上 下
6 / 57

愛人に出迎えられた結婚初日、夫から妻へ告げた「お前のことは愛せない」

しおりを挟む
 アベリアが、ケビン・ヘイワードの妻として、侯爵家に迎えられる日のこと。

 アベリアは、男爵家の馬車の中で、初めて会う侯爵を想像して、落ち着かなかった。
 自分の第一印象を少しでも良くするためには、どんな言葉を伝えるか、そんな想いを巡らせる。
 父は、これから夫となるケビンのことは詳しく教えてくれず、姿絵さえ見せてくれなかったのだ。
 ましてや、今日まで会う機会もなかったから、妻となる日まで、夫の容姿も人柄も何も分からない。

 自分の父にとっては、侯爵との結婚は揺るぐことのない決定事項だった。だから、結婚相手の何を知っても、自分には選択肢はない。仕方がないと、自分自身を納得させていたアベリア。

 いざ、侯爵家の扉の前にくると、足が震えてきた。

「お嬢様、そんなに緊張しなくても大丈夫です。こんなに美しいお嬢様を見て、喜ばない殿方はいませんよ」
「マネッチア。あなたが一緒に来てくれて心強いわ。独りだったら、怖気づいて呼び鈴も鳴らすことも出来ず、ここに突っ立たままだったわ」
 そう言って、アベリアは一度大きく息を吸って、ゆっくりと息を吐き出し、心を落ち着かせてから、呼び鈴を鳴らした。

 ヘイワード侯爵家の扉が開かれると、アベリアの人生では、縁の無かった類の言葉が飛んでくる。
 あまりに素っ頓狂な声に、アベリアには何が起きているのか、始めは分からなかった。

「うわぁ~素敵! これが貴族の方が着るドレスなのぉ~。きゃ~首のキラキラの石も、かぁわいい~。エリカも欲しいんだけど、どこで買えるの? 教えてアベリアさん」

 ――――(ァッ、アベリアさん)!
 アベリアは、挨拶もなく、名乗りもしない女性から、侯爵家当主の妻になった自分へ、いの一番にドレスのことを聞いてくる存在に面食らった。

 その女性は、身なりのいい服を纏っている男性に腕を絡めている。
 その男性は、女性の視線をくぎ付けにしそうなほど、整った容姿をしていた。
 ――……この人が、ヘイワード侯爵だと認識したアベリア。
 そして、人間模様を見抜くのに、そこまで疎くもなかったアベリアは、夫となる侯爵とその女性の様子で、2人が親密な関係なのだと悟る。

 愛人から軽々しく「アベリアさん」と呼ばれて、返す言葉も出てこないアベリアだけど、それに返答することは出来なかった。
 まだ、侯爵から挨拶を受けていない。今はまだ、自分から口を開くことはできず、夫の自己紹介を期待していた。
 侯爵の言葉を待ったアベリア。
 だけど、期待していたものとは全く違い、アベリアは、夫から自分を突き落とすための一言を浴びせられる。

「見てのとおり、私には最愛のエリカがいる。だから、お前を愛せないし、お前との関係は形式だけの夫婦だ。今後の生活において、私に一切の勧奨を許すことはない。もし、正妻の権利を主張して偉ぶったことを言い、エリカを虐めるようなことがあれば、お前をこの邸から追い出すからな」

 ――(何なのこの2人)!
 アベリアは一呼吸おいて言葉を飲み込んだ。

「左様ですか、承知いたしました。私からお2人の関係について、ご意見することはありませんので、ご安心ください」

 言葉を飲み込まなければ、侯爵に出会って直ぐに伝えたい言葉は「馬鹿2人で路頭に迷え」だ。

 だけど、こんな事を言い残して彼女の実家へ帰っても、アベリアの父であれば男爵家の扉を開いてくれないことは目に見えている。
 彼女は、この侯爵家で「愛のない暮らし」を強いられる以外、もう居場所がなかった。

 想像もしていなかった結婚生活を強いられる事になったアベリアの密かな目標は、金銭的に回収できると見込んだ父親の狙いを見つけることだった。
 そして、それを自分で成し遂げたかった。それが、冷遇された環境で生きる唯一の希望だった。そんなことでしか、アベリアの自己肯定感を保つことが出来なかった。
 でも、夫の目を盗んで、侯爵家の事業の収支を見ても、それらしきものは全く見当たらない。

 確かに、夫の事業経営は酷い荒ばかりで、これでよく、事業が成り立っているものだと、驚かされていた。
 その出鱈目な管理を正せば、それなりの利益は得られるものの、父が負担した金額を思えばそれだけではない気がしていた。
 侯爵家の余りに酷い事業経営のことを見かねたアベリアが、侯爵へ経営について進言しても、妻の事を忌み嫌っていた侯爵は、彼女の助言を受け入れることはなかった。

 元々、人に指示されるのを嫌がる侯爵は、アベリアに何かを言われる程、意固地になり、彼女へ冷たく当たっていった。

 邸に仕える従者たちでさえ、主の機嫌を損ねないよう、正妻のアベリアに優しくはなかった。
 アベリアは、夫と愛人の関係には何も言わず静観を貫いていた。
 それに、従者たちから広がる妻の話が、夫の逆鱗に触れないように過ごしていたから、従者たちにさえ、自らの要求や願いを伝えていない。

 元々、自分のことは自分で出来るアベリアにとっては、マネッチアがいれば、困ることはなかった。
 だから、自分は、侯爵夫人として、この邸で求められている事だけを大人しく従って、邸内に不要な争いが起きないようにしていた。

 それなのに……、アベリアへ毒を盛るところまで、この邸の問題は進行していたのだ。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

拝啓、婚約者さま

松本雀
恋愛
――静かな藤棚の令嬢ウィステリア。 婚約破棄を告げられた令嬢は、静かに「そう」と答えるだけだった。その冷静な一言が、後に彼の心を深く抉ることになるとも知らずに。

完結 裏切りは復讐劇の始まり

音爽(ネソウ)
恋愛
良くある政略結婚、不本意なのはお互い様。 しかし、夫はそうではなく妻に対して憎悪の気持ちを抱いていた。 「お前さえいなければ!俺はもっと幸せになれるのだ」

あなたに恋した私はもういない

梅雨の人
恋愛
僕はある日、一目で君に恋に落ちてしまった。 ずっと僕は君に恋をする。 なのに、君はもう、僕に振り向いてはくれないのだろうか――。 婚約してからあなたに恋をするようになりました。 でも、私は、あなたのことをもう振り返らない――。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

(完)婚約破棄ですね、従姉妹とどうかお幸せに

青空一夏
恋愛
私の婚約者は従姉妹の方が好きになってしまったようなの。 仕方がないから従姉妹に譲りますわ。 どうぞ、お幸せに! ざまぁ。中世ヨーロッパ風の異世界。中性ヨーロッパの文明とは違う点が(例えば現代的な文明の機器など)でてくるかもしれません。ゆるふわ設定ご都合主義。

完結 白皙の神聖巫女は私でしたので、さようなら。今更婚約したいとか知りません。

音爽(ネソウ)
恋愛
もっとも色白で魔力あるものが神聖の巫女であると言われている国があった。 アデリナはそんな理由から巫女候補に祀り上げらて王太子の婚約者として選ばれた。だが、より色白で魔力が高いと噂の女性が現れたことで「彼女こそが巫女に違いない」と王子は婚約をした。ところが神聖巫女を選ぶ儀式祈祷がされた時、白色に光輝いたのはアデリナであった……

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

【完結】私を裏切った最愛の婚約者の幸せを願って身を引く事にしました。

Rohdea
恋愛
和平の為に、長年争いを繰り返していた国の王子と愛のない政略結婚する事になった王女シャロン。 休戦中とはいえ、かつて敵国同士だった王子と王女。 てっきり酷い扱いを受けるとばかり思っていたのに婚約者となった王子、エミリオは予想とは違いシャロンを温かく迎えてくれた。 互いを大切に想いどんどん仲を深めていく二人。 仲睦まじい二人の様子に誰もがこのまま、平和が訪れると信じていた。 しかし、そんなシャロンに待っていたのは祖国の裏切りと、愛する婚約者、エミリオの裏切りだった─── ※初投稿作『私を裏切った前世の婚約者と再会しました。』 の、主人公達の前世の物語となります。 こちらの話の中で語られていた二人の前世を掘り下げた話となります。 ❋注意❋ 二人の迎える結末に変更はありません。ご了承ください。

処理中です...