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07 鞭打ち刑

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          ◆


 その頃、ヴィクターはマリオンの捕縛を知った。既に丸1日が経っている。執事長は震えながら報告が遅れた事を詫びた。

「申し訳ございません!休憩所まで目が届いておりませんでした!」

「…」

 監察部が執事を通さずに乗り込んだらしい。皇后の命だと聞いた者がいる。

「コージィ。午後の予定は?」

「全てキャンセルします。皇后陛下のご予定も確認中です」

 ヴィクターは数人の側近と護衛を連れて執務室を出た。よほど険しい顔をしていたのか、誰も話しかけて来ない。彼はそのまま皇妃宮に乗り込んだ。


          ◆


 先触れもなく訪れたが、母は喜んで迎えてくれた。もう40代半ばのはずなのに艶やかな黒髪に白髪は見えず、つるりとした若々しい顔をしている。コージィに言わせると『美魔女』だそうだ。

「どうしたの?急に。もしかしてマリオン王子の件かしら?」

 茶を飲みながら、母の方から切り出してきた。ヴィクターは己と同じ黒い眼を正面から見据えた。

「お返しください。彼は無実です」

「そうでしょうね。王子の方が格段に美しいもの。メリーの部屋に出入りしていたのは、エルメ伯爵の次男らしいわ。でもね、慣例で女性側の告発を疑うことはできないの」

「太公の腰巾着ですね。では、生まれた子が赤毛であれば、無実を証明できますか」

 エルメ家は代々、炎のような毛色で有名だ。皇后は朗らかに笑った。

「ほほほ。先祖に赤毛がいたと言われたら、お終いじゃないの。今回は太公の勝ち。ほとぼりが冷めるまで、王子はそっとしておきなさい」

「…」

「あなた、早く結婚して世継ぎを設けたら?向こうは継承順位が下がるのが、一番痛いのよ」

 それとなく話題をすり替え、息子に結婚を勧めてくる。ヴィクターは本題に戻した。

「分かりました。マリオンを私の宮の仕事から外します。だから、鞭打ち刑は止めてください」

「残念、もう終わったわ」

「!」

 ガタッと彼は立ち上がり、笛を吹いて隠密を呼んだ。天井に気配がする。

「マリオンは今どこだ?」

「1時間ほど前、こちらから馬車が出ました。その中かと」

 姿も見せずに報告する声に、母は眉を顰めた。ヴィクターは「失礼します」と言って辞そうとしたが、その背に母の嫌味が投げられた。

「その笛。王子に与えたそうね。自覚なさい。それが原因なんだから」


          ◇


 鞭打ち100回の後、マリオンは外宮の小屋に戻された。トラはアオキと国に帰ってしまったので、もういない。監察部の男は、息も絶え絶えのマリオンをベッドまで運んでくれた。

「すみません…制服を…」

「分かった、分かった。皇太子宮の執事に返しておく」

「お願いします…」

 1人残されたマリオンは、男が去ると演技を止めた。そろそろと起き上がり、鏡で背中の傷を確認する。鞭は表皮を破っただけで、肉には達していない。

 トラが徹底的に仕込んだ、フジヤマ流護身術・身体強化だ。打たれる瞬間、氣と呼ばれる力で衝撃を吸収・分散させる。そして痛がるフリをして、相手が油断したら逃げ出せと教えられた。

(薬はまだあったかしら)

 破れたシャツを脱ぎ、膏薬を布に塗って背中に貼ると、そのままベッドにうつ伏せになって寝てしまった。


          ◇


 馬車が停まる音がして目が覚めた。誰かが寝室に入って来る。上半身裸だけどベタベタと布が貼ってあるから、まあ、いいか。疲れ切ってぼんやりとしていると、

「マリオン」

 皇太子殿下のお声が聞こえた。途端に頭が冴えた。

「も、申し訳ございません。こんな格好で…」

 シャツも着ていないので伏せたまま答える。恥ずかしくて死にそうだった。殿下は沈んだ声で詫びられた。

「すまない。これも太公の嫌がらせだ。あの人は私のものを奪うのが趣味なんだ」

「大丈夫です。すぐ治りますから。どうぞご心配なく」

 元気そうに言ってみたが、どうにもお心は晴れないようで、大きな御手がマリオンの頭を撫でた。

「もう休め。復帰できるよう、手を尽くす」

「ありがとうございます…」

 そのお言葉だけで充分だ。優しく頭を撫でられているうちに眠くなり、マリオンは再び寝てしまった。


          ◆


 ヴィクターは彼を起こさないように、静かに部屋を出た。その手にはボロボロに破れた、血まみれのシャツが握られている。床に落ちていたのを何となく持ってきてしまった。

「食料と薬を届けさせろ」

 馬車に乗り込みながら、待っていたコージィに命じた。

「はい。護衛もつけますか?」

「いや。必要ない」

 白髪の護衛が木の影からこちらを見ていた。奴と隠密がいれば、この小屋にいる限りは安全だろう。あまり目立たない方が良い。だがコージィは座った目で復讐を提案した。

「とりあえず、侍女は実家ごと消しましょう。エルメ伯爵家の次男は簀巻きにして…」

「いずれな。先にマリオンの身分を変えたい。何とか俺の側近にできないか?」

「人質期間は何年なんでしょうね?大使に訊いてみます。短縮する方法も調べます」

「頼む」

「お任せください」

 だが、クレイプ大使であったモロゾフ伯爵の病状は重く、話をする事もできなかった。他に詳細が分かる者も見つからず、マリオンの解放は宙に浮いたままだった。
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