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第5章 離さない

あなたが好きです。……は?③

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 穏やかに微笑むアンドレから、さあさあと誘導され、ソファへ深く腰を下ろす。

 なんだか座っただけでホッとし、一気に緊張が解け脱力する。
 そんな風にぼんやりしている間に、アンドレが茶器を使って丁寧にお茶を淹れてくれた。

 以前のように綺麗な所作で、わたしの前にお茶を置くと、彼が体が触れるくらいすぐ横に腰掛けた。狭いなと思い横にずれると、彼もついてくる。それを二度繰り返せば、ソファーの縁で行き詰まる。

 変だなぁと思いつつも、平然とした彼が、「いただきましょう」と言うから、素直にカップの持ち手を取る。
 そうすれば、爽やかなオレンジの香りがふわっと漂う。

「わたしが好きな味だわ。王宮であまり話した記憶はないけど、誰が知っていたのかしら――」

「王宮へ来るまでジュディの話をシモンから、たくさん教えてもらいました」

「あっ、彼は元気なのね。一向に消えない瘴気の気配があるから、シモンに何かあったんじゃないかと気になったのよ。リナを説得できなかったんでしょう?」

 優しい表情を見せていたアンドレが、信じられないと言いたげに目をパチクリと瞬かせ、真顔になった。
 
「本当にジュディには驚かされてばかりですね。カステン辺境伯領からでも、王都の瘴気を感じていたんですか……」

「まあ、あの時は、ザワザワする感じが瘴気だとは思わなかったけどね。結構大きくなっている気がするけど」

「ええ、僕がバリケードを張ったので、魔物は出てきませんが。とはいえ長くは持ちませんけどね」

「まあね、魔物が生まれる根本を浄化しないと意味がないわね」

 そう言うと、香りを堪能していたお茶を一口飲んで、笑顔を返す。

「あ~あ。お父様が強引にわたしを迎えに来なければ、魔猪が食べられたのになぁ~」

「それは残念ですが、ドゥメリー公爵がカステン辺境伯領まで迎えにこなくても、ジュディは魔猪を食べられなかったでしょうね」

「ええッ、どうしてよ。わたしが捕獲したから権利があるって言ってたのに」

「ジュディが去った直後に、パスカル王弟がジュディを迎えに来ていましたから」
「まあパスカル様が? どうして居場所が分かったんだろう」
 全く見当もつかず、宙を見上げて考える。

「ああ~、そうではないかと思っていましたが、本当に無自覚なんですね」
 眉尻に指を当てるアンドレは、不思議なものをみるような眼差しを向ける。

「何が?」
「結界ですよ」
「結界? ん~、祈祷室でこの国に結界を張っていた事かしら?」

 思い当たる節がないため、無理やり答えを導こうと、それらしい話を振ってみた。
 けれど、アンドレはゆっくりと首を横に振る。

「いいえ。それにも驚かされましたが、ジュディはカステン辺境伯領に結界を張っていたんですよ」

「え~っと、そんな記憶はないわよ」

「山道で眠っていたジュディが狼に襲われていない時点で気がつけばよかったんですが……」

「それは偶然でしょう」

「いいえ、僕もあの時は、結界に弾かれずにジュディを抱えられたから、結界を張っているとは意識が向きませんでしたが……。それは、ジュディの中に自分と同じ魔力で刻んだ魔法契約があったからでしょう」

「だからわたし……結界なんて張ってないわよ」
 一体何を言っているんだと、首を傾げる。

「ジュディの中では、常に無意識なんでしょう。眠っていても結界を張れると豪語して、祈祷室で爆睡していたらしいですからね。何度も大司教が起こしていたと聞きましたよ」

「あはは。それはあの部屋自体が特殊だからよ。入れば魔力がぐんぐん吸い取られるもの」

「へぇ~、それで無防備に寝ていたなんて信じられませんね。鍵もかからない部屋でぴくりとも動かず熟睡している話は、司祭にも知れ渡っているんですよ。若い司教や司祭があなたに何をするか分からないでしょう」

 ムッとした口調で叱られた。
 おそらく、神聖な場所で寝転がるのが悪いといいたいのだろう。湖の畔で眠っていた時も彼に強く叱られたし。
 何だってアンドレは真面目だなと、ジト目で返す。

「わたしだって初めは一生懸命に祈っていたのよ。だけど、祈祷室でうたたねを始めたのは、居眠りしても問題がないことに気づいてからよ」

「うたたねをしているとなれば、ジュディが入る時は、僕も一緒に祈祷室について行く必要がありそうですね」
 ふざけた話を、怖いくらい真剣な口調で告げた。

「何を言ってるのよ、ぐっすり眠っても、結界は完璧なんだから」
「ぐっすりって……。はっきりと寝ている自覚があるんですね。信じられません」

「まあね」と苦笑いを返す。

「祈祷室であっても、聖女の祈りなしに完璧な結界は張れませんよ。そのせいで今は、国中の結界が不安定ですからね」
 だろうなと、想像に容易い。
 カステン辺境伯軍が魔猪だけで苦戦していたのを知り、各地の状況は気になるところだ。早く手を打ちたいと気持ちがはやる。

 だけど……結界を張りに行きたいと申し出ても、あれは、クラウンを持つ聖女に託される任務であって、わたしは既にお役御免になっている。

 もちろん瘴気の浄化も、王太子の婚約者のリナが手を打つべきだ。感じる瘴気だまりは、すぐ近くなんだし。彼女の活躍を周囲に見せるには、うってつけだろうに。

「魔力の枯渇を嫌うリナは早々に祈祷室を出てくると思っていたけど、祈りも関係があるのね」

「ええ。祈祷室の中で、早く出せと大騒ぎをしていますからね。適当に祈っているのでしょう」

「ってことは、結界を張るのを優先したから、瘴気だまりを浄化できていなかったってことかしら?」

「結界が消えるのだけは避けたいですから。現状、彼女に瘴気だまりを浄化してもらうのは無理なので」

「リナは魔力が枯渇するのを頑なに嫌がるからね……。でも、中央教会に魔力の結晶があったでしょう。それで魔力を補完して……あっ――ないのか」

「ええ、そうです。そのせいで、フィリベール王太子殿下は急いでジュディを連れ戻す必要があったんです」

「そうだった。大司教にガラス玉を渡しそびれたままだったわね。魔力なしの人たちは大丈夫かしら? 今ごろ困っているんじゃないかな」

「とりあえず、ジュディのポケットに入っていたガラス玉をいくつか届けてあります。王太子殿下も魔力の結晶の製作者に気づいたから、困っていたんでしょう」

「どこまでも都合がいい話ね。わたし、彼に連れ戻されていたらどうなっていたんだろう」

「考えたくもありませんね。もうジュディは僕以外に触れさせる気はないので」

「ふふっ。アンドレも、わたしが聖女だと分かったから、急に好きだとか、愛してるとか言って取り繕っているんでしょう」

「違いますけど」

「別に無理をしなくてもいいわよ。フィリベール殿下もそれに気づいてから、騒ぎ始めていたんだもの。捨てたくせに、急に『愛してる』って言われて誰が信じるかって言うのよ。馬鹿よね。──あの日のことを思い出したら腹が立ってきたから、その手の冗談は、もうやめてよね」

 感情任せに言い過ぎたかしらとハッとして、彼の顔を見る。
 すると、アンドレの微笑みは消え失せ、ずーんと暗い顔で固まっている。

「アンドレ?」と声をかけると、彼は「あ、はい」と話を戻した。

「ジュディに転売容疑を向けてしまって、申し訳ありませんでした。あのガラス玉は、中央教会に届けようとしていたんですね」

「そうだけど、アンドレが意地悪だったおかげで、カステン軍に転がり込めたから感謝しているわ」

「意地悪って……。まあ、あの時、僕がジュディを追い払っていたかと思うと、ゾッとします」

「その時は、ナグワ隊長が拾ってくれたかもしれないわね。ああ見えて優しいから」

「もしかしてジュディは、ナグワ隊長が好きなんですか?」
「嫌いじゃないわよ」

「じゃあ、僕のことは?」

「嫌いじゃないわよ」
 それを聞いたアンドレが、真っ青になり項垂れる。
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