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Part 8-3
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目覚めると、天窓から降り注ぐ光が寝室の中心に柱を作っていた。
上目で隣の鳳乱の様子を伺うと、まだ彼はすうすうと寝入っているようだ。まどかはそっと彼の下から抜け出ようとして体をずらすと、鳳乱はうーーん、と唸って腰を抱き寄せた。
「あ、ごめん……起こした……?」
「ん、起きてない」
まどかは、彼の顔にかかる前髪をそっと指先で払った。彼はぼうっとした目でまどかを見上げ、その様子はなんだか彼を幼く見せた。
もしかしたら、低血圧かもしれない。
「まどかがイリア・テリオにいる」
掠れた声で囁いた。
現状をそのまま表した言葉。でもそこには、計り知れない程の意味がある。
「うん。そして鳳乱の腕の中にいる」
彼はその存在を確かめるように、唇で額に触れた。
「もう、起きないとな。一時間後にまどかは食堂でミケシュ達と合流するんだぞ」
そう言うと、下から腕を抜いて体を起こす。
まどかも起きるが、その時に下半身に鈍い不快感を感じた。眉をひそめたのを見逃さなかったのだろう、彼は横からまどかの体に腕を回した。
「ごめん、ちょっとやり過ぎた」
「そうよ。今日は大事な初日なのに、ほとんど眠れなかったんだから」
大げさに頬を膨らませると、彼は得意の流し目で顔を覗き込んだ。
「まどかはああいうの、嫌だった?」
脳裏に昨日の行為が鮮明に甦(よみがえ)る。
体の動きを封じて組み敷く大きな手のひらや、彼の背中に回した手に感じる滑らかな筋肉の伸縮。体の温もりと重み。吐息まじりに名前を何度も呼ぶ声の響き……。
「え……嫌じゃないけど……」
ふと鳳乱を見ると、満面の笑みを浮かべている。まどかはハッとして
「でも、度ってものがあるでしょう」
顔を背けて彼の胸に体を押し付けた。
「そうだな。ひどいよな。まどか、僕の体液まみれ。さっさとシャワー浴びよう」
よっ、と彼は毛布ごとまどかを抱き上げてベッドを下りた。まどかは慌てて首にしがみつく。
「まどか、昨日よりももっと肌が綺麗になってるはず」
「なんで? 幸せなセックスをしているとホルモンのバランスが……とかそういうこと?」
「いや、だから僕の、フェニックスの体液で」
しゃあしゃあと言ってのける彼の頬を、軽くつねった。
鳳乱の後から、バスローブ姿のまま部屋へ行くと、彼は濃いベージュのパンツの上に、紺色のシャツを羽織っているところだった。
昨夜はカーテンが引いてあったのでわからなかったが、いっぱいに開けられたその向こうは一面ガラス張りだった。
庭には芝生が広がり、その界には垣根がわりに剪定された木々が行儀良く立っていた。芝生の緑を光が反射し、部屋の白い壁を緑に塗り替えていた。
「ああ、まどかの制服届いているから」
彼はソファーの背を指す。見ると、ソファーの色と殆ど同化しているボルドー色の制服がかけてあった。下着の類も揃っている。制服は、ウエストが絞られた膝丈のワンピースで、襟が高く、ミリタリー調だ。靴はローヒールのパンプス。
制服に着替えてキッチンにいくと、彼は眩しそうに目を細めた。
「やっぱり似合う」
そしてティーバッグの入ったマグに湯を注いだ。
「部屋から出したくないな」
彼の隣に並んだまどかは、マグを受け取ると、ふうふう冷まして一口飲み、まだ熱いそれをシンクの脇に置いた。
「それじゃあ、契約違反だわ。働かないと追い出されちゃう」
笑って彼を見上げる。
「そしたら僕が面倒見る」
「今だって面倒見てもらってるわ」
彼の視線を避けて、マグに目を落とす。
「そう言う意味じゃないって、分かってるだろう」
顔を上げると、まどかを見つめる鳳乱の眼差しは、怖い程に真剣だった。
まどかの口元から笑みが消える。
「帰るなよ」
まどかは返事に困った。
本当に、困った。
もともと、まどかは人に執着しないほうだった。女性であれ、男性であれ人と深く関わると、摩擦が起き、いずれ傷つく時がくる。いつも、何となくそう思っていた。
自分の事について人から何か聞かれれば答えるけれど、自分から人に質問しないほうだった。
興味がないわけではない。多分、「コミュ障」なのだろう。
それなのに、鳳乱だとそれがうまくいかない。彼はためらうことなく、気持ちをまどかにぶつけてくる。
それはまどかにとっては新鮮で、最初は戸惑ったが、それが今はとても嬉しい。
彼を知れば知る程魅かれていくし、彼の全てを知りたいと思う。
そして何よりも、彼から求められるなら、自分の全てを捧げてもいいとさえ思ってしまう。
このまま、深みにはまっていいものか、背を向けるべきか、こんなふうに相手のことを考えるのは始めてだった。
だから、返事に困った。
昨日は彼に、帰るまでずっと一緒にいたいと言った。でも、彼に『帰るな』と言われると、怖じ気づく自分。
矛盾している。でも、気持ちなんていつも不安定なもの……今日は白、明日は黒……はっきり決めることなんてできない。
そういうことだって、ある。
「まどか。今おまえは地球に存在していないんだ。このままここにいても誰の不自由にもならないじゃないか。それともまどかは僕から離れるのに少しも抵抗が無いのか? 僕は、嫌だ」
その言葉は正直、胸にずきっと響いた。
今の地球には、残して来た職場にはもちろん、家族の中にも『金目まどか』という存在が無い。
夕食を囲む家族の食卓にも、テレビの前のソファーの角の席にも、診療所のタイムカードも、すべて自分抜きで、それでも円滑に動いている。
手に職を持ち自立したのに、未だになんやかんやと世話を焼く母。普段は人の話をろくに聞かないくせにたまに夜遅く帰宅すると、機嫌の悪くなる父が疎ましくて、まどかは一人暮らしを始めた。
それでも実家にはいつも居場所が残っていた。職場でもお年寄りの在宅訪問が多く、そんな患者さんたちに可愛がってもらった。
いい事ばかりではなかったけれど、それでも、少なくともそれら全てはある意味「自分の存在ありき」で動いていたはず。
それが、今は全くの「無」だなんて。
「う……」
急に涙腺が弛んだ。一度弛んだら堰を切ったようにぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。嗚咽を抑えようと手を口へ持っていく。
何故今さら涙が出るのか自分でも分からなかった。
地球に自分の存在が無いことが悲しいのか、鳳乱が自分を離したくないと言ってくれたことに心が震えたからか。
まどかが突然泣き出し、鳳乱は驚いたようだ。胸にまどかをすっぽり包むと、優しく背中を何度も撫でる。
「ごめん。言い過ぎた。僕の我が侭が暴走してまどかを傷つけてしまった。僕も自分がどうしたいのか分からないんだ。まどかの幸せを思って、早く地球へ帰してあげたいと思う反面、絶対に手離したくない自分もいる。本当に、始めてなんだ。僕がこれほどまでに誰かと一緒にいたいと思ったのは。それに……僕たちのプロセスが早過ぎて、僕自身コントロールを失っているみたいだ……。自分でも驚いているけど。……なんだか言い訳みたいだな」
彼の胸から声が直に耳に響く。それを聞いているうちに涙はおさまってきた。
ずずっと鼻をすすると、彼は、待ってて、と、ティッシュを取ってきた。まどかが鼻をかんで落ち着くのを、彼は隣で待っていた。
そしてまだ、傷つけた負い目があるようで、曖昧に微笑し、訊ねた。
「長く家を空けていたから、食べる物が何も無いんだ。今日まどかと僕の仕事が終わったら、一緒に街へ買い物に行かないか。美味しい物を食べよう。もちろん僕が作る。昨日まどかが言ったように、たとえ明日帰ることになっても、一年後でも、それまでに僕も出来る限りまどかと一緒に過ごしたい。それで、いいだろう?」
多分、彼も今のまどかと同じ気持ちだ。
深く関われば関わるほど、さよならは辛くなる。
それでも、彼はまどかと一緒にいたいという。この人は、強い。そして、自分に対するその思いも。
「ありがとう」
まどかはオリーブグリーンの瞳を真っすぐに見つめた。まどかの、言葉にできない思いが彼に伝わるように。
彼は指の背でまどかの顔の輪郭をなぞった。
まどかはそのなめらかな指の動きをもっと感じたくて、瞼を閉じる。すると、そのまま指は顎まで滑り、そこでそれを軽く支えた。
刹那、自分と同じシャンプーの香りがふわりと降ってきた。
上目で隣の鳳乱の様子を伺うと、まだ彼はすうすうと寝入っているようだ。まどかはそっと彼の下から抜け出ようとして体をずらすと、鳳乱はうーーん、と唸って腰を抱き寄せた。
「あ、ごめん……起こした……?」
「ん、起きてない」
まどかは、彼の顔にかかる前髪をそっと指先で払った。彼はぼうっとした目でまどかを見上げ、その様子はなんだか彼を幼く見せた。
もしかしたら、低血圧かもしれない。
「まどかがイリア・テリオにいる」
掠れた声で囁いた。
現状をそのまま表した言葉。でもそこには、計り知れない程の意味がある。
「うん。そして鳳乱の腕の中にいる」
彼はその存在を確かめるように、唇で額に触れた。
「もう、起きないとな。一時間後にまどかは食堂でミケシュ達と合流するんだぞ」
そう言うと、下から腕を抜いて体を起こす。
まどかも起きるが、その時に下半身に鈍い不快感を感じた。眉をひそめたのを見逃さなかったのだろう、彼は横からまどかの体に腕を回した。
「ごめん、ちょっとやり過ぎた」
「そうよ。今日は大事な初日なのに、ほとんど眠れなかったんだから」
大げさに頬を膨らませると、彼は得意の流し目で顔を覗き込んだ。
「まどかはああいうの、嫌だった?」
脳裏に昨日の行為が鮮明に甦(よみがえ)る。
体の動きを封じて組み敷く大きな手のひらや、彼の背中に回した手に感じる滑らかな筋肉の伸縮。体の温もりと重み。吐息まじりに名前を何度も呼ぶ声の響き……。
「え……嫌じゃないけど……」
ふと鳳乱を見ると、満面の笑みを浮かべている。まどかはハッとして
「でも、度ってものがあるでしょう」
顔を背けて彼の胸に体を押し付けた。
「そうだな。ひどいよな。まどか、僕の体液まみれ。さっさとシャワー浴びよう」
よっ、と彼は毛布ごとまどかを抱き上げてベッドを下りた。まどかは慌てて首にしがみつく。
「まどか、昨日よりももっと肌が綺麗になってるはず」
「なんで? 幸せなセックスをしているとホルモンのバランスが……とかそういうこと?」
「いや、だから僕の、フェニックスの体液で」
しゃあしゃあと言ってのける彼の頬を、軽くつねった。
鳳乱の後から、バスローブ姿のまま部屋へ行くと、彼は濃いベージュのパンツの上に、紺色のシャツを羽織っているところだった。
昨夜はカーテンが引いてあったのでわからなかったが、いっぱいに開けられたその向こうは一面ガラス張りだった。
庭には芝生が広がり、その界には垣根がわりに剪定された木々が行儀良く立っていた。芝生の緑を光が反射し、部屋の白い壁を緑に塗り替えていた。
「ああ、まどかの制服届いているから」
彼はソファーの背を指す。見ると、ソファーの色と殆ど同化しているボルドー色の制服がかけてあった。下着の類も揃っている。制服は、ウエストが絞られた膝丈のワンピースで、襟が高く、ミリタリー調だ。靴はローヒールのパンプス。
制服に着替えてキッチンにいくと、彼は眩しそうに目を細めた。
「やっぱり似合う」
そしてティーバッグの入ったマグに湯を注いだ。
「部屋から出したくないな」
彼の隣に並んだまどかは、マグを受け取ると、ふうふう冷まして一口飲み、まだ熱いそれをシンクの脇に置いた。
「それじゃあ、契約違反だわ。働かないと追い出されちゃう」
笑って彼を見上げる。
「そしたら僕が面倒見る」
「今だって面倒見てもらってるわ」
彼の視線を避けて、マグに目を落とす。
「そう言う意味じゃないって、分かってるだろう」
顔を上げると、まどかを見つめる鳳乱の眼差しは、怖い程に真剣だった。
まどかの口元から笑みが消える。
「帰るなよ」
まどかは返事に困った。
本当に、困った。
もともと、まどかは人に執着しないほうだった。女性であれ、男性であれ人と深く関わると、摩擦が起き、いずれ傷つく時がくる。いつも、何となくそう思っていた。
自分の事について人から何か聞かれれば答えるけれど、自分から人に質問しないほうだった。
興味がないわけではない。多分、「コミュ障」なのだろう。
それなのに、鳳乱だとそれがうまくいかない。彼はためらうことなく、気持ちをまどかにぶつけてくる。
それはまどかにとっては新鮮で、最初は戸惑ったが、それが今はとても嬉しい。
彼を知れば知る程魅かれていくし、彼の全てを知りたいと思う。
そして何よりも、彼から求められるなら、自分の全てを捧げてもいいとさえ思ってしまう。
このまま、深みにはまっていいものか、背を向けるべきか、こんなふうに相手のことを考えるのは始めてだった。
だから、返事に困った。
昨日は彼に、帰るまでずっと一緒にいたいと言った。でも、彼に『帰るな』と言われると、怖じ気づく自分。
矛盾している。でも、気持ちなんていつも不安定なもの……今日は白、明日は黒……はっきり決めることなんてできない。
そういうことだって、ある。
「まどか。今おまえは地球に存在していないんだ。このままここにいても誰の不自由にもならないじゃないか。それともまどかは僕から離れるのに少しも抵抗が無いのか? 僕は、嫌だ」
その言葉は正直、胸にずきっと響いた。
今の地球には、残して来た職場にはもちろん、家族の中にも『金目まどか』という存在が無い。
夕食を囲む家族の食卓にも、テレビの前のソファーの角の席にも、診療所のタイムカードも、すべて自分抜きで、それでも円滑に動いている。
手に職を持ち自立したのに、未だになんやかんやと世話を焼く母。普段は人の話をろくに聞かないくせにたまに夜遅く帰宅すると、機嫌の悪くなる父が疎ましくて、まどかは一人暮らしを始めた。
それでも実家にはいつも居場所が残っていた。職場でもお年寄りの在宅訪問が多く、そんな患者さんたちに可愛がってもらった。
いい事ばかりではなかったけれど、それでも、少なくともそれら全てはある意味「自分の存在ありき」で動いていたはず。
それが、今は全くの「無」だなんて。
「う……」
急に涙腺が弛んだ。一度弛んだら堰を切ったようにぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。嗚咽を抑えようと手を口へ持っていく。
何故今さら涙が出るのか自分でも分からなかった。
地球に自分の存在が無いことが悲しいのか、鳳乱が自分を離したくないと言ってくれたことに心が震えたからか。
まどかが突然泣き出し、鳳乱は驚いたようだ。胸にまどかをすっぽり包むと、優しく背中を何度も撫でる。
「ごめん。言い過ぎた。僕の我が侭が暴走してまどかを傷つけてしまった。僕も自分がどうしたいのか分からないんだ。まどかの幸せを思って、早く地球へ帰してあげたいと思う反面、絶対に手離したくない自分もいる。本当に、始めてなんだ。僕がこれほどまでに誰かと一緒にいたいと思ったのは。それに……僕たちのプロセスが早過ぎて、僕自身コントロールを失っているみたいだ……。自分でも驚いているけど。……なんだか言い訳みたいだな」
彼の胸から声が直に耳に響く。それを聞いているうちに涙はおさまってきた。
ずずっと鼻をすすると、彼は、待ってて、と、ティッシュを取ってきた。まどかが鼻をかんで落ち着くのを、彼は隣で待っていた。
そしてまだ、傷つけた負い目があるようで、曖昧に微笑し、訊ねた。
「長く家を空けていたから、食べる物が何も無いんだ。今日まどかと僕の仕事が終わったら、一緒に街へ買い物に行かないか。美味しい物を食べよう。もちろん僕が作る。昨日まどかが言ったように、たとえ明日帰ることになっても、一年後でも、それまでに僕も出来る限りまどかと一緒に過ごしたい。それで、いいだろう?」
多分、彼も今のまどかと同じ気持ちだ。
深く関われば関わるほど、さよならは辛くなる。
それでも、彼はまどかと一緒にいたいという。この人は、強い。そして、自分に対するその思いも。
「ありがとう」
まどかはオリーブグリーンの瞳を真っすぐに見つめた。まどかの、言葉にできない思いが彼に伝わるように。
彼は指の背でまどかの顔の輪郭をなぞった。
まどかはそのなめらかな指の動きをもっと感じたくて、瞼を閉じる。すると、そのまま指は顎まで滑り、そこでそれを軽く支えた。
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