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23 山小屋の一夜

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          ◆


 ヴィクターは激しい風雨の音で目覚めた。ぼんやりと暖炉の明かりが照らす室内が見える。川に落ちた時に眼鏡を失くしてしまったらしい。起き上がって体の具合を確かめるが、どこも怪我はしていない。乾いた服に着替えてベッドに寝かされていた。

「う…ん」
 
 部屋の隅から声が聞こえた。マリオンが座ったまま寝ている。白い布を巻いただけの姿で、なぜかフライパンを握りしめていた。

「マリオン」

 声をかけると彼女は飛び起きた。

「で、で、で、でん…」

「落ち着け。ここはどこだ?」

 マリオンは川に落ちた後の事を説明した。今は隠密が連れてくる援軍を待っているらしい。

「お腹は空いてませんか?簡単ですがスープとパンならあります。今、温めますね」

 彼女は甲斐甲斐しく食事の支度を始めた。両肩から胸元まで剥き出しだ。淑女にあるまじき格好だが、暖炉の前に渡した紐に服が干してあるから、仕方がないか。

 こうして見ると、なぜ男だなどと思っていたのか、不思議でならない。細い首も鎖骨も二の腕も滑らかな曲線を描いている。一枚布の衣装と相まって、まるで古代の女神のようだ。

「ありがとう。美味しかった。今度は君が休むといい」

 食べ終わった後、ヴィクターはマリオンにベッドを使うように勧めた。だが彼女はまたフライパンを持ってドアの側に立った。

「いいえ。わ、私がお守りいたします。ぜ、絶対に敵を食い止めます!」

 震える声で健気な事を言う。ヴィクターは大笑いした。

「フライパンで?どうやって?」

「まず、斬られて死んだフリをします。相手が油断したところを、これで殴ります」

「…」

「大丈夫です。斬られるのは皮一枚だけで、血を多めに流せば…」

 怒りが湧き上がった。マリオンはおかしい。なぜいつも自らを犠牲にしようとする?ヴィクターは彼女に近づいてダンっと壁に両手を付くと、腕の間に閉じ込めた薄緑色の目を見据えた。

「君は俺を馬鹿にしているのか?女性に守ってもらうほど軟弱だと言いたいのか?」

「滅相もない!私はただ…」

「ただ何だ?」

 マリオンの目から涙がこぼれ落ちた。美しい。彼女を輝かせるのはダイヤのティアラではなく、この涙だろう。

「殿下のお役に立ちたいのです。ほんの数秒でも足止めできれば、その間にお逃げください」

 ヴィクターは思わず彼女を抱きしめた。

「嫌だ。一緒に助かる道を探そう。だからもう何も言うな」


          ◇


 少しずつ雨風の音が弱まってきた。隠れ家のドアがギイっと一人でに開いた。うとうとしていたマリオンは目を覚まし、そちらを見た。白い髪に赤い目の男が入ってくる。

「夜が明ける。嵐も去った。敵が来るよ」

 半分透けている。きっと外宮の小屋の幽霊だ。なぜ急に見えるようになったのは不明だが、怖くはなかった。幽霊は彼女に尋ねた。

「君はどうしたい?マリオン。皇子を助けたいか、君が助かりたいか。選んで」

 やはり両方は無理みたい。

「殿下を助けて。私はどうすればいいの?」

「皇子の服を着て。外に馬がいる。君のドレスを着せた人形を抱えて走れ。囮になるんだよ」

 マリオンは準備に取りかかった。毛布を丸めてドレスを着せ、自分は殿下の服を身につけた。マントのフードをしっかりと髪に固定する。つま先に布を詰めて何とかブーツも履いた。剣は置いていこう。どうせ使えないし。上着の内ポケットの笛も出してテーブルに置いた。

(ん?)

 ポケットの奥に何かある。引っ張り出してみたら、クレイプ模様で『勝利』と刺したハンカチだった。背の高い隠密さんにあげたはずなのに。彼女はようやく気づいた。

(あの方は殿下だったのか!)

 衝撃の後に、暖かい気持ちに満たされた。マリオンは眠る殿下を置いて隠れ家を出た。外には本当に馬がいた。その鞍に人形をくくり付け、後ろに乗る。雨上がりで霧が立ち込めているから、遠目には二人乗りに見えるだろう。

「じゃあ、殿下をお願いね」

「ああ。行っておいで」

 幽霊は見送ってくれた。
 
「ハイっ!」

 何の特技もないけれど、馬術だけはクレイプ人の必須教養だ。マリオンは濃い霧の中を走り出した。


          ◆


「殿下!ご無事ですか!?」

 誰かの大声でヴィクターは飛び起きた。いつの間にか夜が明けて、雨も止んでいる。

「マリオン?」

 彼女がいない。暖炉の火は消えかけ、干してあった服がなくなっていた。ドレスもない。護衛たちが一斉に小屋に入ってきた。やっと援軍が来たのだ。

「マリオンを探せ!徒歩ならまだ遠くには行っていない」

 小姓が差し出す服に着替えながら、ヴィクターは指示を出した。外では数人の隠密が地面を調べている。一人が西を指差し、他の者と何か話していた。

「何か分かったか?」

 ヴィクターが近づいて声をかけると、かしららしき隠密が答えた。

「女性がここから馬で西の方角に向かいました。複数の騎馬が後を追っています。恐らく、姫が殿下の影武者となり、敵を誘導したと思われます」

「何だと!?では今すぐ追え!」

 しかし隠密達はヴィクターの命に従わなかった。

「…間に合いませぬ。すでに1時間以上が経っています」

「!」

 走り出そうとするヴィクターを、隠密のかしらが押さえた。

「離せ!」

「なりません。皇太子殿下の御身が最優先。一王女の命とは比べられません」

 まただ。またマリオンを守れない。今度こそ永遠に失ってしまう。ヴィクターは全力で抗った。その時、シャルパンティアの大声が轟いた。

「ヴィクター!踏ん張れ!」

 突風のような衝撃波が隠密達を吹き飛ばした。

「この無礼者共!我が義妹、マリオン姫はヴィクター皇太子の婚約者だ!未来の皇太子妃だぞ!さっさと探しに行け!」

 剣聖が隠密とヴィクターの間に立った。剣を持っているが、抜いてもいない。なのに隠密が手も足も出せない。シャルパンティアは殺気を放ちながらヴィクターを睨んだ。

「おい、義弟。まさかマリオンと一夜を過ごしながら、責任を取らぬとは言わせんぞ」

 そこへアオキと、なぜかシャトレー族長まで来た。

「これはめでたい!それがしが婚約の証人となってやる」

「何ちや、先を越されたねや!仕方がないのう。わしも証人になっちゃろう」

 その場にいた全員が、唖然として彼らのやり取りを聞いていた。

(その手があった!)

 ヴィクターは隠密と護衛に命じた。

「聞いたな。マリオン姫は私の寵愛を受けた。陛下には事後承諾で良い。隠密達は先行して姫を探せ!護衛騎士!ついて来れぬ者は置いていくぞ!」

「ははっ!」

 隠密の一人がヴィクターの馬を引いてきた。口の悪い隠密は主人を励ました。

「案外、乗馬が上手いようですから。しぶとく逃げ回ってますよ!」

 そうであって欲しい。皇子は馬に飛び乗り、シャルパンティア達に言った。

「ありがとう。もう少しだけ手を貸してくれ。友よ」

 3人の友は笑顔で頷いた。そして全軍は動き出した。
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