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灰色の剣士編

熟練度カンストの邪教徒

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 ラグナ教は、この世界の中心……中原からあまねく世界まで広がった宗教である。
 名を秘された絶対の神、神に従う聖霊、神の分身である受肉した初代教祖を信仰の対象とし、杭と、それを包み込むリングを組み合わせたシンボル、ラグナリングを用いている。
 ラグナ教の他に、ザクサーン教、エルド教が三大宗教と呼ばれており、それらは全て同じ神を崇める教えである。
 だが、教義解釈の違いで、三大宗教は常に血で血を洗う闘いを繰り広げている。
 そこに、土着宗教を信じる人々が生きる場所は無い。
 三大宗教のぶつかり合いは、今ラグナ教に軍配を上げ、世界は緩やかにこの一つの教えに染まろうとしている……そんな時代である。

 故に、この穏やかな村は、邪教徒が集まる穢れた地でしか無かった。
 その日まで、村はいつも通りの朝を迎え、周囲の街との僅かな交流の他は、自給自足ですべてを賄う穏やかでささやかな幸福を享受していた。
 誰に不幸を与えること無く、父祖の代から信仰する、四大精霊に祈りを捧げる。
 精霊様。
 今日もまた、我らが健やかにありますよう、お見守りください。
 精霊は人を守るものでも、罰を与えるものでもない。
 ただ人の傍らにあり、時には流れる川に、時に畑に実る作物に、時には季節を運んでくる風に、その身を変えて、常に人々を見守り続ける存在だった。
 村人たちは人を疑うことを知らず、しずかに、平和に、暮らしを営んでいる。
 この暮らしは、人の世が尽きるまで続くものだと思われた。
 だが。

「お母さん、向こうから何かやってくるよ」

 一面に実った、トウモロコシの畑。
 村を囲むように作られれた畑の上で、鮮やかな色彩の穂が揺れている。
 その黄金色の原の向こうに、鈍色に輝く群れが現れた。

「あれは……何かしらねえ。兵隊さん? でも、あんなにたくさん……」
「たくさんだねえ。どうしたんだろうねえ」

 子供は興味津々である。
 あれほど多くの人間など、見たことがない。
 だから、近寄ってくる鈍色の群れに向かって駆け寄り、手を振った。

「おーい! おーい!」

 山賊と言えるような犯罪者も無い村である。
 貨幣は山を超えた所にある、街と取引をするときにしか使わない。
 この村にあるのは、作物と織物ばかり。
 山の実りは豊かで、川と地下水は、作物を育ててくれる。
 満ち足りた暮らしの中、人から略奪しようと考える者などいなかった。
 だから、気づかなかったのだ。
 それが、最悪の略奪者であり、侵略者の群れであると。

「おー……」

 言葉の半ばで、群れの中から飛来した幾本かの矢が、風を切った。
 母親が見たのは、我が子が真正面から喉を射抜かれ、人形のように力を失って倒れる様である。
 しばし、何が起きたのかを理解できない。
 そして、畑を無残に踏み潰しながら歩いてくる群れを見つめ、ゆるゆると現実を把握した。
 絶叫する。
 そんな彼女に、目を血走らせた略奪者たちが襲いかかった。


「焼け! 焼き払え! 全ての家々には、邪教の象徴が飾られているぞ! 神は世界に、我らが神ただ一柱のみ! 邪悪な精霊などというものを信じる者たちは、邪教徒である!」

 実った作物は荒らされ、ラグナの紋章を付けた兵士たちが食い散らかす。
 男たちは無残に殺され、あるいは遊び半分に切り刻まれて改宗を迫られる。
 女たちは犯され、子供はおもちゃにされる。
 家々を飾る紋章は地に落とされ、踏みつけられた。
 家々に火が掛けられる。
 畑が燃え上がる。
 牛馬は殺され、その場で肉として食い散らかされる。

「わ、わ、分かった! 信じる! あんたたちの神とやらを信じるから! だからやめてくれ!」
「よかろう! では信仰の証に、この槍を手に取れ!」

 転向を口にした村の男に、この集団を率いている黒衣の司祭は槍を手渡した。
 ラグナリングをモチーフとした槍であり、これは聖なる槍であった。
 聖なる槍は、神敵を討ち滅ぼす力を持つと言う。
 司祭は優しく微笑んだ。

「信仰を得た汝は幸いである。この槍を手にし、そこな邪教徒を滅ぼすのだ」

 男は目を見開く。
 司祭が指し示したのは、男の妻と子である。
 彼は冗談だろう、という目で司祭を見た。
 だが、司祭の目は笑ってなどいない。

「やるのだ」
「で、できねえ」

 すると、司祭の瞳は失望に曇った。

「なんと……やはり卑しい邪教徒は、神の尊い教えを知ることは出来ないというのか……。嘆かわしい。お前たち」

 司祭の言葉に合わせて、黒衣の甲冑が前に進み出る。
 どれも異様な意匠を刻み込んだ、巨躯の重装甲冑である。彼らは、聖霊の紋章を宿す聖堂騎士であった。

「彼はもはや邪教徒ではない。だがもっと悪いものだ。彼は背教者である」
「おお」
「おお」

 嘆きと怒りに満ちた声が、聖堂騎士たちから上がる。
 転向したものはラグナの信徒である。
 だが、信徒でありながら、神の代弁者たる司祭の言葉に従わぬものは背教者である。
 その罪は、邪教徒であることよりも重い。

「罪を贖わせるのだ」
「はっ」
「はっ」

 聖堂騎士たちが、見るもおぞましい道具を取り出す。
 拷問道具の数々である。
 男が、妻が、子が、絶望の悲鳴を上げる。
 村の若者は、幾人かが立ち上がろうとした。
 彼らは、精霊の声を聞き、わずかにその力を行使することが出来る。

「シルフよ……!」
「ノームよ……!」
「サラマンダー……!」

 ラグナ教徒たちは、若者たちが呼び出した精霊の姿に恐怖した。
 悪魔だ。
 悪魔を召喚した、とざわめく。
 そこに現れるのは司祭である。

「鎮まれ。我が神の威光に比べれば、低級の悪魔など塵芥に等しい」
「悪魔じゃねえ! 精霊様だ! 悪魔というなら、こんなことをするお前たちが悪魔だ!!」
「なんと!!」

 司祭の目が見開かれる。
 なんと罰当たりな事を言うのか、この邪教徒どもは。
 ラグナ神の代弁者たる我が身が、悪魔などと!
 これこそ、神をも恐れぬ行いと言わずしてなんと言おう。
 司祭は天を仰いだ。

「お前たち。後ろへ退け。私がこの邪教徒どもに……天罰を下す」

 司祭は、教会にて聖別された聖槍を天にかざす。
 それぞれの司祭は、特別なシンボルを教会から与えられている。
 これはラグナ教司祭としての地位を表すものである。そればかりではなく、シンボルはラグナ教の力を人々に知らしめるため、とある特殊な力を有していた。
 それが、

「天に在す我らが神よ! 忠実なる信徒、チェザーレが乞い願い奉る! 御身のお力を、今、ここに!!」

 言葉とともに、真昼の空が一面にかき曇った。
 黒煙の如き雲が湧き上がり、太陽を隠す。
 その時、雲は割け、一条の光が注いだ。
 光が実体を成す。
 現れるのは、見上げるような巨大な男の姿だ。
 背には翼を生やし、頭上には回転する金色のリング。

「これぞ神の御力!! 大聖分体招来の儀!!」
「う、うわあああ!」

 若者たちはパニックに陥った。
 精霊を召喚できる彼らであったが、これほどの巨大な代物を呼び出すことは出来ない。
 ラグナ教とは一体何なのか。
 司祭は、神に侍るだけの存在ではないのか。
 何も考えることは出来ない。若者たちはただ、精霊たちをこの巨人目掛けてぶつけるだけである。
 巨人が目を光らせて、何事かを叫ぶ。
 すると、襲いかかる精霊たちに向かい、光が迸った。
 光に触れた精霊たちは、一瞬で消滅していく。
 光は力を減衰すること無く、若者たちを焼いた。

「ああああああああっ!!」
「があああああああっ!!」

 全身を一度に炎に包まれ、彼らはのたうち回る。
 炎は消える様子もなく、どんどんと勢いを増し、すぐに彼らを人の形をした灰に変える。
 ラグナの兵たちは戦慄した。
 そして、我らが神の成す奇跡に酔い痴れた。
 ラグナ教は、天に愛された教えである。
 神は唯一絶対、何者も抗うことは出来ない。
 ラグナを信じる己らは、幸いである。



 そんな風に思っていた時期が、彼らにもありました。



「あっ、トウモロコシ焼けてる!!」

 間抜けな声がした。
 気づいたのは、聖堂騎士の一人である。
 拷問によって、背教者の一人を文字通り地獄に落とした彼は、勤労の心地よい疲れに浸っていたところだった。
 だが、そんな彼の目に、信じられない者が映る。
 それは、二人組であった。
 一人は、冴えない顔をした猫背の男。
 くたびれた灰色のだぶっとした衣服を着て、焼けたトウモロコシをむしゃむしゃ食べている。

「うめえうめえ」

 もう一人を見て、聖堂騎士は驚きに声を上げた。
 虹色に反射する銀の髪。虹の瞳。
 あの貫頭衣は、火刑に処される魔女が身につけるものである。そしてピンクのトイレスリッパ。
 ここに来るまでの街で、処刑される寸前に魔女が逃げ出したと聞いた。
 しかも、近年稀に見る、強大な魔女だと言う。
 同じ聖堂騎士が二人殺され、教会は魔女の行方を見失っていた。
 それが、こんな所に。
 これほど特徴的な外見を見誤る事はない。
 己は幸いである。
 聖堂騎士は笑顔を浮かべた。
 神敵をこの手にかけることができるのだから。
 彼は、バトルハンマーを手に立ち上がる。
 上背は並の男よりも頭一つ半ほど高い。
 このハンマーがあれば、甲冑の戦士であろうと一撃で肉塊に変わる。
 魔女がいかな魔法を使ったとしても、この聖なるハンマーを防ぐことは敵うまい。

「神敵! 天誅を下す!」

 周囲に響き渡る大音声を発した。

「リュカ、トウモロコシを食うのだ。うまい。うまいぞ」

「お美味しい~。ここまで、ずうっと草とか木の実だったもんね」

「うむ。やっぱり穀物はいいのう」

 無視された。
 聖堂騎士は激怒した。
 なんたる無礼な輩か。
 いや、待て。相手は魔女である。近くにあるこの貧相な男が何者かは知らぬが、魔女が無礼は当然では無いか。
 相手を人と思ってはならない。
 あれは人の形をした獣である。
 ならば、ただこの聖なるハンマーで殴殺すれば良い。
 単純なことだ。
 どうやら、司祭どのもこちらに気づいたようだ。やってくる。
 かの司祭どのの手を煩わせる訳にはいかぬ。

「生まれたことを! 悔い! 改めよ!」

 吠えながら、聖堂騎士は疾走した。
 疾走しながら、ふと気づく。
 あの貧相の男がこちらを見ている。
 はて、あの男、いつの間に腰に剣を佩いているのか。

「虹彩剣、バルゴーン」

 聞き覚えのない名を呟いている。
 こちらが一歩踏み込むより速く、もっと、ずっと速く、男の手が剣の柄にある。
 こちらが一歩を地につけた瞬間には、虹色の刃が顔を覗かせている。
 あれは、なんだ。
 振り下ろそうとするハンマーが、まるで熱したナイフでバターを切り裂くように、するりと斬れた。
 同時に、聖堂騎士の視界も斬れた。
 永遠に暗転する。


 それは、聖堂騎士の中でも最も強く、力ある男であったはずだ。
 幾多の神敵を血祭りにあげてきた、聖戦士の中の聖戦士。
 そんな男が、今、ただの血煙に変わった。
 やったのは、灰色の衣装に身を包んだ男。
 今や、誰も彼を貧相な小男と見はしない。
 あれは、なんだ。
 人一人を血煙に変えた剣術。
 微かな血糊すら付着せぬ、輝く曲刀。
 人間を、人間とも思わぬ目をした、この男。
 魔女の前に立ちふさがる剣士。


「神敵…………!! 汝は何者ぞっ!?」

 司祭が叫ぶ誰何の声に、だらけた調子で男は答えた。

「戦士ユーマ」
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