虎藤虎太郎

八尾倖生

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◆ 七月

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◆ 七月

 おはよう諸君。人によってはこんにちは諸君。こんばんは諸君。もしくは初めまして、諸君。
 わかる人にはわかると思うが、あのブログの冒頭には必ずと言っていいほどこの文言での挨拶が並べられ、その中の一つの記事にはその挨拶についての解説のようなものまで書かれていて、もちろんメインの内容は虎藤虎太郎について書かれているのだが、まあなんというかやはり個人のブログなんだなというような感想を抱く内容もたくさん書かれていて、つまり何が言いたいのかというと、私のこの日記の中身と似ていると思った。
 あの男が何を考えているか、実のところ私にはよくわからない。同じく虎藤虎太郎がかつて住んでいたアパートに住み、同じく行方不明になった虎藤虎太郎を探そうと決意し、同じく虎藤虎太郎を探すことで、ポッカリと空いた自分の中にある穴を埋め、欠片かけら同然だった自分の人生を肯定しようとしている。私たちはたぶん、似た者同士なのだ。似た者同士だからこうやってお互い自分の中にある思いを文章にし、似た者同士だからこうやってお互い関係のない内容をたくさん書いて話を逸らして、似た者同士だからこうやってお互い、自分の中にある本当に吐き出したい思いを悟られたくないから、変に小難しい言葉に頼って、「私の意見」なんて表現で保険をかけて、誰かに理解してもらいたいという本当の願望をひた隠しにしている。

 しかし私は彼について、どうしてもわからないことが一つある。それはブログを読み進めていくうちにわかったことでもあるのだが、そのわかったことがなぜそのような成り行きとなったのか、私にはどうしてもわからなかった。
単刀直入に言うと、あの男はどうやら私を虎藤虎太郎だと思っているみたいだ。
 理由はわからない。書き込みを何度も読み返してみても、虎藤虎太郎は特別な人物だからそういった特別な出来事を引き寄せた、といった根拠らしきことも書かれてはいたが、結局のところ直感がきっかけだったと本人も認めている。
 すなわちあの男が私を虎藤虎太郎だと確信したきっかけは、彼の直感を働かせるに至った、私に宿る虎藤虎太郎要素であるのだ。自分で言っておいて虎藤虎太郎要素とは実際何なのかは私も全くわからないが、とにかくあの男は私を虎藤虎太郎だと錯覚した。もちろんあの男が大家から聞いた虎藤虎太郎の外見的特徴(ちなみに私はその情報をブログで初めて知った)が、私と所々一致しているのも要因だが、ラーメン屋でのあのたった一度の出会いで、私を虎藤虎太郎だと錯覚した。それ以降、あの男は私を虎藤虎太郎だと信じて疑わなかったようだ。
 こうなると私にとっては色々と考えさせられる事態となったわけだが、一つはっきりしているのは、当たり前であるがあの男がラーメン屋と喫茶店で私を凝視してきた理由がこれではっきりとした。彼が私を虎藤虎太郎だと勘違いしているのであれば、あそこまで私を見てきた理由は理解できる。むしろ立場が逆であれば、私も虎藤虎太郎を、並びに虎藤虎太郎だと勘違いしている男を凝視してしまうのに訳はないだろう。私の身に起きた出来事は、やはりほとんど全て虎藤虎太郎に関連している。気付かぬうちに私は、虎藤虎太郎を中心とする環の中に取り込まれていたのだ。
 だがそれはそれとして、あの男が私を虎藤虎太郎だと思い違いをしている理由は、どれだけあの男の側に寄り添って考えを巡らせても思いつかない。なぜ彼は、私を虎藤虎太郎だと錯覚したのだろうか。先ほども申した通り、あの男と私には共通する性質がある。虎藤虎太郎という捉えどころのない存在に魅了された、釈然とした理由がある。それは言葉や表現は違えど、彼のブログに書かれたものと私の日記に書いたものは同じことを示している。彼も私も、自分の人生を、存在を肯定する何かが欲しかったのだ。
 それが現実の存在でありながら、非現実の匂いをかもし出す虎藤虎太郎という存在だった。私たちはその謎とも不思議とも言えない「非日常」に、まんまと魅了された。私たちはいつしか、非日常に魅了された本当の自分を探し出していたのだ。

 思えば私も一度、あの男を虎藤虎太郎だと決めつけかけたことは否定しない。きっかけはあの男からではあったが、私も私であの男がどこかただの他人とは思えない直感が働き、だとしたら虎藤虎太郎本人であるのがしっくりくるという考え方は、確かに私の頭の中にはあった。
 しかし今思い返すと、それは一種の逃げだったのかもしれない。彼を虎藤虎太郎だと断定すること、言い換えるとそう思い込むことは、私にとってとても楽な考えだった。私の目的は虎藤虎太郎を探し出すことであり、仮に彼が虎藤虎太郎であるという考えを事実とするならば、必然的に私の目的は達成される。私はもう、虎藤虎太郎を探す必要などなくなるということだった。
 だがそれが果たして事実かどうかという以前に、彼が虎藤虎太郎だと受け入れることに対して、私は自分の中に問いが生まれた。
 私は、それでいいのだろうか。私は本当に、虎藤虎太郎を探し出したかったのだろうか。
 今更何を言い出すのかと疑問に思うだろうが、真剣に私はこの問いに行き当たった。何しろ私にとって重要だったのは、虎藤虎太郎を実際に探し出すことよりも、虎藤虎太郎を探し出すという行為そのものだった。私にとって今でも重要なのは、例えば彼を虎藤虎太郎だと断定することで現れる虎藤虎太郎の実物よりも、実際にいるかいないかはわからないが、探し出す行為によって保証される虎藤虎太郎の存在そのものだった。私がずっと求めていたのは、手で触れられる物でも、目に見える事でもない。いつまでもそれを求めていられるという、永遠に自分を肯定してくれる安心感の居場所だった。

 だとしたら、私には出さなければならない答えがある。
 本当の虎藤虎太郎が見つかったとき、私は何をしたらいいのだろうか。本当の虎藤虎太郎が見つかったとき、探し出すという行為そのものに固執していた私は、一体どうなってしまうのだろうか。
 いや、それは愚問だ。虎藤虎太郎が見つかったなら、素直に喜べばいい。虎藤虎太郎の無事がわかったならば、私は元の生活に戻ればいいのだ。虎藤虎太郎を探すというのは、性行為でもギャンブルでもない。虎藤虎太郎を探したところで、別に快楽も依存も何も生まない。なくなったところで苦しむことも困ることもないのだ。
 それなのに、私は何を恐れているのだろうか。私は虎藤虎太郎を探すという行為の中に、何を見ているのだろうか。その答えが私には必要なのだろうか。その答えがあれば、私はもう虎藤虎太郎を探す必要などなくなるのだろうか。
 今の私には、まだわからなかった。

 それでは。
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