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1.見えない彼女
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「幸太、ここにいる?」
目の前の椅子に座る清香が言った。
幸太は机に身を乗り出し、清香の眼前で上下に手を振ってみる。
彼女は動かなかった。
発作。
幸太はポケットからスマホを取り出し、メッセアプリを開いて、彼女のスマホへメッセージを送信する。
<いるよ。目の前>
清香はきょろきょろと視線を少し揺らした後、机の対面に座っている幸太の方へと視線を向けた。
「いつもの場所?」
清香は言った。
<そう。今見てる場所>
幸太のメッセージを見て、清香は再び幸太に視線を向け、笑顔をつくって手を振った。
幸太も手を振り返す。
けれど、これは彼女には見えていない。彼女の向いている方は合っている。でも、目の焦点は幸太の後ろにある彼女の部屋の壁に合っているようだった。
<じゃあ、今日のところは帰るな>
幸太がスマホでメッセージを送ると、彼女は頷いた。
「ごめんね。いつも」
清香は少し泣きそうな声で言った。
幸太はテーブルに置いてあった学校の宿題とノートを自分の鞄に入れる。その時、ノートの一番後ろのページをびりっと破いて、シャーペンで大きく書いてテーブルに置いた。
『また明日』
それを見て、清香は微笑んだ。
そして、幸太の書いたすぐ下に、彼女は返事を書いた。
『また明日♡』
幸太が清香に手を振りながら彼女の部屋を出ようと、まるで清香は幸太がそうしているのが見えているかのように、幸太に手を振り返した。
幸太が部屋から出た後、清香はすぐに部屋の扉の鍵を中からかけた。
『透明人間』という言葉があるけれど、倉橋清香の病気を一言で表すなら『逆・透明人間』という感じ。
『発作性ヒト認識機能障害』。
それが清香の病気の名前。清香がそんな病名を診断されたのは、今から一年ちょっと前のことだった。
この病気にかかると、その病名のとおり他人を全く認識できなくなる。近くにいる人間が見ないのはもちろん、その人間が発する声や電話の音声も聞こえなくなる。写真や動画、映画なんかも見えなくなるようで、発作が起きた時の清香には、人間が映った部分だけがすっぽりと丸い穴が空いたように見えるらしい。
おまけに、人間が身に付けている物や手に持っている物なども見えなくなるので、近くにある物を他人が触れた瞬間、その物が突然消えたように彼女の目には映るのだ。
……唯一、匂いや触れられたという感覚だけは『ちょびっと』あるらしい。
この病気は世界中でも清香ただ一人しか発症者がいない。病名だって今適当に付けたって先生は苦笑いして言っていたらしく、もしかすると将来的にはキヨカ・クラハシ症候群なんて世界中で呼ばれることになる可能性だってあるらしい。
発症当初は彼女もそんなことを笑って幸太に話してくれた。
けれど、発作的に他人が見えなくなるこの病気は、彼女からたくさんのものを容赦なく奪っていった。
高校には通えなくなって自主休学せざるを得なくなり、発作が起こると付き添いをしている母親などですら見えなくなるのでほとんど外出ができなくなった。
彼女の友達も最初の頃は見舞いなどにも来てくれていたけれど、発作が起きた時のことを考えてむしろ彼女の方から見舞いを断るようになり、彼女を気にかけてくれる友達は見る見るうちに減っていった。
発症前は映画を見るのが好きだったものの、途中で発作が起きるとその後の内容が全く理解不能になることからか、いつしか見なくなり始め、今や彼女の娯楽は小説を読むことと、幸太や限られた友達とチャットをして話すことだけだ。
そんな彼女がほとんど自分の部屋から出なくなり、ひきこもり同然の毎日を送るようになったのは必然としか言いようがなかった。
清香は幸太が学校にいる間はメッセージを送ってこない。幸太がそうしてくれと頼んだわけじゃない。
『あまりに暇すぎて、きっと幸太が学校のことに集中出来なくなるくらい、メッセージを送りつけてしまうから』
そう考えた清香が自主的に、朝の九時から夕方の四時までの間、緊急の用事がある時以外は連絡を取らないと決めたのだ。
清香ががそう決めたのならと、幸太もそれに従うことにした。
高校三年の他のカップルを見れば、昼休みに一緒にご飯を食べている連中なんてざらにいる。ちょっとスマホで連絡を取り合うことなんて別にいいんじゃないか、とも思った。
けれど清香がイヤなのは、きっと幸太が返事をしなかった時にあれこれ考えて悩んでしまうことなのだ。そして、幸太もきっと清香を悩ませないために、清香からのメッセージが来たらすぐに返事を書いてしまうだろう。
そういうことを考えたら、少し寂しい気はしたけれど案外良いルールなんじゃないかとは思っている。
いや、少し寂しいなんて嘘だ。
本当はすごく寂しい。清香は今独りで何をしているんだろうなと考えるとやるせない気持ちになる。
クラスメイトの男友達から食堂に誘われたのに、それを断って、わざわざ人気のほとんどないテラスで昼食を食べてしまっているのが良い証拠だった。
寂しさを紛らわせようと、清香とのやり取りの履歴を見てみると、ほとんどが自分が送った清香と一緒にいる時の短文のメッセージだった。
そのメッセージを見て、幸太は清香と一緒の時の思い出を連想した。
「――ちょっとあんた、無人のテラスでスマホ見ながらにやけてるとか、超キモいからやめた方がいいよ」
その時、廊下から声をかけてきたのは真那だった。
一年の時から幸太と清香のクラスメイトで、清香がまだ学校に通っていた時はニコイチでいつも一緒にいる友達だった。清香の九時四時ルールが適用されている、数少ない人間の一人でもある。
「幸太、昨日清香の家に行ったんだって?」
真那が近づいてきながら言った。
「行ったよ。今日も行く」
幸太は言った。
「どうだった、清香の様子。元気だった?」
まるで入院中のクラスメイトの様子を尋ねるみたいに聞く真那。
「どうだったって、お前、俺より頻繁に清香と毎日チャットしてるんだろ」
「チャットで話すのと実際会うのは全然違うでしょ。特にあの子、最近自分を隠すところあるでしょ」
真那は言った。
確かにそうかもしれない、と幸太は感じた。
「……どうもこうも普通だったよ。二時間くらい一緒に勉強して、その後一時間くらい話をしてたら清香の発作が始まって、俺が帰って終わり」
「え? あんた、清香の発作が始まったらすぐに帰っちゃうの?」
真那は驚いた顔をして言った。
「帰るよ。お前は帰らないの?」
「そりゃ私は友達だから帰るよ。友達なんて他人だし。けど、あんたは清香の彼氏で、もうすぐ二年目でしょ。ずっと一緒にいればいいじゃん」
真那は言った。
「彼氏だって他人だろ。家族ならともかく」
幸太は言った。
真那は不満そうに眉をしかめる。
「じゃあ、あんたは清香のことを他人だって思ってるんだ」
「思ってない。でも見える俺と見えない清香じゃ、感じ方だって違うはずだろ」
ようやく少し納得してくれた表情をする真那。
彼氏と友達という立場の違いはあっても、幸太と真那はこの一年間、互いに清香のことを大事に想って、互いに清香と上手く付き合っていくために何度も相談し合ってきた関係だ。たとえは悪いかもしれないけれど、幸太は真那を戦友のように思っている。
しかし、真那は何かまだ言い足りなさそうな顔を続けていた。
「言えよ。言いたいことがあるなら」
幸太は言った。
すると、真那は溜め息をついた後、少し間を置いてから口を開いた。
「……あんたはもう少し、自信を持った方がいいと思うよ」
「自信? 何に?」
真那は答える。
「一年間ずっと清香の傍に居続けたこと。清香があんたと一緒に居たくないわけないじゃない。一分一秒だって長く一緒に居たいって、きっと思ってるよ。たとえ姿かたちが見えなくてもさ」
その時、チャイムが鳴って、幸太と真那は教室に戻った。
教室に戻ってから、もう一度幸太はメッセージの履歴を過去にさかのぼって見た。
何度も繰り返し表示される『好き』という単語に、思わず幸太はおかしくなって口元を緩ませてしまった。
学校が終わった後、幸太は制服姿のまま、途中にあった洋菓子店で小さなフルーツケーキを二つ買い、清香の家をたずねた。
チャイムを鳴らして、玄関に出てきたのは清香のお母さんだった。
いつものようにお母さんと二言三言世間話をした後、階段をのぼって二階にある清香の部屋へと向かう。
部屋の扉は開いていた。
扉を軽くノックすると、清香が扉を開けて現れた。
そして、幸太が手に提げたケーキの箱を見て、清香はにんまりと笑顔を浮かべた。
「覚えてたんだ! 今日が付き合ってちょうど二周年の日だって!」
清香は言った。
「サプライーズ」
幸太が言うと、清香は笑いながら、ぺしんと幸太の胸を叩いた。
「いらんから、そういうの。フォーク持ってくるね。皿はいる?」
「いらんいらん。洗うの面倒だしそのまま食おうぜ」
清香が階段をおりて、キッチンにフォークを取りに行く。
その間、幸太はケーキの箱を開き、箱の角をカッターで切って展開した。
「あはははは。そのままって、雑!」
テーブルの上、切り開かれた箱に並んだ二つのフルーツケーキを見て、フォークを持った清香は爆笑した。
「ほらよ」
清香が幸太にフォークを渡し、幸太の対面に座る。
「幸太。この二年間、本当にありがとうね」
清香は言った。
「こちらこそありがとう。清香と一緒で、本当に退屈しない二年だった」
幸太は笑った。
清香も笑った。
「それじゃあ、食べ――」
突然、清香は無表情になった。そして、うつむいて震えた。
ああ、発作が始まったんだと幸太は一瞬で察した。
幸太は鞄からボールペンを取り出し、切り開かれたケーキの箱に文字を書いた。
『はじまった?』
こくんと小さく頷く清香。
それから、清香は号泣し始めた。
「ごめん、本当にごめんね……」
『清香』
清香は顔を手で覆っていて、幸太の書いたメッセージを見ていなかった。
「ああ……、もう最悪。なんでなの? なんでこのタイミングなの……?」
清香は泣きながら言った。
幸太はスマホを取り出して、モーツァルトの『きらきら星変奏曲』を流す。
それは清香が昔、スマホの着信音に設定していた曲で、幸太が清香に注意を向けさせたい時にいつも使っている曲だった。
『笑って。俺には清香は見えているから』
幸太が書いたメッセージを清香は見た。
清香は頷き、一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとした。
「……幸太、ごめん。せっかくの記念日なのに、私が台無しにするところだった」
清香は言った。
『台無しになんてならないよ。清香が笑っていてくれれば』
幸太が書いたメッセージを見て、清香は微笑んだ。
「ありがとう。幸太が彼氏で本当に良かった」
『このまま一緒に食べようか』
清香は頷く。
「うん。私もそうしたい。幸太、私は幸太が大好きだよ」
清香は言った。
『俺も清香のことが大好きだよ』
メッセージを見た清香は、幸太の座っている方向へ笑顔を見せた。幸太は清香が向いている先へとクッションをずらして座り直し、彼女と見つめ合うようにして笑顔を向けた。
「食べよっか」
『食べよう』
『せーの』
いただきます、……と少しずれたタイミングで一緒に言ってから、幸太達は二人でケーキを食べ始めた。
幸太を安心させようとしているのか、やりすぎなくらい美味しそうにケーキを食べる清香。そんな彼女の姿に、幸太は思わず笑みがこぼれ、とても幸せな気持ちで満たされた。
たかが発作が起こった時に自分が見えなくなるくらい、自分達二人の間には何の障害にもならないと思った。
自分はこれから清香とずっと一緒に生きていこう。
幸太は心の中でそう決意をした。
目の前の椅子に座る清香が言った。
幸太は机に身を乗り出し、清香の眼前で上下に手を振ってみる。
彼女は動かなかった。
発作。
幸太はポケットからスマホを取り出し、メッセアプリを開いて、彼女のスマホへメッセージを送信する。
<いるよ。目の前>
清香はきょろきょろと視線を少し揺らした後、机の対面に座っている幸太の方へと視線を向けた。
「いつもの場所?」
清香は言った。
<そう。今見てる場所>
幸太のメッセージを見て、清香は再び幸太に視線を向け、笑顔をつくって手を振った。
幸太も手を振り返す。
けれど、これは彼女には見えていない。彼女の向いている方は合っている。でも、目の焦点は幸太の後ろにある彼女の部屋の壁に合っているようだった。
<じゃあ、今日のところは帰るな>
幸太がスマホでメッセージを送ると、彼女は頷いた。
「ごめんね。いつも」
清香は少し泣きそうな声で言った。
幸太はテーブルに置いてあった学校の宿題とノートを自分の鞄に入れる。その時、ノートの一番後ろのページをびりっと破いて、シャーペンで大きく書いてテーブルに置いた。
『また明日』
それを見て、清香は微笑んだ。
そして、幸太の書いたすぐ下に、彼女は返事を書いた。
『また明日♡』
幸太が清香に手を振りながら彼女の部屋を出ようと、まるで清香は幸太がそうしているのが見えているかのように、幸太に手を振り返した。
幸太が部屋から出た後、清香はすぐに部屋の扉の鍵を中からかけた。
『透明人間』という言葉があるけれど、倉橋清香の病気を一言で表すなら『逆・透明人間』という感じ。
『発作性ヒト認識機能障害』。
それが清香の病気の名前。清香がそんな病名を診断されたのは、今から一年ちょっと前のことだった。
この病気にかかると、その病名のとおり他人を全く認識できなくなる。近くにいる人間が見ないのはもちろん、その人間が発する声や電話の音声も聞こえなくなる。写真や動画、映画なんかも見えなくなるようで、発作が起きた時の清香には、人間が映った部分だけがすっぽりと丸い穴が空いたように見えるらしい。
おまけに、人間が身に付けている物や手に持っている物なども見えなくなるので、近くにある物を他人が触れた瞬間、その物が突然消えたように彼女の目には映るのだ。
……唯一、匂いや触れられたという感覚だけは『ちょびっと』あるらしい。
この病気は世界中でも清香ただ一人しか発症者がいない。病名だって今適当に付けたって先生は苦笑いして言っていたらしく、もしかすると将来的にはキヨカ・クラハシ症候群なんて世界中で呼ばれることになる可能性だってあるらしい。
発症当初は彼女もそんなことを笑って幸太に話してくれた。
けれど、発作的に他人が見えなくなるこの病気は、彼女からたくさんのものを容赦なく奪っていった。
高校には通えなくなって自主休学せざるを得なくなり、発作が起こると付き添いをしている母親などですら見えなくなるのでほとんど外出ができなくなった。
彼女の友達も最初の頃は見舞いなどにも来てくれていたけれど、発作が起きた時のことを考えてむしろ彼女の方から見舞いを断るようになり、彼女を気にかけてくれる友達は見る見るうちに減っていった。
発症前は映画を見るのが好きだったものの、途中で発作が起きるとその後の内容が全く理解不能になることからか、いつしか見なくなり始め、今や彼女の娯楽は小説を読むことと、幸太や限られた友達とチャットをして話すことだけだ。
そんな彼女がほとんど自分の部屋から出なくなり、ひきこもり同然の毎日を送るようになったのは必然としか言いようがなかった。
清香は幸太が学校にいる間はメッセージを送ってこない。幸太がそうしてくれと頼んだわけじゃない。
『あまりに暇すぎて、きっと幸太が学校のことに集中出来なくなるくらい、メッセージを送りつけてしまうから』
そう考えた清香が自主的に、朝の九時から夕方の四時までの間、緊急の用事がある時以外は連絡を取らないと決めたのだ。
清香ががそう決めたのならと、幸太もそれに従うことにした。
高校三年の他のカップルを見れば、昼休みに一緒にご飯を食べている連中なんてざらにいる。ちょっとスマホで連絡を取り合うことなんて別にいいんじゃないか、とも思った。
けれど清香がイヤなのは、きっと幸太が返事をしなかった時にあれこれ考えて悩んでしまうことなのだ。そして、幸太もきっと清香を悩ませないために、清香からのメッセージが来たらすぐに返事を書いてしまうだろう。
そういうことを考えたら、少し寂しい気はしたけれど案外良いルールなんじゃないかとは思っている。
いや、少し寂しいなんて嘘だ。
本当はすごく寂しい。清香は今独りで何をしているんだろうなと考えるとやるせない気持ちになる。
クラスメイトの男友達から食堂に誘われたのに、それを断って、わざわざ人気のほとんどないテラスで昼食を食べてしまっているのが良い証拠だった。
寂しさを紛らわせようと、清香とのやり取りの履歴を見てみると、ほとんどが自分が送った清香と一緒にいる時の短文のメッセージだった。
そのメッセージを見て、幸太は清香と一緒の時の思い出を連想した。
「――ちょっとあんた、無人のテラスでスマホ見ながらにやけてるとか、超キモいからやめた方がいいよ」
その時、廊下から声をかけてきたのは真那だった。
一年の時から幸太と清香のクラスメイトで、清香がまだ学校に通っていた時はニコイチでいつも一緒にいる友達だった。清香の九時四時ルールが適用されている、数少ない人間の一人でもある。
「幸太、昨日清香の家に行ったんだって?」
真那が近づいてきながら言った。
「行ったよ。今日も行く」
幸太は言った。
「どうだった、清香の様子。元気だった?」
まるで入院中のクラスメイトの様子を尋ねるみたいに聞く真那。
「どうだったって、お前、俺より頻繁に清香と毎日チャットしてるんだろ」
「チャットで話すのと実際会うのは全然違うでしょ。特にあの子、最近自分を隠すところあるでしょ」
真那は言った。
確かにそうかもしれない、と幸太は感じた。
「……どうもこうも普通だったよ。二時間くらい一緒に勉強して、その後一時間くらい話をしてたら清香の発作が始まって、俺が帰って終わり」
「え? あんた、清香の発作が始まったらすぐに帰っちゃうの?」
真那は驚いた顔をして言った。
「帰るよ。お前は帰らないの?」
「そりゃ私は友達だから帰るよ。友達なんて他人だし。けど、あんたは清香の彼氏で、もうすぐ二年目でしょ。ずっと一緒にいればいいじゃん」
真那は言った。
「彼氏だって他人だろ。家族ならともかく」
幸太は言った。
真那は不満そうに眉をしかめる。
「じゃあ、あんたは清香のことを他人だって思ってるんだ」
「思ってない。でも見える俺と見えない清香じゃ、感じ方だって違うはずだろ」
ようやく少し納得してくれた表情をする真那。
彼氏と友達という立場の違いはあっても、幸太と真那はこの一年間、互いに清香のことを大事に想って、互いに清香と上手く付き合っていくために何度も相談し合ってきた関係だ。たとえは悪いかもしれないけれど、幸太は真那を戦友のように思っている。
しかし、真那は何かまだ言い足りなさそうな顔を続けていた。
「言えよ。言いたいことがあるなら」
幸太は言った。
すると、真那は溜め息をついた後、少し間を置いてから口を開いた。
「……あんたはもう少し、自信を持った方がいいと思うよ」
「自信? 何に?」
真那は答える。
「一年間ずっと清香の傍に居続けたこと。清香があんたと一緒に居たくないわけないじゃない。一分一秒だって長く一緒に居たいって、きっと思ってるよ。たとえ姿かたちが見えなくてもさ」
その時、チャイムが鳴って、幸太と真那は教室に戻った。
教室に戻ってから、もう一度幸太はメッセージの履歴を過去にさかのぼって見た。
何度も繰り返し表示される『好き』という単語に、思わず幸太はおかしくなって口元を緩ませてしまった。
学校が終わった後、幸太は制服姿のまま、途中にあった洋菓子店で小さなフルーツケーキを二つ買い、清香の家をたずねた。
チャイムを鳴らして、玄関に出てきたのは清香のお母さんだった。
いつものようにお母さんと二言三言世間話をした後、階段をのぼって二階にある清香の部屋へと向かう。
部屋の扉は開いていた。
扉を軽くノックすると、清香が扉を開けて現れた。
そして、幸太が手に提げたケーキの箱を見て、清香はにんまりと笑顔を浮かべた。
「覚えてたんだ! 今日が付き合ってちょうど二周年の日だって!」
清香は言った。
「サプライーズ」
幸太が言うと、清香は笑いながら、ぺしんと幸太の胸を叩いた。
「いらんから、そういうの。フォーク持ってくるね。皿はいる?」
「いらんいらん。洗うの面倒だしそのまま食おうぜ」
清香が階段をおりて、キッチンにフォークを取りに行く。
その間、幸太はケーキの箱を開き、箱の角をカッターで切って展開した。
「あはははは。そのままって、雑!」
テーブルの上、切り開かれた箱に並んだ二つのフルーツケーキを見て、フォークを持った清香は爆笑した。
「ほらよ」
清香が幸太にフォークを渡し、幸太の対面に座る。
「幸太。この二年間、本当にありがとうね」
清香は言った。
「こちらこそありがとう。清香と一緒で、本当に退屈しない二年だった」
幸太は笑った。
清香も笑った。
「それじゃあ、食べ――」
突然、清香は無表情になった。そして、うつむいて震えた。
ああ、発作が始まったんだと幸太は一瞬で察した。
幸太は鞄からボールペンを取り出し、切り開かれたケーキの箱に文字を書いた。
『はじまった?』
こくんと小さく頷く清香。
それから、清香は号泣し始めた。
「ごめん、本当にごめんね……」
『清香』
清香は顔を手で覆っていて、幸太の書いたメッセージを見ていなかった。
「ああ……、もう最悪。なんでなの? なんでこのタイミングなの……?」
清香は泣きながら言った。
幸太はスマホを取り出して、モーツァルトの『きらきら星変奏曲』を流す。
それは清香が昔、スマホの着信音に設定していた曲で、幸太が清香に注意を向けさせたい時にいつも使っている曲だった。
『笑って。俺には清香は見えているから』
幸太が書いたメッセージを清香は見た。
清香は頷き、一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとした。
「……幸太、ごめん。せっかくの記念日なのに、私が台無しにするところだった」
清香は言った。
『台無しになんてならないよ。清香が笑っていてくれれば』
幸太が書いたメッセージを見て、清香は微笑んだ。
「ありがとう。幸太が彼氏で本当に良かった」
『このまま一緒に食べようか』
清香は頷く。
「うん。私もそうしたい。幸太、私は幸太が大好きだよ」
清香は言った。
『俺も清香のことが大好きだよ』
メッセージを見た清香は、幸太の座っている方向へ笑顔を見せた。幸太は清香が向いている先へとクッションをずらして座り直し、彼女と見つめ合うようにして笑顔を向けた。
「食べよっか」
『食べよう』
『せーの』
いただきます、……と少しずれたタイミングで一緒に言ってから、幸太達は二人でケーキを食べ始めた。
幸太を安心させようとしているのか、やりすぎなくらい美味しそうにケーキを食べる清香。そんな彼女の姿に、幸太は思わず笑みがこぼれ、とても幸せな気持ちで満たされた。
たかが発作が起こった時に自分が見えなくなるくらい、自分達二人の間には何の障害にもならないと思った。
自分はこれから清香とずっと一緒に生きていこう。
幸太は心の中でそう決意をした。
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