな」
「部……瀬央さん、ずいぶんゆ……佐志波部長に詳しいですね」
「ライバルだからね。ま、それよりも」

 ぱちん、と瀬央が指を鳴らす。

「昨日から電話も増えてきちゃったし、このままじゃ君に有給休暇を取ってもらうこともできないしね。今日の仕事が終わったら、本格的に戦力増強しようと思うんだ」
「戦力増強、ですか?」
「具体的に言えば――バイトを雇おうと思う」
「バイト……?」

 始業のベルが鳴る。
 直後、デスクの電話がじりじりと呼び出し音を鳴らす。
 話を最後まで聞く余裕もなく、直は慌てて受話器に手を伸ばした。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 昼休みも途中の休憩も飛ばして電話を取り続け、ようやく落ち着いたのは太陽も完全に沈んだ夜のことだった。
 終業のベルが一時間以上前に鳴っていたのは聞いていた。
 ただ、そこで手を止める余裕がなかっただけだが。

「おっと、まずい。そろそろ時間になっちゃうな」
「時間、ですか?」
「朝言ったバイトさんの面接だよ」
「えっ、面接……!? もうそこまで話が進んでるんですか?」

 瀬央がいたずらっぽい顔でブイサインを作った。

「営業二部の谷中たになか部長が、二部にバイトを採りたいってずっと言ってたから……便乗させてもらった」
「便乗、ですか」
「うん。良さそうな候補者が来たら回してもらえるように……いや、もちろん二部のバイトが優先だよ?」
「それは当然! いや、でも……大丈夫なんですか? 人件費とか予算とか……」
「うーん、差し当たって予算については、初年度マイナスが確定してるからね。そのマイナス二千万が二千五百万になったところで、たいして変わらないから」
「にせんごひゃくまん……」

 直にとっては大金だ。思わずたどたどしく呟いてしまう。
 そんな直に、瀬央は大げさに眉をさげ、わざとらしく申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「あー、もう一人増えたとして、一個だけ問題を言うなら」
「は、はい」
「事務所が本格的に狭くなるから、引っ越しを……それも、土日出勤でやらなきゃいけない」
「……そんなこと、全然構わないです!」

 このままこのプレハブで夏を迎えることを考えれば、一日や二日の休日出勤など大したことじゃない。
 営業一部にいた頃も、誰かのミスのサポートするためや繁忙期の間、休日出勤が続くことはあった。

「あはは、君、頑張り屋だもんね。君ならそう言うと思ってた」

 生温かい風を送ってくる扇風機を止め、瀬央は席を立った。

「じゃ、僕は行ってくる。本当は君にも同席してほしいけど」
「えっいえいえいえ! 私、面接官なんて自信ないです。それに、元々は二部のバイトを探す面接なんですよね? それだと、私まで同席しちゃさすがにお邪魔になりますし」
「邪魔ってことはないけど、確かに大勢ずらっと並ぶと、候補者の方が緊張しちゃうかもね」
「はい。なので……人選は瀬央さんにお任せします」
「わかった。明日の朝にはまた報告するよ。楽しみにしてて!」

 ひらひらと手を振った瀬央が去っていくのを見送ってから、直は自分もプレハブを出た。

 見上げれば、ビルの電気は半分ほどがもう消えている。
 まだ明るい窓の一つは営業一部――ちょうどあの向こうに優佑ゆうすけの席があるはずだ。
 一週間前ならうっとりと見上げたはずだったが、今はその灯りを見ることさえつらかった。
 強いてそちらから視線を逸らし、直は歩き始めた。

 多比良たいらオフィスレンタルサービス株式会社の敷地は、塀と生垣で外部から区切られている。
 東にある正門と、西にある通用門が、敷地からの出入り口だ。
 いつもは自宅に近い正門へ向かうのだが――残念ながら、そちらにはビルがある。
 ビルを背に、遠回りして帰ることにした。

 今年は暖冬だった。春先だというのに、空気は生温かい。

 冬でなくて良かった、と思った。
 冷たいベッドで人肌恋しさを感じるのは、あまりにもわびしいから。

 優佑はひどいひとだ、とわかった。
 わかったのにまだ、隣にいた頃のことを忘れられない。
 一年間、一緒にいた記憶があちこちにありすぎて。

 反射的にしみ出した涙を手の甲でぬぐう。

「……あれ? やだな……」

 あんな男、と思う気持ちと裏腹に、次々に涙が溢れてくる。
 どうにも止まらなくて、思わずその場にしゃがみこんだ。

 その背中に――誰かの足が引っかかった。

「――う、わっ!?」
「きゃっ」

 どうやら、灯りの届かない場所にしゃがんでいたせいで、夜闇に紛れて直が見えなかったらしい。
 バランスを崩した誰かの身体が、直の背中に降ってくる。
 さすがに、人ひとりの重さを支えるような腕力はない。
 そのまま団子になって地面に転がった。

いて
「うぅぅ……びっくりした。だ、大丈夫でしたか?」

 気付けば、横たわった直の上に、ひらひらと夜風に舞うレースたっぷりのスカートが覆いかぶさっている。
 スカートをはいている人物はゆっくりと身体を起こし、顔を覗き込んでくる。
 その整った顔立ちを見て、直は息をのんだ。

「わっ……」

 長いまつ毛、白磁のような頬。きつめのアイメイクも、彫りの深い顔立ちによく似合っている。
 ――掛け値なしの美少女だ。

「あ、あの……ごめんなさい。けがはないですか?」

 飛び起きて下げた頭の上に、冷ややかな声が響いた。

「おい。こんな暗いとこでしゃがみこんでぼんやりしてんな。ぶつかるに決まってるだろうが」

 乱暴な言葉遣いに低い声。
 直は目を丸くして、あたりをきょろきょろとうかがってしまう。
 ……どうやら、ぶつかってきた美少女のほかに、人影はない。

「どこ見てんだ、あんた。謝るならまっすぐこっち見て謝れよな」
「へっ……!?」

 そして顔を上げた直は、今度こそ見てしまった。
 そのピンク色のぷっくりした唇が、不愉快げな声を紡ぎだすところを。
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