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それってキスじゃない⁉︎ ……じゃない。

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 レオナールはアリアの腕をバッと振りほどくと、血相を変えて私へと駆けてくる。

 その奥では、「お兄様……?」と、甘えるように呟く声が聞こえた。

 だが、そんなことを気にも留めない彼が、私を抱き寄せたかと思えば、怯えるような声を出す。

「エメリーに、ずっと嘘をつき続けて申し訳ない。てっきり俺のことを、怒っているんだと思ったが……違うのか?」

 呼吸が荒くなる一方の私は、声も出せずに、こくんと一つ頷く。
 するとレオナールは、自分の妹を見て一喝した。

「アリアはエメリーに何をした⁉ まさか毒でも盛ったんじゃないだろうな!」

「お兄様ってば、優しすぎますわよ。彼女は何だか苦しそうにされておりますが、それだってどうせ演技ですわ。記憶喪失のふりをなさるような、あさましい方ですもの、放っておきましょう」

「エメリーはそんな令嬢ではない。俺の大切な婚約者を侮辱するな」

「お兄様……?」

「いいから早く答えろ! アリアはエメリーに何をしたんだ‼︎」

「何もしておりませんわ。わたくしが用意したクッキーとお茶しか口にされていないのに、毒なんてあり得ませんもの。第一、わたくしだって同じものを口にしておりますし」

「これは、俺が用意していたクッキーではないのか!」
「はい……そうですが」

「アリアは何を勝手なことをしているんだ‼」
 目を見開くレオナールは、怒気混じりの震える声で言った。
 そのせいだろう。泣きそうな顔をするアリアは、口を噤んだ。

「エメリー大丈夫だ。こんなこともあろうかと、ダニエル殿からエメリーの薬を預かっているからな。飲めそうか?」

 そう言いながら、彼はジャケットから小さな瓶を出すと、そのキャップを開け、液状の薬の飲み口を近づけてくる。

 その促しに素直に従い、彼が持つ瓶にゆっくりと口をつけ、こくこくと飲む。

 瓶から唇を離したときに、薬が口の際から漏れる。
 するとそれを、真剣な表情のレオナールが、ぺろりと舐めとった。

 え……。それってキスではなかろうか、と動揺する私とは裏腹に、至って真面目な様子の彼は、無意識に綺麗にしてくれたのだろう。

 瞳を潤ませ私を案じている彼が、真剣に私を見つめる。

 ただでさえ心臓がバクバクしているのに、一人だけ不純な思考に陥り、恥ずかしいじゃない。
 
 けれど薬を飲んだということもあるのだろう。今のはキスじゃないと言い聞かせているうちに、少しだけ鼓動が落ち着いてきた気がする。

 それでもまだ、声を出せるほど回復はしておらず、呼吸を整えるので精一杯なのだが。

 そうこうしていると、レオナールが説明を始めた。

「我が家に来て、こんなことになるなんて、本当に申し訳ない。うちのクッキーはピーナッツが入っているから、以前エメリーの元へ持っていったのは、普段とは違うものを用意していたんだ。アリアが勝手なことをして、すまなかった」

「わたくしは悪くないわ。お兄様のためにしたのよ」

「アリア! 今、俺はエメリーに初めて好きだと言われて最高潮に機嫌がいいから、今回だけは見逃してやるが、今後、俺の最愛の人を傷つけるようなまねをすれば、問答無用で修道院に入れるぞ」

「えぇえ? わ、わたくしが修道院でございますか?」
 動揺しきりのアリアは、震える声で言った。

「当たり前だ。俺の天使を害する存在は、妹であろうと擁護する気はない。エメリーから二度と屋敷へ来ないと言われたら、アリアのせいだろう。もしそうなれば、すぐにこの屋敷から出ていってもらうからな」

「ご、ごめんなさい。エメリーヌ様はごゆっくりなさってくださいまし。いいえ、そのまま帰らずに、我が家でお暮らしになるのがよろしいかと存じますわ! あっ! こうしてはいられませんことよ。わたくしはエメリーヌ様のお部屋を準備いたしますわね。では、おほほほ」

 そう言いながら真っ青になるアリアは、逃げるように立ち去った──。

 そんなアリアの背中を見るレオナールは、ため息まじりの言葉を発する。

「申し訳ない。とんでもないことしでかした妹のことは、あとできつく叱っておくから」

 すでにアリアは相当堪えていると思うが、否定する必要もないなと、素直に頷いておく。
 そうすれば、レオナールが続けた。

「初めて会ったときからエメリーを好きだったのに、今まで意地悪なことばかり言って、ごめんな。……エメリーの顔を見ると、エメリーからキスされたことを思い出してつい照れてしまい、酷い言葉で誤魔化してしまったんだ。でもそれは本心ではないから」

 おいっ! 今のセリフに語弊があるわよ!
 あれはキスではなく、人口呼吸だから!

 勝手に解釈を変えて、レオナールに攻め寄る肉食女子にしないでよねと思う私は、今しがた、唇を舐められた感覚を鮮明に思い出してしまい、さらに熱を増す顔で、彼を見つめる。

「エメリーが俺の傍にいてくれるのは、『記憶が戻った』と言われるまでだと思っていたんだが……どうやら振られるのは免れたようだ。良かった……」

「──う……ん」

「愛してる。俺にはエメリーしかいないから」

 私の記憶があると知ったうえでも言ってくれるのだから、彼に愛されていると、自惚れてもいいかしらと笑みが溢れる。

 だがしかし──。
 記憶喪失のふりをしていたと聞かされたにもかかわらず、レオナールは怒ったり、呆れたりする様子が全くないのだ。

 それがどうしてなのか、と不思議でならない。

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