虎藤虎太郎

八尾倖生

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★ 九月

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★ 九月

 おはよう。人によってはこんにちは。こんばんは。もしくは、初めまして。
 やはり人としての在るべき姿として、挨拶は最低限しておかないと駄目だと思う。道ですれ違った見ず知らずの通行人にいちいちする必要などないが、私のようにアパートに住んでいる人間だと外の廊下などですれ違った際は、最低でも会釈くらいするのがあくまでも礼儀ではないか。
 昔私はアルバイトでそこそこの規模のイベントスタッフをしていたのだが、制服を着た同僚のスタッフとすれ違った際、こちらからは良かれと思って「お疲れ様です」といった挨拶を飛ばしているのにあまり返してもらえなかった記憶がある。別に私とてスタッフとしての意識を高めるだとか、そういう心掛けで挨拶をしていたのではない。その方がお互いに気持ちが良いと思うからやるようになったというだけだ。おそらく挨拶自体が嫌がられていたとかいうわけでもないし、しっかりと挨拶を返してくれる人ももちろんいた。会釈だけでも返してもらうと、不思議と嬉しい気分になった。挨拶にはやはりそういう力があるのに、如何せん挨拶を返してくれない人たちにはそういうことを言っても伝わらないのだろうか。今日会って初めての名前も知らない人物から挨拶をされることに、どこか警戒心を抱いているのだろうか。それともただ単に、挨拶というものにそれほどの価値を見出していないのだろうか。昔から親や先生にやれと言われてきた所謂いわゆる「当たり前な行動」は、こうやって大人になるにつれて当たり前ではなくなってくる。当たり前ではなくなったときに私たちの前に降りかかる選択肢は、価値を見出すか見出さないかのどちらかでしかない。そしてその違いから、価値観が生まれることでしかない。
 私と彼らでは、挨拶に対する価値観が違うのだ。挨拶をし合って気分が良くなる人間と、別に大して良くならない人間。むしろ悪くなる人間。食べ物の好みが違うように、挨拶に対する考え方も皆違うのだ。人を探したり見つけたりするのも、別に誰だってよかったのだ。少しだけ価値観を共有できれば、別に誰だってよかったのだ。

 久しぶりにこうやって本題から逸れた話を冒頭でしたくなったのは、今日でおそらく最後の書き込みになるからだ。卒業式の後の担任の先生の言葉ではないけれど、最後くらいそういう核心めいたことを言いたくなった。最後くらいは自分のために、格好のつく言葉を並べたくなった。
 結論から言おう。
 私は、虎藤虎太郎を見つけられなかった。
 言い換えると、私が虎藤虎太郎だと思っていたあの男は、虎藤虎太郎ではなかった。
 それ以上でも以下でもない。どうやらあの男は虎藤虎太郎ではなかったみたいだ。本当にそれ以上でも以下でもない。ただただ、あの男は虎藤虎太郎ではない別の人間だったというだけだ。
 発覚したきっかけは、これまた何でもない話だ。一週間前の昼過ぎ、用事で外出した際にちょうど大家と鉢合わせたのだが、「あなたの隣の○○さんの様子が最近おかしい」という話を大家から聞いたのだ。その○○という名前に聞き覚えがなかったので最初はあの男とは反対の部屋の話だと思ったのだが、よく考えるとそちら側の部屋は空室であり、私の隣の部屋はあの男の部屋以外には存在しなかった。ということは虎藤虎太郎の様子が最近おかしいという話だと思ったのだが、大家の口から放たれたのは全く別の名前であり、その時点で私は混乱してしまった。もう内容も憶えていない幾つかの問答を交わした後で「隣の部屋の男って、虎藤虎太郎ではないんですか?」と思い切って訊いてみたが、案の定話は余計に混乱した。その後心配という名目であの男に関する幾つかの探りを入れた後で、「そういえば前に私に話してくれた、その部屋に以前住んでいた虎藤虎太郎という男について何かご存知ですか?」という直球の質問をぶつけてみたのだが、「あまり憶えていない」というおそらく隠し事などない真意の答えが返ってきた。

 そのとき私は直感した。あの男と虎藤虎太郎は、全くの別人だと。
 最初に○○という名を聞いたとき、私は色々な可能性を考えた。その○○さんという名前が偽名であるとか、そもそも虎藤虎太郎という名前が偽名であるとか、とにかくこじつけ紛いの様々な想像であの男が虎藤虎太郎だという考えを曲げようとしなかったが、その一つの直感によって、頑固な思想は一片の痕も残さず消失した。
 なぜなら冷静に考えれば、あの男は虎藤虎太郎ではないからだ。ただ単に以前虎藤虎太郎が住んでいた部屋に後から住んだというだけの、普通の隣人でしかないからだ。ただ単に近所のお店で偶然鉢合わせたというだけの、普通のご近所さんに過ぎないからだ。それ以上でも以下でもない。あの男は虎藤虎太郎ではない。それは思考を凝らすまでもない、普通に考えれば納得のいく白日の下の一部でしかない単純な事実だ。
 しかし不幸だったのが、あの男も何かのきっかけで虎藤虎太郎の存在を知ってしまったことだ。私が偶然拾い、なおかつ部屋に侵入してまで手に入れた日記は、正真正銘彼の物で間違いない。今考えれば自分を虎藤虎太郎ではないような書き方をしていたのも当たり前に頷けるし、だとしたら私と同じように虎藤虎太郎を探そうという行動に出るというのも理解できる。その上で一時的ではあるが私を虎藤虎太郎だと見誤ったのも納得がいく。ずっとあの日記の内容はそれこそ頭がおかしくなるくらいの悩みの種だったが、凝り固まった考えを一つ変えただけで、全ての説明がつくようになった。全ての矛盾がなくなった。そうした事実へのヒントが色々と重なって、私は自分の答えに辿り着くことができた。

 ただ答えと言っても、それは一時的なものに過ぎない。すなわちあの男は虎藤虎太郎ではないという、あの男に範囲を絞った答えでしかない。まあ、それはそれでいいという思いもなくはない。あの男を虎藤虎太郎だと決めつけていた期間を考えると一つの区切りであるのは間違いないし、ずっと頭の中で引っかかっていたものが取れたというスッキリした感覚も確実にあるし、何よりあの男に対してこのまま勘違いを続けることは、双方にとって何の得もない。
 正直、あの男には申し訳ないことをしたと思っている。初めてちゃんと顔を合わせたのは近所のラーメン屋だったと思うが、あのとき私はあの男を虎藤虎太郎だと直感し、以降あの男を執拗しつように注目していたのは、明らかに間違った行ないだった。日記にも書かれていたが、見ず知らずの人間にあのような視線を飛ばされるなど、逆の立場で考えなくとも不愉快極まりない。その後も喫茶店で再び遭遇したり、その二つのあの男の行動についてあることないこと書きつづったり、あろうことかそれをこのようなブログに載せて世間に公開するなど、モラルの欠片もない行動だったと自分ながらに恥ずべき所業だ。
 そうした一連の行動について自分なりに反省すると共に、どうやら私はこの一件について、衝撃の事実に辿り着いてしまったようだ。あの後大家に虎藤虎太郎についてもう一度訊いてみたのだが、思い出すのに長い時間をかけた結果、虎藤虎太郎が数年前にこのアパートから去ったのはやはり確かなようだ。だが大家が思い出したのはそれだけではなかった。どうやら虎藤虎太郎はアパートから出ていく際に、退去に関する手続きを全て済ませた上に、大家本人にもちゃんと挨拶をしていたようなのだ。
 ということはこの一件、もしかすると大家の勘違いが話をややこしくしただけで、本当は行方不明でも何でもない普通の退去だったのかもしれない。まったくこれでよく大家など務まるものだとほとほと呆れたが、まあ事件性がないのだとしたらそれに越したことはない。ニュースやインターネットの検索に虎藤虎太郎の名前がないのもこれで納得がいったし、家族の陰が現れなかったのもどこか別の場所で上手くやっている証拠だろう。最初はなかなか興味をそそられる事案だと思って胸を躍らせたものだが、蓋を開けてみればこの様である。本当に、シェイクスピア以前の時代でさえありきたりすぎて避けられそうな物語の結末である。

 何はともあれこの一件で傷つく人間は誰もいないようであるし、こうなったらもう一度、虎藤虎太郎を探してみるのもいいかもしれない。別に会ってどうこうしたいというわけではないが、折角妙な縁が生まれたわけだし、もし可能なら酒など酌み交わして一度じっくり語り合いたいものだ。この珍妙なブログについても是非話してみたい。こんな突飛な話をされても戸惑うかもしれないし、或いは好き勝手に名前を使ったことに関して酷く叱責されるかもしれないが、それでも今は好奇心の方が強い。まるで虎藤虎太郎の話を初めて耳にした日に戻ったように、純粋な関心が胸を躍らせている。そういう部分を含めて、やはり虎藤虎太郎という男は、私にとってつくづく重要な存在なのであった。
 ということでこれから私は、改めて虎藤虎太郎を探そうと思う。それに加えてこのブログも、もうあと一週間もしたら投稿を全て削除しようと思う。これが本当に行方不明の人間の話だったならまだしも、一般社会で普通に生活している人物となると迷惑をかける恐れがあるし、逆に変にあちらに話が伝わって揉め事になるのも避けたい。
 したがってどれほどの人間が見ていたのかはわからないが、あと一週間の猶予期間をもって、このブログは閉鎖させていただく。さすがに本文はこちらで保存してあるので、この世から完全に抹消されるわけではないというのはご安心いただきたい。もしこの話が変に話題になって書籍化されでもしたら、当時のものとして一部抜粋するかもわからない。
 とにかくこのブログの一部始終を見てくださった方々には感謝の念をお伝えすると共に、こんな変な話があったのだと記憶の片隅にでも置いておいてもらえたら幸いだ。そうしていつか本物の虎藤虎太郎と出会えたら、何らかの方法で世の中に発信しようと思っているので、いつかその日が来るのを楽しみに待っていてもらえたら幸いだ。

 最後になるが、どうしても一つだけ伝えなければならない事柄がある。
 それは結果的にこの勘違いの一件に巻き込んでしまう形となった、隣に住む彼についてだ。これに関してはただただ申し訳ないという言葉しか出てこない。私自身の勘違いも含めて、本当に申し訳ないことをしたと思っている。
 せめて彼が今でもこのブログを見ている可能性に賭けて閲覧期間をあと一週間設けたのだが、仮にこの文面が彼の目に届いたとしても、これで全てが済まされるとは微塵も思っていない。近いうちに粗品を持参して、しっかりと謝罪に伺いたい所存だ。どれくらいこの気持ちが伝わるかはわからないが、今回この件に巻き込んでしまったことについて、誠に申し訳ない。ただ、それだけだ。

 だが一つだけ、どうしても、わからないことがある。
 わざわざ言わなくてもいいのかもしれないが、一つだけ、どうしてもわからないことを書かせてほしい。
 これを最後にこのブログへの書き込みは完全に終了となるが、それでも私はこの一文を、最後の言葉として書くことに決めた。
 最後に一つだけ残ったこの問いを、どこかの誰か、答えてはくれないだろうか。

 あの男は結局、一体、誰だったのだろう?
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