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第5章 離さない

ジュディットの記憶の修復②

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「……不思議だわ。この現象があまり頻繁に続くようなら、何か対策が必要ね」

「そうですね。今後、ジュディット様が王太子妃となれば、今以上に忙しくなるでしょうから、我々騎士団と同行して、瘴気を浄化してもらうのも難しくなるでしょうし」

「そうね。妹のリナが対応できればいいんだけど、彼女だと、魔力が足りなくてお願いできないのよね……」

 妹の全魔力を使い切れば、浄化はできると思うが、そうもいかないから頭を悩ませている。

 妹は、「魔力が底をつくのが嫌なの~。魔物に遭遇した時にどうするのよ~」と言っては、瘴気の浄化へ同意しないのだ。

 それでも「聖女なのか」と説教したいところだが、確かに瘴気だまりへ向かへば周囲に魔物がいるのは否めないし、怖いのかもしれない。普通は。

 そんな我が儘な妹を思い出し、一段と深いため息が出る。

 すると、シモンから「申し訳ありません……」と、恐縮しきりな口調で言われてしまった。

「何が?」
「今日は、ジュディット様と王太子殿下の婚礼に関する、『禊の儀』でしたよね……。それなのに、騎士団との魔物の討伐を優先させてしまって」

「ああ……、まあ、本当はね……」

「王太子殿下にお渡しするハンカチを、徹夜で完成させたと、昨日、伺ったのに……」

 他人行儀な関係を払拭するために、何がいいかとシモンに訊ねたら、「刺繍を入れたハンカチを贈ってみては?」と、アドバイスをもらったものだ。
 ちゃんと準備したのにすっかり忘れていたせいで、ポケットの底で、ガラス玉に潰されしわくちゃなはず。

 今更渡せないなと思うわたしは、はにかんだ笑顔を見せる。

「ふふっ、慣れない事はするものじゃないわね。お互いに愛称呼びをしてみたくて、ちょっと背伸びをした刺繍を入れてみたんだけどね。殿下にはお渡ししない方がいいのよ。儀式は中止だし」

「中止ですか⁉ てっきり延期だと思ってました! そんなことなら、ジュディット様に森の奥まで同行してもらわなかったのに」
 彼が激しく動揺する。

「いいのよ。禊の儀は、月歴で決まっているから変更できないらしいのよ。結婚式の前には、もう満月は来ないし……。だけど、禊の儀をしなくても結婚はできるから」

「リナ聖女が、この瘴気の浄化に動いてくれていれば――」
 リナが森へ入るのを拒んだことに納得していないシモンが、唇をかむ。

「『瘴気が大きすぎるから無理だ』と、リナに言われてしまえば仕方がないわ。だけど、お父様は禊の儀が中止になったことを、怒っているだろうな……」

「ドゥメリー公爵様であれば、聖女についてご理解があるから大丈夫でしょう」

「どうかしらね」
 本当の話を聞かせるわけにもいかず、曖昧に返答した。

 聖女の加護があるくせに、わたしが自分の母を救えなかったことを、父はずっと恨んでいる。

 だけど、馬車で事故に遭遇した母に対面したのは、すでに母の息が絶えた後だった。

 聖女でもできないことは存在するが、それを理解できないようだ。

 そんなことを考えながら、シモンに視線を向ける。

「風刃!」
 あえて唱える必要もない魔法名を大声で張り上げる。
 目的は、わたしが魔法を使うことをシモンに伝えるため、わざと口に出した。

 わたしの声に反応して、同じ歩幅で進んでいた彼が、ピタリと止まった。

 そして、短い草が生えた地面に、トサッと小さな音が響き、シモンが音の先へ顔を向けた。

 足元に転がる芋虫のような魔物を見て、彼は一瞬で青くなった。

「こらシモン、危ないわよ。討伐が終わったからって油断し過ぎよ。あなたの肩に魔虫が乗っていたわ。わたしのことばかり気にしてないで、自分のことを見ないとね」

「あ、ありがとうございます。こんな近くに魔物がいたのに全く気付きもしませんでした」

「あら、それはもっと困った事態ね。心を澄まして魔力の気配を感じれば、ごくわずかな魔虫の魔力でも分かるはずだけど」

「いや、幼虫ですよ。こんな小さな魔物の気配に気付く方が無茶です。そんなことができるのは、ジュディット様くらいですよ」

 そう言って彼は、深々と頭を下げた。

「わたしも、魔物を一掃したと思い込んで、今の今まで気付かなかったのが恥ずかしいわ」

「いえ。撤収を判断したのは我々騎士団ですから。それよりジュディット様、お急ぎください。今なら禊の儀ができるかもしれませんよ」

「そうね」と返したが、きっと、シモンが期待するようなことにはならないわねと考えながら、歩き進める。

 ようやっと森を抜けたところで、乗ってきた栗毛の馬が目に入る。
 自分自身に身体強化をかけ、ひょいっと容易く馬の背に跨った。

「あ~あ。お腹空いたなぁ。今日は朝ごはんを逃してしまったわね。そーだ! 明日は、魔猪を見つけたゲートへ向かうわよ!」

「魔狼の方がお金になるし、辺境伯領は無理ですからね。どうせ着く頃には逃げてますよ」

「結婚したら、悠長に出かけられないでしょう。今しかないのよ」

「いいえ駄目です。王都から一番近いゲートにしか行きませんよ」
「……つまんないわねぇ。じゃぁ一人で行くわ」

「明日はダチョウを探すよう、騎士たちに命じておきますよ。ダチョウなら、狩ってすぐに食べられますし」

「それなら明日はダチョウでいいや」と短く口にし、手を振った。


 彼へ丁寧に別れの挨拶をしなかったのは、これまで九年近く続けた日常が、当然明日もやってくると思っていたのだから――。


 そうして到着した王宮で、オレンジの香りがするお茶を飲んでいたのだが、フィリベールから激昂され、慌ててパチッと目を開けた!
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