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第一章 失恋・左遷・コールセンター

5.直の一歩

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 営業二部は、瀬央せおの依頼を受けて早急に動いたらしい。
 翌日から、少しずつ電話の件数が増えてきた。

 そして、それと共に、なおの苦労も増えている。

「あ、は、はい。わかり……ました。はい、すぐ代替品をお送りします」
『プリンターが使えないと困るんですけど? 代替品っていうのはいつ届くの』
「えっと……これから配送しますので、明日か明後日か……」
『すぐ使いたいって言ってるじゃない! 先月入れてもらったばかりなのよ!? うちの使い方の問題じゃないわ。そっちの整備不良で壊しといて、今日は使えませんってどういうこと!?』
「すみません……っ!」

 受話器を耳に当てたまま直はぺこぺこ頭を下げる。
 ディスプレイの向こう、瀬央が別の電話に応対しながら、手で「代わろうか」と合図しているのが見えた。
 とは言え、瀬央の電話もまだ時間がかかりそうだ。
 交代したところで、運送屋がすぐに動ける訳でもない。

「本当に申し訳ございません。とにかく……その、急いで手配しますので」
『どうしても今日は無理なの?』
「はい、すみません。申し訳ございません」
『急ぎの仕事なのよ。明日必ず必要なの。頭を下げられても使えるようになる訳じゃないんだから』
「すみません……」
『もういいわ。じゃあとにかく急いで。明日の午前中にはお願いね』
「えっ……」

 聞き返したときには、既に電話を切られていた。
 もう一度かけようかどうしようか迷った瞬間、大事なことに気が付いた。

 ――電話番号を、聞いていない。
 担当者名も聞いていない。
 急ごしらえで用意されたここの電話機には、番号を表示する機能は、ない。

 詰んだ。かけなおすこともできない。

「――では、失礼いたします」

 瀬央が、受話器をおく気配がした。
 はっと顔を上げたのと、瀬央が立ち上がったのが同時だった。

煙咲たばさきさん、大丈夫? ずいぶん焦った声をしてたけど」
「あの、部長……お客様がひどくお急ぎで……」

 そこまで言って、直はがくりと肩を下げた。

「……お急ぎ、なんですけど。私……やっちゃいました」
「瀬央でいいよ。なに? やっちゃったって」
「それが、電話番号もお客様の名前もわかりません……」
「おっと……」

 かけてきた相手を確認するなんて、電話の初歩の初歩だ。
 そうでなくても運送業者を手配するなら、先方の担当者と連絡先は必須の情報だ。向こうだって一つの会社だ。それがなければ、誰の元へいつ向かえばいいかわからない。

 わからなく、なってしまった。
 それもこれも、お客様のクレームに直が慌てていたためだ。

「ごめんなさい……私」

 泣きそうな気分で、直は頭を下げた。
 瀬央は一瞬眉を寄せた後、軽く直の肩を叩いた。

「とりあえず、どこのお客様か教えて」
「あの……」

 会社名を告げたとたん、瀬央はにこりと笑って受話器を取った。

「ごめん、僕。瀬央です。斎藤くんいる? ああ……うん。……あ、斎藤くん? あの、君の担当のお客様なんだけど、先月レンタル契約が始まったばかりの……あ、そうそう。どうやらそこで初期不良が出たらしくて、ご担当者様が大変お怒りでね」

 通話の向こうでバタバタと慌てる気配がした。
 どうやら担当は二部の新人、斎藤くんのようだ。眼鏡をかけた神経質そうな顔を思い出す。
 喚く声が聞こえてくる。直はびくりと肩を竦めたが、瀬央は軽くウィンクを返してきた。
 そのまま、なんでもない顔で会話を続けている。

「え、田中様? ああ、そうなんだ……苦労したね。運送会社使うと明日以降になっちゃうけど、どうも先方は急ぎらしい。申し訳ないが、謝罪も兼ねて代替品持って……うん。その方がいいね」

 斎藤くんにすべて押し付けているような気がして、直はますます頭を下げた。
 が、通話中の瀬央が手を振って直の頭を上げさせる。

「そうそう、前に言っただろ。こういうときにきちっと対応できると、むしろ株が上がるんだって。大丈夫、君ならできる。僕が言ってるんだ、信じろ」
『……はい! ありがとうございます。がんばります!』
 
 途中、泣き声じみた声が聞こえていたのだが、瀬央の励ましを受けた返事は思ったよりも力強く、直の耳にもしっかりと届いた。
 瀬央がゆっくり受話器を置く。

「……ってことで、担当者も連絡先も斎藤くんが知ってるよ。代替品もすぐに持ってってくれる」
「良かった……です。でも、斎藤くんに押し付けてしまうのは……」
「いや、本当にこれは斎藤くんが顔を出すべきことだから。多比良うちからレンタルしてる商品の初期不良だよ? フォローがなくちゃ、お客様は営業を信じられなくなる。斎藤くんもいやいや行った訳じゃない。聞こえていなかったかもしれないけど」
「いえ、聞こえてました。本当にありがとうございます……!」

 大きく頭を下げてから、直は席に戻った。
 瀬央がなにかを言おうとして、結局はそのまま口を閉じる。

 たぶん、気付いたのだろう。
 直の目が、落ち込んでいるだけではない、ということに。


●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●


 そのあとの直は、急いで手製の電話メモを作り、それを大量にコピーして一件につき一枚使いながら電話をとった。
 会社名、担当者、連絡先。
 故障機械に障害内容。
 絶対に確認しなければならないことは、書き出しておけばいい。
 そうすれば、もう二度と聞き洩らして瀬央の足を引っ張ったりすることはない。

 そうして電話を取るうち、ふと思いつく。
 終業のベルとともに顔を上げると、瀬央がディスプレイ越しに微笑んでいた。

「……どうしたの、煙咲さん? なにか改善の提案がある?」
「あっ、あの失敗したばかりで……こんなこと言うの良くないかもしれないんですけど」
「行き当たりばったりで電話とらせてるのは僕の方だよ。二人しかいないって言っただろう。状況が良くなる提案なら、なんでもとりあえず言ってごらん」

 一瞬、優佑ゆうすけの手のひら返しが頭の隅を掠めた。
 二人きりの部署で空気が悪くなったら、この後どんなに過ごしづらくなるか、なんてことも。

 もともと、出来がいい方じゃないのは自覚している。
 優佑から散々そう言われてきたのだから。
 でも。
 目の前にいるこのひとは、直のことを頼りにしている――そう言ったのだ。

 瀬央の言葉を信じるか悩む気持ちよりも、ただ、この部署で役に立ちたい。ちゃんとした仕事をしたい、その思いの方が勝った。
 だから、直はぎゅっと手を握り締めて、瀬央をまっすぐに見つめたのだった。

「あの……提案なんですけど」
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