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06 皇妃宮の侍女

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          ◇


 手厚い看護のお陰でマリオンは全快した。そろそろ復帰したいとトラに相談したら、即、却下された。

「まだ早い。昨日も微熱だった。マリオン様は弱すぎる」

「ううっ…」

 身長が180センチを超えた後、マリオンは結婚を諦めて趣味に没頭していた。あの時、身体を鍛えておけば良かった。もっと頑丈にならなければ、ここで生き延びる事はできない。

「鍛錬しよう。護身術も教える」

 トラの提案で、翌日からフジヤマ流の特訓が始まった。


          ◆


「お帰りなさいませ、皇太子殿下」

 ヴィクターは宮の扉の前で立ち止まり、頭を下げるマリオンをまじまじと見た。もうドアマンには復帰しないと思っていたので、少し驚いた。

「もういいのか?」

「はい。長く休んでしまい、申し訳ございません」

「マリオン君!良かったぁーっ!!」

 コージィが泣いてマリオンに抱きつく。ずっと見舞いに行きたいと言っていたが、ヴィクターが許可しなかったのだ。

「本当にごめん!あのクソ野郎ども、絶対殺すから。…むむ?少しガッチリした?」

「ご心配おかけして、すみません。フジヤマ流護身術を習いました。もう、あんな怪我はしませんよ」

 マリオンは自信ありげに力瘤を見せる。それが制服越しにも弱々しいので、ヴィクターは吹き出した。そして懐から音波笛を出して与えた。

「無理はするな。危なくなったら、これを吹け。隠密が駆けつける。その間に逃げろ」

「いただけません!そのような大切な物!」

「持っていろ」

 固辞する彼の手に、無理やり握らせた。コージィ達はあんぐりと口を開けている。

「ありがとうございます…」

 若葉色の瞳が潤んだ。隠密を使えるのは父と自分だけ。マリオンは寵臣だと宣言したに等しいが、これで彼を守れる。ヴィクターは満足だった。


          ◇


 マリオンは以前よりも頻繁に皇太子殿下のお側に呼ばれた。ツボ押し係というより、お話し相手のようだ。しかし殿下や側近方の会話についていけない。またしても、あの引きこもり期間にもっと学んでおけばと悔やんでいた。

「じゃあ、この本を読んでみて。こっちも」

 正直に打ち明けたら、コナー卿が帝国史や地理の本を貸してくれた。分からない部分は恐れ多くもヴィクター殿下が教えてくださる。マリオンは懸命に勉強した。

「コナー様。この本、面白かったです。でも『おめが』の男性が『あるふぁ』の男性の子供を身篭るなど、そんな事が可能なのですか?帝国神話ですか?」

 先日お借りした薄い本の疑問点を尋ねると、コナー卿は満面の笑みを浮かべて、マリオンを執務室の隅に引っ張っていった。

「実は私が書いたお話なの。感想を聞かせて!どこが良かった?」

「すみません、半分しか理解できなかったのですが、『つんでれ』な王様が命懸けで『異世界から来た神子』を救う場面でしょうか。2人の結婚式も感動的でした」

「だよね!これも読む?寡黙な騎士団長と美貌の王子が…ギャン!」

 ガツンと、殿下がコナー卿の頭を本の背で打った。

「止めろ。腐教するな」

 側近方が皆、肩を震わせている。マリオンは首を傾げた。

「申し訳ありません、殿下。『腐教』という単語の意味が」

「知らなくて良い。薄い本も読むな」

 執務室が笑いに満ちた。コナー卿は殿下に抗議し、殿下は知らん顔でお茶を飲む。ヴィクター殿下と周囲の人々に可愛がられ、マリオンは幸福な日々を過ごしていた。

 だが、ある日突然逮捕され、牢に放り込まれてしまった。


          ◇


「クレイプ王子マリオン。皇妃宮の侍女を妊娠させた罪で逮捕する」

 従業員用の休憩所に、宮中監察部を名乗る2人の厳つい男達が来た。彼らはマリオンに罪状が書かれた書類を見せてから、手枷を嵌めた。

「お待ちください。何のことだか全然…」

「問答無用。速やかに連行せよと皇后陛下の御命令だ」

 あれよあれよという間に、マリオンは馬車に乗せられ、どこかの宮に連れて行かれた。そして冷たい石の壁と床の他には何もない牢に入れられた。

(何が起こった?侍女?誰?)

 まるで心当たりがない。水も食事も与えられないまま、一晩が過ぎ、翌日、監察部の男がマリオンを牢から出した。その建物の上階の豪華な部屋に引っ立てられ、

「跪け」

 と、頭を床に着かんばかりに押さえられた。随分長い間待たされ、大人数が入ってきた。ドレスの衣擦れの音が聞こえる。

「この者で間違いないか?」

 威厳ある女性の声が言った。

「はいっ!白金の髪の、背が高い男でした!」

 若い女性が涙声で叫んだ。綺麗な発音から貴族だと分かる。彼女は泣きながらマリオンを告発した。

 5ヶ月前に皇妃宮にマリオン王子が忍んで来た。いずれ妻にしてやると言い、彼女を誑かした。王子を信じて待っていたのに、それきり来ない。やがて月のものが止まり、大きくなった腹を周囲に気づかれてしまった。

「お許しください、皇后陛下!恐ろしくて言えなかったのです!」

 背中に嫌な汗が伝った。ここは皇妃宮で、目の前にいるのは皇后陛下だ。身籠った侍女はマリオンに罪を着せようとしている。

「…だそうだ。本当か?」

 皇后陛下は、双方の言い分をお聞きくださるようだ。下を向いたまま、マリオンは慎重に口を開いた。

「恐れながら申し上げます。5ヶ月前、私は下宮の庭で働いておりました。内宮に異動になりましたのは、3ヶ月前でございます。誓って、皇妃宮に出入りしたことはございません」

「筋が通っている。急ぎ、この者の勤務記録と出入宮記録を」

「はっ!」

 誰かが部屋を出て行った。侍女は更に哀れな声で皇后陛下に訴えた。

「信じてください!この男を罰してください!」


          ◇


 マリオンが皇妃宮に出入りした記録は無く、怪しい所は見つからなかった。

(良かった)

 だがホッとしたのも束の間、皇后陛下は記録所の官僚をお呼びになり、先例を尋ねられた。

「過去に一度、人質の王子が侍女に手をつけた事例があります。王子は罰として鞭打ち刑に処されました。侍女は出産後、母子共に王子の国に追放されました」

 それを聞いた皇后陛下は判決を下された。

「では、処分を申し渡す。マリオン王子は鞭打ち100回の刑。当面の間、内宮への出入りを禁ずる。侍女メリーは懲戒免職。出産後、国外追放とする」

 マリオンの涙が床に落ちた。もうヴィクター殿下が頭痛に苦しまれても、駆けつける事はできない。

「泣くな。顔をお上げ」

 優しいお声に頭を起こすと、殿下に似た黒い髪の女性が見えた。美しく威厳に満ちた皇后陛下は、じっとマリオンの顔をご覧になった後、多くの供を連れて出て行かれた。
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