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第4章 逃がさない

だまされない①

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 父と名乗る男が御者台に座り、その横にわたしも座らされた。
 硬い木の板の座面がガタガタと揺れ、お尻が痛い。確かに身体強化をかけたくなるなと納得する。
 まあ、私もそうしたいところだけど、魔力を無駄にするからもちろんしない。

 そんな風に、余計なことを考えるくらい、余裕がある。念のため横をちらりと見る。

 この男、馬車に乗るまでは、まくし立てるように喋り続けていたのだが、いざ二人きりになれば無言が続く。
 ――二人の間に広がる、ひんやりとした空気。

 感動の再会という微笑ましいものは、一切ない。わたしを馬車に乗せた途端、彼の作り笑いは掻き消えた。恐ろしいまでに……。

 そして、わたしを監視するように、ちらりちらりと何度も見てくるあたり、逃走を警戒しているのだろう。

 沈黙の中で馬車はゆっくりと進む。途中に分かれ道があり、どちらに行くのだろうかと見ていれば、彼は整備されていない細い道を選んだ。

 その辺りから周囲の景色が変わり、より一層、座面の振動が大きい。年季が入り、ゆがみ目立つ馬車が、うかうか口を開けていられない程に激しく揺れる。

 周囲は木々が生い茂り緩やかな登り坂が続くため、山道に入ったのだろう。
 しばらく走らせていると、下り坂に変わったが、そこまで傾斜は強くない。

 以前、アンドレがわたしを拾ってきたと言っていた場所に近付いているかもしれない。

 そう判断する理由は、寄宿舎から騎馬で三十分移動すれば、この辺りな気がするからだ。

 実際現場を目にすれば、いくらわたしでも、この場所で一休みしようとは思わない。あり得ないだろう。

 狼の遠吠えが連鎖するように響くこの場所で悠長に眠るのは到底考えられないが、ましてや無傷な状態で偶然アンドレに発見される方がおかしい。すぐさま狼の餌だろうに。

 やはり彼は嘘を吐いている気がしてならない。

 ケランとの移動。時計がないから正確な時間は分からないが、ここまで一時間は経った気がする。馬の歩みが妙に遅い。
 まあね。たった一頭の馬で大きな荷台を引く馬車は、相当歩みが遅いのだろう。それこそ馬力が足りない。

 馬車から飛び降りるなら、今がチャンスかもしれないなと考えるが、彼から離れるとすぐに狼に取り囲まれる予感がする。ここの狼は殺傷禁止の保護対象だったはず。

 魔力でエネルギーを飛ばす威圧を使えば、野生動物が逃げ去るのは分かっているけど、無駄に使いたくない。いや、使えない。

 あれは常に魔力を放出するから、思いのほか魔力を消耗する。
 身体強化にしろ、偽装魔法にしろ、維持する系統の魔法は一見すると地味だが、一定の魔力を使い続けるのは意外に高度な技だ。

 ガラス玉の持ち合わせ。それが一つしかないとなれば、極力魔力は使いたくない。魔力の温存を優先したいところだ。

 それに、横の男から逃げるために攻撃魔法を仕掛けたとしても、身体強化をかけているのであれば、適当な魔法では効かないはずだ。

 そうなればケランから逃げるのは、この山道を抜けて町に出た時点で人込みに紛れる方が無難だろうと目論む。

 それにしても困った。新しいガラス玉を受け取るには、王都までいかないといけないのに、お金がない。
 唯一持っていた指輪も、台所仕事をする間は外していたせいで、部屋に置いて来てしまった。
 銅貨さえない身の上で、この先、どうやって辿りつけばいいんだろう。

 ガラス玉もないとなれば、アンドレと出会った時より酷い状況である。いよいよ快適とは無縁の暮らしが迫ってきた気がする。

 日銭になる仕事が欲しい。そんなのはそうそうないか……。
 そもそもカステン軍の寄宿舎の生活が、何にも持っていないわたしに優しくて、居心地が良すぎたんだ。料理も作れないわたしにエレーナも親切だったし。

 ――だけど、あそこで暮らすアンドレのせいで記憶を失ったのだろうか? そんな魔法は聞いたことがないんだけど。

 ――なんで彼に縋っていたんだろう。幾度となく冷たくされたのに……わたしって馬鹿だな。

 この数日を振り返って反省していると、馬車の向かう先に、そのアンドレが立っている。

(ええっ? どうして⁉)と出かけた叫び声は、咄嗟に堪える。
 いつの間に、わたしの乗る馬車を追い抜いて、彼が前方にいるのだろう? それも余裕綽々よゆうしゃくしゃくご丁寧に馬をロープで止めているし。

 それにしても妙だ。追い抜かれた覚えはないし、彼の服装がさっきとは違う。
 彼が黒いコートなんて着ていたことがあっただろうか?
 何となく抱く、もやもやとした疑問。それを吐き気と共に感じる。

 いろいろと理由を付けて別人だと否定したところで、彼を見間違うわけがない。

 黒い髪に黒い瞳は、なんら珍しい色ではないけれど、彼の整った顔は十人並みとはいえない。

 すれ違う女性が振り向いてしまう程に際立った容姿は、その辺にごろごろ転がっているわけがないのだ。再会を苦々しく思う。

 ケランにとってアンドレは、快くカステン軍から送り出してくれた人物である。
 それなのに、そんな人間が追いかけて来たとなれば、ケランという男もさぞかし焦っていることだろう。

 そう思い彼の顔色を窺がう──。

 だが、ケランは全く見当違いの方向を見たまま、アンドレを気にする素振りもない。
 おや? 気づいていないのか? と思ったが、ケランに声をかける必要もなく、見て見ぬ振りをする。

 アンドレは一体、何を考えているのだろうかと思っていれば、進行方向に三十センチメートルの土壁が出現した。
 アンドレかケランのどちらかが使った土魔法かと考えたが、すぐに犯人に辿り着く。

 横の男が狼狽し、壁を避けろ避けろと手綱を横に動かしている。いや、いや、いや、その行為になんの意味もない。馬には伝わらないだろう。

 ──ってことは、この魔法を使ったのはアンドレなのか?
 
 車体を引く馬は難なく跨いで進む。現れた土壁自体、大した高さではないからだ。

 けれど、地面を忠実に転がる馬車の車輪はそうもいかない。車体の進路を阻むには十分だった。

 馬車からバキンと大きな音が聞こえる。
 それと同時、お尻が座面から浮き上がる程の激しい衝撃を受けた。

 気づけば、馬と車体を繋げていた太いロープもスパッと切られている。
 誰だ? 誰が切ったというのだ? 馬は無傷で生かしたいのか? またしてもアンドレか?

 こうなれば、ケランとアンドレの二人はグルな気がしてきた。

 一方的な攻撃を仕掛けられたにもかかわらず、ケランはアンドレを睨んではいないのだ。
 むしろ、まるで分かっていたように、冷静に受け止めている。
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