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14-①
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14-①
翌日、花音は勤務に来なかった。その二日後の日曜日も、花音は勤務に来なかった。どちらも無断欠勤らしく、さすがに僕も店長から知り得る範囲の事情を訊かれたが、知らないとだけ言ったら話は終わった。
その二日は店長がシフトを埋めたが、翌週からは彼女が入った。元々入っていた火曜日と水曜日のシフトを店長に譲り、代わりに金曜日の夜と日曜日の午前午後、一応休職するとの連絡があった花音のシフトを彼女が埋めた。積もらせていた店長への貸しは、今になって役に立った。こうして僕は週三日、彼女との時間を手に入れた。感性が甦る瞬間を手に入れた。
勤務が終わると、僕たちは溺れることなく情動を果たし合った。時に適当な場所として駅前のホテルを、時に自然と人情が見える公園のトイレを、時に原点に戻り、店の裏を舞台に選んだ。どこにするかは勤務中に選定し、選んだ場所によって、前戯や体位を毎回変えた。正常位がお気に召す日本晴れがあれば、痛みに囚われる乱気流もある。僕たちはお互い、少しずつ溜めていた絵空事を実現する相手だった。段々とそれが勤務中に波及していったことは、もはや言うまでもない。この世に数多あるアダルトビデオがそうしてきたように、僕たちの欲望は、目に見える形と化していった。
しかし、足りないものが一つだけあった。それは、何を隠そう彼女の家である。彼女が妻として愛され、母として尊敬され、この世界で唯一、羽を休められる宿り木である。僕以外に唯一、彼女が仮面の下を曝け出せる人々である。
そこはもしかすると、彼女の人格にケリを付ける終点になるかもしれない。妻として母として、慎み深い俗女の浅瀬が心理に染み付く一方で、そこから脱け出そうとする剥き出しの淑女の深淵が、熟した身体に襲いかかる。だが周りの風景は、娘のご飯を作り、息子の着替えを手伝い、そして、翼と枝を一つにすることを誓った、夫の深い愛が溢れている日常である。背中に掛かるベッドの硬さも、瞳に映る天井の模様も、誰が何をすれば温度が上がり、何を言えば湿度が下がる家内の安全も、全て、彼女だけが知っている日常である。
そんな温床で、非日常が牙を剥く。それは、山岸文子という女を、根底から覆すきっかけになり得る。山岸文子だからこそ持っていた二つの心の内を、一つにする機会にある。それが成されたとき、彼女の翼は折られるだろう。枝どころか根ごと大きな力で掘り起こされ、手にしていた幸甚は、灰となって沼に沈むだろう。
それでも彼女が欲するのなら、僕は本能に従うだけだ。漸く完成した桃源郷へと、彼女を攫っていくだけだ。
必要なのは感情ではない。魂でもない。ただそこに存在していることを顕している、鈍くて不義な器だけで充分である。
僕の新しい日々が始まってから約一ヵ月が経過した。週四日の中で唯一彼女と会わない月曜日のシフトに行くと、相方だったはずの須藤が来ていなかった。どうせ遅刻だろうと気にしないでいたが、二十分経っても三十分経っても動きがないので、裏にいた店長に事情を訊いてみた。
「ああ、須藤くんね。そうか、言ってなかったか。……彼なら辞めたよ」
重い口調でそう言った。そういえば前日も、須藤は僕たちの後の夕勤に来ていなかった。最近は誰が僕たちのシフトの前後にいるかだとかがわからなくなってきている。誰かがそこにいて、僕たちの跡を継いでくれれば、役目は終了する。その工程だけが、僕には事実になっていた。
「なんで辞めたんですか?」
口に出してから、心にもないことを訊いたものだと省みる。須藤が職場に居ようが居まいが、裏で悪事を働いていようがいまいが、僕たちの関係性には何の干渉も及ぼさない。須藤から見た僕の大事なものが秘密裡に奪われていたとしても、それはもはやお門違いでしかない。僕以外の人間が皆そう思うのが道理でも、僕にはお門違いでしかないのだ。
「……このこと、絶対に他言しないって約束できる?」
監視カメラの映像を眺めながら、口調に歪みを加えた。
「彼ね、……逮捕されたみたい」
鳴り響く来客を知らせる合図音は、一切の変調を許さない。
「詳細は僕も聞かされてないからわからない。でも、彼のやってたらしいもう一つの仕事のことを考えると、大体察しは付く。関根さんが急に辞めたのも合点がいく」
客はまずアイスケースを開けて軽く物色した後、とりあえずは何も取らずお弁当コーナーに向かい、海苔弁当と何かのおつまみを手に取って、再びアイスケースの方に向かった。
「レジ来そうなんで戻ります」
業務に戻ろうとした最中、店長に後ろ手を掴まれた。
「本当にもう、頼りにできるのは君と山岸さんだけなんだ」
ドアのマジックミラー越しに客がレジに近付いているのが見えたが、店長の握力は強まる一方だった。
「だから、……これからもよろしく頼むよ」
やっと解放され、小走りでレジに向かう。掴まれた右手首を見ると、若干の腫れで収まっていた。てっきり圧された口調分が痣に表れていると思ったが、思慮が訴えに追いつけず、重力を受け取れなかった。
レジを終え通常業務に戻ったが、店長はその後一度も売り場へは出てこなかった。あれからもう二時間近く、バックヤードからは物音一つ聞こえてこない。店内に延々と流れているラジオ調のBGMの所為もあって、人気は全くしなくなった。ここに彼女が居れば、確実に、事に及んでいただろう。来店した客に見られることはほぼあり得ない入り口と対角にあるおにぎりのエリアの前か、もっと安全にバックヤードを用いるか、それか、レジの下で下半身だけ弄り合い、スリルと快感を同時に味わうか。
すると、来客を知らせる音が鳴った。入ってきたのは、制服を着た女子高生だった。一瞬面影が浮かんだが、すぐに消えていった。その娘に菓子パンとホットスナックを売り、店内はまた静かになった。夏はもう作文や絵日記でしか語られない時節に差し掛かってきたため、売れるものもだいぶ疎らになってきている。アイスとホットスナックを同時に買う人も珍しくない。そのときに食べたいと思ったものを、気にすることなく食べられる。逆に言えば、それが歓迎されない時期もある。暑い日は冷たいものが喉元を潤し、寒い日は温かいものが体内を循環する。体がそれを求めているが故、理性は常に与えられた業務に奔走するよう命じられる。
だが、本能はいつもそうとは限らない。渇いた喉に砂を流し込もうが、空いた腹に消化を促そうが、それは全て起きたことでしかない。制服の女子高生に関心を抱こうが、歌って踊れて手の届きそうなアイドルや声優に熱を上げようが、何でもない只の人妻に四六時中を捧げようが、それは全て、起きたことでしかないのだ。
「あの……、もう一つだけいいですか……?」
女子高生は面接時のような緊張感を纏い、何かの用を訊ねてきた。
「メビウスの10mgボックス、貰えませんか……?」
一瞬言われた意味が解らなかったが、すぐに店員としての自覚を取り戻す。
「いえ、あの、未成年に売ってはいけないので……」
「そ、そうですよね。本当にごめんなさい。失礼します」
女子高生は既に会計を終えていた商品を持たずに、逃げるように去っていった。
学校の紋章だけが縫い付けられた白いYシャツと、紺と緑のネクタイ、同じく紺と緑が混ざったスカートという一式は、どこかで見覚えがあるような気がした。どこかで、触れたような感覚がした。袋に入れてあるホットスナックは、とても温かかった。
ただ、温かさが、流れる血に溶け込むことはなかった。
その週の日曜日、勤務を終えた僕たちは駅に向かい、ホテルに腰を下ろした。一昨日は夕勤の後ということもあり夜半の野外で冒険したため、お互いに疲弊の跡を引き摺っていた。よって今日は王道と回復を兼ねて、いつも使っているホテルに身を委ねた。
「最近旦那とはしてるの?」
「してるよ。そもそも途絶えたこともほとんどない」
「へえ。そりゃあ、ご近所さんからラブラブで有名になるわけだ」
そう言って、彼女と唇を重ねた。こういうときの彼女の相貌は、いつにも増して美しくなる。本来守らなくてはならない何かを抱えながら、意志によって、葛藤を掻き消す。理性を越えて生まれた決心は、真実を宣うことを妨げられた鏡のように、感覚を美化して映し出す。
「で、最後にしたのはいつ?」
「昨日の晩」
「ふーん。じゃあほぼ毎日してるじゃん。ちなみにさ、俺とした後でする日もあるの?」
「まあ、求められたら」
彼女の股間の傍に手を添えると、中指と薬指を突き出し、膣内に挿入するよう後押ししてきた。この頃気付いたことだが、彼女は舌で舐められるよりも、指で弄られる方がお気に召すらしい。
「じゃあ、同時に両方から求められたら、どうする?」
分泌液で浸された二本の指を、彼女の舌で拭き取らせる。必死になって掃除するも、結局は唾液で汚れてしまう徒事の繰り返しは、盈虚のように時が流れた。
「……そんなこと、私に言わせるの?」
彼女の頬に、湿った二本の指を置いた。唾液は肌へと浸透し、渇きと潤いを行き来する無機物へと変異する。
「たぶん、あなたを選ぶと思う」
それを聞いて、お暇していた肉棒を彼女に挿入した。
「……一応、夫とのときは避妊してるのよ?」
「へえ。じゃあ、孕んだらすぐバレちゃうじゃん」
「またそんな他人事みたいに……」
抜き挿しが始まると、彼女の訴えはすぐに嬌声に換わった。実は今日、勤務中にも一度抜いてもらったのだが、そんなことはお構いなしに僕の絶頂は彼女の中で終わった。白い液体が鹿威しのように膣から流れ落ち、白いシーツの内に溶け込む。
「あなたも大学始まったでしょ? ちゃんと行ってるの?」
多少呼吸を乱しながらも、あくまで平静を装って反撃の機会を窺う。
「行ってない。昼間はずっとオナニーしてる」
「ふうん。それにしては毎回元気そうね」
一段落ついたと見えて添い寝すると、彼女は左手で肉棒を握った。
「別に消費してるわけじゃないからね。すればするほど精力も強くなる。筋トレと同じだよ」
「偉そうに悟っちゃって。それで私のこと、満足させてるつもり?」
そのまま上半身ごと胴体に沿わせ、肉棒を口に運んだ。咥えたまま一度包皮を亀頭に被せ、その後限界まで亀頭を剥き出しにすると、隅々まで柔らかな感触が性感帯を駆け巡った。
そうして僕は呆気なく、彼女の波に呑み込まれた。
「何度もいけたところで、それはただの自己満足。よおく憶えておくように」
悔しくなって、空いていた彼女の股間に顔を突っ込む。二本の指を挿れたときの湿り気からほとんど変わっていないことを悟り、また悔しくなる。
「冗談よ。ちゃんと私も満足してるから安心して」
体勢を戻し、再び添い寝の格好になる。優しい口付けが彼女の唇から漏れた瞬間、やはり僕は、情愛の逸れ者なのだと痛感した。
「そういえばさ、来週末って三連休じゃない?」
脇に置いてあるスマートフォンで時間を確認しながら、彼女は言った。どちらもピンと来なかった僕には、暦の概念など無いに等しい。
「今ね、家族で夫の実家に行こうって計画立ててるんだけど、日曜に勤務があるって言ったら、間に合うように私だけ先に帰っていいって話になったんだ」
しかし、話の趣旨は理解できた。鳩尾を摩る彼女の掌が、私だけを見ていればいいと薫陶を嗾ける。
「それって、一日空いてるってこと?」
「そ。そういうことよ」
上半身だけ起き上がらせ、スマートフォンを手に取る。誰かにメッセージを打つ手作業を終えると、脱ぎ捨てた下着を探し出した。
「わかった。じゃあ朝から行くよ」
だが、下着はなかなか見つからない。それもそのはず、それらは今、僕の尻の下に隠してある。
「いっぱい歓迎してあげるわ」
笑いながら、彼女は僕の股間に顔を近付ける。そうして陰嚢に息を吹きかけると、呆気なく腰は浮き上がり、彼女の帰り支度を阻む行方不明は空騒ぎに終わった。
「前にもこんな話、した気がするね」
下着を身に着ける彼女を見ていると、不意に、恐怖が込み上げてきた。
「あのときはこんな風になるなんて思わなかったよ」
彼女には服を着る必要がある。時間を確認する理由がある。メッセージを送る相手がいる。僕が手にかけてきた代償を、彼女は今でも抱えている。
「まさかあなたと、こんな風に、運命を共にするなんて」
僕はもしかしたら、彼女に生かされているのかもしれない。翼を並べて飛んでいるように見えて、蜘蛛の糸で吊り上げられているのかもしれない。
でなければ僕はとっくに、失ったものを数えられなくなっていた。
「お土産、たくさん持って行っていい?」
「あら、それは楽しみ」
僕が一つだけ得たものがあるとすれば、それは意志だ。もう後戻りはできないという、固く揺るぎない研ぎ澄まされた彼女への意志だ。
そこに情愛など存在しないことは、算盤を弾けば導き出せる容易い論理が証明している。
翌日、花音は勤務に来なかった。その二日後の日曜日も、花音は勤務に来なかった。どちらも無断欠勤らしく、さすがに僕も店長から知り得る範囲の事情を訊かれたが、知らないとだけ言ったら話は終わった。
その二日は店長がシフトを埋めたが、翌週からは彼女が入った。元々入っていた火曜日と水曜日のシフトを店長に譲り、代わりに金曜日の夜と日曜日の午前午後、一応休職するとの連絡があった花音のシフトを彼女が埋めた。積もらせていた店長への貸しは、今になって役に立った。こうして僕は週三日、彼女との時間を手に入れた。感性が甦る瞬間を手に入れた。
勤務が終わると、僕たちは溺れることなく情動を果たし合った。時に適当な場所として駅前のホテルを、時に自然と人情が見える公園のトイレを、時に原点に戻り、店の裏を舞台に選んだ。どこにするかは勤務中に選定し、選んだ場所によって、前戯や体位を毎回変えた。正常位がお気に召す日本晴れがあれば、痛みに囚われる乱気流もある。僕たちはお互い、少しずつ溜めていた絵空事を実現する相手だった。段々とそれが勤務中に波及していったことは、もはや言うまでもない。この世に数多あるアダルトビデオがそうしてきたように、僕たちの欲望は、目に見える形と化していった。
しかし、足りないものが一つだけあった。それは、何を隠そう彼女の家である。彼女が妻として愛され、母として尊敬され、この世界で唯一、羽を休められる宿り木である。僕以外に唯一、彼女が仮面の下を曝け出せる人々である。
そこはもしかすると、彼女の人格にケリを付ける終点になるかもしれない。妻として母として、慎み深い俗女の浅瀬が心理に染み付く一方で、そこから脱け出そうとする剥き出しの淑女の深淵が、熟した身体に襲いかかる。だが周りの風景は、娘のご飯を作り、息子の着替えを手伝い、そして、翼と枝を一つにすることを誓った、夫の深い愛が溢れている日常である。背中に掛かるベッドの硬さも、瞳に映る天井の模様も、誰が何をすれば温度が上がり、何を言えば湿度が下がる家内の安全も、全て、彼女だけが知っている日常である。
そんな温床で、非日常が牙を剥く。それは、山岸文子という女を、根底から覆すきっかけになり得る。山岸文子だからこそ持っていた二つの心の内を、一つにする機会にある。それが成されたとき、彼女の翼は折られるだろう。枝どころか根ごと大きな力で掘り起こされ、手にしていた幸甚は、灰となって沼に沈むだろう。
それでも彼女が欲するのなら、僕は本能に従うだけだ。漸く完成した桃源郷へと、彼女を攫っていくだけだ。
必要なのは感情ではない。魂でもない。ただそこに存在していることを顕している、鈍くて不義な器だけで充分である。
僕の新しい日々が始まってから約一ヵ月が経過した。週四日の中で唯一彼女と会わない月曜日のシフトに行くと、相方だったはずの須藤が来ていなかった。どうせ遅刻だろうと気にしないでいたが、二十分経っても三十分経っても動きがないので、裏にいた店長に事情を訊いてみた。
「ああ、須藤くんね。そうか、言ってなかったか。……彼なら辞めたよ」
重い口調でそう言った。そういえば前日も、須藤は僕たちの後の夕勤に来ていなかった。最近は誰が僕たちのシフトの前後にいるかだとかがわからなくなってきている。誰かがそこにいて、僕たちの跡を継いでくれれば、役目は終了する。その工程だけが、僕には事実になっていた。
「なんで辞めたんですか?」
口に出してから、心にもないことを訊いたものだと省みる。須藤が職場に居ようが居まいが、裏で悪事を働いていようがいまいが、僕たちの関係性には何の干渉も及ぼさない。須藤から見た僕の大事なものが秘密裡に奪われていたとしても、それはもはやお門違いでしかない。僕以外の人間が皆そう思うのが道理でも、僕にはお門違いでしかないのだ。
「……このこと、絶対に他言しないって約束できる?」
監視カメラの映像を眺めながら、口調に歪みを加えた。
「彼ね、……逮捕されたみたい」
鳴り響く来客を知らせる合図音は、一切の変調を許さない。
「詳細は僕も聞かされてないからわからない。でも、彼のやってたらしいもう一つの仕事のことを考えると、大体察しは付く。関根さんが急に辞めたのも合点がいく」
客はまずアイスケースを開けて軽く物色した後、とりあえずは何も取らずお弁当コーナーに向かい、海苔弁当と何かのおつまみを手に取って、再びアイスケースの方に向かった。
「レジ来そうなんで戻ります」
業務に戻ろうとした最中、店長に後ろ手を掴まれた。
「本当にもう、頼りにできるのは君と山岸さんだけなんだ」
ドアのマジックミラー越しに客がレジに近付いているのが見えたが、店長の握力は強まる一方だった。
「だから、……これからもよろしく頼むよ」
やっと解放され、小走りでレジに向かう。掴まれた右手首を見ると、若干の腫れで収まっていた。てっきり圧された口調分が痣に表れていると思ったが、思慮が訴えに追いつけず、重力を受け取れなかった。
レジを終え通常業務に戻ったが、店長はその後一度も売り場へは出てこなかった。あれからもう二時間近く、バックヤードからは物音一つ聞こえてこない。店内に延々と流れているラジオ調のBGMの所為もあって、人気は全くしなくなった。ここに彼女が居れば、確実に、事に及んでいただろう。来店した客に見られることはほぼあり得ない入り口と対角にあるおにぎりのエリアの前か、もっと安全にバックヤードを用いるか、それか、レジの下で下半身だけ弄り合い、スリルと快感を同時に味わうか。
すると、来客を知らせる音が鳴った。入ってきたのは、制服を着た女子高生だった。一瞬面影が浮かんだが、すぐに消えていった。その娘に菓子パンとホットスナックを売り、店内はまた静かになった。夏はもう作文や絵日記でしか語られない時節に差し掛かってきたため、売れるものもだいぶ疎らになってきている。アイスとホットスナックを同時に買う人も珍しくない。そのときに食べたいと思ったものを、気にすることなく食べられる。逆に言えば、それが歓迎されない時期もある。暑い日は冷たいものが喉元を潤し、寒い日は温かいものが体内を循環する。体がそれを求めているが故、理性は常に与えられた業務に奔走するよう命じられる。
だが、本能はいつもそうとは限らない。渇いた喉に砂を流し込もうが、空いた腹に消化を促そうが、それは全て起きたことでしかない。制服の女子高生に関心を抱こうが、歌って踊れて手の届きそうなアイドルや声優に熱を上げようが、何でもない只の人妻に四六時中を捧げようが、それは全て、起きたことでしかないのだ。
「あの……、もう一つだけいいですか……?」
女子高生は面接時のような緊張感を纏い、何かの用を訊ねてきた。
「メビウスの10mgボックス、貰えませんか……?」
一瞬言われた意味が解らなかったが、すぐに店員としての自覚を取り戻す。
「いえ、あの、未成年に売ってはいけないので……」
「そ、そうですよね。本当にごめんなさい。失礼します」
女子高生は既に会計を終えていた商品を持たずに、逃げるように去っていった。
学校の紋章だけが縫い付けられた白いYシャツと、紺と緑のネクタイ、同じく紺と緑が混ざったスカートという一式は、どこかで見覚えがあるような気がした。どこかで、触れたような感覚がした。袋に入れてあるホットスナックは、とても温かかった。
ただ、温かさが、流れる血に溶け込むことはなかった。
その週の日曜日、勤務を終えた僕たちは駅に向かい、ホテルに腰を下ろした。一昨日は夕勤の後ということもあり夜半の野外で冒険したため、お互いに疲弊の跡を引き摺っていた。よって今日は王道と回復を兼ねて、いつも使っているホテルに身を委ねた。
「最近旦那とはしてるの?」
「してるよ。そもそも途絶えたこともほとんどない」
「へえ。そりゃあ、ご近所さんからラブラブで有名になるわけだ」
そう言って、彼女と唇を重ねた。こういうときの彼女の相貌は、いつにも増して美しくなる。本来守らなくてはならない何かを抱えながら、意志によって、葛藤を掻き消す。理性を越えて生まれた決心は、真実を宣うことを妨げられた鏡のように、感覚を美化して映し出す。
「で、最後にしたのはいつ?」
「昨日の晩」
「ふーん。じゃあほぼ毎日してるじゃん。ちなみにさ、俺とした後でする日もあるの?」
「まあ、求められたら」
彼女の股間の傍に手を添えると、中指と薬指を突き出し、膣内に挿入するよう後押ししてきた。この頃気付いたことだが、彼女は舌で舐められるよりも、指で弄られる方がお気に召すらしい。
「じゃあ、同時に両方から求められたら、どうする?」
分泌液で浸された二本の指を、彼女の舌で拭き取らせる。必死になって掃除するも、結局は唾液で汚れてしまう徒事の繰り返しは、盈虚のように時が流れた。
「……そんなこと、私に言わせるの?」
彼女の頬に、湿った二本の指を置いた。唾液は肌へと浸透し、渇きと潤いを行き来する無機物へと変異する。
「たぶん、あなたを選ぶと思う」
それを聞いて、お暇していた肉棒を彼女に挿入した。
「……一応、夫とのときは避妊してるのよ?」
「へえ。じゃあ、孕んだらすぐバレちゃうじゃん」
「またそんな他人事みたいに……」
抜き挿しが始まると、彼女の訴えはすぐに嬌声に換わった。実は今日、勤務中にも一度抜いてもらったのだが、そんなことはお構いなしに僕の絶頂は彼女の中で終わった。白い液体が鹿威しのように膣から流れ落ち、白いシーツの内に溶け込む。
「あなたも大学始まったでしょ? ちゃんと行ってるの?」
多少呼吸を乱しながらも、あくまで平静を装って反撃の機会を窺う。
「行ってない。昼間はずっとオナニーしてる」
「ふうん。それにしては毎回元気そうね」
一段落ついたと見えて添い寝すると、彼女は左手で肉棒を握った。
「別に消費してるわけじゃないからね。すればするほど精力も強くなる。筋トレと同じだよ」
「偉そうに悟っちゃって。それで私のこと、満足させてるつもり?」
そのまま上半身ごと胴体に沿わせ、肉棒を口に運んだ。咥えたまま一度包皮を亀頭に被せ、その後限界まで亀頭を剥き出しにすると、隅々まで柔らかな感触が性感帯を駆け巡った。
そうして僕は呆気なく、彼女の波に呑み込まれた。
「何度もいけたところで、それはただの自己満足。よおく憶えておくように」
悔しくなって、空いていた彼女の股間に顔を突っ込む。二本の指を挿れたときの湿り気からほとんど変わっていないことを悟り、また悔しくなる。
「冗談よ。ちゃんと私も満足してるから安心して」
体勢を戻し、再び添い寝の格好になる。優しい口付けが彼女の唇から漏れた瞬間、やはり僕は、情愛の逸れ者なのだと痛感した。
「そういえばさ、来週末って三連休じゃない?」
脇に置いてあるスマートフォンで時間を確認しながら、彼女は言った。どちらもピンと来なかった僕には、暦の概念など無いに等しい。
「今ね、家族で夫の実家に行こうって計画立ててるんだけど、日曜に勤務があるって言ったら、間に合うように私だけ先に帰っていいって話になったんだ」
しかし、話の趣旨は理解できた。鳩尾を摩る彼女の掌が、私だけを見ていればいいと薫陶を嗾ける。
「それって、一日空いてるってこと?」
「そ。そういうことよ」
上半身だけ起き上がらせ、スマートフォンを手に取る。誰かにメッセージを打つ手作業を終えると、脱ぎ捨てた下着を探し出した。
「わかった。じゃあ朝から行くよ」
だが、下着はなかなか見つからない。それもそのはず、それらは今、僕の尻の下に隠してある。
「いっぱい歓迎してあげるわ」
笑いながら、彼女は僕の股間に顔を近付ける。そうして陰嚢に息を吹きかけると、呆気なく腰は浮き上がり、彼女の帰り支度を阻む行方不明は空騒ぎに終わった。
「前にもこんな話、した気がするね」
下着を身に着ける彼女を見ていると、不意に、恐怖が込み上げてきた。
「あのときはこんな風になるなんて思わなかったよ」
彼女には服を着る必要がある。時間を確認する理由がある。メッセージを送る相手がいる。僕が手にかけてきた代償を、彼女は今でも抱えている。
「まさかあなたと、こんな風に、運命を共にするなんて」
僕はもしかしたら、彼女に生かされているのかもしれない。翼を並べて飛んでいるように見えて、蜘蛛の糸で吊り上げられているのかもしれない。
でなければ僕はとっくに、失ったものを数えられなくなっていた。
「お土産、たくさん持って行っていい?」
「あら、それは楽しみ」
僕が一つだけ得たものがあるとすれば、それは意志だ。もう後戻りはできないという、固く揺るぎない研ぎ澄まされた彼女への意志だ。
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