虎藤虎太郎

八尾倖生

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◆ 八月

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◆ 八月

 一旦落ち着かせてはもらえないだろうか。
 なぜだ? どうしてだ? なぜ私の部屋に、誰かが侵入した跡がある? どうして私の部屋を、誰かが探し回った跡がある?
 なぜ、どうして、私の部屋の中から、あの日記が消えている?
 答えは一つしかない。
 あの男だ。あの男が私の居ない隙に部屋に侵入し、部屋中を探し回って私の日記を見つけ出し、そして、自分の部屋に持ち帰ったのだ。全ては私が虎藤虎太郎であることを証明するために、全てが書かれていた私の日記を奪い取ったのだ。
 私はあの男のブログを全て読んだ。全て読んだ結果、あの男が私を心の底から虎藤虎太郎だと思い込んでいるのだと痛感した。その上で、あの男は私がどこかで失くした日記の一部を偶然拾い、その日記の一部を読み、私の見ている現実とあの男の見ている現実の間に矛盾があることに気付いた。
 これは私を虎藤虎太郎だと信じて疑わなかったあの男にとって、衝撃の事実だろう。一時期の私もあの男が虎藤虎太郎ではないかという考えを持ってはいたが、すぐにそれは冷静に考えればおかしいことだと気付いた。さらに私はあの男が私の日記の一部を拾う少し前に、あの男が書いているブログの存在に気付き、一足先にあの男が私を虎藤虎太郎だと勘違いしていることを知った。だから全てのブログを読んであの男の強烈な考えを目の当たりにしても、変に動揺や衝撃を受けることなどなかった。あの男は所詮私を虎藤虎太郎だと勘違いしているだけで、度々出てくるキリストや釈迦だのといった例え話や毎回の支離滅裂な冒頭には何の意味もない。同じくあの男の刻んだ他の言葉にも、私がこうやって大量の言葉で誤魔化しているのと同様、本題とは何の関係もないのだ。

 いや、訂正しよう。改めてあの男の言葉の一つ一つを読んで、私は今、とても動揺している。はっきりと衝撃を覚えている。
 なぜなら私は、私たちは、やっていることが完全に同じなのだ。日々の生活ではやりきれない自分の感情を言葉に映し、しかしその中でも言葉にできない本心を別の何でもない話題で誤魔化し、挙句の果てに、あってないような薄い縁で繋がった虎藤虎太郎という存在で、自意識を保っている。解決したところで何の得もないのに、大してしていない努力を盾に日々を生きていると豪語している。私たちはいつからか、そうやって、同じ時と場合を過ごすようになっていたのだ。
 私にとっての虎藤虎太郎と、あの男にとっての虎藤虎太郎は、ずっと似て非なるものだと思っていた。お互い心の表面で意識していて、心の裏面で依存していて、しかし私にとってのそれはカモフラージュであって、あの男ほど大きくは固執していないと思っていた。その由縁こそが私があの男に対して虎藤虎太郎だという認識を早々に取り下げたことであって、逆にあの男は未だに私を虎藤虎太郎だと思い込み続けていることから、私たちの差はそこにあると信じていた。心の底から虎藤虎太郎に入れ込んでいるあの男と、心の底ではそれを認識できている自分──、私はこうやって優越感を保ち、自分だけ相手の心の内を見ている気になりながら、心の内で、心の奥底で、自分だけは現実を生きているのだと錯覚していた。
 しかし、いざ自分の日記を読まれたと知って、私は間違いに気付いた。
 私は間違いなく、虎藤虎太郎に依存している。あの男以上に、虎藤虎太郎に入れ込んでいる。何がどう依存しているか、何がどう入れ込んでいるかは今はまだわからない。何がどうなって間違いに気付いたのかも、今はまだ言葉にすることはできない。
 ただ、思い知ったのだ。自然と私は虎藤虎太郎から頭が離れなくなっていたことに。自然と私は、あの男に引き寄せられていたことに。

 では一体、虎藤虎太郎とは誰なのだろうか。私たちをここまで惹きつける虎藤虎太郎とは、そもそも何だったのだろうか。
 私の知っている虎藤虎太郎は、私が今住んでいる部屋に以前住んでいて、何の前触れもなく突然居なくなって、以来行方をくらまして、今では知る人ぞ知る人物となっている。私が知っている限りの虎藤虎太郎を知る人物は、自分とその事件を遠回しに私に教えてきた大家、それからあのブログの書き込み主であり、当時虎藤虎太郎がこのアパートに居たときから居たかは知らないが、今現在も私の部屋の隣、つまり虎藤虎太郎の部屋の隣に住んでいるあの男のみである。それ以外はニュースにもならなければ家族の影も見えない、果たして本当にこの世に存在しているかもあやふやな、想像上の人物も同然だった。
 つまり今現在、虎藤虎太郎は誰であろうと関係がない。私はもちろん、あの男も私が虎藤虎太郎であると思い込んでいるようだから実際の虎藤虎太郎については知らないのだろうし、大家に関しては、この件の火付け役にもかかわらずそもそも関心がないらしい。何を訊いても「よくわからない」の一点張りで、遂には訊く気を失せさせるためにえてやっているのではないかと思うくらい手応えがないので諦めることにした。つまりこの件は、もう私たち二人の問題に成り代わったのだ。
 その二人は、実際の虎藤虎太郎を知らない。しかしそのうちの一人は、今もなお私が虎藤虎太郎であると信じて疑わない。
 一方の私は、結局虎藤虎太郎が誰なのか皆目見当もつかない。探し出したところでおそらく、あの男が虎藤虎太郎だなんていう消去法のような答えしか出せない。
 だが、あの男の出した答えは消去法ではない。論理的な根拠などないのかもしれないが、たとえ直感でもそれを拠り所にできる確信がある。私が虎藤虎太郎だという、はっきりとした答えがある。
 私にはないが、あの男にはある確信。私にはないが、あの男にはある答え。

 それは、ただ一つ。私が、虎藤虎太郎であるということ。
 それが、私たちの見ている、同じ現実だということ。

 それが、私がずっと心の奥底に抱いていた、私の錯覚だということ。
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