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4章

23 雨ときどき ②

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 黒く染まった空を見て、ロイアルドが溜め息を吐く。
 その横顔を見ながらスーリアが首を傾げると、彼は独り言のように呟いた。

「……雨は嫌いなんだ。太陽を隠すから」

 どこか切なく憂いを帯びたその横顔に、心臓が震える。
 少しして、彼は自分の体を見下ろすと苦笑した。

「思ったより濡れたな」

 髪や衣服についた水滴をはらいながら、ロイアルドは椅子に腰かけた。
 ここなら多少の雨であれば防げる。
 空の様子からして通り雨だと思われるので、落ち着くまではこのガゼボで雨宿りするしかなさそうだ。

「使ってください」

 ロイアルドの隣に腰かけながら、先ほどポケットにしまったスカーフを取り出す。
 彼はスーリアの方を向いて、急に動きをとめた。

「……それは、君が使ったほうが……」

 彼の視線が下がる。
 スーリアの胸元を一瞥して、慌てたように目を逸らした。

 どうしたのかと己の体を見下ろすと、雨に濡れたせいで中に着ていた服が透けている。

「っ――!」

 思わず両手で隠した。
 そういえば今日は気温が高めだったので、いつもの作業着ではなく、薄手のブラウスを着ていたことを思い出す。
 こんな日に限って雨に打たれるとは……
 彼の言葉に甘えて、スカーフで胸元を覆って隠した。

「失礼しました……」
「……いや、城に戻ればよかったな。つい君と二人になれる方を選んでしまった、すまない」

 そんな風に言われたら責められるはずがない。
 スーリアだって、ロイアルドと会えたことは嬉しかったのだ。
 あのまま城に戻っていたら、人目の関係もありすぐに別れていただろう。

「いえ、私もこっちの方がよかったので」

 本心をこぼすと、彼は驚いたようにスーリアを見た。

「君は……俺が嫌いなんじゃないのか?」
「嫌いだなんて一言も言ってません」
「では、なぜ俺を拒絶する?」

 銀灰色の瞳が不安そうに揺れている。
 問題は彼ではない、スーリア自身だ。

「それは……あなたと結婚したら、この仕事は続けられないので……」
「続ければいいだろ?」
「…………え?」

 予想外の返事に、思わずぽかんと口を開けたまま隣を見る。
 彼は何を言っているのだろうか。
 庭仕事をする王子妃など、普通は考えられない。

「王子妃が庭師をしていたらおかしいじゃないですか」
「まあ少し変わってはいるが、別におかしくはない。好きなら続ければいい。なんならこの庭園の一画に、君専用の庭を作ってもらうか?」
「私専用の!?」

 ごくりと唾をのみ込む。
 彼と結婚すれば王城の庭がついてくるというのか。
 一番悩ましかった件があっさり解決してしまった。
 むしろ悩んでいたのが馬鹿馬鹿しいくらいだ。

「さすがに公務がないとは言えないが、空いた時間で好きに庭をいじればいい。王太子妃というわけでもないし、ひっぱり出されることも少ないだろ」

 さらに追い打ちをかけられる。
 しかし、公務ともなると人前に出ることも多くなるわけで。

「こ、こんな地味な顔の女が隣にいたら、殿下が笑われますっ……」

 彼の目に触れないように俯く。
 見目のよくない自分のせいで、ロイアルドが悪く言われるのはさすがに耐えられない。遠くから見守っているくらいがちょうどいい。

 本心を伝えようとすると、隣から小さな溜め息が聞こえた。

「……容姿に関して、君を卑屈にさせたやつが心底憎い」
「え……?」

 少し怒気を含んだ声に驚いて隣を見る。
 不機嫌を滲ませた整った顔が思ったりより近くにあって、スーリアはびくりと肩を震わせた。

「言わせてもらうが、君は別に見目は悪くない。俺は可愛いと思う」
「かっ可愛くはないと思うんですけど!?」
「そうだな、どちらかというと綺麗な部類だな」
「もっと遠ざかった気がするんですけど!?」

 身を乗り出して詰め寄るように言う彼の勢いに、思わず体を引いてしまう。

「前の婚約者が言ったことは気にするな。もっと自信を持て」

 なぜ彼が、ヒューゴから受けた扱いを知っているのだろうか。
 そう言えば、おととい父が登城すると言っていたことを思い出す。もしかしたら父が何か言ったのかもしれない。

 幼い頃から散々容姿のことを悪く言われてきたので、今さら自信を持つなど難しい。
 それでも彼が認めてくれるのなら、甘えてもいいのだろうか。

「……努力します」

 言われ慣れない言葉を掛けられたからか、いつも以上に顔が熱い。きっと体質のせいもあり、頬が真っ赤に染まっているだろう。
 上目遣いで銀灰色の瞳を覗き込むと、彼は大きく喉を上下させた。

「スーリア……頼む、俺を受け入れてくれ。好きなんだ」

 真っすぐな言葉で伝えてくる彼が眩しく見える。
 ここで『私も』と言ってしまえば、楽になれるのだろうか。

 仕事のことも容姿のことも、ロイアルドは誠実に向き合ってくれる。
 足りないものはあとひとつ、スーリアの覚悟だけだ。

「もう少し……時間をください」

 すでに自分の意思はほとんど決まっているのかもしれない。
 それでも、心の整理をつける時間がほしかった。
 素直に笑って、彼の手を取れるように。

「分かった。待つから……今だけ許してほしい」

 懇願するように言いながら、ロイアルドはスーリアの身体を抱き寄せた。雨に濡れて冷えてきた身体に、じんわりと体温が伝わってくる。
 突然のことに頭が追いつかないでいると、熱を含んだ吐息が耳にかかるのを感じた。

「返事をもらえるまで、会いには行かないから」
「え……」

 伝わる熱とは反対に、彼の言葉は冷たい。
 真意を確かめるために顔を上げようとしたが、スーリアを拘束する腕の力が強まり叶わなかった。

「……これ以上君を前にして、何もしないでいられる自信がない」

 艶を含んだ声音に背筋が粟立つ。
 これほど切実に求められ、想いをぶつけられるなんて思ってもみなかった。
 彼の言葉に、今すぐ応えられない自分が情けない。

 少しして、ロイアルドはスーリアを解放した。
 今度は控えめに手を握ってくる。

 それから雨が止むまで、彼が繋いだ手を離してくれることはなかった。

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